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6章 アイとユウキは……『世界を救う、はずだ』
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『黙れお前ら、人柱は俺の役目だ!撤退して、ログを残せ!』
※ 必読ではありません 主人公が作中(自分的に)都合よく ※
※ リコレクト解説するので飛ばして先に読み進んでも大丈夫です ※
「お前がやれ」
ギルから命じられて、黒い鎧の青年が驚いて振り返る。
「な、なんで私が」
「ふむ、適任だ。どれくらい上達したのか見せてもらおう」
「ナドゥさん、勘弁してください」
すっかり状況に固まった魔王討伐隊の6人と1匹を見下ろしてナドゥは腕を組んだ。
「前回は酷かったからな……ギルには任せられんよ」
「おう、俺だと無理」
親指を立ててギルが笑う。
「……自慢にならん」
「それくらい俺様強すぎって事じゃね?という訳でアービス、お前がやれ」
「……」
「さっさと済ませろ、奴等が余計な事をしでかす前にな」
視線だけで牽制しているつもりだったナドゥの視界の中で、先頭に立っていた剣士がこっちに駆け出して来る。
「逃げないつもりならそれでいい」
薄く笑って目を細めた。その隣で相手が向かってきたのを知って仕方なく、黒い鎧の青年……アービスは剣を構えて踊場から飛び降りた。
「ヤト!」
アービスの剣と魔王討伐隊の一人である戦士ヤトの剣が切り結ぶ音と、数人が叫んだ声が重なった。
「くそッ」
拳闘士のテリーは悪態を付き、突然突っかかっていったヤトを目で追う。拳を構えた状況で腰を落とし、戦闘準備は整っているのに……前に足が出ない。
テリーは歯を食いしばり、隣で剣を構えた魔法剣士のアベルに尋ねていた。
「あいつらに突っかかっていって勝算、あるか?」
「……無理、」
アベルは震えるように小さく首を振る。
「先を越されました」
ぎょっとしてテリーとアベルが隣に並んだ人物を見上げた。
普段は一向の背後にいて、前線には出ない……魔導師のレッドだ。眼鏡のブリッジを押し上げて顔の表情を隠しながら更に一歩前に出る。
「……彼は、僕らを逃がすつもりのようです」
「んな、そんな事を俺らが……『俺らの中から一人』なんかそんなの、出せるはず無いだろうが!」
何をすればここで生き残れるのか。
分かっている、言葉にしなくてもここにいる誰もが。
「出せない、誰も『選べない』から彼は、自分で一歩前に出たんですよ」
レッドはそう言って更に一歩前に出る。
背後で、有翼族のナッツが顔を顰めて覚悟を決めたように前を向く。マツナギも番えていた弓矢を手放して……曲刀の柄に手を伸ばした。
「嫌よ、本気にしないでよ!」
いくつも開け放たれた窓から差し込む光に、薄暗いエントランスはぼんやりと照らし出されている。
高く吹き抜けの構造の広間に、赤いドラゴンのアインが舞いながら叫んだ。
「人柱なんて冗談なんだから!」
キラキラと剣が光を反射する。
差し込む光に時々晒された剣筋がその都度眩しい光をあちこちに反射し、輝く。
光と闇のコントラストに舞う剣士の戦いは、舞踏の様に幻想的だ。研ぎ澄まされたスタイルから繰り出される一撃は互いの剣に弾かれ、流され、避けられる。
淀みの無い水が流れる様な優雅な戦い。
ギルは目を細めて二人の剣士の戦いを目で堪能する。
「……いい仕上がりだ」
「お前がそう評価するなら……良いのだろうな」
ナドゥは関心が無さそうに返した。
「あっちはどうする、ありゃぁ……全員覚悟を決めた目だぜ」
ちらりと奥で固まっている他の5人を見て、ギルは小さく囁いた。
「……一人、逃がさなければ結果はどうでも良い」
テリーは動かない足を、強靭な精神でようやく一歩前に踏み出させた。
アベルも震える右手を左手で押さえ込む。
特に合わせた訳では無かったが、気がつけば全員同じタイミングで走り出していた。
雄たけびを上げ、覚悟を決めて走り出す。
一歩踏み出せば後は身体がついていく。
思わず恐怖に凍りついた足も、ぎくしゃくとためらいがちに動き出す。
アービスが剣を止めた。
相手が不意と、無防備に剣を降ろしたからだ。
加勢に加わろうとする仲間達に背中を向けたまま……ヤトは左手に忍ばせていた護符を握りつぶして叫んでいた。
「悪ィなぁ!お前らの出番……は、ナシだ……!」
レッドが慌てて立ち止まる、しかし『何』が起こったのか分からなかったテリーとアベルは『それ』に、思いっきりぶつかって行って跳ね返されてしまったのだ。
「な、なんだッ!?」
魔王八逆星も驚いて、踊場から身を乗り出していた。
「何しやがった?」
「……ふむ、」
ナドゥだけは薄く笑ったままだ。
「結界、カのう……我ラを覆っていル様だが」
「あらん、まだ奥の手があったのね、」
「……」
なぜか、魔術師であるインティが不機嫌な顔をしている事に気がついて、仮面の若者が首を傾げる。
「どうかしたのかい?」
「……ナドゥ、これけっこう厄介だけど」
インティの言葉を受けてナドゥは冷静に答える。
「問題無い。破れとか、そんな面倒な事は言わん」
途端にインティは笑って踊り場から身を乗り出した。
「だったらいいんだ、これを破る方がはっきり言って、町一つ蒸発させるより大変そうだったからさッ」
テリーはどん、と見えない境界を叩いた。その次に容赦なく全力でゼロ距離衝撃波を一撃見舞ったが……びくともしない。
「何、しやがったお前……ッ!」
「何って、見えないけど見りゃわかるだろう。……結界魔法」
「お前魔法使えないだろうが!」
「使えないけど維持は可能らしいぜ、ワイズ曰く」
「余計なものを……どうして受け取った!」
珍しく冷静なナッツが怒鳴ったので、ヤトは肩を竦めて苦笑気味にようやく振り返る。
見えない境界の、その向こう側で。
「いや、まさか本当に使う事になるとは思わなかったし……いいじゃん。こうでもしないと『決着』つかないだろ?」
「……だからって、貴方である必要がどこにあるというんです」
低く小さく呟いたレッドの言葉に、ヤトはおどけて答えた。
「誰だろうとお前らは奴らに渡したく無いだろ?」
「当たり前です!」
ばんと、見えない境界に手をついて……恐らく、初めてレッドは怒った顔を露にする。
「相談も無しに貴方はいつもいつも……なぜそうやって先走るんですか!」
「しっかたねぇじゃん、」
ヤトはなおもおどけて、どうにか相手の怒りを静めようとする。笑いを取ろうとする。
むしろ今はそれが、相手の怒りを増長していると分からずに。
「俺ってそういうキャラだし」
「そんな言葉でごまかさないでよ!」
アベルが剣の柄で思いっきり境界を叩きながら言った。
「ダメじゃない……これじゃあたし、あんたの暴走止められないじゃない!無茶しないっでって言ったじゃないの!」
「無茶はして無い、レッド、ナッツ、冷静になれ」
笑いは取れない空気だと……ようやく悟ったヤトは背後で待っていてくれる……魔王八逆星の存在を感じながら言った。
「結局の所俺達が全員無事に『帰る』にはこうするより他ねぇだろ?」
「……しかし!」
「サンプル一人でいいったって、お前それは一人より二人、二人より三人がいいに決まってんだろうが。な?」
「……ヤト……」
実はそのセリフは……元々レッドが言った言葉だった。ヤト本人がその事実を覚えているかどうかは分からないが、昔チャットを交わした時にレッドは、ヤトに対して同じ言い回しをした事がある。
『実は特撮オタク』であるレッドにはちょっと特殊な意味のあるフレーズだった。
おかげで、その事実を思い出した事でレッドは、少しだけ興奮を抑える事が出来る。
「二人以上奴らに確保されてみろ。一匹殺しても大丈夫、まだもう一匹いるって状況になるだろうが。それよりだったら俺一人ここに残った方が問題ない。どうやら『殺せない』みたいだからな」
「お前は……どうしてこういう時だけ頭が回るんだよ!」
「わ、悪かったな、こういう時だけ狡猾で!」
ナッツの叫びにヤトは心外そうに言い返す。
「……ヤト、この結界どれくらい持つんだい?」
静かにマツナギが尋ねた。感情を押し殺した、冷たい声にヤトはまじめな顔で答える。
「俺が死ぬまで死守してやる」
「それはアンタの希望でしょ?」
アベルがヤトを睨む。
「冗談言わないでよ~、そんなの無理よ~」
アインが空中で見えない結界を何度も突付きながら、やや泣きそうな声で喚いた。
「無理かどうかは……やってみないとな」
ヤトはそう言って剣を再び構えて5人と1匹に背を向けた。
「行け!」
「ばーかッ、どこに行けるってんだ!」
もう一度、無駄と分かっていてもテリーは渾身の一撃を結界に叩き込まずにはいられなかった。
「魔王の面ぁ拝んだし、あとは帰ってセーブするだけだ!それで出来んのはもう、お前らだけだぜ!」
「くそッ」
テリーが歯噛みして、それからしばらくして顔を上げる。
「じゃぁ約束しろ、絶対『死ぬな』よ?」
「そうよ、絶対って、絶対無茶しないって今度こそ……今度こそ約束しなさいよ!」
「ごちゃごちゃ煩いよお前ら!黙れ、いいからさっさと帰れ!お前らと俺が選んだ結果だろ?人柱は俺の『役目』だ!お前らの『役目』は?ほら!答えろ!」
「……この事態をセーブして、次に生かす事」
ぽつりと、冷静さを取り戻してナッツが言った。
「行こう」
誰よりも冷静に、結果を受け入れていたマツナギが促した。アベルの手をナッツが引く。動かないから肩を抱くようにして引き剥がす。
「あ、あたしここに残るぅうぅ!」
暴れるアインの尻尾を捕まえたテリーは、首と羽を掴みこみながら険しい顔でうめいた。
「ここまで覚悟決められて受け入れない訳にもいかんだろ、くそ、畜生!」
と、レッドがまだ一人張り付いているのに、テリーは暴れるアインをマツナギに渡してレッドの肩を掴んだ。
「おい、行くぞ!」
「……こんな、こんな終わり方は……」
そう言ってなにやら魔法詠唱を始めたレッドをテリーは無言で『沈めた』
力無く崩れ落ちたレッドを担ぎ上げたテリーに向けて……ヤトが小さく謝った。
「……ゴメンで済むなら警察いらねぇんだよ」
ぼそりと反論したテリーの言い訳が幼稚で、ヤトはようやく顔に笑みを取り戻す。
「……じゃぁな、また後で絶対、生きて会おうぜ」
「ああ。当然だ」
顔を上げた。視線の先に、魔王八逆星。
八星なのに何故か総勢……7名。恐らくこの前南国で、アイジャンが死んだから一人欠員なのだろうとヤトは思っている。
「さて……挨拶は済んだようだが」
「おう。待たせたな、さ。どうする?」
剣を構えてヤトは身構えた。
「……この結界、見事だな」
ナドゥから感情の篭もらない言葉で労われてヤトは口を引きつらせる。
「そりゃどうも、お褒めに預かり光栄ですってか?」
「君が死んだら消えちゃうよね?」
「わッ!」
何時の間にか、すぐ隣にインティがしゃがみこんで、こちらを見上げているのに気がついてヤトは飛び上がった。
「そうでもしないとこの僕でも、この結界破るのは無理」
「へッ、どうする?生きてるサンプル欲しいんだろ?結界破る為に俺を殺すのか?殺さないのか」
「何言ってるんだい、君は『殺されない』事を見越してここに残ったんだろ?」
インティはにっこりと友好的に微笑んだ。
「僕は正直、ここに残ったのがお兄ちゃんで嬉しいよ」
「え?……なんでだよ」
「前から嫌いじゃないんだ、なんだか見ているだけで飽きなさそう。すごい楽しみだな、ね、仲良くしてね?」
「……あのなぁ、俺はお前らを倒す事が目的であって今回こうやって残ったのは別……に……」
声が静かに止まる。
静寂が一瞬場を支配する。
可能性に気がついた事を察して、ナドゥはモノクルのズレを直しながら静かな空間に吐息を吐く。
「とりあえず……君のその心意気に免じて、タトラメルツや君の仲間を攻撃するのは今はやめよう」
ヤトは苦い顔で踊場を見上げた。
「今は、ね」
「だから『これ』を解きたまえ」
「嫌だね。もしかしたらこのままずっと、俺はお前らを閉じ込めておく事も……」
「そりゃ無理だろ、お前こっち側にいるんだし」
ギルがヤトの言葉を遮った。
「殺さない程度に意識飛ばしてやれば、現在進行形で動いてる魔法は解けるぜ。大体お前、これから寝ないで魔法維持するつもりか?」
「……お前らの言葉なんか信用できるか。俺は、可能な限りコイツの維持は……」
「アービス!攻撃を続けろ!」
ヤトの言葉が終わらぬうちにギルの罵倒が響いて、弾かれるように黙って立っていたアービスが跳んだ。再び剣が交わり、鋭い音が響き渡る。
「人の話は最期まで……聞けッ!」
「無駄な事はしない方がいい、今すぐ結界を解くんだ」
初めて、青年がヤトに向かって言葉を発した。大雑把な鉄の仮面の隙間から顔が覗ける、黒髪に青い目、左頬に小さな痣がある。白い肌に黒い痣が幾何学模様を中途半端に描いたような、そんな模様が見て取れた。
「信用できるかよ!」
「信用してくれ、ギルを怒らせるのは得策じゃない、私が……私がナドゥさんの言った事を誓う」
「お前が誓ったってどうしようも……ッ!」
お互い切り結び、弾き飛ばして距離ができる。
「どうしようもねぇよッ!下っ端だろうが!」
「し……確かにギルには遠く及ばないが……とにかく、私は無駄な争いは本来好まないんだ!頼む、剣を引くんだ!」
「アービス!叩きのめせ!」
ギルから怒鳴られて、アービスは負けじと叫び返した。
「必要無いだろ、彼は逃げられないじゃないか!」
「逃げた時お前、責任取んのか?」
「と、取るさ!」
アービスはギルに必死になって訴える。ヤトはアービスの必死の説得に耳を貸さず、中段に構えて突っ込む。アービスはそれを何とか避けて……逃げ回った。
逃げに回った相手を叩き込むのは比較的簡単だ。対等に戦っていただけ、相手が手を緩めた分差ができる。ヤトは攻撃に転じる事が出来なくなったアービスを壁際近くまで追い込んでいく。
「酷いよ、逃げちゃうの?」
耳元で囁かれる様に聞こえた声に、一瞬ヤトの殺気がそちらに向いた。周りが全員敵であると認識しているらしい彼は、容赦なく背後に回りこんできた者に剣を向けた。
「酷いよ、斬っちゃうなんて」
金髪の品の良さそうな少年の肩から腹まで、ざっくり剣が切り裂いているのを時差あって確認したヤトは一瞬、息を止めた。パラパラとビーズの首飾りの紐が切れ、ガラス管が心地よい音を立てて散らばっていく。ごふりと血を吹き出した少年はそれでも優しく笑う。
「大丈夫、一人殺しちゃったら後は二人も三人も同じだよ」
その言葉を聞き、我に返ってヤトは止めていた剣を振りぬいた。少年を真っ二つに引き裂くが……血を噴いて倒れた少年はその途端ぐにゃりと空気に解けて消えた。
インティの人間を装った幻だ。だが、何故か剣にはわざとらしく鮮血の幻がいまだにこびり付いていた。
「止めるんだ……ヤト君」
壁に追い詰められたアービスは剣を下ろし、静かな顔で何度も諭す。
「ぅるせぇッ!」
剣を構える、相手が無防備でも気にしなかった。
彼らは頭上に赤い旗を持ち、これを持つ者はこの世界には存在してはいけない。
させてはいけない。
魔王八逆星、そのレッドフラグの頭目として君臨している7人は、殺して、除去して、排除すべきバグだとヤトははっきりと認識していた。
その相手がどんなに友好的であれ、どんなに平和主義であれ……。手を取り合う事が出来ない存在だと『知って』いる。
突き出した剣は迷い無くアービスの心臓をめがけ繰り出された。それを避けず、受け入れたアービスは……砕け散った剣を踏みしめて一歩前に出る。
「これなら諦めるか?」
あっけなく剣が砕け散った事に呆然とする事も無く、ヤトは使い物にならない剣の柄を捨てて背後に右手を伸ばす。
「あれは、……水龍銀の槍」
ヤトが引き出した獲物の名前を、発作的にナドゥが呟いたのは殆どの者が聞いていなかっただろう。槍を思いっきり引き下げて遠慮なく打ち込もうとする動作に……しかしアービスは動じなかった。剣を容易く砕く、強固な鎧の性能を信じていた訳ではない。
彼は……貫かれてしまったのならそれはそれで仕方が無い事だと思っていた。
「そこまでだ」
だが槍は、結局届かない。
何時の間にやら背後に居たギルから柄をつかまれ、ヤトが完全に一撃を突き入れられなかったからだ。
「ッ!」
槍が水のように溶けて、ギルの手を逃れヤトの手の中で再び形を作る。
ヤトが容赦なくギルに突きかかって行った行動にアービスは、むしろ驚いた。驚きつつも一瞬、その槍がギルに届くのではないかと期待したのは事実だった。だがその展望は幻で……アービスは、ヤトの繰り出した槍がギルの拳の前にあっけなく『折れ』て弾き飛ばされ、ついでに容赦ない蹴りで中腹を蹴飛ばし、彼が石階段の中程まで吹き飛ばされたのを見送っていた。
「ん、まだがんばるのか」
しかし結界がまだ消えてないのを感じてギルは首を回す。
「すげぇな、維持してるだけとはいえ……ここまで戦闘に集中していて結界張るんだ。相当なタマだぜ?」
「待て、……後は私がやる」
ゆっくりヤトに向かって歩き出そうとしたギルに、アービスは慌てて前に立ち塞がった。
「何だよ、お前がやらんから俺がやってんだぜ?」
「これ以上甚振るな」
「それもお前のせい」
「……分かった。私が悪かった」
張り合いが無いというようにギルは肩を竦めた。そしてくるりと振り返って踊り場を見上げる。
「ナドゥ、どうする?腕とかイっちゃった方がいいか?」
「余計な手間を掛けさせるな」
つまり余計な『傷』をつけるなという意味と受け取ってギルは苦い顔をした。手加減など出来るはずも無く、思いっきり蹴り上げてしまったのを非難されている。
「いいよアービス、僕がちゃんと怪我治すから。お兄ちゃんの事さっさと『確保』しちゃいなよ」
珍しく行動的なインティが、当然無傷でアービスの隣で笑っていた。
「だとよ、……さっさと済ませな」
アービスは無言で、階段に叩きつけられたヤトが立ち上がろうともがいているのに近づいていく。近づきながら……一旦収めた剣を抜いた。
「……すまない」
上半身を起こしたヤトは、口から血を吐き出しながら物凄い形相でアービスを睨みつけている。
「お前、バカだな」
血を吐きながらはっきりと言った、ヤトの言葉が意味する事を上手く理解できないまま、アービスは剣を構える。怒った訳ではない、むしろ意味を理解できずにただ混乱していただけだ。
鈍い音がして、剣の峰でヤトの顎を跳ね上げる。首に走る神経を揺らす一撃に、あっけなく周りを取り囲む結界が解けていった。
「で、どうすんだ」
ギルが意味ありげにナドゥを窺った。
「いや、追わなくていい」
「いいのか?」
「待て、約束を反故するつもりか……ッ?」
驚いて振り返ったアービスに、ギルはめんどくさそうに耳をほじった。
「アホか、俺はともかく奴がまともな約束した事あったかよ」
「そんな、」
「確かに約束などした覚えはないが」
何も感情を示さない冷たい声でナドゥは前置いてから、少しだけ笑う。
「無駄な事はしなくても、連中ならすぐまたここに来る」
「ああ、なる程ね~」
インティが納得したように頷いた。
「全く、バカはどっちだよ」
ギルが呆れた口調で階段の上に伸びているヤトを担ぎ上げた。
「運んどくぜ、」
「ああ、頼む」
低い耳鳴りを聞いて、ヤトは目を覚ました。突然意識が跳んだ所為か、一瞬状況を把握できずに混乱した脳を……置かれた状況と対比して整理していく。
視線だけを動かした。ぼんやりとした視界の中に、見知っている者の後ろ姿を見つける。
しかし頭の中は冴えていた。現実を素直に見据えていて何も、何にも驚かない。
白衣の男の横顔を見ている。
何を真剣に見ているのだろうと、少しだけ視線を動かすと……むき出しの岩に掘られた棚らしい所に青白い光を反射する鎧が収まっていた。それが、自分が着ていたはずの鎧と篭手だと知って……なぜそれをそんな真剣な目で見ているのか、ようやくヤトの冷たく沈み込んでいた精神が高揚を帯びる。
そしてその脳波の動きを読んだようにナドゥがこちらを振り返った。
「……気分はどうだね」
小さくヤトは笑った。完全に固定されている体を揺すって見るでもなく答える。
「……当然な事を聞くな……最悪、だ」
自分が今どういう状況に置かれているのか、ヤトは自分が取っている体勢で大凡の予測をつける事が出来た。鎧はあの通り、脱がされて没収されている。武器は……壊れた。折れて弾けとんだ槍は元の篭手に戻ってやはり没収されている。鎧の下に着込んでいたなめし皮のスーツも恐らく脱がされている。上半身は薄着になっている、恐らく地下であろうこの空気の中肌寒いくらいだ。
足には束縛感と重量感が残っているからブーツや具足などはそのままらしい。
ヤトは僅かに動く顔を上に向けた。両腕が後ろに回される形で、巨大な柱に縛り付けられている自分を確認した。想像していた通りの境遇に思わず苦笑が漏れる。頭の冷静な部分で……どちらかの腕を引きちぎれば逃げられる……などと考えている一方、魔王八逆星の巣の中にあってどうやって逃げきれるんだとも考えた。
そんな考えをまるで読む様にナドゥは苦笑する。
「気丈だな、まだ諦めていないと見える」
「諦める?何をだ」
しかしナドゥは答えずに再び背を向けた。
「本当はじっくり調整したいのだがな、余り時間も無いようだから……君にはちょっと痛い思いをさせるかもしれん。こればっかりは私にもどうにも出来ない事でな」
そういい残して奥の暗闇の中へ消えていく。白い白衣の影を無言で見送っていた。
何も言い返せなかった。囚われていて、自分が今何も選択できない状況であるのは十二分にも分かっている。自分がこれからどうなるのか……恐ろしい想像をしようとして無意識に止める。別の事を考えなければいけないと思って揚げ足を取っていく。
なぜ時間が無い?
何となくその理由については想像がつく。そして、暗い気持ちになる。
この状況を選んだ以上、次の展開が『そう』なる事は王道だ。うんざりする、だから王道は嫌いなんだとヤトは誰もいない所で舌を鳴らした。
「怒ってる?」
誰もいないと思っていたのに、何時の間にかそれは傍にいた。
「……当たり前だろ」
そろそろそんな状況に慣れてきて、ヤトは驚かずにインティに答える。
「……ご飯持ってきたんだ、」
「……」
「大丈夫だよ、僕が外から持ってきたのだから安全だよ。ナドゥが出した奴は僕が捨てておいた、あいつのご飯は何混じってるか分かったもんじゃないからね、差し出されても水であっても飲んじゃダメだよ?」
「……お前、なんなんだ」
ヤトは俯いて、インティを見ずに小さくうめいた。
「僕がさ、食べさせてあげるよ」
「誰のメシであろうとんなもん食えるかッ!」
蹴り上げた足が、空振りするとの予想に反してインティが持っていたお盆に当たって弾き飛ばす。
「俺は、いくらなんでもそこまで神経ズ太くねぇんだよッ!失せろ、来るな、近づくなッ!」
無邪気に食事を喜んでくれると信じていたのか、インティは蒼白な顔で……憎しみを込めた顔で睨みつけてくるヤトを凝視していた。
「俺はお前らをぶっ殺す為に『ここ』に居るんだッ!」
「でも、でもさ……君は……」
「お前らは敵だ!それ以外の何でもない!」
インティが言葉に逆上して雷を振るうなら、それこそ願ったり叶ったりだとヤトは思った。次に来るであろう展開を避けるにはもはや、それしかない。全てを投げ出す事になるけれど……残されている道はもうそれしかないのだ。
仲間が助けに来る前に死ぬしかない。足手まといになる前に、彼らの弱点になってしまう前に。
だが……自分が死んだという事実をどうやって、仲間達に伝えればいいのだろう?
結局今ここで死んでも、死ななくても、自分が囚われているという情報は魔王に良いように使われるのだろうなと思うと……余計に腹が立って来る。
「僕は……仲良くしたいだけなのに……」
「なら腕を解けよ」
「……それはできないけど」
「だったら仲良くなんかできねぇよ!」
「……僕が、君を『仲間』にできればよかったのに」
インティは少し暗い顔で小さく呟いた。
「……よりにもよって……」
「……?」
「私が用意した食事、捨てたのはお前か」
インティが驚いて顔を上げ、すっと姿が掻き消えた。銀色の盆を持ったナドゥが姿を現し、散らばった食べ物を見回しながら逃げたな、と小さく呟いた。
「……あんた、食事に何混ぜ込んでるんだよ」
「調整剤だ、言っておくがこれは君の為を思ってだぞ?それなのに……まぁ……食事なんか用意したって素直に食べるはずないとは思ったが。手は使えないしな……強引にでも食わせろって言ったはずなのにエルの奴、インティに買収されて世話を放棄したな……全く使えない連中だ」
そうぶつくさ言いながら……銀の盆を壁に掘られた棚に置いて準備を始める。横から見ていて何をしようとししているのか、ヤトはそれが怖いと認識した事は無かったが今は、間違いなく怖いと感じて背筋に冷たいものが走るのを抑えられない。
注射針が光る。
「急いで結果を出すのは好きではないのだが……」
針からどす黒い液体をこぼし、空気を抜く。
「な……、何だ……それは」
まともに答えは得られないだろうと思いながらも、聞かずには居られない。
「説明はする……こういう物質だ」
そう言ってナドゥは何かのスイッチを押し込んだ。すると縛り付けられている柱の奥に隠し通路が開く。
「こんなんでいいかな?」
「……さっさと選べ、時間が無い」
「ナドゥちゃん、ちゃんとその分補充してくれないとやーよ?」
「一人くらいいいだろうが、ケチケチするな」
ヤトが縛り付けられている柱の背後から、がちがちに震えている少年を引っ張ってくるギルとストアが現れた。少年は一人で歩けない状況で……ギルから投げ出されて、床にへたり込んでしまう。……恐怖に引きつった目を見開いて虚空を見ていた。
金髪に癖っ毛は産毛のようにまだ柔らかく、発達していない顔立ちは丸い。十歳になるかならないか、それくらいの幼い子供だ。
「……おい、」
足を踏ん張り、身体を引っ張っても……腕はがっちりと拘束されたままだ。ヤトは怒りと、困惑と、それにどこか苦笑を混ぜた顔を引きつらせる。
「ちょっと、待て……、おい、待て……ッ!」
全く躊躇もタメも無く、ナドゥは素早く少年の首を掴み押し上げる。手馴れた様子で針を差し込んで少年の静脈に一気に液体を注ぎ込んだ。
瞬間に変化が現れた。
虚空を見ていた目が引っくり返って白目をむき、口から膨らんだ舌を突き出して……見る間に頭の血管が膨れ上がってピクピクと痙攣しだす。少年に謎の液体……を注ぎ終わったナドゥは距離を取り、静かに様子を見守っている。
ストアが薄笑いを浮かべ、ギルが喉を鳴らすように笑いを抑えていた。
見ていられなくなってヤトは目を閉じた。
もう一度『これ』を見せられる事になるとは……少しも想像しなかったわけでは無い。二度目だ、初めて見せ付けられた時二度と見たくないと正直に思った。二度目だからと言って見慣れて平気な事では無い。
それはあまりにもおぞまし光景で、びちびちと肉が弾ける音が閉じられた空気を震わせている。
抵抗しようにもその音を聞くのだけは抗えない。胃液が逆流するような嫌悪感に、ヤトは自身の動悸が激しくなるのを耳の奥で聞いていた。
少年が少年とは思えない低い声で絶叫を上げ、ヤトは弾かれたように目を開ける。
目の前に居るのはすでに少年ではなかった。真っ黒く変色した肉の塊だ。
それがドロドロと内側から溶けていく、香ばしい……と形容してはならないはずの匂いが立ち込めて、それがどんどん焦げ臭くなり、しまいに少年は、溶けて黒い染みになってしまった。
自然と動悸が早まる。全力疾走した後の様に、何もしていないのに息を吸う速度が速まって、口を開けてあえいでいた。ヤトは静かに隣に立ったナドゥを振り返る事が出来ず、ただ息をする。
「思い出したかね?」
「……ッ?」
「君が意識を失っている間、すでに何度か試したじゃないか」
「……俺に……?」
「困った事に……君にはこれの効きが良くない様だ。他の誰一人受け入れられない力だというのに」
わざとらしくナドゥは、赤い血の入った注射器をヤトの視界の中に持っていく。
「あまりに効き目が強すぎて……さっきので濃度は十分の一なんだがね。色々調べさせてもらったが……理論上君は原液でもこれに耐えるだろう」
いっそうギルが笑いを抑えているので、ヤトは横目でギルを牽制するように睨む。
「ソレにも耐えちまったら困るんじゃねぇの?」
ギルが笑いを堪えた様に言った言葉に、ナドゥは冷静に言った。
「耐えたなら資格在りという事だ」
「……クッ……クク、お前、本当にやっちまうんだな」
「えー、ナドゥちゃん……まさかアレをやっちゃうつもり?」
ストアが驚きと……若干の恐れに笑顔を引きつらせて一歩後ろに下がる。
「手伝ってくれるんだろう……ギル」
「当たり前だろ、俺はその為に八逆星やってんだからな」
抵抗しても無駄と頭で分かっているのに肉体で拒絶してしまう。そんな事をするつもりは無いのに気がつくと抵抗し、暴れていた。身を捻り、逃れようが無いのに拒絶する。
「往生際の悪い、観念しろ」
ギルから乱暴に頭を抑えられ、それに気をとられているうちにナドゥがヤトの右腕を押さえた。元々柱に括り付けられているので捕まえるのは簡単だ。だが薬品は、静脈注入するように調整されている為にあまり暴れられると手元が狂う可能性がある。注入失敗などしているヒマが無いのでナドゥは慎重に針を刺し、一気に薬液を流し込む。
「だーから口内摂取型にすりゃいいだろって、」
「効率が悪い、口内摂取など当たり外れの激しい方法ではサンプルがいくつあっても足りんよ」
「それにストアは慢性貧血になっちゃうわ~」
「かといってお前のはこの通り、使い物にならない訳だし」
「……悪かったな、くそ」
ギルは腕を組み、ゆっくりと体を小刻みに震い始めた『サンプル』を見やる。
全ての血が逆流するような、おぞましい感覚が駆け抜ける。ヤトは歯を食いしばり、赤い、血と血の戦いに身を縮めた。
「しかし、何で他の連中のはシャットアウトで、俺のだけ受け付けるんだ?」
「しかも結局効かないしねー不ッ思議ィ~」
ヤトには、それらの声が遠くに聞こえる。消えようとする意識が、身体の奥から沸き起こる暴力的な痛みによって『眠る』事を拒むように突き上げてくる。
「大体、お前甚振る趣味無いんだろ?これって無駄に終わるんじゃねぇのか?その……理論上って奴だと」
「……実証しなければ確証にはならん」
「あ、そ。……ま、俺は甚振るの好きだから別にいいけど」
談笑、嘲笑、卑猥な言葉も含めて散々な言葉の羅列がヤトを切り刻む。言葉としての意味をなさず、物理的な刃となって切り刻むように渦を巻き、ぐりぐりと身体に沈み込んでくる。
体中に亀裂が入り、ぱっくりと傷口を開ける様に……黒い縞模様が浮かび上がっては消え、蠕動運動の様にうねりながら再び浮き上がる。その度に肉が抉れ、骨が削れ、血が絞り出されて行く感覚に脳がしびれていった。
痛みを許容出来なくなった神経が、賢明に拒絶するシグナルに相殺されて……ついには何も感じなくなってしまう。一瞬それに安堵するが途端に自分の『意識』が遠く離れていく感覚に恐怖を感じる。そうやって自分という意識が離れたような、何故か『恐ろしい感覚』をしばらく続けていると……再び現実的な『恐ろしい痛み』が戻ってくる。
まるで時計を巻き戻すように、忘れたはずの痛みをもう一度味わいながら……元の状態に戻るのだ。
「……やはりな」
ぼんやりと声が聞こえてヤトは目を薄らと開けた。
「じゃ、これで確定だ」
ゆっくりと頭を上げる。靄の掛かった視線の中に、顔の判別がつかない三人が自分を覗き込んでいる。
「……たいしたものだ、意識があるのか?」
「……俺は、」
ヤトは遠退きそうになる意識と戦いながら宣言した。
「絶対お前らをぶっ殺すからな……」
『黙れお前ら、人柱は俺の役目だ!撤退して、ログを残せ!』
※ 必読ではありません 主人公が作中(自分的に)都合よく ※
※ リコレクト解説するので飛ばして先に読み進んでも大丈夫です ※
「お前がやれ」
ギルから命じられて、黒い鎧の青年が驚いて振り返る。
「な、なんで私が」
「ふむ、適任だ。どれくらい上達したのか見せてもらおう」
「ナドゥさん、勘弁してください」
すっかり状況に固まった魔王討伐隊の6人と1匹を見下ろしてナドゥは腕を組んだ。
「前回は酷かったからな……ギルには任せられんよ」
「おう、俺だと無理」
親指を立ててギルが笑う。
「……自慢にならん」
「それくらい俺様強すぎって事じゃね?という訳でアービス、お前がやれ」
「……」
「さっさと済ませろ、奴等が余計な事をしでかす前にな」
視線だけで牽制しているつもりだったナドゥの視界の中で、先頭に立っていた剣士がこっちに駆け出して来る。
「逃げないつもりならそれでいい」
薄く笑って目を細めた。その隣で相手が向かってきたのを知って仕方なく、黒い鎧の青年……アービスは剣を構えて踊場から飛び降りた。
「ヤト!」
アービスの剣と魔王討伐隊の一人である戦士ヤトの剣が切り結ぶ音と、数人が叫んだ声が重なった。
「くそッ」
拳闘士のテリーは悪態を付き、突然突っかかっていったヤトを目で追う。拳を構えた状況で腰を落とし、戦闘準備は整っているのに……前に足が出ない。
テリーは歯を食いしばり、隣で剣を構えた魔法剣士のアベルに尋ねていた。
「あいつらに突っかかっていって勝算、あるか?」
「……無理、」
アベルは震えるように小さく首を振る。
「先を越されました」
ぎょっとしてテリーとアベルが隣に並んだ人物を見上げた。
普段は一向の背後にいて、前線には出ない……魔導師のレッドだ。眼鏡のブリッジを押し上げて顔の表情を隠しながら更に一歩前に出る。
「……彼は、僕らを逃がすつもりのようです」
「んな、そんな事を俺らが……『俺らの中から一人』なんかそんなの、出せるはず無いだろうが!」
何をすればここで生き残れるのか。
分かっている、言葉にしなくてもここにいる誰もが。
「出せない、誰も『選べない』から彼は、自分で一歩前に出たんですよ」
レッドはそう言って更に一歩前に出る。
背後で、有翼族のナッツが顔を顰めて覚悟を決めたように前を向く。マツナギも番えていた弓矢を手放して……曲刀の柄に手を伸ばした。
「嫌よ、本気にしないでよ!」
いくつも開け放たれた窓から差し込む光に、薄暗いエントランスはぼんやりと照らし出されている。
高く吹き抜けの構造の広間に、赤いドラゴンのアインが舞いながら叫んだ。
「人柱なんて冗談なんだから!」
キラキラと剣が光を反射する。
差し込む光に時々晒された剣筋がその都度眩しい光をあちこちに反射し、輝く。
光と闇のコントラストに舞う剣士の戦いは、舞踏の様に幻想的だ。研ぎ澄まされたスタイルから繰り出される一撃は互いの剣に弾かれ、流され、避けられる。
淀みの無い水が流れる様な優雅な戦い。
ギルは目を細めて二人の剣士の戦いを目で堪能する。
「……いい仕上がりだ」
「お前がそう評価するなら……良いのだろうな」
ナドゥは関心が無さそうに返した。
「あっちはどうする、ありゃぁ……全員覚悟を決めた目だぜ」
ちらりと奥で固まっている他の5人を見て、ギルは小さく囁いた。
「……一人、逃がさなければ結果はどうでも良い」
テリーは動かない足を、強靭な精神でようやく一歩前に踏み出させた。
アベルも震える右手を左手で押さえ込む。
特に合わせた訳では無かったが、気がつけば全員同じタイミングで走り出していた。
雄たけびを上げ、覚悟を決めて走り出す。
一歩踏み出せば後は身体がついていく。
思わず恐怖に凍りついた足も、ぎくしゃくとためらいがちに動き出す。
アービスが剣を止めた。
相手が不意と、無防備に剣を降ろしたからだ。
加勢に加わろうとする仲間達に背中を向けたまま……ヤトは左手に忍ばせていた護符を握りつぶして叫んでいた。
「悪ィなぁ!お前らの出番……は、ナシだ……!」
レッドが慌てて立ち止まる、しかし『何』が起こったのか分からなかったテリーとアベルは『それ』に、思いっきりぶつかって行って跳ね返されてしまったのだ。
「な、なんだッ!?」
魔王八逆星も驚いて、踊場から身を乗り出していた。
「何しやがった?」
「……ふむ、」
ナドゥだけは薄く笑ったままだ。
「結界、カのう……我ラを覆っていル様だが」
「あらん、まだ奥の手があったのね、」
「……」
なぜか、魔術師であるインティが不機嫌な顔をしている事に気がついて、仮面の若者が首を傾げる。
「どうかしたのかい?」
「……ナドゥ、これけっこう厄介だけど」
インティの言葉を受けてナドゥは冷静に答える。
「問題無い。破れとか、そんな面倒な事は言わん」
途端にインティは笑って踊り場から身を乗り出した。
「だったらいいんだ、これを破る方がはっきり言って、町一つ蒸発させるより大変そうだったからさッ」
テリーはどん、と見えない境界を叩いた。その次に容赦なく全力でゼロ距離衝撃波を一撃見舞ったが……びくともしない。
「何、しやがったお前……ッ!」
「何って、見えないけど見りゃわかるだろう。……結界魔法」
「お前魔法使えないだろうが!」
「使えないけど維持は可能らしいぜ、ワイズ曰く」
「余計なものを……どうして受け取った!」
珍しく冷静なナッツが怒鳴ったので、ヤトは肩を竦めて苦笑気味にようやく振り返る。
見えない境界の、その向こう側で。
「いや、まさか本当に使う事になるとは思わなかったし……いいじゃん。こうでもしないと『決着』つかないだろ?」
「……だからって、貴方である必要がどこにあるというんです」
低く小さく呟いたレッドの言葉に、ヤトはおどけて答えた。
「誰だろうとお前らは奴らに渡したく無いだろ?」
「当たり前です!」
ばんと、見えない境界に手をついて……恐らく、初めてレッドは怒った顔を露にする。
「相談も無しに貴方はいつもいつも……なぜそうやって先走るんですか!」
「しっかたねぇじゃん、」
ヤトはなおもおどけて、どうにか相手の怒りを静めようとする。笑いを取ろうとする。
むしろ今はそれが、相手の怒りを増長していると分からずに。
「俺ってそういうキャラだし」
「そんな言葉でごまかさないでよ!」
アベルが剣の柄で思いっきり境界を叩きながら言った。
「ダメじゃない……これじゃあたし、あんたの暴走止められないじゃない!無茶しないっでって言ったじゃないの!」
「無茶はして無い、レッド、ナッツ、冷静になれ」
笑いは取れない空気だと……ようやく悟ったヤトは背後で待っていてくれる……魔王八逆星の存在を感じながら言った。
「結局の所俺達が全員無事に『帰る』にはこうするより他ねぇだろ?」
「……しかし!」
「サンプル一人でいいったって、お前それは一人より二人、二人より三人がいいに決まってんだろうが。な?」
「……ヤト……」
実はそのセリフは……元々レッドが言った言葉だった。ヤト本人がその事実を覚えているかどうかは分からないが、昔チャットを交わした時にレッドは、ヤトに対して同じ言い回しをした事がある。
『実は特撮オタク』であるレッドにはちょっと特殊な意味のあるフレーズだった。
おかげで、その事実を思い出した事でレッドは、少しだけ興奮を抑える事が出来る。
「二人以上奴らに確保されてみろ。一匹殺しても大丈夫、まだもう一匹いるって状況になるだろうが。それよりだったら俺一人ここに残った方が問題ない。どうやら『殺せない』みたいだからな」
「お前は……どうしてこういう時だけ頭が回るんだよ!」
「わ、悪かったな、こういう時だけ狡猾で!」
ナッツの叫びにヤトは心外そうに言い返す。
「……ヤト、この結界どれくらい持つんだい?」
静かにマツナギが尋ねた。感情を押し殺した、冷たい声にヤトはまじめな顔で答える。
「俺が死ぬまで死守してやる」
「それはアンタの希望でしょ?」
アベルがヤトを睨む。
「冗談言わないでよ~、そんなの無理よ~」
アインが空中で見えない結界を何度も突付きながら、やや泣きそうな声で喚いた。
「無理かどうかは……やってみないとな」
ヤトはそう言って剣を再び構えて5人と1匹に背を向けた。
「行け!」
「ばーかッ、どこに行けるってんだ!」
もう一度、無駄と分かっていてもテリーは渾身の一撃を結界に叩き込まずにはいられなかった。
「魔王の面ぁ拝んだし、あとは帰ってセーブするだけだ!それで出来んのはもう、お前らだけだぜ!」
「くそッ」
テリーが歯噛みして、それからしばらくして顔を上げる。
「じゃぁ約束しろ、絶対『死ぬな』よ?」
「そうよ、絶対って、絶対無茶しないって今度こそ……今度こそ約束しなさいよ!」
「ごちゃごちゃ煩いよお前ら!黙れ、いいからさっさと帰れ!お前らと俺が選んだ結果だろ?人柱は俺の『役目』だ!お前らの『役目』は?ほら!答えろ!」
「……この事態をセーブして、次に生かす事」
ぽつりと、冷静さを取り戻してナッツが言った。
「行こう」
誰よりも冷静に、結果を受け入れていたマツナギが促した。アベルの手をナッツが引く。動かないから肩を抱くようにして引き剥がす。
「あ、あたしここに残るぅうぅ!」
暴れるアインの尻尾を捕まえたテリーは、首と羽を掴みこみながら険しい顔でうめいた。
「ここまで覚悟決められて受け入れない訳にもいかんだろ、くそ、畜生!」
と、レッドがまだ一人張り付いているのに、テリーは暴れるアインをマツナギに渡してレッドの肩を掴んだ。
「おい、行くぞ!」
「……こんな、こんな終わり方は……」
そう言ってなにやら魔法詠唱を始めたレッドをテリーは無言で『沈めた』
力無く崩れ落ちたレッドを担ぎ上げたテリーに向けて……ヤトが小さく謝った。
「……ゴメンで済むなら警察いらねぇんだよ」
ぼそりと反論したテリーの言い訳が幼稚で、ヤトはようやく顔に笑みを取り戻す。
「……じゃぁな、また後で絶対、生きて会おうぜ」
「ああ。当然だ」
顔を上げた。視線の先に、魔王八逆星。
八星なのに何故か総勢……7名。恐らくこの前南国で、アイジャンが死んだから一人欠員なのだろうとヤトは思っている。
「さて……挨拶は済んだようだが」
「おう。待たせたな、さ。どうする?」
剣を構えてヤトは身構えた。
「……この結界、見事だな」
ナドゥから感情の篭もらない言葉で労われてヤトは口を引きつらせる。
「そりゃどうも、お褒めに預かり光栄ですってか?」
「君が死んだら消えちゃうよね?」
「わッ!」
何時の間にか、すぐ隣にインティがしゃがみこんで、こちらを見上げているのに気がついてヤトは飛び上がった。
「そうでもしないとこの僕でも、この結界破るのは無理」
「へッ、どうする?生きてるサンプル欲しいんだろ?結界破る為に俺を殺すのか?殺さないのか」
「何言ってるんだい、君は『殺されない』事を見越してここに残ったんだろ?」
インティはにっこりと友好的に微笑んだ。
「僕は正直、ここに残ったのがお兄ちゃんで嬉しいよ」
「え?……なんでだよ」
「前から嫌いじゃないんだ、なんだか見ているだけで飽きなさそう。すごい楽しみだな、ね、仲良くしてね?」
「……あのなぁ、俺はお前らを倒す事が目的であって今回こうやって残ったのは別……に……」
声が静かに止まる。
静寂が一瞬場を支配する。
可能性に気がついた事を察して、ナドゥはモノクルのズレを直しながら静かな空間に吐息を吐く。
「とりあえず……君のその心意気に免じて、タトラメルツや君の仲間を攻撃するのは今はやめよう」
ヤトは苦い顔で踊場を見上げた。
「今は、ね」
「だから『これ』を解きたまえ」
「嫌だね。もしかしたらこのままずっと、俺はお前らを閉じ込めておく事も……」
「そりゃ無理だろ、お前こっち側にいるんだし」
ギルがヤトの言葉を遮った。
「殺さない程度に意識飛ばしてやれば、現在進行形で動いてる魔法は解けるぜ。大体お前、これから寝ないで魔法維持するつもりか?」
「……お前らの言葉なんか信用できるか。俺は、可能な限りコイツの維持は……」
「アービス!攻撃を続けろ!」
ヤトの言葉が終わらぬうちにギルの罵倒が響いて、弾かれるように黙って立っていたアービスが跳んだ。再び剣が交わり、鋭い音が響き渡る。
「人の話は最期まで……聞けッ!」
「無駄な事はしない方がいい、今すぐ結界を解くんだ」
初めて、青年がヤトに向かって言葉を発した。大雑把な鉄の仮面の隙間から顔が覗ける、黒髪に青い目、左頬に小さな痣がある。白い肌に黒い痣が幾何学模様を中途半端に描いたような、そんな模様が見て取れた。
「信用できるかよ!」
「信用してくれ、ギルを怒らせるのは得策じゃない、私が……私がナドゥさんの言った事を誓う」
「お前が誓ったってどうしようも……ッ!」
お互い切り結び、弾き飛ばして距離ができる。
「どうしようもねぇよッ!下っ端だろうが!」
「し……確かにギルには遠く及ばないが……とにかく、私は無駄な争いは本来好まないんだ!頼む、剣を引くんだ!」
「アービス!叩きのめせ!」
ギルから怒鳴られて、アービスは負けじと叫び返した。
「必要無いだろ、彼は逃げられないじゃないか!」
「逃げた時お前、責任取んのか?」
「と、取るさ!」
アービスはギルに必死になって訴える。ヤトはアービスの必死の説得に耳を貸さず、中段に構えて突っ込む。アービスはそれを何とか避けて……逃げ回った。
逃げに回った相手を叩き込むのは比較的簡単だ。対等に戦っていただけ、相手が手を緩めた分差ができる。ヤトは攻撃に転じる事が出来なくなったアービスを壁際近くまで追い込んでいく。
「酷いよ、逃げちゃうの?」
耳元で囁かれる様に聞こえた声に、一瞬ヤトの殺気がそちらに向いた。周りが全員敵であると認識しているらしい彼は、容赦なく背後に回りこんできた者に剣を向けた。
「酷いよ、斬っちゃうなんて」
金髪の品の良さそうな少年の肩から腹まで、ざっくり剣が切り裂いているのを時差あって確認したヤトは一瞬、息を止めた。パラパラとビーズの首飾りの紐が切れ、ガラス管が心地よい音を立てて散らばっていく。ごふりと血を吹き出した少年はそれでも優しく笑う。
「大丈夫、一人殺しちゃったら後は二人も三人も同じだよ」
その言葉を聞き、我に返ってヤトは止めていた剣を振りぬいた。少年を真っ二つに引き裂くが……血を噴いて倒れた少年はその途端ぐにゃりと空気に解けて消えた。
インティの人間を装った幻だ。だが、何故か剣にはわざとらしく鮮血の幻がいまだにこびり付いていた。
「止めるんだ……ヤト君」
壁に追い詰められたアービスは剣を下ろし、静かな顔で何度も諭す。
「ぅるせぇッ!」
剣を構える、相手が無防備でも気にしなかった。
彼らは頭上に赤い旗を持ち、これを持つ者はこの世界には存在してはいけない。
させてはいけない。
魔王八逆星、そのレッドフラグの頭目として君臨している7人は、殺して、除去して、排除すべきバグだとヤトははっきりと認識していた。
その相手がどんなに友好的であれ、どんなに平和主義であれ……。手を取り合う事が出来ない存在だと『知って』いる。
突き出した剣は迷い無くアービスの心臓をめがけ繰り出された。それを避けず、受け入れたアービスは……砕け散った剣を踏みしめて一歩前に出る。
「これなら諦めるか?」
あっけなく剣が砕け散った事に呆然とする事も無く、ヤトは使い物にならない剣の柄を捨てて背後に右手を伸ばす。
「あれは、……水龍銀の槍」
ヤトが引き出した獲物の名前を、発作的にナドゥが呟いたのは殆どの者が聞いていなかっただろう。槍を思いっきり引き下げて遠慮なく打ち込もうとする動作に……しかしアービスは動じなかった。剣を容易く砕く、強固な鎧の性能を信じていた訳ではない。
彼は……貫かれてしまったのならそれはそれで仕方が無い事だと思っていた。
「そこまでだ」
だが槍は、結局届かない。
何時の間にやら背後に居たギルから柄をつかまれ、ヤトが完全に一撃を突き入れられなかったからだ。
「ッ!」
槍が水のように溶けて、ギルの手を逃れヤトの手の中で再び形を作る。
ヤトが容赦なくギルに突きかかって行った行動にアービスは、むしろ驚いた。驚きつつも一瞬、その槍がギルに届くのではないかと期待したのは事実だった。だがその展望は幻で……アービスは、ヤトの繰り出した槍がギルの拳の前にあっけなく『折れ』て弾き飛ばされ、ついでに容赦ない蹴りで中腹を蹴飛ばし、彼が石階段の中程まで吹き飛ばされたのを見送っていた。
「ん、まだがんばるのか」
しかし結界がまだ消えてないのを感じてギルは首を回す。
「すげぇな、維持してるだけとはいえ……ここまで戦闘に集中していて結界張るんだ。相当なタマだぜ?」
「待て、……後は私がやる」
ゆっくりヤトに向かって歩き出そうとしたギルに、アービスは慌てて前に立ち塞がった。
「何だよ、お前がやらんから俺がやってんだぜ?」
「これ以上甚振るな」
「それもお前のせい」
「……分かった。私が悪かった」
張り合いが無いというようにギルは肩を竦めた。そしてくるりと振り返って踊り場を見上げる。
「ナドゥ、どうする?腕とかイっちゃった方がいいか?」
「余計な手間を掛けさせるな」
つまり余計な『傷』をつけるなという意味と受け取ってギルは苦い顔をした。手加減など出来るはずも無く、思いっきり蹴り上げてしまったのを非難されている。
「いいよアービス、僕がちゃんと怪我治すから。お兄ちゃんの事さっさと『確保』しちゃいなよ」
珍しく行動的なインティが、当然無傷でアービスの隣で笑っていた。
「だとよ、……さっさと済ませな」
アービスは無言で、階段に叩きつけられたヤトが立ち上がろうともがいているのに近づいていく。近づきながら……一旦収めた剣を抜いた。
「……すまない」
上半身を起こしたヤトは、口から血を吐き出しながら物凄い形相でアービスを睨みつけている。
「お前、バカだな」
血を吐きながらはっきりと言った、ヤトの言葉が意味する事を上手く理解できないまま、アービスは剣を構える。怒った訳ではない、むしろ意味を理解できずにただ混乱していただけだ。
鈍い音がして、剣の峰でヤトの顎を跳ね上げる。首に走る神経を揺らす一撃に、あっけなく周りを取り囲む結界が解けていった。
「で、どうすんだ」
ギルが意味ありげにナドゥを窺った。
「いや、追わなくていい」
「いいのか?」
「待て、約束を反故するつもりか……ッ?」
驚いて振り返ったアービスに、ギルはめんどくさそうに耳をほじった。
「アホか、俺はともかく奴がまともな約束した事あったかよ」
「そんな、」
「確かに約束などした覚えはないが」
何も感情を示さない冷たい声でナドゥは前置いてから、少しだけ笑う。
「無駄な事はしなくても、連中ならすぐまたここに来る」
「ああ、なる程ね~」
インティが納得したように頷いた。
「全く、バカはどっちだよ」
ギルが呆れた口調で階段の上に伸びているヤトを担ぎ上げた。
「運んどくぜ、」
「ああ、頼む」
低い耳鳴りを聞いて、ヤトは目を覚ました。突然意識が跳んだ所為か、一瞬状況を把握できずに混乱した脳を……置かれた状況と対比して整理していく。
視線だけを動かした。ぼんやりとした視界の中に、見知っている者の後ろ姿を見つける。
しかし頭の中は冴えていた。現実を素直に見据えていて何も、何にも驚かない。
白衣の男の横顔を見ている。
何を真剣に見ているのだろうと、少しだけ視線を動かすと……むき出しの岩に掘られた棚らしい所に青白い光を反射する鎧が収まっていた。それが、自分が着ていたはずの鎧と篭手だと知って……なぜそれをそんな真剣な目で見ているのか、ようやくヤトの冷たく沈み込んでいた精神が高揚を帯びる。
そしてその脳波の動きを読んだようにナドゥがこちらを振り返った。
「……気分はどうだね」
小さくヤトは笑った。完全に固定されている体を揺すって見るでもなく答える。
「……当然な事を聞くな……最悪、だ」
自分が今どういう状況に置かれているのか、ヤトは自分が取っている体勢で大凡の予測をつける事が出来た。鎧はあの通り、脱がされて没収されている。武器は……壊れた。折れて弾けとんだ槍は元の篭手に戻ってやはり没収されている。鎧の下に着込んでいたなめし皮のスーツも恐らく脱がされている。上半身は薄着になっている、恐らく地下であろうこの空気の中肌寒いくらいだ。
足には束縛感と重量感が残っているからブーツや具足などはそのままらしい。
ヤトは僅かに動く顔を上に向けた。両腕が後ろに回される形で、巨大な柱に縛り付けられている自分を確認した。想像していた通りの境遇に思わず苦笑が漏れる。頭の冷静な部分で……どちらかの腕を引きちぎれば逃げられる……などと考えている一方、魔王八逆星の巣の中にあってどうやって逃げきれるんだとも考えた。
そんな考えをまるで読む様にナドゥは苦笑する。
「気丈だな、まだ諦めていないと見える」
「諦める?何をだ」
しかしナドゥは答えずに再び背を向けた。
「本当はじっくり調整したいのだがな、余り時間も無いようだから……君にはちょっと痛い思いをさせるかもしれん。こればっかりは私にもどうにも出来ない事でな」
そういい残して奥の暗闇の中へ消えていく。白い白衣の影を無言で見送っていた。
何も言い返せなかった。囚われていて、自分が今何も選択できない状況であるのは十二分にも分かっている。自分がこれからどうなるのか……恐ろしい想像をしようとして無意識に止める。別の事を考えなければいけないと思って揚げ足を取っていく。
なぜ時間が無い?
何となくその理由については想像がつく。そして、暗い気持ちになる。
この状況を選んだ以上、次の展開が『そう』なる事は王道だ。うんざりする、だから王道は嫌いなんだとヤトは誰もいない所で舌を鳴らした。
「怒ってる?」
誰もいないと思っていたのに、何時の間にかそれは傍にいた。
「……当たり前だろ」
そろそろそんな状況に慣れてきて、ヤトは驚かずにインティに答える。
「……ご飯持ってきたんだ、」
「……」
「大丈夫だよ、僕が外から持ってきたのだから安全だよ。ナドゥが出した奴は僕が捨てておいた、あいつのご飯は何混じってるか分かったもんじゃないからね、差し出されても水であっても飲んじゃダメだよ?」
「……お前、なんなんだ」
ヤトは俯いて、インティを見ずに小さくうめいた。
「僕がさ、食べさせてあげるよ」
「誰のメシであろうとんなもん食えるかッ!」
蹴り上げた足が、空振りするとの予想に反してインティが持っていたお盆に当たって弾き飛ばす。
「俺は、いくらなんでもそこまで神経ズ太くねぇんだよッ!失せろ、来るな、近づくなッ!」
無邪気に食事を喜んでくれると信じていたのか、インティは蒼白な顔で……憎しみを込めた顔で睨みつけてくるヤトを凝視していた。
「俺はお前らをぶっ殺す為に『ここ』に居るんだッ!」
「でも、でもさ……君は……」
「お前らは敵だ!それ以外の何でもない!」
インティが言葉に逆上して雷を振るうなら、それこそ願ったり叶ったりだとヤトは思った。次に来るであろう展開を避けるにはもはや、それしかない。全てを投げ出す事になるけれど……残されている道はもうそれしかないのだ。
仲間が助けに来る前に死ぬしかない。足手まといになる前に、彼らの弱点になってしまう前に。
だが……自分が死んだという事実をどうやって、仲間達に伝えればいいのだろう?
結局今ここで死んでも、死ななくても、自分が囚われているという情報は魔王に良いように使われるのだろうなと思うと……余計に腹が立って来る。
「僕は……仲良くしたいだけなのに……」
「なら腕を解けよ」
「……それはできないけど」
「だったら仲良くなんかできねぇよ!」
「……僕が、君を『仲間』にできればよかったのに」
インティは少し暗い顔で小さく呟いた。
「……よりにもよって……」
「……?」
「私が用意した食事、捨てたのはお前か」
インティが驚いて顔を上げ、すっと姿が掻き消えた。銀色の盆を持ったナドゥが姿を現し、散らばった食べ物を見回しながら逃げたな、と小さく呟いた。
「……あんた、食事に何混ぜ込んでるんだよ」
「調整剤だ、言っておくがこれは君の為を思ってだぞ?それなのに……まぁ……食事なんか用意したって素直に食べるはずないとは思ったが。手は使えないしな……強引にでも食わせろって言ったはずなのにエルの奴、インティに買収されて世話を放棄したな……全く使えない連中だ」
そうぶつくさ言いながら……銀の盆を壁に掘られた棚に置いて準備を始める。横から見ていて何をしようとししているのか、ヤトはそれが怖いと認識した事は無かったが今は、間違いなく怖いと感じて背筋に冷たいものが走るのを抑えられない。
注射針が光る。
「急いで結果を出すのは好きではないのだが……」
針からどす黒い液体をこぼし、空気を抜く。
「な……、何だ……それは」
まともに答えは得られないだろうと思いながらも、聞かずには居られない。
「説明はする……こういう物質だ」
そう言ってナドゥは何かのスイッチを押し込んだ。すると縛り付けられている柱の奥に隠し通路が開く。
「こんなんでいいかな?」
「……さっさと選べ、時間が無い」
「ナドゥちゃん、ちゃんとその分補充してくれないとやーよ?」
「一人くらいいいだろうが、ケチケチするな」
ヤトが縛り付けられている柱の背後から、がちがちに震えている少年を引っ張ってくるギルとストアが現れた。少年は一人で歩けない状況で……ギルから投げ出されて、床にへたり込んでしまう。……恐怖に引きつった目を見開いて虚空を見ていた。
金髪に癖っ毛は産毛のようにまだ柔らかく、発達していない顔立ちは丸い。十歳になるかならないか、それくらいの幼い子供だ。
「……おい、」
足を踏ん張り、身体を引っ張っても……腕はがっちりと拘束されたままだ。ヤトは怒りと、困惑と、それにどこか苦笑を混ぜた顔を引きつらせる。
「ちょっと、待て……、おい、待て……ッ!」
全く躊躇もタメも無く、ナドゥは素早く少年の首を掴み押し上げる。手馴れた様子で針を差し込んで少年の静脈に一気に液体を注ぎ込んだ。
瞬間に変化が現れた。
虚空を見ていた目が引っくり返って白目をむき、口から膨らんだ舌を突き出して……見る間に頭の血管が膨れ上がってピクピクと痙攣しだす。少年に謎の液体……を注ぎ終わったナドゥは距離を取り、静かに様子を見守っている。
ストアが薄笑いを浮かべ、ギルが喉を鳴らすように笑いを抑えていた。
見ていられなくなってヤトは目を閉じた。
もう一度『これ』を見せられる事になるとは……少しも想像しなかったわけでは無い。二度目だ、初めて見せ付けられた時二度と見たくないと正直に思った。二度目だからと言って見慣れて平気な事では無い。
それはあまりにもおぞまし光景で、びちびちと肉が弾ける音が閉じられた空気を震わせている。
抵抗しようにもその音を聞くのだけは抗えない。胃液が逆流するような嫌悪感に、ヤトは自身の動悸が激しくなるのを耳の奥で聞いていた。
少年が少年とは思えない低い声で絶叫を上げ、ヤトは弾かれたように目を開ける。
目の前に居るのはすでに少年ではなかった。真っ黒く変色した肉の塊だ。
それがドロドロと内側から溶けていく、香ばしい……と形容してはならないはずの匂いが立ち込めて、それがどんどん焦げ臭くなり、しまいに少年は、溶けて黒い染みになってしまった。
自然と動悸が早まる。全力疾走した後の様に、何もしていないのに息を吸う速度が速まって、口を開けてあえいでいた。ヤトは静かに隣に立ったナドゥを振り返る事が出来ず、ただ息をする。
「思い出したかね?」
「……ッ?」
「君が意識を失っている間、すでに何度か試したじゃないか」
「……俺に……?」
「困った事に……君にはこれの効きが良くない様だ。他の誰一人受け入れられない力だというのに」
わざとらしくナドゥは、赤い血の入った注射器をヤトの視界の中に持っていく。
「あまりに効き目が強すぎて……さっきので濃度は十分の一なんだがね。色々調べさせてもらったが……理論上君は原液でもこれに耐えるだろう」
いっそうギルが笑いを抑えているので、ヤトは横目でギルを牽制するように睨む。
「ソレにも耐えちまったら困るんじゃねぇの?」
ギルが笑いを堪えた様に言った言葉に、ナドゥは冷静に言った。
「耐えたなら資格在りという事だ」
「……クッ……クク、お前、本当にやっちまうんだな」
「えー、ナドゥちゃん……まさかアレをやっちゃうつもり?」
ストアが驚きと……若干の恐れに笑顔を引きつらせて一歩後ろに下がる。
「手伝ってくれるんだろう……ギル」
「当たり前だろ、俺はその為に八逆星やってんだからな」
抵抗しても無駄と頭で分かっているのに肉体で拒絶してしまう。そんな事をするつもりは無いのに気がつくと抵抗し、暴れていた。身を捻り、逃れようが無いのに拒絶する。
「往生際の悪い、観念しろ」
ギルから乱暴に頭を抑えられ、それに気をとられているうちにナドゥがヤトの右腕を押さえた。元々柱に括り付けられているので捕まえるのは簡単だ。だが薬品は、静脈注入するように調整されている為にあまり暴れられると手元が狂う可能性がある。注入失敗などしているヒマが無いのでナドゥは慎重に針を刺し、一気に薬液を流し込む。
「だーから口内摂取型にすりゃいいだろって、」
「効率が悪い、口内摂取など当たり外れの激しい方法ではサンプルがいくつあっても足りんよ」
「それにストアは慢性貧血になっちゃうわ~」
「かといってお前のはこの通り、使い物にならない訳だし」
「……悪かったな、くそ」
ギルは腕を組み、ゆっくりと体を小刻みに震い始めた『サンプル』を見やる。
全ての血が逆流するような、おぞましい感覚が駆け抜ける。ヤトは歯を食いしばり、赤い、血と血の戦いに身を縮めた。
「しかし、何で他の連中のはシャットアウトで、俺のだけ受け付けるんだ?」
「しかも結局効かないしねー不ッ思議ィ~」
ヤトには、それらの声が遠くに聞こえる。消えようとする意識が、身体の奥から沸き起こる暴力的な痛みによって『眠る』事を拒むように突き上げてくる。
「大体、お前甚振る趣味無いんだろ?これって無駄に終わるんじゃねぇのか?その……理論上って奴だと」
「……実証しなければ確証にはならん」
「あ、そ。……ま、俺は甚振るの好きだから別にいいけど」
談笑、嘲笑、卑猥な言葉も含めて散々な言葉の羅列がヤトを切り刻む。言葉としての意味をなさず、物理的な刃となって切り刻むように渦を巻き、ぐりぐりと身体に沈み込んでくる。
体中に亀裂が入り、ぱっくりと傷口を開ける様に……黒い縞模様が浮かび上がっては消え、蠕動運動の様にうねりながら再び浮き上がる。その度に肉が抉れ、骨が削れ、血が絞り出されて行く感覚に脳がしびれていった。
痛みを許容出来なくなった神経が、賢明に拒絶するシグナルに相殺されて……ついには何も感じなくなってしまう。一瞬それに安堵するが途端に自分の『意識』が遠く離れていく感覚に恐怖を感じる。そうやって自分という意識が離れたような、何故か『恐ろしい感覚』をしばらく続けていると……再び現実的な『恐ろしい痛み』が戻ってくる。
まるで時計を巻き戻すように、忘れたはずの痛みをもう一度味わいながら……元の状態に戻るのだ。
「……やはりな」
ぼんやりと声が聞こえてヤトは目を薄らと開けた。
「じゃ、これで確定だ」
ゆっくりと頭を上げる。靄の掛かった視線の中に、顔の判別がつかない三人が自分を覗き込んでいる。
「……たいしたものだ、意識があるのか?」
「……俺は、」
ヤトは遠退きそうになる意識と戦いながら宣言した。
「絶対お前らをぶっ殺すからな……」
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