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紅炎
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(桜公議)
法暦1286年2月、中邦の大侯、尚正貞高が世を去った。
この頃大島は、北の北邦、南の南邦、そして、中央部の中邦の三大勢力が並び立ち、天下の覇権を争っていた。
大侯の死は、中邦の不安定要素となった。大侯の死に乗じて、北や南が迫って来るであろう事は、容易に想像がつく。
亡き大侯の御台所は、重臣らと謀り、大侯の死を隠蔽することにした。大侯の葬儀が後の世に執り行われた裏には、そういった経緯がある。
御台所は、重臣を集め、公議を開いた。
「さて、如何したものか。我が子、貞良は、まだ歳は十じゃ。」
御台所は重臣らに尋ねた。
この御台所は、元は、侯家に仕える貴族の娘で、大変な美女として天下に名の知れた女将であった。
御台所は、重臣に尋ねると、徐ろに扇を開き、口元を隠した。
すると、重臣の一人で、管令職であった、原山和盛が進言した。
「恐れながら申し上げます。国家は代々、尚正家の嫡流にて治められて参りました。然るに、嫡子たる若君(貞良)が家督を継ぐは、世の習わしかと存じ上げ候。」
原山は代々、侯家の管令職を輩出する名門一族の出身であった。つまりは、血統を重視せよ、という訳である。
御台所は、成る程とばかりに扇を口元から払い、すっと向きを変えると、他の重臣の意見を求めた。
「泰親は如何思うか?」
桐川泰親は、すっと、御台所の方へと向きを変え、姿勢を正すと、こう答えた。美しい庭園から、春の風が、そっと書院に流れ込む。
「恐れながら、若君は御年十歳。仮に政を執るにせよ、年長の者の後見が必要となりましょう。しかしながら、我が邦は、北と南に挟まれ、それらが何時攻め入って来るか分かりませぬ。」
泰親はその太い声で答えた。南北が中邦に侵攻した場合、いくら後見があっても、君主が政治経験の無い子供では、対処出来ないという訳だ。
「なれば、いったいどの御人を主にせよと申すか?」
原山が桐川に問いただした。
「亡き主君の御弟君、西慶僧寛(貞康)は、御年二十五歳にて、学問、特に法律学の才あり。」
桐川泰親は、一兵卒から重臣の地位に登り詰めた実力者であり、彼は、血統ではなく実務を優先すべきという立場であった。
「あの御方は仏門に入られた御方ぞ。還俗せよと申すか?」
原山は強い口調で桐山に迫った。無理もない。彼は、名門出身の自分が、兵卒上がりの者と同列にあるのが我慢ならなかったのだ。
結局、この日の広議は、決着が付かなかった。
公議が終ると、御台所は原山を密かに自分の側近くに呼び寄せた。
「管令よ、妾は、我が子貞良を主に据えたい。」
御台所はそう言うと、静かに茶を飲んだ。
「ならは、何故にあの様な公議を開かれましたか?」
原田は眉をひそめた。御台所は茶碗を静かにそっと置くと、原田に答えた。
「あれなる公議は目眩ましじゃ。ああでもしなければ、実務派の者共が騒ぐでのぉ。」
御台所も原田らと同様に血統派であった。無理もない。血を分けた我が子を君主にしたいのは、当然といえば、当然である。
桜の花弁が春の風に乗って、そっと寝所の床に舞い降りた。
桐山は公議の帰り、自らの邸宅に戻る途中で、大定寺に立ち寄った。この寺は、亡き侯の弟である、西慶僧寛の寺であった。
「たかだか十の童に政など。無謀にござる。」
桐山は不機嫌に僧寛に申し出た。寺の庭園の池に花弁がすっと落ちる。
「身に如何がせよと?」
僧寛はにこやかに答えた。
「御前もお人が悪い。本音を申されよ。侯の座が欲しいと。」
桐山は、その太い声で僧寛を唆した。
「我が邦には、実務派が各地におりまする。御前を奉じて挙兵すれば、政の実権は、たちどころに我が方に転がり込みまする。」
桐山はそう言うと、寺の庭園に目をやった。すると、僧寛は静かに立ち上がり、庭園の松の木を眺めながら答えた。
「挙兵とは物騒な。滅多な事を申されるな。」
僧寛の本音は決まっていた。侯の座が欲しい。権力は人を動かす。欲と煩悩を断たねばならない仏門に帰依する者を、権力は容赦なく飲み込んでいく。
「書状をしたためましょうぞ。」
僧寛が言うと、桐山は、してやったりと言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。庭園の池の水面が春の風にざわめいた。
かくして、中邦各地の実務派方の諸大名や武将らに、教宣(高僧の命令文書)が発せられた。
挙兵して、血統派を討てと。
法暦1286年4月のことであった。
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(蝉注進)
法暦1286年の5月から7月にかけて、各地から、名のある大名や武将が都に入った。
奇妙だったのは、通常、都へ上洛する際は、僅かな供回りだけなのだが、此度の上洛は、騎馬武者、侍衆、大勢の足軽雑兵など、何とも物々しい雰囲気だった。
やがて木に止まる蝉が、喧しく鳴き始める時期には、大名行列は止まり、馬の嘶きや兵の足音も静まり、ただただ蝉の鳴き声だけが響いていた。
大名や武将らは、各々の都にある邸宅に滞在した。
法暦1286年7月25日、彼らは都の南端にある大定寺へと参内した。
「暑いのぉ。」
馬に跨り、都路をゆっくりと歩む一人の武者がいた。佐田影義であった。影義は、御側衆(大侯直属の侍)の一人で、官位は少五位下右門警備中尉。亡き大侯の書記官を務めていた人物である。
影義が大定寺の門前を通ろうとした時、彼の目に異様な光景が入ってきた。寺の門前に大勢の兵が控えていたのだ。
「そは何事か?」
影義は不思議そうに、それを見つめながら、馬を進めていると、その兵達の中に見覚えのある顔が何人か確認できた。
「あの御人は、菊間内海守様の家臣。こちらの御人は、加東山中守様の家臣。何ぞおうたのか?」
すると、寺の門の脇にある木戸が開き、中から一人の人物が出てきた。隆真田大記であった。
隆真田大記は桐川泰親の家臣で家老を務める人物であり、また、軍師でもあった。非常に怜悧な人物であり、また、大変に冷徹な人物でもある。
影義は肝を冷やした。
「大記殿がおられるとは、もしや、桐山左京太親様も、寺におられるというのか?!」
影義は自らの頭の中の点を速やかに繋げ、線にした。つまり、寺に参内しているのは、実務派の面々。そもそも大定寺は西慶僧寛の寺である。
影義は急ぎ馬を走らせると、そのまま原山中殿頭和盛の邸宅を尋ねた。
「申し上げます。佐田中尉様、お目通り願っております。」
近習の侍が和盛に伝えると、和盛は通す様に命じた。
「佐田殿、お珍しい。何ぞ面白きことでも、お有りか?」
和盛がにこやかに口を開いた。しかし、佐田の表情は曇っていた。佐田は、和盛に人払いを申し出たので、和盛は手で合図して、近習らを下がらせた。
「恐れながら中殿頭様、大定寺にて…。」
佐田は自らが目にした光景の全てを和盛に注進した。和盛の顔が、見る見る曇った。
「あい分かった。佐田殿、この件、他言無用。」
和盛は臣下に命じて、仕度をすると、急ぎ登城した。
城の広間に着くと和盛は御台所が現れるのを待った。暫くすると、色鮮やかな打ち掛けに身を包んだ御台所が、広間へとやってきた。
「中殿頭、如何したのじゃ。」
御台所は静かに話した。和盛は事の次第を全て御台所に注進した。
「おのれ実務派どもめが。兵を起こし、我らを討つつもりか?!」
御台所は語気を強めると扇を力いっぱい開いた。城の庭園の松の木に止まる蝉が喧しく鳴いている。
「恐れながら御台様、我らも急ぎ評定を。」
かくして、血統派の有力者達が招集された。
大定寺では桐川泰親が、集まった実務派諸氏を前にして、意見を述べた。
「各々方、此度は参内下さり、先ずは御礼申し上げる。我らは、知恵と力によりて、国家を正しき方へと誘わねばならぬ。十の童を君主に据えるは、これ正に天魔の所為なり。」
すると、菊間内海守が声を荒げて申した。
「天魔は早急に討ち取るべし!」
すると、書院の上座に座る西慶僧寛が、ゆっくりと口を開いた。
「天魔を討つは御仏の教えに適うものなり。敵の首を討ち取る者には、極楽浄土が約束させるであろう。」
実務派達は結束を固めた。
城には都に滞在している血統派の諸氏が上がり、御台所と和盛を前にして評定を開いた。
「逆賊たる実務派を根絶やしにすべし!」
血統派の過激派である松波日弥守が声を張り上げ、そう言うと、その向えに座した安里邑麻田守が静かに口を開いた。
「日弥守殿、そう焦られるな。急いては事を仕損じるぞや。」
と。庭で蝉が喧しく鳴く。
すると、御台所の側近くに座していた和盛が、徐ろに立ち上がると、手にしていた紙を広げ、腰から扇を抜くと、ゆっくりと紙を扇で指した。
それは大定寺の絵図であった。
「夜襲を掛ける。敵が怯んだ隙を突いて西慶僧寛を奪う。」
評定の場が静まり返る。蝉の声だけが、場を支配していた。
「各々方、御返答は如何に?」
評定に参加した大名、武将らは、満場一致で、この計略に賛同した。
「皆の衆、此度はよう来てくれた。礼を申す。ゆるりとなされよ。」
御台所がそう言うと、侍女や女官らが、酒と料理を膳に載せて運んできた。
城の庭園の松の木に止まった蝉が、いつまでも喧しく声を上げていた。
乱が起こる三日前のことであった。
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(紅葉鳴)
激しい馬の蹄の音と兵達の走る足音が、夜の闇を切り裂いた。
松波日弥守と安里邑麻田守の軍勢は大定寺を取り囲むと、表門と裏門を守護していた敵の兵を斬り倒し、薙ぎ倒すと、大槌を使い、それぞれの門を破り、境内へとなだれ込んだ。
境内で激しい斬り合いとなった。寺を守っていたのは菊間内海守率いる千の兵であった。
しかし、攻め手は三千であり、菊間勢は、みるみる押され、境内から、やがて寺の社殿の中へと引っ込んでいった。
その様子を見て、攻め手は一気に社殿になだれ込んだ。書院、寝所、大廊下、と、攻め手は順に敵兵を斬り倒しながら、次の部屋、そしてまた次の部屋へと、返り血を浴びながら、赤く染まりつつも、一部屋ずつ制圧していった。
最も熾烈を極めたのは、寺の本堂での斬り合いであった。余りの激しさに、本堂の中心である曼荼羅と阿弥陀如来像が、赤く染まるほどだった。
形勢が不利と判断した菊間は、寺の奥へ下がると、自ら火を放ち、太刀で首元を斬り、自害して果てた。
火はみるみるうちに寺を包み、焼き尽くしていく。攻め手は最後まで、西慶僧寛の姿を探したが、遂に見つけることは出来ず、やむなく兵を引き上げさせた。
翌朝。日が昇ると焼け跡の探索が始まった。しかし、転がる亡骸は、炭となり、見分けが付かない。
結局、西慶僧寛が何処へ行ったのか分からずじまいだった。
この知らせを城に急ぎ登っていた、原山和盛が聞くと、和盛は全身から、冷たい冷や汗を流した。
「おのれ、仕損じたか。」
西慶僧寛は、果たして寺で焼け死んだのか、それとも。
和盛は急ぎ役人を使い、都の周囲一里を探索させた。すると、近在の百姓が、夜間移動する軍勢を目撃していた。話によると、南へ下ったそうだ。
南に五里ほど行けば、宮舘荘がある。桐川泰親の所領の一つである。
「間違いない。敵勢は宮舘におる。」
和盛は急ぎ兵を整えると、宮舘へ向けて南下した。
宮舘城には、桐川と西慶僧寛を初め、実務派の面々が集結していた。
「夜襲を見抜くとは、策士よのぉ。」
僧寛はにこやかに桐川に話し掛けた。そこに、伝令の侍が急ぎ駆けつけた。
「申し上げます。血統派の軍勢、我が方へ進軍中にござる。」
血統派の軍勢は、宮舘城が見える名野川の岸に陣を張った。
既に日は落ちて辺りは闇と静寂に包まれた。ただ松明の灯りだけが紅炎を放っていた。
翌朝、朝の霧がすっと晴れると、川の向こう岸に実務派軍の旗印が風になびいた。
両陣営、一斉に川を渡り互いに斬り掛かった。それは激しい斬り合いで、名野川の水が、無限地獄の川の様に赤く染まった。
余りの激しい斬り合いで、両陣営の武将に討死する者が相次いだ。
血統派の安里邑麻田守が敵の手にかかり、首を討たれた。最も激しく血統派の軍勢を追い詰めたのは、実務派の加東山中守であった。
山中守は兵と共に激しく立ち廻り、その自慢の大太刀で、血統派の兵達を次々と討ち、薙ぎ倒していった。
しかし、放たれた矢が彼の眉間を貫き、落馬。そこへ血統派の兵が群がり、山中守の首を斬り取った。
両軍は互いに一進一退を繰り返しながら、合戦は夕刻まで続いた。
日が傾き、闇が大地を覆い始める頃、両軍は互いに兵を引いた。決着付かず。
兵が去った大地は一面赤く染まったが、夜の闇が、それを隠した。その鮮血を知るはただ、月と梟のみであった。
両陣営の睨み合いは、10月末まで続き、遂に、和睦する運びとなった。
翌月、宮舘城と都の中間地点にある、熊切峠の関にある、常光院という寺で、和睦の議が執り行われることとなった。
この議の運びが何処へ向かうかは、ただ紅い山の紅葉だけが知っていた。
「運命は天のみぞ知る。」
紅葉が囁いた。
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(雪天下)
法暦1286年12月。常光院にて和睦の儀が執り行われた。
血統派からは、原山和盛が正使、松波日弥守が副使として参加。実務派は、西慶僧寛と桐川泰親が対応した。
「さればで御座る。御台様は、貞良君を大侯に、僧寛殿を副大侯とすべしとのこと。御返答は如何に。」
松波がそう切り出した。
「これは異な事を承る。此度の戦は、御貴殿方が、我が方に仕掛けたる事。それ相応の誠意を御示しなさるが筋というもので御座ろう。」
桐川が返した。双方睨み合ったままだった。
「何を申される。そもそも、そなたらが、寺に兵を集めたる事が、此度の戦の源であろうが。」
原山が耐えかねて、語気を強めて、桐山と僧寛に問いただした。
「これは管令殿、早合点なされたのう。あれなるは、亡きお上(亡くなった大侯のこと)の御供養に集まりしことなり。我らは戦の仕度などしておらぬぞ。」
西慶僧寛が答えた。
和睦の儀は初日では決着をみることはなかった。
一方城では御台所が書状を二通したためていた。一通は正式なもの。もう一通は非公式のもの。
「これ、右門中尉はおるか?」
すると、大廊下に控えていた、御側衆の佐田影義が姿を現した。
「影義はこれにおりまする。」
影義が答えると、御台所はそっと立ち上がり、平伏す影義に近付くと、二通の書状を渡した。
「正式なる書状は僧寛らに渡せ。非公式なる書状は、管令と日弥守に見せよ。馬を走らせ、急ぎ届けよ。」
「畏まり候。」
佐田影義は、急ぎ馬を走らせ、常光院へ向かった。
常光院での和睦の儀は二日目に入るも、意見が纏まらず、両陣営は、再び一触即発の事態となっていた。
すると、警備の侍が会議の場にやって来て、原山と松波に申し出た。
「恐れながら申し上げます。管令様、若しくは、日弥守様に御目通りを願う者が参っております。右門中尉と申す御人に御座る。」
原山と松波は、顔を見合わせ、その後、松波が席を立った。
松波が控えの間に行くと、御側衆の影義が座していた。
「恐れながら御台所よりの書状を御預りして参りました。一通は先方に、もう一通は管令様と日弥守様に。」
影義はそう言うと書状を松波に渡し、立ち去った。
原山も控えの間にやってきた。二人は、書状の中身を確認すると、非公式の書状を松波が懐に隠し、原山が正式な書状を持って、二人は再び会議の席に戻った。
「只今、御台所様よりの書状、届きまして御座る。」
原山はそう言うと、書状を桐川に渡した。
桐川が書状の中身を確認し、次に西慶僧寛が確認した。
「如何致しまするか?」
桐川が僧寛に問うた。
先方に渡した書状の中身にはこうあった。
「貞良元服マデノ五年ノ間、貞康(僧寛のこ)殿、大侯御務メ置キ候。元服ノ後、位、貞良二譲リテ、大御殿(引退した大侯のこと)トシテ、更二五年ノ間、大侯御後見遊バサレ候。」
つまり、御台所の息子が成人するまでの五年間限定で、西慶僧寛を大侯とし、成人した後は、その地位を譲って、表向きは引退するが、後見人として、更に五年間、実権を行使してもらっても構わないというものだった。
十年の時限式政権樹立の提案だった。
すると、西慶僧寛は、大笑いして答えた。
「あい分かり申した。御台所様の申し出、謹んでお受け致しまする。」
和睦が成立した。
その夜、血統派と実務派は、双方の労をねぎらう様に、酒宴が開かれた。豪華な食事が膳に載って運ばれてくる。
酒宴の途中で、松波日弥守は席を立つと、共に酒宴に参列していた、実務派の桐川泰親の重臣で家老である隆真田大記を呼んだ。
二人は誰もいない、殿舎と殿舎を繋ぐ渡り廊下で話した。
「御家老、貴殿は主に仕え何年になるか?」
松波が問うた。
「早、25年になりまする。」
大記が答える。
「成る程、おり言って話がある。いや、なに、悪い話では御座らん。」
松波はそう言うと、大記の肩に手を廻し、何やら密談を交わした。
翌年、法暦1287年2月。西慶僧寛は、還俗して、尚正貞康となった。
同月中旬、城にて大侯即位の礼が執り行われようとしていた。
当日の朝、桐川泰親は式のための装束を纏い出掛けようとしていた。貞康が大侯となれば、自分は側近。管令識となるだろう。彼は上機嫌だった。
出掛ける際、供回りの者共を確かめた。その日に限って、自らの直臣ではなく、何故か、家老の隆真田とその家臣が付き従う運びになっていた。
しかし、桐川は疑問には思わず、城へ向かおうと、馬に跨ろうとした時、隆真田が話し掛け近寄った。
「殿、襟が些か曲がっておりまする。」
ドスッ!
鈍い音がした。と、同時に桐川の腹が熱くなった。
血が滴り落ちる。
「大記、おぬし、何を…。」
城には主要な実務派の大名や武将が、僅かな供回りだけで登城していた。ただし、不思議なことに、血統派の姿が無い。誰一人としていない。
この奇妙な事態に貞康始め実務派の面々は、全く気付いていなかった。肝心の御台所の姿も無い。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。
即位式が始まる太鼓が城内に流れた。と、その時。
式が行われる大広間の襖と襖の間にある隠しの間から、大太刀を携えた、完全武装の御側衆達が、集まっていた実務派の大名や武将に襲い掛かった。
その業は風の様に早く、あっと言う間に、全ての客が斬り倒された。
貞康は首を斬られ絶命した。大広間の襖絵の獅子と虎が、鮮血で赤く染まった。
暫くして御台所がやってきた。
「右門中尉、ようやった。褒めて遣わす。それにしても、美しいことよのう。」
佐田影義は作戦を実行した御側衆達の筆頭として指揮を執っていた。
御台所は赤く染まり、諸氏の亡骸が横たわる大広間を眺め、悦に浸った。
法暦1287年3月上旬。亡き大侯の嫡子である尚正貞良の即位式が行なわれた。反対派である実務派を殲滅した今、何も心配なことなどなかった。
参列した桐川の元家老の隆真田に松波が挨拶した。
「いやぁ、隆真田殿、めでたい。貴殿が主を亡き者にしてくれたおかげで、謀が上手くいったわ。」
全ては、御台所が渡した非公式の書状のなせる業だった。
「桐川家家老職、隆真田大記殿、主ヲ討チ取リ、下剋上セヨ。其後ニハ、汝ヲ大名ト致ス。」
「皆の者、大義である。」
10歳の新君主は幼い声で、即位を宣言した。
新体制が成立した。
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(大御台所:元御台所)
大一位 元成院 実子
(中邦大侯:嫡子 尚正貞良)
少一位 尚正 左政相 兼 大国侯職 王貞良
(管令職:原山和盛)
大四位下 原山 刑事卿 明和盛
(管令職:元 松波日弥守)
大四位下 松波 財務卿 彰成輔
(国事参政:佐田影義)
大五位下 佐田 左都警司 明影義
(国事参政:元 隆真田大記)
大五位下 隆真田 民事大補 彰明乗
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即位式は恙無く終わった。
雪が降り始めた。3月の雪。みるみるうちに、城の庭園を白く染めていく。
雪は何も言わず、ただ、深々と降り積もるばかりだった。
春は直そこまで来ているというのに。
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後日談
(血塗り茶碗)
法暦1307年5月。大御台所が五十六年の生涯に幕を下ろした。
現大侯、尚正貞良の生母として、大侯を後見してきた権力者の死は、新たなる嵐を予感させた。
若葉が青々と生い茂る皐月の頃、天は雲一つないにも拘らず、城には暗雲が立ちこめていた。
「これ以上、租税を上げる訳には参らん!世は反対である!」
30歳を向えた大侯貞良は、声を荒げて、強い口調で管令原山和盛に切り込んだ。
「恐れながら、軍府の財政は火の車に御座る。これは、宿老らの評定にて決まったこと。お上(大侯のこと)が、何と申されようと、なる様にしか成りませぬ。」
大侯貞良は我慢ならなかった。ようやく母親の呪縛から解放され、自ら親政を執ることに燃えていた彼にとって、専横を欲しいままにする原山の存在は、目の上の瘤だった。
原山は大侯の言うことなど聞く耳持たず、その場を後にした。
大侯は、同じく管令の松波成輔と国事参政の佐田影義を呼んだ。
「あの者め、断る事に世に意見する。不快極まりない!」
大侯は不満を口にした。
「恐れながら。お上は君主に御座る。君主の権威を見せ付けねばなりませぬ。」
松波が言う。
「財務卿よ、何ぞ手はあるのか?」
すると、松波に代わり、佐田が答えた。
「罷免しては、如何かと。」
都の西側のやや小高い台地の上に原山刑事卿の邸宅があった。権勢を欲しいままにする彼の邸宅は、城と同じ金の屋根飾りが設えてあった。
人々は彼を「都西大侯」と呼んだ。
この原山邸に一人の訪問者があった。隆真田民事大補、今は亡き桐川泰親の元家老だった男である。
「やれやれ。あれは傀儡にするには大きく成りすぎた。そろそろ首を挿げ替えるか。」
原山がそう言うと、隆真田が答えた。
「貞治君(現大侯の嫡子)は十歳になりまする。手懐けるには丁度良いかと。」
と。
松波と佐田は一計を案じた。如何に君主の威光を高めるか。原山を罷免すれば大乱となる恐れがある。
「佐田殿、もしやるならば、やはり先手必勝か?」
佐田が答える。
「相手に反撃の隙を与えぬ事に御座る。即座に討伐した後、軍勢をもって城を押さえるが上策。」
松波は合点がいった様子でこう返した。
「隆真田はどう動くか?」
すると佐田は静かに答えた。
「この場合、あの御人は動かぬかと。争いの勝敗を見極めて、勝った方に付くでしょう。」
法暦1308年7月。松波財務卿と佐田左都警司は、兵を率いて、原山邸を急襲した。
両名がこの時期に兵を動かしたのには訳がある。原山の領地では毎年7月になると、大規模な田の実りを祈祷する祭礼が行われる。
原山は有力な家臣を名代として国元に派遣するため、邸宅を守る兵の数が極端に減るのだ。
案の定、原山邸は、裸城同然となっていた。
馬の蹄と兵らの鬨の声に驚いた原山は、何事かと近習に問うたところ、松波・佐田軍、およそ二千が邸宅を取り囲んでいるという。
「おのれ。隆真田はどうした?!何故に援軍を寄越さぬ!」
しかし時既に遅し。松波・佐田軍は、一挙に邸宅になだれ込んだ。
邸宅には、僅かな家臣しか守りについておらず、原山は逃亡を図るも捕らえられる。
邸宅から引き摺り出された原山刑事卿は、そのまま連行され、都の東にある、観鶴川の河原にて斬首される。
斬られた原山の首は、朽ち果てるまで河原に晒されることになる。
隆真田は動きを見せなかった。動きを見せない以上は、罪に問うことは出来ない。
法暦1309年4月。松波と佐田は、大侯から茶会に招かれた。会場の警備は隆真田民事大補が仰せつかった。
隆真田は国事参政であったが、専ら助言などをする立場にあり、また、至って謙虚な姿勢であったため、政治的野心は無しと大侯は判断した。
城の庭園の桜の花が、静かに舞い散り、茶会の席に置かれた茶碗の中にそっと落ちた。
と、次の時、今まで警備に当たっていた兵達が、会場の広間に上がり、すかさず大太刀を振りかざすと、そのまま、松波財務卿の身体に振り下ろした。
それを見た佐田左都警司は、自らの太刀を抜き、二人の兵を見事な立ち廻りで仕留めた。
大侯貞良は、その場から逃走を図ったが、裏切った警備の兵に捕縛される。
「お上!」
佐田がそれに気を取られた次の瞬間、彼の背中を火炎の如き熱さが襲った。兵に斬られたのだ。
更に兵達は、5人掛かりで、代わる代わる佐田の身体に大太刀を突き刺した。
佐田の身体が血の海に沈んでいった。斬られた松波財務卿も、暫く息があったが、庭園に引き摺り出され斬首された。
「終わったようじゃな。」
隆真田民事大補が姿を現した。
「何とも呆気ないものよ。ワシも五十も半ば故、最後に軍政を司りたいからのう。悪く思うな。」
こうして、あの大乱の主要人物らは、姿を消していった。
捕らえられた大侯貞良は多浜島へ流された。
新たな大侯には、その嫡子で十歳の、尚正貞治が即位した。
以降、隆真田は、大管令となり、六十四でその生涯を閉じるまで、軍政を欲しいままにした。
「卯月世の、水面に沈む、花弁の、桜散りたる、都の夕べ。」
血に染まった広間を眺めながら、隆真田は、一首詠んだ。
春の風が桜の花弁を何処かに運んでいった。その行方を知る者は、
誰もいなかった。
法暦1286年2月、中邦の大侯、尚正貞高が世を去った。
この頃大島は、北の北邦、南の南邦、そして、中央部の中邦の三大勢力が並び立ち、天下の覇権を争っていた。
大侯の死は、中邦の不安定要素となった。大侯の死に乗じて、北や南が迫って来るであろう事は、容易に想像がつく。
亡き大侯の御台所は、重臣らと謀り、大侯の死を隠蔽することにした。大侯の葬儀が後の世に執り行われた裏には、そういった経緯がある。
御台所は、重臣を集め、公議を開いた。
「さて、如何したものか。我が子、貞良は、まだ歳は十じゃ。」
御台所は重臣らに尋ねた。
この御台所は、元は、侯家に仕える貴族の娘で、大変な美女として天下に名の知れた女将であった。
御台所は、重臣に尋ねると、徐ろに扇を開き、口元を隠した。
すると、重臣の一人で、管令職であった、原山和盛が進言した。
「恐れながら申し上げます。国家は代々、尚正家の嫡流にて治められて参りました。然るに、嫡子たる若君(貞良)が家督を継ぐは、世の習わしかと存じ上げ候。」
原山は代々、侯家の管令職を輩出する名門一族の出身であった。つまりは、血統を重視せよ、という訳である。
御台所は、成る程とばかりに扇を口元から払い、すっと向きを変えると、他の重臣の意見を求めた。
「泰親は如何思うか?」
桐川泰親は、すっと、御台所の方へと向きを変え、姿勢を正すと、こう答えた。美しい庭園から、春の風が、そっと書院に流れ込む。
「恐れながら、若君は御年十歳。仮に政を執るにせよ、年長の者の後見が必要となりましょう。しかしながら、我が邦は、北と南に挟まれ、それらが何時攻め入って来るか分かりませぬ。」
泰親はその太い声で答えた。南北が中邦に侵攻した場合、いくら後見があっても、君主が政治経験の無い子供では、対処出来ないという訳だ。
「なれば、いったいどの御人を主にせよと申すか?」
原山が桐川に問いただした。
「亡き主君の御弟君、西慶僧寛(貞康)は、御年二十五歳にて、学問、特に法律学の才あり。」
桐川泰親は、一兵卒から重臣の地位に登り詰めた実力者であり、彼は、血統ではなく実務を優先すべきという立場であった。
「あの御方は仏門に入られた御方ぞ。還俗せよと申すか?」
原山は強い口調で桐山に迫った。無理もない。彼は、名門出身の自分が、兵卒上がりの者と同列にあるのが我慢ならなかったのだ。
結局、この日の広議は、決着が付かなかった。
公議が終ると、御台所は原山を密かに自分の側近くに呼び寄せた。
「管令よ、妾は、我が子貞良を主に据えたい。」
御台所はそう言うと、静かに茶を飲んだ。
「ならは、何故にあの様な公議を開かれましたか?」
原田は眉をひそめた。御台所は茶碗を静かにそっと置くと、原田に答えた。
「あれなる公議は目眩ましじゃ。ああでもしなければ、実務派の者共が騒ぐでのぉ。」
御台所も原田らと同様に血統派であった。無理もない。血を分けた我が子を君主にしたいのは、当然といえば、当然である。
桜の花弁が春の風に乗って、そっと寝所の床に舞い降りた。
桐山は公議の帰り、自らの邸宅に戻る途中で、大定寺に立ち寄った。この寺は、亡き侯の弟である、西慶僧寛の寺であった。
「たかだか十の童に政など。無謀にござる。」
桐山は不機嫌に僧寛に申し出た。寺の庭園の池に花弁がすっと落ちる。
「身に如何がせよと?」
僧寛はにこやかに答えた。
「御前もお人が悪い。本音を申されよ。侯の座が欲しいと。」
桐山は、その太い声で僧寛を唆した。
「我が邦には、実務派が各地におりまする。御前を奉じて挙兵すれば、政の実権は、たちどころに我が方に転がり込みまする。」
桐山はそう言うと、寺の庭園に目をやった。すると、僧寛は静かに立ち上がり、庭園の松の木を眺めながら答えた。
「挙兵とは物騒な。滅多な事を申されるな。」
僧寛の本音は決まっていた。侯の座が欲しい。権力は人を動かす。欲と煩悩を断たねばならない仏門に帰依する者を、権力は容赦なく飲み込んでいく。
「書状をしたためましょうぞ。」
僧寛が言うと、桐山は、してやったりと言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。庭園の池の水面が春の風にざわめいた。
かくして、中邦各地の実務派方の諸大名や武将らに、教宣(高僧の命令文書)が発せられた。
挙兵して、血統派を討てと。
法暦1286年4月のことであった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
(蝉注進)
法暦1286年の5月から7月にかけて、各地から、名のある大名や武将が都に入った。
奇妙だったのは、通常、都へ上洛する際は、僅かな供回りだけなのだが、此度の上洛は、騎馬武者、侍衆、大勢の足軽雑兵など、何とも物々しい雰囲気だった。
やがて木に止まる蝉が、喧しく鳴き始める時期には、大名行列は止まり、馬の嘶きや兵の足音も静まり、ただただ蝉の鳴き声だけが響いていた。
大名や武将らは、各々の都にある邸宅に滞在した。
法暦1286年7月25日、彼らは都の南端にある大定寺へと参内した。
「暑いのぉ。」
馬に跨り、都路をゆっくりと歩む一人の武者がいた。佐田影義であった。影義は、御側衆(大侯直属の侍)の一人で、官位は少五位下右門警備中尉。亡き大侯の書記官を務めていた人物である。
影義が大定寺の門前を通ろうとした時、彼の目に異様な光景が入ってきた。寺の門前に大勢の兵が控えていたのだ。
「そは何事か?」
影義は不思議そうに、それを見つめながら、馬を進めていると、その兵達の中に見覚えのある顔が何人か確認できた。
「あの御人は、菊間内海守様の家臣。こちらの御人は、加東山中守様の家臣。何ぞおうたのか?」
すると、寺の門の脇にある木戸が開き、中から一人の人物が出てきた。隆真田大記であった。
隆真田大記は桐川泰親の家臣で家老を務める人物であり、また、軍師でもあった。非常に怜悧な人物であり、また、大変に冷徹な人物でもある。
影義は肝を冷やした。
「大記殿がおられるとは、もしや、桐山左京太親様も、寺におられるというのか?!」
影義は自らの頭の中の点を速やかに繋げ、線にした。つまり、寺に参内しているのは、実務派の面々。そもそも大定寺は西慶僧寛の寺である。
影義は急ぎ馬を走らせると、そのまま原山中殿頭和盛の邸宅を尋ねた。
「申し上げます。佐田中尉様、お目通り願っております。」
近習の侍が和盛に伝えると、和盛は通す様に命じた。
「佐田殿、お珍しい。何ぞ面白きことでも、お有りか?」
和盛がにこやかに口を開いた。しかし、佐田の表情は曇っていた。佐田は、和盛に人払いを申し出たので、和盛は手で合図して、近習らを下がらせた。
「恐れながら中殿頭様、大定寺にて…。」
佐田は自らが目にした光景の全てを和盛に注進した。和盛の顔が、見る見る曇った。
「あい分かった。佐田殿、この件、他言無用。」
和盛は臣下に命じて、仕度をすると、急ぎ登城した。
城の広間に着くと和盛は御台所が現れるのを待った。暫くすると、色鮮やかな打ち掛けに身を包んだ御台所が、広間へとやってきた。
「中殿頭、如何したのじゃ。」
御台所は静かに話した。和盛は事の次第を全て御台所に注進した。
「おのれ実務派どもめが。兵を起こし、我らを討つつもりか?!」
御台所は語気を強めると扇を力いっぱい開いた。城の庭園の松の木に止まる蝉が喧しく鳴いている。
「恐れながら御台様、我らも急ぎ評定を。」
かくして、血統派の有力者達が招集された。
大定寺では桐川泰親が、集まった実務派諸氏を前にして、意見を述べた。
「各々方、此度は参内下さり、先ずは御礼申し上げる。我らは、知恵と力によりて、国家を正しき方へと誘わねばならぬ。十の童を君主に据えるは、これ正に天魔の所為なり。」
すると、菊間内海守が声を荒げて申した。
「天魔は早急に討ち取るべし!」
すると、書院の上座に座る西慶僧寛が、ゆっくりと口を開いた。
「天魔を討つは御仏の教えに適うものなり。敵の首を討ち取る者には、極楽浄土が約束させるであろう。」
実務派達は結束を固めた。
城には都に滞在している血統派の諸氏が上がり、御台所と和盛を前にして評定を開いた。
「逆賊たる実務派を根絶やしにすべし!」
血統派の過激派である松波日弥守が声を張り上げ、そう言うと、その向えに座した安里邑麻田守が静かに口を開いた。
「日弥守殿、そう焦られるな。急いては事を仕損じるぞや。」
と。庭で蝉が喧しく鳴く。
すると、御台所の側近くに座していた和盛が、徐ろに立ち上がると、手にしていた紙を広げ、腰から扇を抜くと、ゆっくりと紙を扇で指した。
それは大定寺の絵図であった。
「夜襲を掛ける。敵が怯んだ隙を突いて西慶僧寛を奪う。」
評定の場が静まり返る。蝉の声だけが、場を支配していた。
「各々方、御返答は如何に?」
評定に参加した大名、武将らは、満場一致で、この計略に賛同した。
「皆の衆、此度はよう来てくれた。礼を申す。ゆるりとなされよ。」
御台所がそう言うと、侍女や女官らが、酒と料理を膳に載せて運んできた。
城の庭園の松の木に止まった蝉が、いつまでも喧しく声を上げていた。
乱が起こる三日前のことであった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
(紅葉鳴)
激しい馬の蹄の音と兵達の走る足音が、夜の闇を切り裂いた。
松波日弥守と安里邑麻田守の軍勢は大定寺を取り囲むと、表門と裏門を守護していた敵の兵を斬り倒し、薙ぎ倒すと、大槌を使い、それぞれの門を破り、境内へとなだれ込んだ。
境内で激しい斬り合いとなった。寺を守っていたのは菊間内海守率いる千の兵であった。
しかし、攻め手は三千であり、菊間勢は、みるみる押され、境内から、やがて寺の社殿の中へと引っ込んでいった。
その様子を見て、攻め手は一気に社殿になだれ込んだ。書院、寝所、大廊下、と、攻め手は順に敵兵を斬り倒しながら、次の部屋、そしてまた次の部屋へと、返り血を浴びながら、赤く染まりつつも、一部屋ずつ制圧していった。
最も熾烈を極めたのは、寺の本堂での斬り合いであった。余りの激しさに、本堂の中心である曼荼羅と阿弥陀如来像が、赤く染まるほどだった。
形勢が不利と判断した菊間は、寺の奥へ下がると、自ら火を放ち、太刀で首元を斬り、自害して果てた。
火はみるみるうちに寺を包み、焼き尽くしていく。攻め手は最後まで、西慶僧寛の姿を探したが、遂に見つけることは出来ず、やむなく兵を引き上げさせた。
翌朝。日が昇ると焼け跡の探索が始まった。しかし、転がる亡骸は、炭となり、見分けが付かない。
結局、西慶僧寛が何処へ行ったのか分からずじまいだった。
この知らせを城に急ぎ登っていた、原山和盛が聞くと、和盛は全身から、冷たい冷や汗を流した。
「おのれ、仕損じたか。」
西慶僧寛は、果たして寺で焼け死んだのか、それとも。
和盛は急ぎ役人を使い、都の周囲一里を探索させた。すると、近在の百姓が、夜間移動する軍勢を目撃していた。話によると、南へ下ったそうだ。
南に五里ほど行けば、宮舘荘がある。桐川泰親の所領の一つである。
「間違いない。敵勢は宮舘におる。」
和盛は急ぎ兵を整えると、宮舘へ向けて南下した。
宮舘城には、桐川と西慶僧寛を初め、実務派の面々が集結していた。
「夜襲を見抜くとは、策士よのぉ。」
僧寛はにこやかに桐川に話し掛けた。そこに、伝令の侍が急ぎ駆けつけた。
「申し上げます。血統派の軍勢、我が方へ進軍中にござる。」
血統派の軍勢は、宮舘城が見える名野川の岸に陣を張った。
既に日は落ちて辺りは闇と静寂に包まれた。ただ松明の灯りだけが紅炎を放っていた。
翌朝、朝の霧がすっと晴れると、川の向こう岸に実務派軍の旗印が風になびいた。
両陣営、一斉に川を渡り互いに斬り掛かった。それは激しい斬り合いで、名野川の水が、無限地獄の川の様に赤く染まった。
余りの激しい斬り合いで、両陣営の武将に討死する者が相次いだ。
血統派の安里邑麻田守が敵の手にかかり、首を討たれた。最も激しく血統派の軍勢を追い詰めたのは、実務派の加東山中守であった。
山中守は兵と共に激しく立ち廻り、その自慢の大太刀で、血統派の兵達を次々と討ち、薙ぎ倒していった。
しかし、放たれた矢が彼の眉間を貫き、落馬。そこへ血統派の兵が群がり、山中守の首を斬り取った。
両軍は互いに一進一退を繰り返しながら、合戦は夕刻まで続いた。
日が傾き、闇が大地を覆い始める頃、両軍は互いに兵を引いた。決着付かず。
兵が去った大地は一面赤く染まったが、夜の闇が、それを隠した。その鮮血を知るはただ、月と梟のみであった。
両陣営の睨み合いは、10月末まで続き、遂に、和睦する運びとなった。
翌月、宮舘城と都の中間地点にある、熊切峠の関にある、常光院という寺で、和睦の議が執り行われることとなった。
この議の運びが何処へ向かうかは、ただ紅い山の紅葉だけが知っていた。
「運命は天のみぞ知る。」
紅葉が囁いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
(雪天下)
法暦1286年12月。常光院にて和睦の儀が執り行われた。
血統派からは、原山和盛が正使、松波日弥守が副使として参加。実務派は、西慶僧寛と桐川泰親が対応した。
「さればで御座る。御台様は、貞良君を大侯に、僧寛殿を副大侯とすべしとのこと。御返答は如何に。」
松波がそう切り出した。
「これは異な事を承る。此度の戦は、御貴殿方が、我が方に仕掛けたる事。それ相応の誠意を御示しなさるが筋というもので御座ろう。」
桐川が返した。双方睨み合ったままだった。
「何を申される。そもそも、そなたらが、寺に兵を集めたる事が、此度の戦の源であろうが。」
原山が耐えかねて、語気を強めて、桐山と僧寛に問いただした。
「これは管令殿、早合点なされたのう。あれなるは、亡きお上(亡くなった大侯のこと)の御供養に集まりしことなり。我らは戦の仕度などしておらぬぞ。」
西慶僧寛が答えた。
和睦の儀は初日では決着をみることはなかった。
一方城では御台所が書状を二通したためていた。一通は正式なもの。もう一通は非公式のもの。
「これ、右門中尉はおるか?」
すると、大廊下に控えていた、御側衆の佐田影義が姿を現した。
「影義はこれにおりまする。」
影義が答えると、御台所はそっと立ち上がり、平伏す影義に近付くと、二通の書状を渡した。
「正式なる書状は僧寛らに渡せ。非公式なる書状は、管令と日弥守に見せよ。馬を走らせ、急ぎ届けよ。」
「畏まり候。」
佐田影義は、急ぎ馬を走らせ、常光院へ向かった。
常光院での和睦の儀は二日目に入るも、意見が纏まらず、両陣営は、再び一触即発の事態となっていた。
すると、警備の侍が会議の場にやって来て、原山と松波に申し出た。
「恐れながら申し上げます。管令様、若しくは、日弥守様に御目通りを願う者が参っております。右門中尉と申す御人に御座る。」
原山と松波は、顔を見合わせ、その後、松波が席を立った。
松波が控えの間に行くと、御側衆の影義が座していた。
「恐れながら御台所よりの書状を御預りして参りました。一通は先方に、もう一通は管令様と日弥守様に。」
影義はそう言うと書状を松波に渡し、立ち去った。
原山も控えの間にやってきた。二人は、書状の中身を確認すると、非公式の書状を松波が懐に隠し、原山が正式な書状を持って、二人は再び会議の席に戻った。
「只今、御台所様よりの書状、届きまして御座る。」
原山はそう言うと、書状を桐川に渡した。
桐川が書状の中身を確認し、次に西慶僧寛が確認した。
「如何致しまするか?」
桐川が僧寛に問うた。
先方に渡した書状の中身にはこうあった。
「貞良元服マデノ五年ノ間、貞康(僧寛のこ)殿、大侯御務メ置キ候。元服ノ後、位、貞良二譲リテ、大御殿(引退した大侯のこと)トシテ、更二五年ノ間、大侯御後見遊バサレ候。」
つまり、御台所の息子が成人するまでの五年間限定で、西慶僧寛を大侯とし、成人した後は、その地位を譲って、表向きは引退するが、後見人として、更に五年間、実権を行使してもらっても構わないというものだった。
十年の時限式政権樹立の提案だった。
すると、西慶僧寛は、大笑いして答えた。
「あい分かり申した。御台所様の申し出、謹んでお受け致しまする。」
和睦が成立した。
その夜、血統派と実務派は、双方の労をねぎらう様に、酒宴が開かれた。豪華な食事が膳に載って運ばれてくる。
酒宴の途中で、松波日弥守は席を立つと、共に酒宴に参列していた、実務派の桐川泰親の重臣で家老である隆真田大記を呼んだ。
二人は誰もいない、殿舎と殿舎を繋ぐ渡り廊下で話した。
「御家老、貴殿は主に仕え何年になるか?」
松波が問うた。
「早、25年になりまする。」
大記が答える。
「成る程、おり言って話がある。いや、なに、悪い話では御座らん。」
松波はそう言うと、大記の肩に手を廻し、何やら密談を交わした。
翌年、法暦1287年2月。西慶僧寛は、還俗して、尚正貞康となった。
同月中旬、城にて大侯即位の礼が執り行われようとしていた。
当日の朝、桐川泰親は式のための装束を纏い出掛けようとしていた。貞康が大侯となれば、自分は側近。管令識となるだろう。彼は上機嫌だった。
出掛ける際、供回りの者共を確かめた。その日に限って、自らの直臣ではなく、何故か、家老の隆真田とその家臣が付き従う運びになっていた。
しかし、桐川は疑問には思わず、城へ向かおうと、馬に跨ろうとした時、隆真田が話し掛け近寄った。
「殿、襟が些か曲がっておりまする。」
ドスッ!
鈍い音がした。と、同時に桐川の腹が熱くなった。
血が滴り落ちる。
「大記、おぬし、何を…。」
城には主要な実務派の大名や武将が、僅かな供回りだけで登城していた。ただし、不思議なことに、血統派の姿が無い。誰一人としていない。
この奇妙な事態に貞康始め実務派の面々は、全く気付いていなかった。肝心の御台所の姿も無い。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。
即位式が始まる太鼓が城内に流れた。と、その時。
式が行われる大広間の襖と襖の間にある隠しの間から、大太刀を携えた、完全武装の御側衆達が、集まっていた実務派の大名や武将に襲い掛かった。
その業は風の様に早く、あっと言う間に、全ての客が斬り倒された。
貞康は首を斬られ絶命した。大広間の襖絵の獅子と虎が、鮮血で赤く染まった。
暫くして御台所がやってきた。
「右門中尉、ようやった。褒めて遣わす。それにしても、美しいことよのう。」
佐田影義は作戦を実行した御側衆達の筆頭として指揮を執っていた。
御台所は赤く染まり、諸氏の亡骸が横たわる大広間を眺め、悦に浸った。
法暦1287年3月上旬。亡き大侯の嫡子である尚正貞良の即位式が行なわれた。反対派である実務派を殲滅した今、何も心配なことなどなかった。
参列した桐川の元家老の隆真田に松波が挨拶した。
「いやぁ、隆真田殿、めでたい。貴殿が主を亡き者にしてくれたおかげで、謀が上手くいったわ。」
全ては、御台所が渡した非公式の書状のなせる業だった。
「桐川家家老職、隆真田大記殿、主ヲ討チ取リ、下剋上セヨ。其後ニハ、汝ヲ大名ト致ス。」
「皆の者、大義である。」
10歳の新君主は幼い声で、即位を宣言した。
新体制が成立した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
(大御台所:元御台所)
大一位 元成院 実子
(中邦大侯:嫡子 尚正貞良)
少一位 尚正 左政相 兼 大国侯職 王貞良
(管令職:原山和盛)
大四位下 原山 刑事卿 明和盛
(管令職:元 松波日弥守)
大四位下 松波 財務卿 彰成輔
(国事参政:佐田影義)
大五位下 佐田 左都警司 明影義
(国事参政:元 隆真田大記)
大五位下 隆真田 民事大補 彰明乗
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
即位式は恙無く終わった。
雪が降り始めた。3月の雪。みるみるうちに、城の庭園を白く染めていく。
雪は何も言わず、ただ、深々と降り積もるばかりだった。
春は直そこまで来ているというのに。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
後日談
(血塗り茶碗)
法暦1307年5月。大御台所が五十六年の生涯に幕を下ろした。
現大侯、尚正貞良の生母として、大侯を後見してきた権力者の死は、新たなる嵐を予感させた。
若葉が青々と生い茂る皐月の頃、天は雲一つないにも拘らず、城には暗雲が立ちこめていた。
「これ以上、租税を上げる訳には参らん!世は反対である!」
30歳を向えた大侯貞良は、声を荒げて、強い口調で管令原山和盛に切り込んだ。
「恐れながら、軍府の財政は火の車に御座る。これは、宿老らの評定にて決まったこと。お上(大侯のこと)が、何と申されようと、なる様にしか成りませぬ。」
大侯貞良は我慢ならなかった。ようやく母親の呪縛から解放され、自ら親政を執ることに燃えていた彼にとって、専横を欲しいままにする原山の存在は、目の上の瘤だった。
原山は大侯の言うことなど聞く耳持たず、その場を後にした。
大侯は、同じく管令の松波成輔と国事参政の佐田影義を呼んだ。
「あの者め、断る事に世に意見する。不快極まりない!」
大侯は不満を口にした。
「恐れながら。お上は君主に御座る。君主の権威を見せ付けねばなりませぬ。」
松波が言う。
「財務卿よ、何ぞ手はあるのか?」
すると、松波に代わり、佐田が答えた。
「罷免しては、如何かと。」
都の西側のやや小高い台地の上に原山刑事卿の邸宅があった。権勢を欲しいままにする彼の邸宅は、城と同じ金の屋根飾りが設えてあった。
人々は彼を「都西大侯」と呼んだ。
この原山邸に一人の訪問者があった。隆真田民事大補、今は亡き桐川泰親の元家老だった男である。
「やれやれ。あれは傀儡にするには大きく成りすぎた。そろそろ首を挿げ替えるか。」
原山がそう言うと、隆真田が答えた。
「貞治君(現大侯の嫡子)は十歳になりまする。手懐けるには丁度良いかと。」
と。
松波と佐田は一計を案じた。如何に君主の威光を高めるか。原山を罷免すれば大乱となる恐れがある。
「佐田殿、もしやるならば、やはり先手必勝か?」
佐田が答える。
「相手に反撃の隙を与えぬ事に御座る。即座に討伐した後、軍勢をもって城を押さえるが上策。」
松波は合点がいった様子でこう返した。
「隆真田はどう動くか?」
すると佐田は静かに答えた。
「この場合、あの御人は動かぬかと。争いの勝敗を見極めて、勝った方に付くでしょう。」
法暦1308年7月。松波財務卿と佐田左都警司は、兵を率いて、原山邸を急襲した。
両名がこの時期に兵を動かしたのには訳がある。原山の領地では毎年7月になると、大規模な田の実りを祈祷する祭礼が行われる。
原山は有力な家臣を名代として国元に派遣するため、邸宅を守る兵の数が極端に減るのだ。
案の定、原山邸は、裸城同然となっていた。
馬の蹄と兵らの鬨の声に驚いた原山は、何事かと近習に問うたところ、松波・佐田軍、およそ二千が邸宅を取り囲んでいるという。
「おのれ。隆真田はどうした?!何故に援軍を寄越さぬ!」
しかし時既に遅し。松波・佐田軍は、一挙に邸宅になだれ込んだ。
邸宅には、僅かな家臣しか守りについておらず、原山は逃亡を図るも捕らえられる。
邸宅から引き摺り出された原山刑事卿は、そのまま連行され、都の東にある、観鶴川の河原にて斬首される。
斬られた原山の首は、朽ち果てるまで河原に晒されることになる。
隆真田は動きを見せなかった。動きを見せない以上は、罪に問うことは出来ない。
法暦1309年4月。松波と佐田は、大侯から茶会に招かれた。会場の警備は隆真田民事大補が仰せつかった。
隆真田は国事参政であったが、専ら助言などをする立場にあり、また、至って謙虚な姿勢であったため、政治的野心は無しと大侯は判断した。
城の庭園の桜の花が、静かに舞い散り、茶会の席に置かれた茶碗の中にそっと落ちた。
と、次の時、今まで警備に当たっていた兵達が、会場の広間に上がり、すかさず大太刀を振りかざすと、そのまま、松波財務卿の身体に振り下ろした。
それを見た佐田左都警司は、自らの太刀を抜き、二人の兵を見事な立ち廻りで仕留めた。
大侯貞良は、その場から逃走を図ったが、裏切った警備の兵に捕縛される。
「お上!」
佐田がそれに気を取られた次の瞬間、彼の背中を火炎の如き熱さが襲った。兵に斬られたのだ。
更に兵達は、5人掛かりで、代わる代わる佐田の身体に大太刀を突き刺した。
佐田の身体が血の海に沈んでいった。斬られた松波財務卿も、暫く息があったが、庭園に引き摺り出され斬首された。
「終わったようじゃな。」
隆真田民事大補が姿を現した。
「何とも呆気ないものよ。ワシも五十も半ば故、最後に軍政を司りたいからのう。悪く思うな。」
こうして、あの大乱の主要人物らは、姿を消していった。
捕らえられた大侯貞良は多浜島へ流された。
新たな大侯には、その嫡子で十歳の、尚正貞治が即位した。
以降、隆真田は、大管令となり、六十四でその生涯を閉じるまで、軍政を欲しいままにした。
「卯月世の、水面に沈む、花弁の、桜散りたる、都の夕べ。」
血に染まった広間を眺めながら、隆真田は、一首詠んだ。
春の風が桜の花弁を何処かに運んでいった。その行方を知る者は、
誰もいなかった。
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連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
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