異世界創造NOSYUYO トビラ

RHone

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2章 八精霊大陸第8階層『神か悪魔か。それが問題だ』

書の7 撤退or続行『戦略的撤退、それありえねぇから』

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■書の7■ 撤退or続行 evacuation or continuation

 お兄ちゃん、ウミって知ってる?

 舌足らずな言葉に、俺はきっと胸を張って答えたんだ。
 ばぁか、知ってるに決まってるだろ!
 じゃぁ見た事もあるのーと、目を輝かせて訊かれた言葉に。

 俺はその時多分、ウソをついた。


 白波も無く、真っ黒い海。
 磯の匂い?違う、これはヘドロの匂いだ、吐き気がする。
 命の気配はどこにも感じられない濁った水が、うねうねと揺らぐだけの、でも、これも海だ。

「あら外見は確かに酷いけど、これでも随分マトモになったのよ」
 馨しいとはいえない海風に長い髪をたなびかせて、姉さんはどこかうっとりと、黒い海の彼方を見ている。
「こんなの、海じゃない」
 俺の小さな返答は、強い風に掻き消えて。


 じゃぁ、何が海だよ。


 見たことも無い画面の向こうの、バーチャルリアリティな美しい海。
 スピーカーから漏れ聞こえる、無駄な雑音を取り払った無菌室仕様のデジタルな波の音。

 ザザン、ザァンと、静かに打ち寄せては返す。

 俺たちは騙されてるんだ。

 ……大豆をベニヤで出来た箱に入れて、左右にゆっくり振るだけで、海っぽい音なんか奏でられるんだぞ。
 聞こえてくる波の音が、本当の波の音を録音したものだとは限らない。
 大体本当の海、本当の波の音っていうのは、どこで本当だなんて事を証明するんだ?

 目の前の真っ黒い、汚れた東京湾の海を見てなぜ俺は、これが海じゃないと否定できる?


 じゃぁ、何が、海だよ。





 キィンと耳鳴りがして、俺は思わず両耳を抑えた……つもりだった。

 反射的に起き上がって、途端に飛び上がるほどの激痛が左肩に走ったのに思わず痙攣する。
「~ッ!」
「あ、気がついた!」
 と、足元ににゅっと突き出す爬虫類の顔。
「わぁ!」
 俺は素で驚いたが、そんな俺の対応に傷ついたのか。小さな赤竜のアインは大きな黒い目を半開きにして、小さく口を開けた。
「もう、寝ぼけてないでよね?」
「……アイン?」
「そう、思い出した?」
 思い出す……そうだ、俺、思い出せ?

 まだアインがいるって事は、俺はログアウトしてないって事だな?
 これはまだ、トビラの中か!

 俺は斬られて大量出血を伴い気を失ったはずだが幸い、死にゃぁしなかったようだ。
 がしかしあの絶望的な状況で、その後、どうなったっていうんだ?

 俺はゆっくり痛む肩口を抑えながら、状況を思い出す。

 魔王一派確定の二人組み、赤い旗、黒い亀、圧倒的な強さの前に吹き飛ばされた、俺たち。

 サンプルが必要だ。

 白衣の男の声が脳内に木霊する。

 ……一人でいい……。

「俺たちは……!」
 するとアインは小さく溜め息をつき、多分微笑んだんだと思う。ドラゴンには顔の表情を作る筋肉が無いからだろうが、見た目何も変わった所は無いんだが。何となく。俺的希望だけど。
「全員、無事よ」
「……よかった……」
 ほっと、心の底から安堵の溜め息をもらしてしまった。
「怪我しちゃったのはヤトだけなのよ、本当に人柱にしちゃったわよね……。ごめんね」
 俺は痛まない右の肩を回し、足元に丸くなっていたドラゴンに手を伸ばす。
 突然頭というよりは眉間、かな。俺からそこをなでられて、アインは擽ったそうに額を押し付けてくる。若干猫っぽいが、モフモフはしていない。ゴツゴツだ。
「俺こそ、悪かったな、」
「別にヤトは謝る必要なんかないわよ、ヤトが先頭にいてくれたからあたしたちは無事だったのよ?」
「で……ここ、ドコだ?その後、どうなったんだよ」
 アインは、たん、とベッドを蹴って地面に羽を広げて着地する。
「待ってて、皆を呼んでくるわ」
 とてとてと地面を歩く小竜に、何となく癒される俺。

 うわー……、やべぇ、可愛いよお前。

 そこで飛ばずに地面を歩いちゃうところ、なんかよくわからんがツボるよ。
 思わずにへらっと、顔が歪んだ俺であった。



 その後、ぞろぞろとやってくるわやってくるわ。
 関係者のみなさん。

 結構広いと思ったこの部屋も、一気に狭苦しくなったな。

 まぁ、5人と1匹は顔見知りとして、他に知らん顔があと4人程。全員床に届くかってくらい髪がボリューミー。
 一人はナッツみたいな神官ローブをまとって、俺の怪我の具合を見ているから、医者か?看護婦か?そしてその背後に、心配そうに俺の顔を伺っている、幼さの残る髪の長い少女。その両隣に控える男2人。

 ははん、どうやら彼女等が俺たちを助けてくれた。
 そんな展開って所か。

 俺の傷の具合をみていた看護婦っぽい人が、静かに何も言わずに背後にいる少女に会釈して、そして部屋を出ていった。
 どういう意味だろうな、それ。髪の長い少女は、少女ながらもどうやら偉い立場な人の様だ。
 美しいエメラルドグリーンの、海の様な色をした……癖の無い長髪を肩に掛け、深い海の底を思わせる深緑色の瞳。マツナギ程に美形というのが鼻につくわけでは無いが、十二分に美しい顔立ちをした女の子だな。美しいっていうより、可愛い、の方かもしれない。
 しかしアベルやレッドを含め、誰も何も喋らないで俺を見守っている、この状況って何だ?
 何か、発言できない雰囲気が漂っているのは分かるが……。

 静かに上半身起き上がっている俺の前に、彼女がまず進み出た。そして俺の出ていた手を静かに、握る。
 思っていた通りその手は柔らかく、暖かく、そして今にも折れそうな位に儚い。
 なんていうか、こっちから手に力を入れてはいけない感じがして、思わず腕の力を緩めていたりして。
「よかったですわ、三日も昏睡されていましたのよ」
 そして案の定、一瞬脳味噌が理解するのを躊躇う、お上品な言葉。鈴のなるような美しい声。

 間違い無い。お姫様だ。
 きっと彼女は、どっかの姫様に違いない。

 そんな風に俺が呆けているのに彼女は非常にゆっくりと瞬きをして、微笑んだ。
「私、ユーステル・シールーズと申します。ヤト様、貴方様方のお役目はすでに皆様からお聞きしています。まずは皆さんと積るお話をなされてくださいませ。また後ほどお伺いいたしますわ」
 ごきげんよう、と、美しく微笑んで余りにも質素な部屋の扉をくぐって帰っていった推定、お姫様。
 なんだろうなぁ、こりゃ、完全に雰囲気呑まれてるのかなぁ。
 しかし三日ぶり、らしい。ようやく目を覚ましたと云う俺に、彼女が出ていってから10秒位のタイムラグを要して一斉に、一同は物凄い剣幕で振り返ってきた。
 俺は当然その動作にびびって身を竦める。
「……ごめん、」
「そうじゃないわ」
 アベルは真紅の髪を掻き上げながら小さく溜め息をついた。
「てっきり早速死亡フラグかと、そりゃもう心配してたんだぜ?」
「勝手に人殺すな」
「だから、心配してやったんだろうが」
 真面目なテリーの肩に、アインが何時もの通り乗っかりながら頷いた。
「3日間やる事ないし、メージンからのコメントも無いし、これからどうするのか、どうなるのかもう、気が気じゃなかったんだから」
「コメントが、無い?要求しても」
「ええ、呼びかけて見ても全く、応答無しです」
 レッドが困った様に深く溜め息を漏らす。
「ここまでしっかり赤旗に関わってしまったんです、僕等は、大丈夫なんでしょうか」
 おいおいおい、それってどういう意味で言ってんの?俺は苦笑して、深刻そうな一同を見回した。
「んな、辛気臭い顔すんなよ。きっと、さっき……じゃねぇ、3日前?3日前の戦闘の後処理で、高松さん達も含めてテンテコ舞いしてるんだろ?」
「一度ログアウトした……わけじゃ、無いんだね」
 ナッツの言葉に俺は首を傾げた。
 ああ、それって俺があっち……トビラの向こう側に一度戻ってないのかって事か。俺はそんな『憶え』は無いから首を横に振った。
「全然、なんかスキップみたいな感覚だな……3日か。全然実感ねぇ」
「でも、あたし達もここ3日やる事が無くって、殆どスキップされている気もする」
「ええ、そうね」
 マツナギの言葉にアベルが頷いた。
「……で、ここ何処よ?あの子は誰?」


 レッドから詳しい話を聞いたところ、俺の『体』は3日間、生死の間を彷徨っていたらしい。
 体調が不安定で、いつ脈が途切れてもおかしくない状態になったり、逆にいつ目が醒めても問題無い状態持ち直したり。
 その不安定さが、逆に一同を心配させてしまったようだ。

 うーん何か、変なうわ言とか言ってないといいんだけどな、俺。

 しかし俺がログアウトしちまったら、こっちの『トビラ』の世界の戦士ヤトはどうなるんだ?『思い出す』によって、こちらの世界で積み上げられた記憶がある以上、俺は突然この世界にやって来たわけじゃねぇよな。

 この世界にやって来ているのは、正確には俺の意識だけだ。

 とすると、この世界にずっと存在する戦士ヤトは……
 ……死ぬのか?

 そんな俺の疑問はヒマだった一同、それなりに協議してみたらしい。もちろん、メージンからのコメントが無いからレッドの推測に過ぎないわけだが。恐らく戦士ヤトが死ぬ事イコール、ログアウトではないだろうって言ってるな。
 俺達がトビラをくぐってこっちに来る前に、すでに積んでいる経験を取得した、本来この世界にあるべき『ヤト』が現れてそれがキャラクターを設定内で演じるのだろう、とか。

 まてよじゃぁ、俺が『ヤト』か『サトウハヤト』かはお前等には判断できねぇって事?

 そんな事を言ったら何ともいえないと、レッドは苦笑しやがった。

 うーむ、俺達がこっちの世界に来てるのはあくまで脳味噌……意識だけだからな……。こっちの今の『体』はこっちの世界の器で、この体を現実世界に持ち込む事は、理屈上出来ないわけで。

 ああ、ややこしい!面倒だからそれはメージンのコメント待ちか、ログアウト後に検証しよう!
 次、次!

 俺がぶっ倒れてその後、どうなったのかまずそっから教えろ!

「ユーステルさんから、助けていただいたのです」
「さっきの美少女な……お姫様?」
「いいえ」
 レッドは、相変わらず無い眼鏡を押し上げる仕草をしてから答えた。
「女王であらせられます。シーミリオン国の」
「……は?」
「姫さんなんて、かわいらしいもんじゃぁなくてだな、」
「すでに一国を背負う国王の位、って事だよ」
 テリーとナッツの言葉に俺は、再び口をあんぐり。
「だって、お前、あれ、絶対未成年だぜ?」
「それは国それぞれの事情、というものがあるのでしょう。今だ詳しくはお伺いしていませんが……。お聞き出来るのなら、次の機会にでも窺いましょうか。大体、助けていただいた事はとても感謝しますが、少々強引な手口でもありました」
「そんな事言わないのレッド。この船が現れなかったら、あたし達は間違い無くあそこで全滅よ?」
「……そうですが、今だに詳しい説明が為されないのはどういう事でしょう?彼の回復を待っていたのでしょうか?」
「ちょっと待て、」
 俺は手を差し出す。突っ込むべき所がいくつかあったぞ?大体、事情を聞いてるのは今、俺だ。
 俺に解かる様に話をしろよお前等。

「船?っつったな、アベル。この、船?」
「……そうよ、これ船なの」
 何だろう、何だ?何かが違和感……。俺は、勢いよく体を捻って左肩に激痛。それに仰け反りつつもテリーを指差した。
「お前、なんで酔ってないんだよ!」
「知るか、酔わない時だってそりゃあるだろうぜ?もしかすると、慣れたのかもしれねぇ」
「そうじゃありません」
 レッドは冷静に、簡素な部屋をなぜか見回して言った。
「この船、海中を進むのです。ですから波に揺れる事が無い。また、魔法で空気を維持している事も関係あるのでしょう。直進して進む電車で、放り上げられた林檎の理屈ですね」
 と言われましても、俺にはさっぱりその意味がわかんねぇんだけど……。でもま『俺には』船酔い関係無いから、興味も無いや。その件はあえてスルー。話しを続けよう。
「海中?」
「そうです、何しろあの砂浜は珊瑚礁に囲まれていて、普通の船では近づけません。エイオール船でさえもですよ?現在お邪魔しているこの船は、エイオール船とはまた別の意味で規格外なのです……シーミリオン国が保有する、海中を行く船、なのです」
「潜水艦って事?」
 それにレッドは答えず、代わりにそりゃぁ外を見てみりゃ納得するぜとテリーが言うが、そういやこの部屋窓が無いや。

 俺は、立ち上がろうとしてナッツから止められた。

「おっと、まだ起き上がらない」
「大丈夫だって、傷は肩だけだから……」
「3日間、ろくに食べてないって事を忘れてるんじゃないのか?薬もいいのがあるんだけど、残念ながら殆ど口内摂取なんだよ。魔法治癒で持ち直してるんだから、きっと貧血で立ち上がれないぞ」
 そう言われると確かに……無駄に眠いな。だるいってより、眠い。
「さっき傷の具合を見てくれた子が、薬と食べるもの持ってくるからそれ食べてとりあえず寝る事」
「げーお前、回復役だろ?そのあたりも魔法でなんとかなんねぇの?」
「ここまで世界がリアルだと、体力回復も一筋縄じゃないんだよ。……傷は確かにたいした事はないだろうけどね、問題なのは出血量。魔法使っても今だに傷が治りきって無いのは、傷を治すべく体力が全然無いって証拠だろ」
 回復担当がここまで力説するんじゃぁ、しかたねぇよなぁ……。普段静かなナッツがここまで饒舌になるんだからよっぽど俺は病人なんだろう。
 ふぅ、やれやれ。
「……で、どうやってあのバケモンから逃げたんだ?」
 一番重要なのは、ソコだ。
「それが、よく分かりません」
 レッドが眉を顰める。
「僕達が吹き飛ばされた時ほぼ同時に、僕等の背後にこの船が出現していたようです。どうした事かそれを見て彼らはこっちに向かってこなかった。なぜか、あの場から動かなかったのです」
「でも、僕等もすっかり動転していたからね」
「ええ、船員達からこの船に乗れって言われても、敵か味方か分からないし……」
 でも、結局は乗ったんだな、船に。

 ……俺が、死にかけてたからか。

 もしこの船が味方じゃなくて、悪質なものだったら、乗っちまったのは俺の所為になるよなぁ……。ははは、推定女王っていう彼女が俺達に、悪質な態度を取りませんように。がっくり。
 くそ俺の体、もうちょっと頑丈に作っとけばよかった。
 耐久値が足りなかったって事だろうし、相手の攻撃は鎧防御もすっぱ抜いてきた訳で……。

 と、俺は……とんでも無い事を思い出して眉を潜める。

 大体あの化け物じみた赤旗の男、破壊は無理だとレッドが念を押した黒亀『玄武』を事もあろうか真っ二つにしたよな。そして俺は、その余波で死にかけてるんだぞ?

 どんだけ力の差があるんだよ。
 てゆーか、そんな設定ってこの世界で在りなのか?
 …………。
 若干意識逃避。それはとりあえず、レッドフラグ案件でもあるからメージンのコメントを待とう。

 シーミリオン国の船っていうのはそれで、結局の所味方なのか、敵なのか。

「何で助けてくれたのかも……今だ、不明か」
「出入り制限されてて、その女王陛下にお会いする事も出来ないし、外は海だから逃げられないし怪我人がいるし、ヘタに暴れる訳にもいかないし……。もうただひたすら待ってる日々だったわ」
「何処の町にも寄ってない?ずっと船の中?」
「ええ」
「女王さまなんだよなぁ?船上より、絶対彼女ん家の方が色々と都合がいいと思うんだが」
 大体なんで一国の主である方が、わざわざ船に乗って俺達助けに来てくれたんだ?
 ……沈黙して考え事をし始めた途端、目が閉じて寝てしまいそうなくらいの眠気が俺を誘うんですが。
「眠い……」
「じゃぁ、お休みになられたほうがいいかもしれません」
「3日間も意識不明だもの、思っていたより元気でほっとしたわ」
 アベルのそんな、真っ直ぐな言葉に『正直』に俺は。
 疑いの目を向けた。
「まーたまた、取ってつけたような事言っちゃって」
 だって、そうとしか取れないだろ?こいつの性格上。俺は冗談言うなよと笑ってそう彼女に言い返したのだったが……。
「何よ、心配しちゃぁいけないの?」
 ……怒られました。
 なんだよ、何でここで怒られるんだ?わっけわかんねぇ。こいつとは本当に馬があわねぇ……。フン、という具合にそっぽを向いたアベルを見て、女性陣は一斉に俺を非難し始めるし。
「心配してたんだよ、本当に」
「そうよ、ヤトったらずっとうなされてたんだもの、そりゃぁ心配するわ」
「う、そんな事言われたって」
「心配掛けた記憶が無いとよ」
 テリーも肩を竦めて呆れたように首を振る。
「全く、デリカシーが無いですね」
 デリカシー=心配りが出来て繊細な様子。……無いってか。ああ、無いよ俺にはそんなもん無いね。俺は自分が対人関係苦手なの、分かってるもんね!
 そんな自分に思わず泣きたい気分だ。
 すっかりアインとマツナギからも睨まれて、俺はバツが悪く口を曲げアベルとは逆方向にそっぽを向いてしまった。
 いいんだよだって、こいつとはこうやってケンカばっかりしてたんだもん俺。今更他人に指摘されるまでもねぇ。ナッツがいっつも、溜め息混じりに俺に言う事だ。……今回はそれを全部他の奴等が言ったので、ナッツは俺に向かって苦笑だけ投げかけている。ほら、いつも僕が言う通りだろう?って具合にな。
 ……なんだよ、だから、何だって言うんだよ。

「お待たせいたしました」
 と、扉がノックされておっとりとした、かわいらしい声が聞こえる。
 ゆっくりと扉が開くと、湯気を立てる膳を持ったさっきの推定看護婦と、……ん、さっき女王の隣に立ってた男の一人だな。鋭い顔立ちは知的で間違いなく美形に属するだろう顔をしている。
 髪の後ろだけ伸ばし、前髪と側面は短く切り込んだちょっと見慣れない髪型をしている。淡い紫色の髪は、リアルだと思わずウィッグ(カツラ)かと疑いたくなるような色だが……こっちの世界の都合で考えると特に珍しい色だとは思わない。とどのつまり、違和感は無いって事な。
 そんな彼が扉を開けている。
 ナッツが膳を受け取り、どうする?と奴が聞く前に俺は一人で食えると言ってやった。
 バカ、俺のバカ。一人で食えるに決まってるだろうが。
 膳を受け取りつつ、一人先走って顔を赤くしてみたりする。ちょっと恥ずかしい顔は、立ち昇る湯気が隠してくれているといいんだが。
「ちゃんと薬も飲むんだよ」
「げー、飲み薬か……」
 明らかに渋そうな色の薬湯が、膳の右端で湯気を立てている。
「何なら、そのおかゆに混ぜたら?」
「おおッ、止めろよ!」
 ナッツは冗談だよと笑っているが。
 お前、割りと冗談だよと笑いながら平気で酷い事する時あるからな。こっちは気が抜けねぇんだよ。
「お待たせして申し訳ありません」
 推定看護婦が下がっていったのに、背の高い男が部屋に残っている。静かな段取りで頭を下げてから言葉を続けた。
「私はユーステル様の補佐を務めております、キリュウと申します。ようやくヤト様もお目覚めになりこちらの船も、我々の目的地へと近づきつつあります。つきましては遅くなりましたが、明日ヤト様が目を覚ましてからにでも、我れらが主ユーステルも交えまして……。事の経緯をお話したく、」
 再び厳かに頭を下げた高官に、俺は無言でレッドに目配せした。お前の判断に任せると、そんな感じのアイコンタクトだな。
「現段階では何も説明出来ない状況ですか」
「……一つ二つ、話してご理解いただける事ではない事は、承知しておりますので」
 話し出したら、長話必死って事か。色々と込み入った事情があるわけだな、多分。レッドは一同を伺い、選択を任された事を理解して頷いた。
「分かりました、明日話を伺いましょう」
「ありがとうございます」
 何を話されるのか、何を要求されるのか。
 まー現段階、何も分かったもんじゃないが。ここまで面倒みてもらってて、そこまで遜られちゃぁあんまり強気な事も言えないよな。
 一応、分別って奴を弁えてないと。
 ヤンチャな冒険者ってわけにもいかないだろう、一応これでイシュタル国の看板背負って魔王討伐隊なわけだし。
「では、皆さんの夕食のしたくも整っております。よろしければ食堂の方においでください」
 そう言い残しキリュウは静かに部屋を退室して行った。

『スキップを全員抜けましたね』

  懐かしい声らしいものを聞いて俺達は思わず、別に何と言う訳じゃないが天井を仰いでいた。
「メージン!」




 コマンド的な事を言えば現在の状況は『スタートボタン』である。
 もしくは『セレクトボタン』かもしれない。ゲーム内容とは関係のない操作の為についている、補助コマンドな。

 俺達は今はもう、酷く懐かしい場所にいる。
 周りは漆黒、光も影もない。白い扉があるだけの、黒くリアルを反転させた場所。

 エントランスだ。

「この空間はトビラの『外』になるのですね」
 レッドがトビラの中と同じ格好で俺達を振り返り、今しがた緊急一時『ログアウト』をして、トビラ内を脱出してきた俺達返り見る。

 いや、実際ログアウトは正式にしていない。
 一時退避だ。

 ポーズをかけてるみたいなもんだな、トビラに流れているそしてトビラっていう仮想の中の俺達に流れる、時間の積み重なりを無視した階層に俺達の意識を一時非難させて来ている状況だという。
『トビラ内の状況を演算しなくてもいいから、ここだと負荷が少ないんだ』
 と、メージン。
「何か、重要な話なのね」
 アベルが意を決して見えないオペレーターを探すように、目を泳がせる。
『ええ……高松さんが、レッドフラグを危険視しています』
「そんくらい、ヤバいモノってわけだな」
『すぐには赤旗の正体をつかめそうに無いみたいです。だから一旦テストプレイは中断しようかという話になっています』
 うーんそうか……正直、その返答に相当にがっかりしている俺がいるんだが……どうよ?
 俺は、他の一同を見渡した。誰も彼も何も言わないが、喜んではいない。かといって安心も、恐れている感じもしない。

 それは、憮然とした、何ともいえない。そういう顔だった。

『……不満な気持ちもお察しします。ですが』
「分かっています、なによりもプレイヤーの安全、ですね」
『…………』
 しかしレッドの言葉に妙な沈黙がある。メージン頼むよ、ヘタに不安になるような事は止めろって。
『いえ。……安全は、今だ保障されています』
「へ?」
『僕は赤旗が発見された事が分かってから、皆さんの立場で高松さんと話をさせていただきました。僕には皆さんの気持ちがよくわかります。だって、僕達は皆同じ、重度のゲーム好きでしょう?』
 メージンは苦笑気味に言葉を続ける。
『こんな所で一時中断なんて、そんなの、正直に言えば面白くないに決まっています』
「……メージン」
『だからそのままゲームを進める事はそれ程危険なのですかと、高松さんにお聞きしました。すると、現時点状況は赤旗がどんなものであるのか、不確定な事が問題であって、それによって皆さんの危険が及ぶという事は一切ないという事です。あるとすれば、ゲーム内でのキャラクターに危険は付きまとう事になるだろうと、そういう事ですね』
「コミックな展開は、無しか」
 テリーが、ちょっと拍子抜けに言う。つまりそれは、
「あたし達の精神が迷子とか、戻れないとか」
「そんなマンガな展開にはならないわけだね?」
 おいおいお前等。そんな状況になったら大変だろうが。
 今からこのゲームを商品化しようってのに、そんな初歩的かつお約束な欠陥があったら、国から開発禁止を喰らうっつうの。流通させて『売る』ためには、それなりの安全性が無いとお話になんねぇだろうが。
『でも皆さん、よく考えてください。現実の僕等には何も危害が加わらないのに、そちらの世界ではそうじゃないんですよ?』
「!」
 俺達はその指摘に、はっと目を見開いた。
『僕等はその世界はゲームだと割り切る事ができても、そちらのリアルに見える世界の中では、赤旗の状況は相当に世界の仕組みを壊す存在に違いありません』
「むしろ、世界にフラグをばら撒いているのは……僕等の次元か。そのように世界を変えてしまった責任がある?」
『まぁ、SF……皆さんが言うにコミック的に言えば』
 ナッツの言葉にメージンはどこまでも冷静に応答する。
『そちらの世界が僕等によって作られているものならば、その結果や物語の運びによって、滅んでしまう事も致し方がありません。エンディングを迎えることで、世界が破滅するゲームも数多くありますから、じゃぁその仮想の世界を破壊しないために、エンディングを出さないようにすべきなのかと言えば、そうではないでしょう。問題なのは……プレイヤーとしての立場なんだと思います』
「……なるほど」
 レッドが、相変わらず無い眼鏡を押し上げる仕草をする。
「僕等はこのままゲームを続行しても……僕等の現実で言えば何も問題は無い。ただ、トビラというゲームとしては重大なバグがある状況なので、製作者側からすれば意図した娯楽を提供出来ない可能性が高い。だから、重大なバグのあるゲームをやらせるのは開発者としては勧めたくない、そういう都合で一度中断してもらいたい」
 そういう状況は、理解した。 
「ですが、赤旗を放置すればトビラの世界は明らかに狂う。そうやってバグを出してしまって世界を破壊してしまう事の責任は高松さん達に在り、僕等は何ら関係無い。……そして」
 レッドは顔を上げ、一同に振り返る。
「僕等は、プレイヤーとしての僕等は。バグありでもあの仮想世界の旅を続行する事も……現時点では選択肢にある。……そういう事ですね?メージン」
 俺は思わず拳を握った。

 今すぐここから撤退だ?まだ一つも冒険終わらせずに、負けっぱなしで一旦引け、だ?

 そんなん嫌だ。絶対嫌だ。
 まだやってていいなら、俺達はまだゲームをしていたい。

 許されるならあの規格外の赤旗について、しいてはそれと魔王の関係について。ちゃんとそれなりに納得の行く答えを出してからログアウトしてぇ。
 これは、この気持ちは何だと聞かれたら。
 俺は拳を握り締め、力いっぱいに断言するだろう。

 それは、ゲーマーとしての、意地だ!

「ゲーム続行の、リスクは」
 俺の静かに抑揚を抑えた問いに、メージンは答えてくれた。
『状況解析にコメント演算能力が削られます。このエントランスに避難するには、バックアップである僕の采配が必要です。しかし僕の管理しているテーブルが皆さんの冒険に追いつかなければ当然、強制ログアウトまで皆さんは『トビラ』から任意で出る選択が出来なくなる可能性が高い』
 つまりもう沢山だ、リアルに戻る!と主張しても、ゲームが終わるまで、目が醒めるまで。
 俺達は現実には戻れない、かもしれないという意味か。
 だけど……。
「いいじゃねぇか」
 俺は顔を上げる。
「それでもちゃんと、夢は醒めるんだろ」
「ヤト……」
「俺はゲーム続行を希望する!ギリギリまで高松さんらに有効なデータを俺達で揃えるんだ」
「ええ、そうね……ここで止めるなんてちょっとお預けくらった気分だし」
「一応、デバッカーとしても雇われてるわけだしな」
 一同、頷いて答えてくれる。俺達の一致したイエスの意見を、きっとメージンはモニターで同じように、うなずきながら見ていていくれているに違いない。

 メージンだって絶対に俺達の意見と同じに違いないんだ。
 離れてたって彼は俺達の、8人目の仲間なんだからな。
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