150 / 165
51~最終話
その日に向けて《クロ視点》【下】
しおりを挟む
「――クロ、最近ちゃんと寝られてないんじゃないですか?」
霞む目元を揉んでいると、ヒナが心配そうに声をかけてきた。
その温かな気遣いだけで、疲れなど吹き飛ぶ気がする。
戴冠式を翌日に控えた今日。
さすがに今日はレッスンもなく、ヒナは執務室のソファで教本を読み返しながら過ごしていた。
「ああ……少々気が張っているせいか、このところ眠りが浅くてな。明日の式には影響させないから安心してくれ」
なにしろ敵がいつ仕掛けてくるかわからないのだ。警備の者たちは信用しているが、だからといって何も考えず熟睡できるものでもない。
「…………」
難しい顔をしてすっくと立ち上がったヒナは、こちらへ来て俺の腕をぐいぐいと引いた。
「どうした?」
微笑ましい腕力に負けて立ち上がると、むっすりしたヒナに引かれるがまま壁の方へと歩を進める。
「……開けてください」
望み通り、俺にしか開けない隠し部屋のドアを開けてヒナを通す。
ソファの端に腰を下ろしたヒナは、ぽんぽんと膝を叩いて俺を呼んだ。
「さあ、仮眠しましょう!」
「いや、しかし……」
「あっ、お邪魔だったら私は出ておくので……」
「邪魔なものか!」
腰を浮かせかけたヒナを止め、やわらかな膝を枕にゴロリと寝そべる。
甘やかな香りがふわりと漂って、小さな手のひらがゆるゆると髪を梳いた。
「王様になるなんて、緊張しちゃいますよね」
――ああ、将来国王になるのだという重責に苦しんだ時期もあった。
今となってはもう、遠い昔のことだけれど。
「……ヒナも、なにか思い悩んでいるんじゃないのか?」
手を伸ばし、白い肌にうっすらと浮かんだ隈をなぞる。
明日の婚約披露に思うところがあるのであれば、今日のうちに解決策を講じたい。
困ったように眉尻を下げるヒナの頬をすりすりとくすぐって促せば、逡巡しつつも答えをくれた。
「私でいいのかな……って」
「俺にはヒナしかいない」
「ううん、クロの気持ちを疑ってるわけじゃないんです。なんて言うか、その……王妃様なんて重要なポジションに、私なんかが収まっていいのかなって……」
その姿に昔の自分を思い出す。
プレッシャーが重くのし掛かり、腹の奥で渦巻いて、何をしようと逃れるすべはなく、焦るほどにずぶずぶと呑み込まれていくような不安感。常に高みを目指し己の存在価値を知らしめなくては、足場さえも簡単に失われてしまいそうな恐怖。
強さも、優しさも、情の深さも持ち合わせ、真っ直ぐ前を向いて立つヒナは、民の心に寄り添える素晴らしい王妃となるだろう。
しかし自信を持てと励ますよりも、あのころ欲しかった言葉がある。
「そのままでいい」
「え……」
「俺がすべて受け止める。ヒナはそのままでいい」
「…………」
俺を見下ろす瞳に、厚く水分の膜が張っていく。
零れる前に、つい、と親指の腹ですくった。
「おいで。ヒナも一緒に眠ろう」
この部屋にいる限り奇襲の心配はない。
二人で寝るには狭いソファの上。自分の身体の上にヒナを寝そべらせた俺は、小さな温もりを抱きしめながら久方ぶりの安眠へと落ちた――。
霞む目元を揉んでいると、ヒナが心配そうに声をかけてきた。
その温かな気遣いだけで、疲れなど吹き飛ぶ気がする。
戴冠式を翌日に控えた今日。
さすがに今日はレッスンもなく、ヒナは執務室のソファで教本を読み返しながら過ごしていた。
「ああ……少々気が張っているせいか、このところ眠りが浅くてな。明日の式には影響させないから安心してくれ」
なにしろ敵がいつ仕掛けてくるかわからないのだ。警備の者たちは信用しているが、だからといって何も考えず熟睡できるものでもない。
「…………」
難しい顔をしてすっくと立ち上がったヒナは、こちらへ来て俺の腕をぐいぐいと引いた。
「どうした?」
微笑ましい腕力に負けて立ち上がると、むっすりしたヒナに引かれるがまま壁の方へと歩を進める。
「……開けてください」
望み通り、俺にしか開けない隠し部屋のドアを開けてヒナを通す。
ソファの端に腰を下ろしたヒナは、ぽんぽんと膝を叩いて俺を呼んだ。
「さあ、仮眠しましょう!」
「いや、しかし……」
「あっ、お邪魔だったら私は出ておくので……」
「邪魔なものか!」
腰を浮かせかけたヒナを止め、やわらかな膝を枕にゴロリと寝そべる。
甘やかな香りがふわりと漂って、小さな手のひらがゆるゆると髪を梳いた。
「王様になるなんて、緊張しちゃいますよね」
――ああ、将来国王になるのだという重責に苦しんだ時期もあった。
今となってはもう、遠い昔のことだけれど。
「……ヒナも、なにか思い悩んでいるんじゃないのか?」
手を伸ばし、白い肌にうっすらと浮かんだ隈をなぞる。
明日の婚約披露に思うところがあるのであれば、今日のうちに解決策を講じたい。
困ったように眉尻を下げるヒナの頬をすりすりとくすぐって促せば、逡巡しつつも答えをくれた。
「私でいいのかな……って」
「俺にはヒナしかいない」
「ううん、クロの気持ちを疑ってるわけじゃないんです。なんて言うか、その……王妃様なんて重要なポジションに、私なんかが収まっていいのかなって……」
その姿に昔の自分を思い出す。
プレッシャーが重くのし掛かり、腹の奥で渦巻いて、何をしようと逃れるすべはなく、焦るほどにずぶずぶと呑み込まれていくような不安感。常に高みを目指し己の存在価値を知らしめなくては、足場さえも簡単に失われてしまいそうな恐怖。
強さも、優しさも、情の深さも持ち合わせ、真っ直ぐ前を向いて立つヒナは、民の心に寄り添える素晴らしい王妃となるだろう。
しかし自信を持てと励ますよりも、あのころ欲しかった言葉がある。
「そのままでいい」
「え……」
「俺がすべて受け止める。ヒナはそのままでいい」
「…………」
俺を見下ろす瞳に、厚く水分の膜が張っていく。
零れる前に、つい、と親指の腹ですくった。
「おいで。ヒナも一緒に眠ろう」
この部屋にいる限り奇襲の心配はない。
二人で寝るには狭いソファの上。自分の身体の上にヒナを寝そべらせた俺は、小さな温もりを抱きしめながら久方ぶりの安眠へと落ちた――。
33
あなたにおすすめの小説
結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた
夏菜しの
恋愛
幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。
彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。
そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。
彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。
いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。
のらりくらりと躱すがもう限界。
いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。
彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。
これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?
エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。
【完結】タジタジ騎士公爵様は妖精を溺愛する
雨香
恋愛
【完結済】美醜の感覚のズレた異世界に落ちたリリがスパダリイケメン達に溺愛されていく。
ヒーロー大好きな主人公と、どう受け止めていいかわからないヒーローのもだもだ話です。
「シェイド様、大好き!!」
「〜〜〜〜っっっ!!???」
逆ハーレム風の過保護な溺愛を楽しんで頂ければ。
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
黒騎士団の娼婦
イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。
異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。
頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。
煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。
誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。
「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」
※本作はAIとの共同制作作品です。
※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。
異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜
京
恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。
右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。
そんな乙女ゲームのようなお話。
捕まり癒やされし異世界
波間柏
恋愛
飲んでものまれるな。
飲まれて異世界に飛んでしまい手遅れだが、そう固く決意した大学生 野々村 未来の異世界生活。
異世界から来た者は何か能力をもつはずが、彼女は何もなかった。ただ、とある声を聞き閃いた。
「これ、売れる」と。
自分の中では砂糖多めなお話です。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる