ドレスデンのドリルきゅん

つなかん

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番外編

致死量のヘリウムガス

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“One murder makes a villain, Millions a hero. Numbers sanctify”

1人殺せば犯罪者だが、100万人殺せば英雄になる。数が殺人を神聖なものにする。(チャーリー・チャップリン/殺人狂時代)


   ***


 映画を観るときは必ずポップコーンを食べる。塩味がちょうど良くて、出来たてでホクホク温かくて、噛んでも音がそんなに出ない。映画とポップコーンのコラボレーションは資本主義の頂点に君臨していると思う。
 上映が終わり、シアターが明るくなる。観客たちがガヤガヤ感想を言い合いながら劇場を順番に出ていった。

「面白かったね」

 私は隣のリドルくんに声をかけた。背もたれにぐったり頭を乗せ、静かに目を閉じている。肩を叩くと面倒くさそうに瞼を持ち上げて、その澄んだ青い瞳でギロっと睨む。

「……ッヒ」

 顔がカワイイから余計に恐ろしい。心臓が冷えてゆくような本能的な恐怖を感じた。小さく息を飲む。
 リドルくんは私を一瞥したのち、退屈そうに大きく伸びをした。眠たそうにのんびり目を擦り、気だるげに首を回す。

「うーん、エイガ? ってやつ。すっげー眠くなるな!」

 うん、そうだよね。エンドロールでイビキをかいていたのは聞こえた。彼は国境を越え亡命してからというもの、全く働く気配がない。

 父親の所有する豪華な屋敷に住んで、酒やタバコを大量に消費して暮らしているらしい。……それは軍にいた頃も同じか。
 たまには外に連れ出してくれ、って頼まれたから来たけど。映画はマズかったのかもしれない。でも、同じ部署に配属されたハイネの教育係を任されるよりは幾分マシだった。

 ほとんど観客の退場した劇場をあとにする。外はどんよりした曇り空で、なんだか気分が落ち込んだ。さっき見た映画のせいかもしれない。あの人、いつもはコメディ映画ばかりなのに、今回はシリアス路線だった――殺人狂時代。

「……はぁ」

 リドルくんはおもむろにタバコを咥えて火をつけた。マッチやライターは使わず、いつもパチンと指を鳴らした。飄々とした態度で、口から白い煙を吐き出してのんびりベンチに腰を下ろした。
 短いスカートから白い太ももがチラッと覗く。優雅に足を組むと、ガータベルトが黒いソックスをオシャレに固定している。

「あの、ドリルくん! アイスクリームでも食べません?」

 私は昔と同じようにリドルくんのことを呼んだ。街には映画館だけでなく、マクドナルドだって、アイスクリームパーラーだってある。荒廃し、汚職で腐敗した東の食料事情とは全く異なる。

「この寒いのに? ……俺にはこれヤニがあるからいーよ」

 リドルくんは組んだ足を揺らし、のんびりとタバコを蒸した。

 ゴミ箱に捨てられた新聞に、指名手配犯であるシュタイナー兄弟の文字が踊っているのが見えた。私が彼らを密告したせいで、彼らは国を追われることになった。それは純然たる事実だ。
 いや、きっと本当は殺されるはずだった。リドルくんがこれほどまでに強くなければ、絶対に。秘密警察ゲシュタポの人間だってバカじゃない。息の根を止める予定だったはずだ。……やっぱりリドルくんは特別なんだ。

 あれからずっとギクシャクしていた。そう、所詮飲みの席での出来事だ。私が彼らの政治批判を密告しなければ、もっと違った現実が訪れていただろう。未必の故意は罪。私には、それを理解する頭があった。冷たい北風が吹いて、リドルくんのタバコの煙がこっちに漂ってきた。

「リドルくんはさ、あの映画どう思った?」
「さぁ……兄貴は好きなんじゃねーの」

 リドルくんは少々不機嫌そうに鼻を鳴らした。寝てたと思ったけど、一応少しは見てたんだ? ハイネはあれを見たらどう思うんだろう。映画館なんて平和ボケ、甘え、売国奴。劇場に入った瞬間そういう文句をブツブツ言いそう。

「うーん、そうかな?」
「そうだよ! 似てたじゃん、あのオッサン!!」

 リドルくんは心底無邪気に笑った。たしかに、戦争に負けて自害したという、前の首相によく似ていた。リドルくんが吸い終わり、短くなったタバコを地面にポイッと捨てた。
 黒いリボンのついたかわいらしい靴で踏み潰す。いつものように、指を鳴らして消失させるマジックをしない。大きくため息をついて、私をギロっと鋭く睨んだ。

「アグネス、お前なんで裏切った?」
「ジュネーブ条約違反だって、何度も注意されたでしょ……いくら私でも庇いきれないよ」

 あくまで落ち着いて返事をした。スパイは冷静さが命。だけど、リドルくんの心を読む能力には絶対に敵わない。
 リドルくんの能力は母親のイザベラさんのように完璧なものではなく、少々制限がかかっているようにも思えた。少なくともイザベラさんのように、毎秒こちらの頭の中を覗かれているような不気味さはない。

 リドルくんはゆっくり瞬きをして首を傾げた。無垢な子供のようなかわいさ。今のリドルくんを見た誰もが、まさか彼が民間人を大虐殺するのが大好きな狂人、なんて想像もつかないだろう。等身大のフランス人形が自我を持って動いてる、と言われたほうがまだしっくりくる。

「そうだったっけ?」
「書類にサインがあったど」
「おいおい、俺に自分の名前が書けると思うのかよ」

 残念ながら、リドルくんには難しい命令や作戦を理解する頭がなかった。新しく制定された条約なんて尚更だろう。私が少佐補佐の役職についたときにはもう、警告書の封筒は真っ赤だったけど読んでいたとは到底思えない。まず、文字が読めないんだから。

「非人道的だって軍法会議で何度も話題になった。上層部はあなたのこと扱いきれないのよ」
「ジンドーテキ、ねぇ」

 リドルくんはポケットからタバコを取り出して流れるような動作で火をつけた。スパスパ副流煙が飛んでくる。

「覚えてる? 昔ハイネと三人で人を埋めた」

 ○○○人虐殺ごっこ、とか言って。リドルくんは白い煙をたっぷり時間をかけて吐き出し、ぼんやり目を細めた。感傷に浸るような、どこか穏やかで優しい表情を浮かべる。

「あー、あのときは楽しかったな~」

 まるで収穫祭ことを話しているかのような口ぶりだった。友達を殺してしまって、バレないように埋めた。三人だけの秘密。思えばあれが、リドルくんの初めて起こした“犯罪”なのかもしれない。

 “一人殺せばただの犯罪者、だけど百万人殺せば英雄になる。戦争はビジネスの手段でしかない”

 さっき観た映画のセリフが脳内を反芻した。人の命なんて、風船に詰まっているヘリウムガスくらい軽い。たくさん殺して、そうやっていつか窒息するんだ。例外なく、私も。

「あのね、リドルくんはさ、英雄になっちゃいけないんだよ」

 リドルくんの左手を握った。想像よりずっと冷たくてびっくりする。この指が、遊びの延長でたくさんの人生にピリオドを打ってきた。

 無邪気で、悲壮感がない。子供なんだ。彼の父親や、祖父のよう英雄扱いなんて似合わない。そういう連中は往々にして堕落し、腐敗する。

 『どうして裏切ったか』

 そんなの、リドルくんが好きだからに決まってる。くだらない戦争の英雄になるくらいなら、死んでくれたほうが幾分マシだ。

 村を焼かれたときの、あの喉がやけるほどの熱風が思い出された。今回も心を読まれているのかも。でもま、それでもいっか。

 ドリルのようなツインテールが、意思を持った生き物のようにぴょんぴょん揺れた。形の良い唇がニッコリ開かれて、完璧な解答が私の鼓膜を揺らす。

「んー、エイユウ? 俺は世界一カワイイから、それだけでいいんだよ!」


   ***


"Der Tod von hundert Menschen ist ein Katastrophe, aber der Tod von zehntausend Menschen ist nur eine Statistik."

百人の死は天災だが、一万人の死は統計にすぎない。(アドルフ・アイヒマン/ニュルンベルク裁判)
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