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第19章
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この日、俺はリィンに連れられて、王都でも指折りの高級レストランに来ていた。
きらびやかなシャンデリア、白いテーブルクロス、銀食器の立てる上品な音。
俺みたいな貧乏人には、あまりにも場違いな空間だ。
「その……悪わね、無理に付き合わせてしまって」
「い、いえ! 俺の方こそ、すみません、こんな場所に……」
「いいのよ。あなたには世話になってるから。たまには、私がお礼をしないと、格好がつかないでしょ」
そう言って、リィンは少し照れくさそうに微笑んだ。
今日の彼女は、いつもの鎧姿ではなく、肩のラインが綺麗に見える、深い青色のドレスを身にまとっている。
結い上げた金色の髪が、彼女の白い首筋を際立たせていた。
その姿は、凛々しい女騎士ではなく、気品あふれる貴族の令嬢そのもので、俺は心臓がうるさいのを必死に隠していた。
料理が運ばれ、俺たちがぎこちない会話を交わしていた、その時だった。
リィンが、ふと、真剣な表情で口を開いた。
「……あなたに、話しておきたいことがあるの」
「え?」
「私が……騎士団を辞めた、本当の理由よ」
その声は、重く、沈んでいた。俺は、黙って彼女の次の言葉を待つ。
「私ね、上官に……その、不適切な関係を、迫られたの」
「……!」
「もちろん、拒否したわ。騎士の誇りにかけてね。でも、その結果、私は実力とは無関係な理由で、閑職に追いやられた。どれだけ剣の腕を磨いても、どれだけ国のために尽くしても、結局、女騎士なんて、権力者の男たちにとっては、ただの慰み物なのよ」
彼女は、自嘲するように、ふっと笑った。
その笑顔は、あまりにも痛々しくて、俺は胸が締め付けられるようだった。
彼女が背負ってきた誇りと、その裏にある深い絶望。俺には、かけるべき言葉が見つからなかった。
「リィンじゃないか。久しぶりだな」
その時、俺たちのテーブルに、嫌味ったらしい声が割り込んできた。
見ると、金髪をオールバックにした、いかにも傲慢そうな貴族の男が、俺たちを見下ろすように立っていた。
「クライド……様」
リィンの顔から、さっと血の気が引く。
「なんだ、その貧相な男は。新しい恋人か? 騎士団を追い出された君には、お似合いの相手かもしれないな」
「……失礼します」
リィンが立ち上がろうとすると、クライドと呼ばれた男は、彼女の肩を馴れ馴れしく掴んだ。
「まあ、待て。君も苦労しているんだろう? 私のところに来い、リィン。君ほどの美しい女だ、私のものになれば、過去の屈辱など、すぐに忘れさせてやろう」
その目は、リィンを人格のある人間としてではなく、ただの「美しいモノ」としてしか見ていない。
リィンの身体が、屈辱にわなわなと震えている。
「お断りします! 私には、私の意志があります!」
「意志、だと? 笑わせるな」
クライドは、下卑た笑みを浮かべた。
「君のような落ちぶれた女騎士に、選択肢などないのだよ。さあ、来るんだ。君のその『意志』とやらで、私にひざまずき、従うのだ」
男が、リィンにその汚い手を伸ばし、無理やり引き寄せようとした、その瞬間。
俺の中で、何かが、ぷつりと切れた。
こいつは、ダメだ。こいつだけは、絶対に、許せない。
エリシアやセシリアが、自分の意思で俺に身を委ねようとしたのとは、訳が違う。
こいつは、リィンの誇りを、心を、完全に踏みにじろうとしている。
「――その手を、離せ」
俺の口から、自分でも驚くほど、冷たく、低い声が出た。
俺の、燃えるような怒り。それが、引き金になった。
――ズキンッ!
脳を灼く衝撃は、これまでで最も強く、鋭い。
クライドに掴まれていたリィンの身体が、ぴくりと硬直した。
彼女の瞳から、屈辱と怒りの色が消え、代わりに、絶対の忠誠を誓う、鋼のような光が宿る。
彼女は、クライドの手を、虫けらを払うかのように、冷たく振り払った。
「なっ……!?」
驚くクライドには目もくれず、リィンは俺の隣にすっと立つ。
その姿は、跪く従者ではなく、王を守る、孤高の騎士そのものだった。
「私の意志は、ただお一人の方にのみ捧げられるもの」
彼女は、クライドを絶対零度の瞳で見据え、はっきりと告げた。
「蒼真様の意志こそが、私の意志です」
「な、何を言って……」
「そして、あなたのような方が、この方に気安く触れること、言葉を交わすことすら、私が許しません。……失せなさい。二度と、私たちの前にその汚らわしい姿を現さないで」
その気迫は、凄まじかった。
ただの平民である俺と、絶対の忠誠を誓う美しき騎士。
その異常な光景に、クライドは完全に気圧され、顔を屈辱に歪めながら、逃げるようにその場を去っていった。
レストランに静寂が戻る。俺は、はっとして、慌てて能力を解除した。
「リィン、大丈夫か!?」
俺が声をかけると、彼女はゆっくりとこちらを振り返った。
その表情に、操られていた時の虚ろさはない。
それどころか、どこか憑き物が落ちたように、晴れやかな、穏やかな笑みを浮かべていた。
「……ありがとう、蒼真」
その声は、震えていなかった。
「なぜかしら。あなたに操られていたはずなのに……不思議と、すごく勇気が出たわ。自分の言葉で、自分の意志で、あの男を追い払うことができた。そんな気がするの」
彼女は、少しだけ頬を染めて、はにかむように言った。
「あなたに従うことで、私……初めて、自由になれた気がした」
その言葉が、何を意味するのか。
俺にはまだ、分からなかった。
だが、俺と彼女の間に、これまでとはまったく違う、もっと深くて、もっと複雑で、そして少しだけ危険な絆が生まれたことだけは、確かだった。
きらびやかなシャンデリア、白いテーブルクロス、銀食器の立てる上品な音。
俺みたいな貧乏人には、あまりにも場違いな空間だ。
「その……悪わね、無理に付き合わせてしまって」
「い、いえ! 俺の方こそ、すみません、こんな場所に……」
「いいのよ。あなたには世話になってるから。たまには、私がお礼をしないと、格好がつかないでしょ」
そう言って、リィンは少し照れくさそうに微笑んだ。
今日の彼女は、いつもの鎧姿ではなく、肩のラインが綺麗に見える、深い青色のドレスを身にまとっている。
結い上げた金色の髪が、彼女の白い首筋を際立たせていた。
その姿は、凛々しい女騎士ではなく、気品あふれる貴族の令嬢そのもので、俺は心臓がうるさいのを必死に隠していた。
料理が運ばれ、俺たちがぎこちない会話を交わしていた、その時だった。
リィンが、ふと、真剣な表情で口を開いた。
「……あなたに、話しておきたいことがあるの」
「え?」
「私が……騎士団を辞めた、本当の理由よ」
その声は、重く、沈んでいた。俺は、黙って彼女の次の言葉を待つ。
「私ね、上官に……その、不適切な関係を、迫られたの」
「……!」
「もちろん、拒否したわ。騎士の誇りにかけてね。でも、その結果、私は実力とは無関係な理由で、閑職に追いやられた。どれだけ剣の腕を磨いても、どれだけ国のために尽くしても、結局、女騎士なんて、権力者の男たちにとっては、ただの慰み物なのよ」
彼女は、自嘲するように、ふっと笑った。
その笑顔は、あまりにも痛々しくて、俺は胸が締め付けられるようだった。
彼女が背負ってきた誇りと、その裏にある深い絶望。俺には、かけるべき言葉が見つからなかった。
「リィンじゃないか。久しぶりだな」
その時、俺たちのテーブルに、嫌味ったらしい声が割り込んできた。
見ると、金髪をオールバックにした、いかにも傲慢そうな貴族の男が、俺たちを見下ろすように立っていた。
「クライド……様」
リィンの顔から、さっと血の気が引く。
「なんだ、その貧相な男は。新しい恋人か? 騎士団を追い出された君には、お似合いの相手かもしれないな」
「……失礼します」
リィンが立ち上がろうとすると、クライドと呼ばれた男は、彼女の肩を馴れ馴れしく掴んだ。
「まあ、待て。君も苦労しているんだろう? 私のところに来い、リィン。君ほどの美しい女だ、私のものになれば、過去の屈辱など、すぐに忘れさせてやろう」
その目は、リィンを人格のある人間としてではなく、ただの「美しいモノ」としてしか見ていない。
リィンの身体が、屈辱にわなわなと震えている。
「お断りします! 私には、私の意志があります!」
「意志、だと? 笑わせるな」
クライドは、下卑た笑みを浮かべた。
「君のような落ちぶれた女騎士に、選択肢などないのだよ。さあ、来るんだ。君のその『意志』とやらで、私にひざまずき、従うのだ」
男が、リィンにその汚い手を伸ばし、無理やり引き寄せようとした、その瞬間。
俺の中で、何かが、ぷつりと切れた。
こいつは、ダメだ。こいつだけは、絶対に、許せない。
エリシアやセシリアが、自分の意思で俺に身を委ねようとしたのとは、訳が違う。
こいつは、リィンの誇りを、心を、完全に踏みにじろうとしている。
「――その手を、離せ」
俺の口から、自分でも驚くほど、冷たく、低い声が出た。
俺の、燃えるような怒り。それが、引き金になった。
――ズキンッ!
脳を灼く衝撃は、これまでで最も強く、鋭い。
クライドに掴まれていたリィンの身体が、ぴくりと硬直した。
彼女の瞳から、屈辱と怒りの色が消え、代わりに、絶対の忠誠を誓う、鋼のような光が宿る。
彼女は、クライドの手を、虫けらを払うかのように、冷たく振り払った。
「なっ……!?」
驚くクライドには目もくれず、リィンは俺の隣にすっと立つ。
その姿は、跪く従者ではなく、王を守る、孤高の騎士そのものだった。
「私の意志は、ただお一人の方にのみ捧げられるもの」
彼女は、クライドを絶対零度の瞳で見据え、はっきりと告げた。
「蒼真様の意志こそが、私の意志です」
「な、何を言って……」
「そして、あなたのような方が、この方に気安く触れること、言葉を交わすことすら、私が許しません。……失せなさい。二度と、私たちの前にその汚らわしい姿を現さないで」
その気迫は、凄まじかった。
ただの平民である俺と、絶対の忠誠を誓う美しき騎士。
その異常な光景に、クライドは完全に気圧され、顔を屈辱に歪めながら、逃げるようにその場を去っていった。
レストランに静寂が戻る。俺は、はっとして、慌てて能力を解除した。
「リィン、大丈夫か!?」
俺が声をかけると、彼女はゆっくりとこちらを振り返った。
その表情に、操られていた時の虚ろさはない。
それどころか、どこか憑き物が落ちたように、晴れやかな、穏やかな笑みを浮かべていた。
「……ありがとう、蒼真」
その声は、震えていなかった。
「なぜかしら。あなたに操られていたはずなのに……不思議と、すごく勇気が出たわ。自分の言葉で、自分の意志で、あの男を追い払うことができた。そんな気がするの」
彼女は、少しだけ頬を染めて、はにかむように言った。
「あなたに従うことで、私……初めて、自由になれた気がした」
その言葉が、何を意味するのか。
俺にはまだ、分からなかった。
だが、俺と彼女の間に、これまでとはまったく違う、もっと深くて、もっと複雑で、そして少しだけ危険な絆が生まれたことだけは、確かだった。
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