異世界創造NOSYUYO トビラ

RHone

文字の大きさ
上 下
24 / 362
2章 八精霊大陸第8階層『神か悪魔か。それが問題だ』

書の6 八逆星『強敵には、一度敗れる約束』

しおりを挟む
■書の6■ 八逆星 HATHIGEKISEI

 間抜けだなぁ。

 その様子は、最高精度のCGポリゴンの中で唯一出来の悪い、処理し忘れたモノのようにすっかりオブジェクトにのめり込んでいる。
 黒い大きな箱の、真上にちんまりと覗いている蛍光赤の切れ端。

 間違い無い。

 こんな場違いな色は、フラグだ。
 ミン達がアレに気が付かないのは当たり前……レッドフラグに始まり、プログラムオブジェクトである旗は、彼らには見えていないんだから。

「……どうやら、箱の中身にフラグが立っているようですね」
「どうして気が付かなかったのかしら、……今まで」
「運ぶ時に、中身が動いて、……それで端っこが覗いたのかも」
 マツナギの意見に、それが一番ありえそうだと俺も頷く。
「フラグ検索モードとか、無いんですかねー」
 アインが箱の上に乗って、ちんまり覗いている赤い旗を見て首を傾げた。
「しかしこれで魔王関連と赤旗、関係が深まる可能性が出てきましたね」
 レッドは困った顔で俯いている。

 何で困るのかって?

 これは、前に俺とレッドが問答した通りだな。
 魔王討伐というイベントは、正規の、正常なイベントの証しであるグリーンフラグによって起こったものだ。そう、信じたい。俺達はとりあえずそのグリーンフラグイベントが、正しく働いているかを調べる方向性で動く事にして、行き先を西に定めた。……一応、デバッカーとしてな。
 ところが南北を間違えてしまったばっかりに、行くべき方向の逆の道をたどってしまった。

 そして、そこで遭遇した赤い旗。
 ありえない色のイベントプログラム、レッドフラグ。

 MFCプロジェクトでは、導入した記録が無いという。赤い色の危険なフラグ……推定バグプログラムと、俺たちは早速邂逅を果たしてしまったわけだ。
 いや確かにバグを見つけて対処する、デバッカーの仕事も請け負ってこっちの世界にきてるわけだが。そこに赤が出る事は想定されない。
 それにしたって悪質なバグだ。緑と黄色しかない設定をしているのに、どうやって赤旗が現れるのだろう。
 その対処で、開発者達は大忙しをしているだろうな。

 開発チームからして対処に困ってる状況、輪をかけて俺たちがどうにかできるものじゃない。その為にサンサーラ手前で遭遇した赤旗とは、一旦距離を置く事にしたって云うのに……。

 またしても、目の前に立ち塞がる赤い旗。

 そして緑旗イベントであるはずの、魔王関連の前に立ちふさがるバグプログラム。
 どうすんの?ねぇ、どうすんのよ。
 無視、するにも出来ねぇじゃん?ここまで来て、ミンの仕事を蹴るわけにもいかねぇし……。
「赤旗は、もはや避けられない事なのかもしれませんね」
 と、レッドは困った様に自分の手を見る。
「感染している?僕等も」
 ナッツも深刻そうに顎に手を置いた。
「だったら、俺らの頭上にも赤い旗が立ってるだろうぜ?」
 と、俺は自分の頭上を指差してみてあっと、思い到る。
「そうだ、俺たちに旗は立ってんのか?」
「メージンには極力訊ねない方向でしょ?」
 アベルに言われてしまったと思ったが、時既に遅し。
『他のプレイヤーが入った場合も含め、一応旗がつく予定だそうです』
「わ、悪いメージン、」
 気にしないでくださいと一々断りを入れるなと、前に俺が言ったからだろう。
 あえて、メージンはそれ以上は返答しなかった。しかし、予定か。予定って事は、今はまだそれはやってないって事か。
「しかし現時点お互いに旗らしきものは見えませんからね……。今回は仕方がありません、このままイベントは進めます」
「そうね……やってくる連中の頭の上に、緑?黄色?とにかく、どっちかの旗が付いてる事を祈るばかりね」

 がしかし、だな。

 悪い事ってのは、基本的に続くもんなんだよな。悪い予測ってのは大概、当たっちまうもんなんだよ。

 昼食を食って、それから再び2時間近くは待ってたと思う。
 多分、途中にスキップが入ったと思うが今やもう、どこが端折られたのかよく分からなくなりつつあるからな。

 とにかくだ。

 唐突に、奴等はやって来た。




 俺は結構水中からにゅーッと、何かの乗り物とかでやってくるのを期待?してたりした。
 出来れば、魔王一派とか云うのはミンの勘違いか何かで済めばいいなと、ちょっと楽観的に思ってたのもあるし、お約束嫌いの俺としては、ここで展開を裏切ってマオーとは関係ない全然違うヤツらが来るってのもツボなわけ。
 しかし、奴等はレッドの予測通り突然、俺達の前に姿を現したのだった。

 空間が歪み、海と空の地平線がぐにゃりと、揺れる。
 そして、渦を巻いたと思った瞬間それが逆流して、浅黒い色肌の大きな腕が突き出す。
 転位扉です、とレッドが囁いた。そうか、じゃぁお前が予測した通りの方法で連中、来やがった訳だな?

「いやぁ悪ぃ悪ぃ、こんな所まで運ばせちまって」
 聞こえてくるのは、低く若干ドスの効いた、でもどこか愛嬌のある声。ゆっくりと、巨漢の男が歪んだ空間から一歩踏み出した。
「何度やっても慣れねぇな……これ」
「文句を言うのなら、転位扉など開けてやらん」
 もっと、低くて冷たい言葉が続いて聞こえる。
 転位魔法、らしい空間の揺らぎを越えてやって来たのは、巨漢の男一人、ではなかった。

 その後に、もう一人いたのである。

 モノクルを鼻に掛け、中途半端に長い紫紺の髪を掻きあげた男の出立ちは……ええっと、それ、白衣?どう見ても、保健医さん?どっかの研究者?なんかこの場に現れるに違和感がありまくる。
 対して逆に前に立っている男は戦士、だろうな。山賊とか海賊でも問題なさそうなビジュアルだ。
 使い込まれた皮鎧を窮屈そうに貼り付けていて、背中にはそれはまるで鉄の塊だったと形容できる、巨大な剣を背負っている。
 浅黒い肌はミン達船乗りの様にも思えるが、おそらくその黒は黒人特有の肌の色だ。
 そして露出している肌全体に浮かび上がっている白色の斑模様は……刺青?
 顔なんて、虎の顔みたいだよ。
 でもどっちかって云うと、ミュージカルのキャッツだよ。
「お、それがブツか?ありがてぇ、なんとか間に合いそうだ」
 と、なぜかその言葉に溜め息をつく、白衣の男。
「全く、こんなろくでもない事のために……」
 さり気なく呟いたつもりなのか、だがそれ、俺にまで聞こえるんですけど。すると、巨漢の男は大笑いして白衣の男の肩を叩く。
「バーカ、ろくでもねぇ事じゃねぇよ。あいつもいっちょ前な年になるんだからな、ここは一発、先輩としてちゃんとしたモンでも贈ってやんねぇと」
「なんだ、お前が使うんじゃなかったのか」
「俺には必要ないだろうが、」
「……それもそうだ」

 武器構えて、いいもんかな。

 俺は、俺達は多分、ぽかんとしてこの二人のヘタすると漫才のようなやりとりを窺っている事しか出来なかった。
 話がわかんねぇから、入り込めねぇし。
 と、レッドが背後から俺の背中をつつくので、何だよと緊張感無く俺は振り返った。するとやけに真剣な顔をして、発音しないでレッドが何か主張している。

 あ あ い あ あ ?

 ……俺は緊張感今だ無く、前を振り返り。
 そして、目を剥いた。

 おおあッ!
 やべぇ、

 あ か い は た が、奴の頭上にはためいているッ!

 俺だけか?もしかして、今まで分かっていなかったのって俺だけッ?
 レッドの奴俺が、それに気がついて無い事分かったってのか?……それくらい緊張感がなかったのね、俺!

 とにかく、あの巨漢の男の頭上に。
 紛れも無く、レッドフラグが付いている……!

「……まず、登録ナンバーを聞こう」
 そんな俺たち7人の密かな動揺を知らずに、ミンは型通りの取り引きを開始した。
 すると巨漢の男じゃぁなくて、白衣の男が前に出る。
「……悪いが。我々はそこに『正式な』登録をしていない」
 ミンの顔が厳しく引きつったのが分かる。
「やはり、騙っていたのか」
 すると白衣の男はふっと笑ってなぜか俺達に視線を投げてから言った。
「それなりに用心したようだな。それで正解だ」
「……」
「だが安心するがいい、少なくとも私は、エイオールにまで手を出そうとは計画していない」
 そして優越した者のみが許される笑みでミンジャンを一瞥する、白衣の男からは……明らかな敵意が感じられた。
「これ以上、こちらに踏み込む事が無ければな」
「……クッ」
「なぁ、ナドゥ」
 と、さっきまで届いた荷物に上機嫌になって喜んでいた巨漢の男の声が、トーンを落として呼びかけた。その言葉に白衣の男は目だけを向ける。
「なんか、変なもんがいるな」
 ええっと。
 ……躊躇無く指差されてますね、俺達。巨漢の男が不思議な物を見る様に俺達に、遠慮なく指を差している。
 変わったものでも見ているように、子供が口開けて指差してるみたいな仕草だ。その意味なんかもちろん知るか、レッドにだって分かるはずが無い。だから起こるだろう事をただ、ひたすら待ってるしかないんだ今は。
「何が、見える」
 冷静に訊ねる白衣の男に巨漢の男は、何かを囁いた。クソ声がデカいくせにこんな時ばっかり声潜めやがって。あの男、アホっぽそうだったがしっかり口元も隠して男に何やら囁いている。
 チッ、読唇術とかナッツなら持ってそうだがなぁ、と目をやると、やっぱりその言葉を読もうとしていたらしいナッツが、お手上げして僅かに唇の端を上げた。笑ってる、というよりは顔が引きつっている様に見える。
「……なるほど、久し振りに故郷には来て見るものだな」
「へぇお前、ここ出身なのかよ」
「実は、な」
「へー、へぇぇ。そうなのかぁ~」
 なぜかヤケに関心する巨漢の男。
 が、一転し、好戦的に微笑んだのに俺とテリーは反射的に身を固めていた。あの男、今明らかな殺気を放った。
「で、どうする?」
 ねっとりとした、何だ?この嫌ぁな気配は。
 首筋のあたりがチリチリする、殺気だってのは分かるが、それ以上に何なんだこの重圧感。

 強敵か?強敵なのか?

 テリーの顔が、きっと好戦的に笑っているだろうと思うが今は奴を振り向く余裕も無い。それくらい、空気がピリピリし始めたのが感じられる。
 その空気を一瞬で取り払う、白衣の男の手の一振り。
「まぁ待て、お前の荷物の処理が先だ」
 そう言って男は固まっているミンジャンを向いた。
「本来依頼を出すべく者は……もう、この世には居ない」
「お前が……」
「似た様なものだ」
 ミンが言葉を言い切る前に、白衣の男は先にそう言って微笑した。
「だがこいつの希望でな、どうしても取り急ぎ『それ』がいるというので、しかたなしに手を回させて貰った。事をお前達に知らせるついでだ。それにイシュタル国には私も転位紋を引いていないし、」
 なぜか、白衣の男は俺達を向いて言葉を続ける。
「魔王一派がイシュタル国にも跋扈したともなれば、何かと問題だろう」

 ぎゃー、何こいつら、魔王一派で確定なわけ?

 そんな俺の脳内の喚きをよそに、現場は不穏な空気一杯、緊張感張り詰めてまくってます。
 白衣の男は、にやにや笑って緊張した空気を楽しんでいるとしか思えない、巨漢の男を肘で突付く。
「報酬」
「お、悪ぃ」
 と、やはり笑ったまま、どうやら今回の仕事の報酬であるらしいものを大男はミンジャンの足元へ放り投げた。
 悪さを散々していると言う割に、魔王一派、踏み倒すつもりは無いらしいな。
 ……律儀というか何というか、悪役のお約束を遂行しない、その行動にはちょっと驚いた俺だ。
「釣りはいらねぇ、約束どおり倍額だ。口止め料も含むってか?」
 にやにや笑う男の隣で、白衣の男は咳払いをする。
「どっちみち、我々には関わらぬ方が得策だ」
「クククッ、こいつの忠告は一度きりだ……後はねぇからな、覚悟しておけ」
「脅し、ではない」
 モノクルを押し上げて、男は目を細める。
「だが稀に、我々に関わらなければならない者もいる。関わりあう事を避けようにも、避けられぬ者がな」
 ゆっくり、二人の視線が俺たちを……見ている。

 あーぁそう、そうなの。

 その避け様にも避けられないっていう立場なのは、俺たちの事なのね。
 奇遇じゃぁねぇか。俺達も、そう思ってるぜ。

「レッド」
「了解しました」
 小さな俺の合図に背後でレッドがすぐに応答する。
 そして、俺は剣の柄に手をあてて構えた。
「お前ら、魔王の手下だって事、認めるんだな?」
「手下か」
 なぜか、男二人はその俺の言葉を鼻で笑う。
 なんか途端に嫌な予感がするんだが、まさか俺達が魔王だとか言うんじゃねぇよな?
 さすがにそこまで『ぶっとばれる』とちょっと困るぞ。
「下かどうかはわからねぇが」
「手である事は認めてもいいだろうな」
 途端、俺たちは打ち合わせ通りに広がった。
 ミンジャンを含めエイオール船の人達を背後にして、敵との間に入り込む配置だ。
「エイオールには、手を出すつもりは無いな?」
 一応、確認する為聞いた。何と無く話の内容からするとそんな気がするが、一応な。
「エイオールが、これ以上我々に踏む込んでくる事が無ければな。手出しはしまい」
 レッドが背後で素早く転位扉を開き、それでミンジャン達を退避させる。有無を言わせずに追っ払う、きっとレッドなら適当な事言って、ミンを船に戻してくれるだろう。
 俺とテリーは、静かに構えて前方へ集中した。
「荷物は、何だ?」
 俺の質問に顔を見合わせる、魔王一派の二人。なぜか巨漢の男は少し照れたように笑い、頭を掻いた。
「後輩へのプレゼントだ」
「具体的には、その材料だろう」
「なんでぇ、お前がシェイディに良い鍛治屋を知ってるって言うからシェイディに運ぶ算段だったんだぞ?」
「それは昔の話だ。大体、八星が一人一度しか使え無い『烙印』をそんな下らん事に使うとは、誰が予想しただろうな」
「だぁから、下らねぇ事じゃぁねえってんだろ?あいつ、ひょろっこいからな、見てるこっちは毎度毎度ヒヤヒヤすんだよ」
「それはお前が規格外すぎるからだ、アービスはそれ程弱い男ではない」
「そうかぁ?」
「そうだ。お前がそんなんだからあれは自信を無くすんだ。管理を任されているこっちの身にもなれ」
「しかしなんで、ひょろっこい奴ばっかりなんだよ」
「しかたないだろう、全員が全員お前ほど無敵ではない」
 なぜか口論らしきものを始めた二人に、俺は危うく気を緩める所だったね。
「ま、とにかくだ」
 二人は散々何かしら喚き合うと、合わせたように俺たちに向き直る。
「どうもかなり希少な存在らしいな、テメェら」
 希少か、確かにな。

 実はこっちの世界の人間じゃないって点で言えば、相当におかしな存在だし、希少でもあるだろう。
 だがそれを、こっちの世界の者は理解しないんじゃぁなかったのか?

 白衣の男が、レッドが偶にやらかすように眼鏡のブリッジを押し上げる仕草をして表情を隠す。
「……サンプルが必要だ」
「おおよ」
 ざんッと、砂の上に下ろされる、ああ巨大な鉄板。無粋な、目の前の巨漢の身長とほぼ同じ長さのあるその鉄の塊は、しかしかの有名な竜殺しよりは随分剣っぽく、青龍刀の様に刀身は反り返っている。その巨大な剣をこの男、事もあろうか片手で扱いやがった。
「全員か?」
「一人でいい」
「それもまた、かわいそうなもんだと思うがな」
 俺が、剣を抜こうとしたのを……誰かが手で止める。

 え?何で止めるんだよ?

 白い大きな手の持ち主を見て、俺は当然驚いた。止めたのは戦い大好き戦闘民族、テリーじゃねぇか。しかもその顔は真っ直ぐ前を向いていて、真面目な顔をしている。
 いや、ヘタすると……緊張に青ざめている?
 途端相手から吹き付けられた殺気に、俺はあやうくへたり込む所だったね。そこん所は男ですから、根性でふんばったけど。意識的には尻もちを付いた自分の幻影が見えている。
 だが他はそうじゃない。
 明らかに、悲鳴のような声を上げて後退しているアベルを背後に感じる。
 仕方が無い、こいつは……目の前のこの赤旗の男はあまりにも、危険だ。

 分かる、今のではっきり俺にもわかった。

 この男、強すぎる。


 どうする?どうすればいい?
 目の前の赤旗をぶっ立てた巨漢の男は規格外。まぁ、自分の身長ほどもある巨大な剣を片手で構えてる時点で色々と、法則性を無視してます。サンサーラの大亀にも赤旗がついてて、温厚な性格はどこへやら、凶暴かつ巨大化してた訳だからあの、バグってる赤い旗にそういう異常強化作用があるのかもしれねない。
 しかし、世界がリアルであればあるこそ、ビジュアル重視のありえない装備は可笑しいと笑ってしまいそうになる。幾らなんでも、そんな鉄の塊を片手であしらえるはずがないだろう!
 別にレベルの差が目に見える数値になっているわけでもないのだが……これが、戦士の勘って奴なのか。

 おおお、目の前の男、なんか明らかにさっきより大きく見えるぞ。
 どっかのマンガみたいだ……!などと、ボケかましてる場合じゃねぇっつうの!

 剣を抜くなとテリーが止めた理由を考えろ、俺!

 目の前の敵が強すぎる事をテリーは先に悟っていた様だ。もしかしてこれ、相手としてヤバすぎるんだろうか。もしかしなくても、これはレッドに一日分の魔力と引換えに逃亡を打診すべきなんだろうか?

 剣を抜いて敵対心を返した途端、なんだか一撃ではね飛ばされる幻が垣間見えるのだ。そう、今なら俺にもそのビジョンが見える。

 これか?この、見える刻がいけないのか?この新人類よろしく見えてしまうビジョンがテリーには先に見えていて、それが俺を止めた理由なのか。

「さて、一人か」
 剣を肩に担ぎ、一歩だけ前に踏み出す男。
「お前、どんなのが好みだ?」
「そんなものは無い」
「相変わらず坊さんみてぇな奴だな……俺は」
 そう言って、明らかに男の視線は俺らを越えて背後に向いている。
「当然、女がいいぜ?」
「……念を押すが、私が欲しいのは引き千切られた死体ではない。生け捕りにしてもらいたいのだが」
 途端、なぜか殺気が突然晴れた空の如くに霧散する。そして緊張感をなくして男が、白衣の方に振り返っていた。
「お前、それ、俺に求めんのかよ!」
「……私も今、無理な注文をしたと思った」
「おいおい『どうすん』だよ」
「どうだろうな……とりあえず、一撃見舞ってみてはどうだろう」
 白衣の男がそうやって薄く笑うのに、また違った殺気を感じて俺は緩まないように緊張を維持する。
「それで、一人二人くらいは息をしているかもしれない」
「げー、そしたら野郎の確立が高いじゃねぇか」
 一撃、って。

 一撃で、この俺たちを壊滅させるつもりだってのか?

 くそ、一体どこまで規格ハズレなんだよ!こっちはアドミニボーナスですでにかなり高いレベル設定になってるはずなのに!こんなんで、俺たちは魔王討伐なんか出来るのか?
 魔王サイドに最悪なバグプログラム、赤旗がついてたら現段階じゃぁもう、お手上げじゃねぇか!

 男が、剣を構える。

「っと、その前にお前等そこどけ」
 と、なぜか手を振って場所を移れと指示してくる男。ことごとく緊張感を台無しにする『敵』だな、こいつは……。
「折角の亀公、ぶっ壊しちまうだ……」
 その言葉が終わるか、終わらないかという瞬間、俺達の前に背後にあった筈の箱が『転位』して来た。
 こんな事をしでかす魔法使いは、俺らのメンツの中では一人しかいない。

 高位魔導師である、レッドだ。

「中身は玄武ですか!」
 と、レッドの凛とした声がしたと思ったら突然、目の前に転位してきた箱が、ばっくりと割れた。
「!」
 そして、その中から這い出す……巨大な、亀公。
 あー。この背後、見たことあるぞ。
 かわいらしい尻尾、立派な足、今は見えないがステキな面構えの頭。
 こいつ、サンサーラへ行く道中立ちふさがった黒亀じゃぁねぇか!なんで、エイオール船に積んであるんだよ!
「石にしてあったはずじゃぁ?」
「ううん、違うわ。これ、あの亀とは別よ」
 俺の疑問を代わりに口にしたアベルに、アインがはっきりとした口調で断言するが……。
 別?うーん、どこらへんでアインはこれが別の亀だと判断できるんだ?ドラゴンには人間の顔を認識するのと同じレベルで亀の個体差が分かるのだろうか?そ、それはともかく!

 巨大に悪性変化している亀、玄武は前足で砂を掻き、前方に向かって突進の構えをしている。……ん?前方?黒亀の上にも赤旗がしっかりついているのに、俺たちじゃなくて魔王連中の方に敵意剥き出し……?

 一瞬だった、箱が割れて亀がでてきてそれが突進して行くまで。

 そしてその亀公へ、迷いなく剣を叩き付けた男の一撃、その衝撃で亀から以下の砂浜がえぐれ、沸き立ったのは。

 もう、一瞬の出来事だった。

 アベルやマツナギが、悲鳴を上げて吹き飛ばされている。
 俺やテリーなんかも同じく、だな。悲鳴は上げないが。

 一気に数百メートルふっとばされて、海際に叩き付けられていた。
 これで、目の前に最強ともあろう強度を誇る亀がいなかったら……確かに俺たち、一撃で吹き飛んでお陀仏だったかもしれない。

 しかし無惨にも亀公が、まっぷたつになっているのを俺は吹っ飛ばされながら遠くに見ている。レッドがその甲羅を破るのは無理だと言っていた、あの亀が見事に真っ二つ、だぜ?
 さっき昼飯で喰ったぶつ切りにされた磯ガニの事を何と無く、思い出していた俺。

 そして一番先頭にいた俺の肩口から、突然吹き出す血しぶき。

 もう、一体何が起こったのかさっぱりわからねぇよ!
 斬られた?
 おいおい、何時だよ!

「ヤト!」
 一気に血を外に放出すると……あーなるほど、意識が朦朧とするもんなんだなぁ。痛みが遅れてやってくる。俺は倒れるのをなんとか堪え、目眩のする頭を振って片膝をついたが、途端ぼたぼたと自分の血が降り注ぐのに、あぁもう、こういう時はもう笑うしかねぇよ!

 痛みに笑みが歪んで、きっと苦笑していただろう。

 おかげで状況をよく把握する暇が無かったんだ。
 許せ。
 その一瞬の惨劇の時に、俺たちが吹き飛ばされた海際からも、だな。突然巨大なものが姿を現していたなんて……。

 そんなん、全然気が回ってねぇから知らねぇんだよ。



 俺の名前を呼んだのは誰だ?

 俺の、この世界での名前を呼んでいるのは、誰だ?

 唐突に視界がぐらりと揺れて届いた衝撃に、俺は自分が倒れた事を自覚する。
 急激に真っ暗になる視界、……単に目を閉じただけかもしれない。
 そして音も消えて行き、俺の名前を呼ぶ声が遠ざかり、なぜか波の静かな音だけが再び俺の耳に聞こえている。

 これ、幻聴かもしれねぇがな。

 ざざん、ざぁんと、静かにうち寄せては返す、波の音。

 懐かしい。

 ばぁか、俺、海育ちじゃねぇのに。
 何が、懐かしい、だ。

しおりを挟む

処理中です...