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S side 誕生日会 ep8
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寝具の上で、飯塚と飯塚に背後から抱かれたガキの足の間で律が蹲っている。
丸まった細い背中だけ見ると、絶命しているようにも見えた。
その姿に心臓が凍るような感覚を覚える。
殺意を孕んだ怒りとそれを押し留める理性が拮抗してその場を動けない。
俺の声で一瞬飯塚の手元が緩んだらしく、首輪の鎖が緩むと同時に律の体がベッドに倒れ込んだ。数秒の沈黙の後、激しく咳き込みながら律は失われた酸素を取り込み始める。
「律!!」
律が生きていた事で金縛りが解けたように我に返って俺は律に駆け寄り、ベッドの上の体を起こす。
涙と汗でぐっしょり顔を濡らした律が体を痙攣させながらも必死に奪われていた呼吸を再開している。
良かった。まだ死んでない。
胃を締め上げていた緊張が緩んで安堵すると同時に、目の前のこの家の主に吐き気に近い嫌悪と憎しみが溢れ出す。
喘ぐように息をしていた律の涙の溜まった瞳がこちらに向けられ俺の姿を認めると、嗚咽のような泣き声を短く上げて体を丸め、縋るように俺に体を預けて来た。
興を削がれたとばかりにリードから手を離し、怠惰な動きでガウンを羽織っていた飯塚の表情が、律のその様子に僅かに曇る。
そして蔑むような笑顔を見せた。
「律に、もう今は桐山くんが新しい御主様で私は飼い主じゃないと何回も言ったんだけどねぇ?」
何を言われているか、直ぐには理解出来ない。
まだ腕の中で呼吸の整わない律の体が、飯塚の言葉にピクリと動く。
「律がどうしても昔の部屋に戻って御奉仕がしたいって言うものだから」
せっかく数を数えてあげてたのに、と凛が馬鹿の使う言葉で文句を付ける。
こいつらは、この期に及んで全て律の責任だと言いたいらしい。
律が自分で死ぬ思いの虐待を受けに来たと。
律は肩で息をしながら飯塚の言葉に驚いて目を見開く。
「ねぇ、そうだろう?律」
飯塚のこちらに向けられていた視線が、まだ俺に支えられながら呼吸の整わない律に向けられた。
唐突に俺か飯塚のどちらを取るかの忠誠心を試された律は、一瞬瞳に困惑を過ぎらせ唇を震わせ沈黙する。
律のこんな顔を見るのは初めてだった。
その姿に俺は愚かにも、律が飯塚に反論して俺への忠誠を誓うシーンを想像してしまう。
だが次の瞬間顔を上げた律は空虚で何も感じていない、いつもの無表情に戻っていた。
「はい、そうです」
飯塚が予期していた勝利にニタリと笑った。
律が何年も味わってきた絶望の一端を、俺もほんの少し味わう。どこにも希望の見えない暗闇が垣間見えた。
感情を何処かに置いてきたような声で、律が続ける。
「飯塚様、凛様、我儘を言って申し訳ありませんでした。桐山様、勝手な事をして申し訳ありません」
「いい加減お前も桐山くんに懐かないといけないよ、律」
老いぼれとクソガキが随分舐めた真似してくれる。
本当ならこの場で律と同じ目に合わせてぶっ殺してやりたい。
でも、律がこんな目に合ってまで守った飯塚の見えすいた嘘を、俺の一時の感情で壊す事は出来なかった。
律が必死に守っているもの。
それが俺への当て付けの飯塚の嫌がらせでも、飯塚が律の態度を見越して言った出まかせでも、飯塚の言った言葉を真実にしようとしている律を、これ以上否定したくない。
「…お手数をお掛けしました。帰ったらよく言って聞かせます」
出来るだけ抑揚を抑えて言ったつもりだが、怒りに声が震えた。
それを聞いた飯塚が軽く吹き出す。
湧き上がる殺意を無視して俺は律の首に嵌められた首輪を外す事に集中した。
部屋の隅の床に、律のスーツとシャツ、下着がとても丁寧に小さく畳んで置かれていて、何とも言えない気分になる。
ふらつく律に粗く服を着せていると、全裸のクソガキが此方に歩み寄って来る。
頭に響く甲高い声で何か言っては笑っている。
律を殺しかけながら嬉々とした表情を浮かべていたサイコパスのガキだが、顔だけは異様に整って美しい。
何か内密に言いたい事があるらしく、手招きするので屈むと、口元を手で隠しながら俺に耳打ちをする。
「あのね、リツね、新しい御主人様にお誕生日なーんにももらえなかったんだって。かわいそうでしょ?だから僕がお祝いしてあげてたんだよ!」
その言葉に思考から一旦消えかけていた後悔がまた蘇る。
律が一番傷付いた日に何もしてやれなかったのも、今日あそこで一人にしたのも、全部俺の落ち度だ。
それでも俺はこの二人を絶対に許せない。
「……凛様、お誕生日おめでとうございます。あなたは律の歳まで、この家で生きていられると良いですね」
俺は姿勢を変えぬまま、小さな声で凛に答えた。
頭の弱いガキには長過ぎる文章だったのか、暫く馬鹿面で俺を見上げていた凛が複雑そうに表情を歪める。そして大声で泣き出した。
驚いた飯塚が駆け寄って来る。
俺を批判したいのだろうが、僕の事ずっと好きだよね?という阿呆極まる言葉でしか凛は飯塚に説明出来ず、その大騒ぎの間に俺達は部屋を後にする。
律は車に乗り込むのと同時に、擦り減らした神経が限界を迎えたようで、気絶するように眠りに落ちた。
丸まった細い背中だけ見ると、絶命しているようにも見えた。
その姿に心臓が凍るような感覚を覚える。
殺意を孕んだ怒りとそれを押し留める理性が拮抗してその場を動けない。
俺の声で一瞬飯塚の手元が緩んだらしく、首輪の鎖が緩むと同時に律の体がベッドに倒れ込んだ。数秒の沈黙の後、激しく咳き込みながら律は失われた酸素を取り込み始める。
「律!!」
律が生きていた事で金縛りが解けたように我に返って俺は律に駆け寄り、ベッドの上の体を起こす。
涙と汗でぐっしょり顔を濡らした律が体を痙攣させながらも必死に奪われていた呼吸を再開している。
良かった。まだ死んでない。
胃を締め上げていた緊張が緩んで安堵すると同時に、目の前のこの家の主に吐き気に近い嫌悪と憎しみが溢れ出す。
喘ぐように息をしていた律の涙の溜まった瞳がこちらに向けられ俺の姿を認めると、嗚咽のような泣き声を短く上げて体を丸め、縋るように俺に体を預けて来た。
興を削がれたとばかりにリードから手を離し、怠惰な動きでガウンを羽織っていた飯塚の表情が、律のその様子に僅かに曇る。
そして蔑むような笑顔を見せた。
「律に、もう今は桐山くんが新しい御主様で私は飼い主じゃないと何回も言ったんだけどねぇ?」
何を言われているか、直ぐには理解出来ない。
まだ腕の中で呼吸の整わない律の体が、飯塚の言葉にピクリと動く。
「律がどうしても昔の部屋に戻って御奉仕がしたいって言うものだから」
せっかく数を数えてあげてたのに、と凛が馬鹿の使う言葉で文句を付ける。
こいつらは、この期に及んで全て律の責任だと言いたいらしい。
律が自分で死ぬ思いの虐待を受けに来たと。
律は肩で息をしながら飯塚の言葉に驚いて目を見開く。
「ねぇ、そうだろう?律」
飯塚のこちらに向けられていた視線が、まだ俺に支えられながら呼吸の整わない律に向けられた。
唐突に俺か飯塚のどちらを取るかの忠誠心を試された律は、一瞬瞳に困惑を過ぎらせ唇を震わせ沈黙する。
律のこんな顔を見るのは初めてだった。
その姿に俺は愚かにも、律が飯塚に反論して俺への忠誠を誓うシーンを想像してしまう。
だが次の瞬間顔を上げた律は空虚で何も感じていない、いつもの無表情に戻っていた。
「はい、そうです」
飯塚が予期していた勝利にニタリと笑った。
律が何年も味わってきた絶望の一端を、俺もほんの少し味わう。どこにも希望の見えない暗闇が垣間見えた。
感情を何処かに置いてきたような声で、律が続ける。
「飯塚様、凛様、我儘を言って申し訳ありませんでした。桐山様、勝手な事をして申し訳ありません」
「いい加減お前も桐山くんに懐かないといけないよ、律」
老いぼれとクソガキが随分舐めた真似してくれる。
本当ならこの場で律と同じ目に合わせてぶっ殺してやりたい。
でも、律がこんな目に合ってまで守った飯塚の見えすいた嘘を、俺の一時の感情で壊す事は出来なかった。
律が必死に守っているもの。
それが俺への当て付けの飯塚の嫌がらせでも、飯塚が律の態度を見越して言った出まかせでも、飯塚の言った言葉を真実にしようとしている律を、これ以上否定したくない。
「…お手数をお掛けしました。帰ったらよく言って聞かせます」
出来るだけ抑揚を抑えて言ったつもりだが、怒りに声が震えた。
それを聞いた飯塚が軽く吹き出す。
湧き上がる殺意を無視して俺は律の首に嵌められた首輪を外す事に集中した。
部屋の隅の床に、律のスーツとシャツ、下着がとても丁寧に小さく畳んで置かれていて、何とも言えない気分になる。
ふらつく律に粗く服を着せていると、全裸のクソガキが此方に歩み寄って来る。
頭に響く甲高い声で何か言っては笑っている。
律を殺しかけながら嬉々とした表情を浮かべていたサイコパスのガキだが、顔だけは異様に整って美しい。
何か内密に言いたい事があるらしく、手招きするので屈むと、口元を手で隠しながら俺に耳打ちをする。
「あのね、リツね、新しい御主人様にお誕生日なーんにももらえなかったんだって。かわいそうでしょ?だから僕がお祝いしてあげてたんだよ!」
その言葉に思考から一旦消えかけていた後悔がまた蘇る。
律が一番傷付いた日に何もしてやれなかったのも、今日あそこで一人にしたのも、全部俺の落ち度だ。
それでも俺はこの二人を絶対に許せない。
「……凛様、お誕生日おめでとうございます。あなたは律の歳まで、この家で生きていられると良いですね」
俺は姿勢を変えぬまま、小さな声で凛に答えた。
頭の弱いガキには長過ぎる文章だったのか、暫く馬鹿面で俺を見上げていた凛が複雑そうに表情を歪める。そして大声で泣き出した。
驚いた飯塚が駆け寄って来る。
俺を批判したいのだろうが、僕の事ずっと好きだよね?という阿呆極まる言葉でしか凛は飯塚に説明出来ず、その大騒ぎの間に俺達は部屋を後にする。
律は車に乗り込むのと同時に、擦り減らした神経が限界を迎えたようで、気絶するように眠りに落ちた。
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