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番外編
松阪牛の行方
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夏休み中には大きな祭りがある。伊織はそんなものに興味はなかったが、和泉が突然家を訪ねてきた。
「今日がなんの日か知ってるか?」
唐突にそんなことを言う。たしかに、遠くの方で太鼓や笛の音がしているのはわかっていたが、和泉とその関連性を頭の中で結びつけることができず、伊織は混乱した。
「なんでもない日……」
混乱した頭では、どこかのおとぎ話のようなセリフを吐くことが精一杯だ。
「はぁ……」
和泉は小さくため息をついて、少し黙った。
重い沈黙が下りると、遠くの祭囃子がより近くに感じられた。
「お前、この音聞こえてるだろ?」
そこで初めて、これは祭りの誘いなのでは、という考えに至る。
「もしかして生徒会で行くとかですか?」
それなら考えられる。しかし、こんな遠まわしな誘い方をするだろうか。
「いや、そういうわけじゃないが……」
奥歯に物が挟まったような言い方。なんだか嫌な予感がする。
「言っときますけど、夏実さんを誘うのは自分でしてください」
少し強めの口調で言う。面倒事に巻き込まれるのはまっぴらごめんだった。
「空蝉と同じこと言うなよ……」
しょげたような和泉の言葉に、少し同情する。
小夜子にも、同じことをしたとは――相当、こう、心を抉ることを言われたのだろう。
「それはすみません」
しかし夏実を誘うなら自分ですればいいじゃないか。そうは思ったが、まぁきっと色々あるのだろう。例のカンニング事件で夏実の親は怒っているようだし、おおかた、みんなで遊ぶという口実ができれば行きやすいと考えたのだろう。
「それで、小夜子先輩には断られたんですね」
「機嫌が悪かったみたいで……弟や妹の面倒がどうとか言ってて」
和泉は、再びため息をついてから言葉を吐いた。
たしかに小夜子は下に多くの兄弟がいると言っていた。祭りとなれば、その世話は大変だろう。
「わかりました」
伊織はゆっくりと頷いてから和泉を見た。パッと明るい表情になり、笑顔を見せる。
「本当か?」
「仕方ないですよね。夏実さんには僕から電話するので電話番号教えてください」
***
「いやでも祭りって久しぶりだな」
りんご飴をガリガリ齧りながら夏実は言う。その後ろを歩きならが和泉は口を開いた。
「去年も来ただろ」
なんだか居たたまれない。帰りたい。どうしてこんなことを了承してしまったのだろう。
和泉はそっけない様子で返事をしてみせたが、心なしか少し嬉しそうだ。伊織は二人の後ろをついて歩いているので、表情はうかがい知ることはできなかった。
「そーだっけ。まぁでも一年経ってるから久しぶりだろ!」
そんなことを言いながら笑い声をあげる。その理屈でいうと、祭り自体久しぶりなのだが、その辺どうなのだろう。
色々と言いたいことはあったが、ぐっと飲みこむ。
「そうだな」
和泉は苦笑い、といったところだろうか。相槌を打って、歩を進める。
「あっ、ビンゴ大会だって」
夏実は大きく書かれた『ビンゴ大会』の文字を指差した。
「ビンゴ好きだったか?」
和泉は首を傾げ、ざわついている周囲を見渡す。
「気分気分!」
夏実は軽い足取りで受付の方へと歩く。
そのときだった。不意に後ろから肩を叩かれ、びっくりして振り向く。
「見上……先輩」
ちょっとした恐怖を覚える。見上には、そんな雰囲気がある。
「なに? そんなに怯えた顔しなくても大丈夫だよ」
目を細め、少し不貞腐れたような表情を見せる。そして、受付に並ぶ夏実と和泉を一瞥して、また伊織の方をみる。
「ビンゴ大会はやめたほうがいいよ」
淡々とした声で言う。すぐに理由を聞こうと口を開いたが、怖くなって一瞬躊躇した。
「一等の松坂牛、盗まれたみたいだよ」
伊織の質問を待つことなく、見上は言葉を紡いだ。
「なんかビンゴ中止だってー」
受付から戻ってきた夏実は、しょげた様子で顔を顰めた。
「別の場所に行こう」
和泉は、花火を見るために人々が集まる広場とは反対方向を示して言った。
「なに、そっちなんかあるの?」
夏実が訊ねると、和泉は目を逸らしながら答えた。
「聞いた話だが、廃墟、というか『ポルターガイストの家』と呼ばれている家があるらしい」
和泉がこのような噂話に精通しているのは意外だった。花火の場所取りにはもう間に合わない、となればそこに行くしかないのだろうか。
「いーじゃん! 行こ行こ!」
夏実も乗り気のようで、三人は祭囃子を背にして歩き始めた。
***
「なんか、寒くね?」
夏だというのにそこはひんやりとした空気を纏っていた。恐る恐る歩を進めていくと、小さな人影がゆらゆらと揺れている。
「え、誰?」
伊織は目を凝らすが、遠くてよく見えない。和泉も同じらしく、眼鏡を外して拭き、またかけ直す。
「なんでこんなとこに一人でいるんだろう?」
夏実だけは見えているらしく、「小さい女の子が一人でいる」と小声で言った。
「近くに行こう」
ポルターガイスト現象は今のところ一切起きていない。ただの廃墟、なのだろうか。
「ねぇ、君名前は?」
夏実が人好きのする笑みを浮かべて女の子に話しかける。近くで見ると普通の女の子で、幽霊ではなさそうだ。
「空蝉夕子……」
「空蝉?」
女の子の返答に、和泉が聞き返す。こんな珍しい苗字、この辺りではそうそういない。
「はぐれちゃったの?」
「うん」
女の子は手を後ろに回したまま、微動だにしない。素直に返事はするが、最低限のものだ。
「何持ってるの?」
伊織は気になって、そう言葉を放つ。その瞬間女の子は後ずさりをして、目に涙を浮かべた。
「なんだ? これ」
和泉は女の子が隠していたものを奪い取り、ビニール越しに目を凝らす。
「これあれじゃね? 肉」
「肉? こわ」
もしかして、この肉は……。
「ちょっと見せてください」
和泉からひったくるようにしてそれを奪い取る。ラベルを探して暗い中目を凝らす。やはり、そうだ。
「これ松坂牛ですよ」
「え、それって……」
和泉はピンときたようで、女の子を驚きの眼差しで見る。夏実はまだ自体が飲み込めていない様子で、首を傾げた。
「だって、だって……」
夕子は目に涙を浮かべながら、嗚咽を漏らす。
「やっちゃいけないって、わかってるんだろ? みんなで謝れば大丈夫だ」
和泉はしゃがみこんで、夕子の頭を撫でた。
「うわ」
ちょっと意外な展開に、声が漏れる。
「なんだ? とにかく空蝉も探してるだろう。謝ったら家に届けよう」
すごい威圧感に頷くしかない。それに、本当に正しいことしか言っていない。
「俺はどうしたらいい?」
夏実はきょとんとした様子で訊ねる。
「一緒にきてくれればいい、あとで説明する」
和泉は夕子の手を引いて、ポルターガイストの家をあとにした。
遠くで花火の音が聞こえる。
「今日がなんの日か知ってるか?」
唐突にそんなことを言う。たしかに、遠くの方で太鼓や笛の音がしているのはわかっていたが、和泉とその関連性を頭の中で結びつけることができず、伊織は混乱した。
「なんでもない日……」
混乱した頭では、どこかのおとぎ話のようなセリフを吐くことが精一杯だ。
「はぁ……」
和泉は小さくため息をついて、少し黙った。
重い沈黙が下りると、遠くの祭囃子がより近くに感じられた。
「お前、この音聞こえてるだろ?」
そこで初めて、これは祭りの誘いなのでは、という考えに至る。
「もしかして生徒会で行くとかですか?」
それなら考えられる。しかし、こんな遠まわしな誘い方をするだろうか。
「いや、そういうわけじゃないが……」
奥歯に物が挟まったような言い方。なんだか嫌な予感がする。
「言っときますけど、夏実さんを誘うのは自分でしてください」
少し強めの口調で言う。面倒事に巻き込まれるのはまっぴらごめんだった。
「空蝉と同じこと言うなよ……」
しょげたような和泉の言葉に、少し同情する。
小夜子にも、同じことをしたとは――相当、こう、心を抉ることを言われたのだろう。
「それはすみません」
しかし夏実を誘うなら自分ですればいいじゃないか。そうは思ったが、まぁきっと色々あるのだろう。例のカンニング事件で夏実の親は怒っているようだし、おおかた、みんなで遊ぶという口実ができれば行きやすいと考えたのだろう。
「それで、小夜子先輩には断られたんですね」
「機嫌が悪かったみたいで……弟や妹の面倒がどうとか言ってて」
和泉は、再びため息をついてから言葉を吐いた。
たしかに小夜子は下に多くの兄弟がいると言っていた。祭りとなれば、その世話は大変だろう。
「わかりました」
伊織はゆっくりと頷いてから和泉を見た。パッと明るい表情になり、笑顔を見せる。
「本当か?」
「仕方ないですよね。夏実さんには僕から電話するので電話番号教えてください」
***
「いやでも祭りって久しぶりだな」
りんご飴をガリガリ齧りながら夏実は言う。その後ろを歩きならが和泉は口を開いた。
「去年も来ただろ」
なんだか居たたまれない。帰りたい。どうしてこんなことを了承してしまったのだろう。
和泉はそっけない様子で返事をしてみせたが、心なしか少し嬉しそうだ。伊織は二人の後ろをついて歩いているので、表情はうかがい知ることはできなかった。
「そーだっけ。まぁでも一年経ってるから久しぶりだろ!」
そんなことを言いながら笑い声をあげる。その理屈でいうと、祭り自体久しぶりなのだが、その辺どうなのだろう。
色々と言いたいことはあったが、ぐっと飲みこむ。
「そうだな」
和泉は苦笑い、といったところだろうか。相槌を打って、歩を進める。
「あっ、ビンゴ大会だって」
夏実は大きく書かれた『ビンゴ大会』の文字を指差した。
「ビンゴ好きだったか?」
和泉は首を傾げ、ざわついている周囲を見渡す。
「気分気分!」
夏実は軽い足取りで受付の方へと歩く。
そのときだった。不意に後ろから肩を叩かれ、びっくりして振り向く。
「見上……先輩」
ちょっとした恐怖を覚える。見上には、そんな雰囲気がある。
「なに? そんなに怯えた顔しなくても大丈夫だよ」
目を細め、少し不貞腐れたような表情を見せる。そして、受付に並ぶ夏実と和泉を一瞥して、また伊織の方をみる。
「ビンゴ大会はやめたほうがいいよ」
淡々とした声で言う。すぐに理由を聞こうと口を開いたが、怖くなって一瞬躊躇した。
「一等の松坂牛、盗まれたみたいだよ」
伊織の質問を待つことなく、見上は言葉を紡いだ。
「なんかビンゴ中止だってー」
受付から戻ってきた夏実は、しょげた様子で顔を顰めた。
「別の場所に行こう」
和泉は、花火を見るために人々が集まる広場とは反対方向を示して言った。
「なに、そっちなんかあるの?」
夏実が訊ねると、和泉は目を逸らしながら答えた。
「聞いた話だが、廃墟、というか『ポルターガイストの家』と呼ばれている家があるらしい」
和泉がこのような噂話に精通しているのは意外だった。花火の場所取りにはもう間に合わない、となればそこに行くしかないのだろうか。
「いーじゃん! 行こ行こ!」
夏実も乗り気のようで、三人は祭囃子を背にして歩き始めた。
***
「なんか、寒くね?」
夏だというのにそこはひんやりとした空気を纏っていた。恐る恐る歩を進めていくと、小さな人影がゆらゆらと揺れている。
「え、誰?」
伊織は目を凝らすが、遠くてよく見えない。和泉も同じらしく、眼鏡を外して拭き、またかけ直す。
「なんでこんなとこに一人でいるんだろう?」
夏実だけは見えているらしく、「小さい女の子が一人でいる」と小声で言った。
「近くに行こう」
ポルターガイスト現象は今のところ一切起きていない。ただの廃墟、なのだろうか。
「ねぇ、君名前は?」
夏実が人好きのする笑みを浮かべて女の子に話しかける。近くで見ると普通の女の子で、幽霊ではなさそうだ。
「空蝉夕子……」
「空蝉?」
女の子の返答に、和泉が聞き返す。こんな珍しい苗字、この辺りではそうそういない。
「はぐれちゃったの?」
「うん」
女の子は手を後ろに回したまま、微動だにしない。素直に返事はするが、最低限のものだ。
「何持ってるの?」
伊織は気になって、そう言葉を放つ。その瞬間女の子は後ずさりをして、目に涙を浮かべた。
「なんだ? これ」
和泉は女の子が隠していたものを奪い取り、ビニール越しに目を凝らす。
「これあれじゃね? 肉」
「肉? こわ」
もしかして、この肉は……。
「ちょっと見せてください」
和泉からひったくるようにしてそれを奪い取る。ラベルを探して暗い中目を凝らす。やはり、そうだ。
「これ松坂牛ですよ」
「え、それって……」
和泉はピンときたようで、女の子を驚きの眼差しで見る。夏実はまだ自体が飲み込めていない様子で、首を傾げた。
「だって、だって……」
夕子は目に涙を浮かべながら、嗚咽を漏らす。
「やっちゃいけないって、わかってるんだろ? みんなで謝れば大丈夫だ」
和泉はしゃがみこんで、夕子の頭を撫でた。
「うわ」
ちょっと意外な展開に、声が漏れる。
「なんだ? とにかく空蝉も探してるだろう。謝ったら家に届けよう」
すごい威圧感に頷くしかない。それに、本当に正しいことしか言っていない。
「俺はどうしたらいい?」
夏実はきょとんとした様子で訊ねる。
「一緒にきてくれればいい、あとで説明する」
和泉は夕子の手を引いて、ポルターガイストの家をあとにした。
遠くで花火の音が聞こえる。
応援ありがとうございます!
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