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6章:代り
13 感覚
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寧々には何度も謝られた。
「実は、あの時の会話聞こえてて…。寧々が必死で止めるから、きっと大事な物なんだと思って…。」
大事な物を失う辛さは、痛い程知って居た。だから、どうにかしなきゃならない。そう思ったら、自然と体が動いていた。
あの縫いぐるみを失ってから、私は物に執着しない様にしていた。大事にすればするほど、愛着が湧き、失ったときのショックは、計り知れない。
値段と言うのは、公平な価値。捨てるはずだった古本も、私にとっては、宝物だった。
物を大事にするのは、良い事だと思うが、それは時として、良くも悪くも、人の性格を変える程、大きい事だ。
寧々は『そんな事』と、思うかもしれないが、私には耐えられなかった。
価値観は違えど、大事な人から貰った物。自分で努力して、漸く手に入った、ずっと欲しかった物。
他人に何と言われようが、それが自分にとって、かけがえのない物ならば、お金には換えられない。
「彰も悪かったな。閉店に間際に慰め役頼んで。」
「タダ酒できたから、俺は儲けもんだがな。」
その時、格子戸が勢いよく開いた。入ってきたのは、今井さんだった。普段の彼女からは、想像できない様な、鬼の形相だった。
無言のまま、私の前まで来たかと思うと、左頬に、強い衝撃が走った。殴られたと気付いたのは、隣に居た寧々も同じ様に頬を摩っていたからだ。
「何でこうなる前に、あたしたちに相談しないの!親元を離れたからって、あたしたちからすれば、あんたたちはまだ子ども!」
打たれた左頬が、ヒリヒリと痛み出した。
腕の時は、ただただ、恐ろしかった…。痛いという感覚よりも、恐ろしい感情の方が大きかった…。
だけど、今回は違った。普通に痛みがあった。怖いというよりは、申し訳なく感じた。
「悲しむ人が居ない?あたしは心配したよ!あたしだけじゃない!古川さんも、彩ちゃんも皆心配した!」
心配した。そんな言葉、今まで、一度も言われた事は無かった。小学低学年の時は、少なからず、担任や周りに親からは、心配されていたのかもしれない。
だが、それを口にする者は、誰一人いなかった。
だから、こんな、胸が締め付けられる様な、感覚は、初めてだった。
「確かに、香織ちゃんは特殊かもしれない。そんな環境で育って、そんな事を言ってしまう様な状況に落ちてしまったのは、大人たちの責任かもしれない…。
ずっと独りぼっちで、声を上げられなくなる様な、あたしたちじゃ、想像もつかない様な、地獄の様な日々を過ごしてきたのかもしれない…。」
一瞬にして、今までの十六年分の記憶が、走馬灯の様に、頭を駆け巡った。
十六年。生まれた赤子が、高校に入学するほどの時間。私には少し長すぎた。その癖、思い出せるほどの記憶は殆どない。
「でも、今は独りじゃない。最低でもここに居る全員は、香織ちゃんが居なくなって、喜ぶ人は誰一人居ない。」
ずっと、その言葉が欲しかった。今まで、誰にも言われた事も、思われた事もなかった。
何度も、自分の人生を恨んだことも、生まれた事を後悔した事もあった。
怒られているのに、凄く、嬉しかった。この歳になって、ちゃんと目上の人に説教されるのは、初めてだった。
理不尽ではなくて、ちゃんと何が悪いのか、それが、どういう事なのか、教えてくれる人は、今井さんが初めてだった。
「香織ちゃん、聞いてる?」
俯きながらも、ついにやけてしまっていた。慌てて、表情を戻した。
「す、すみません…。こうして、叱られてのが、その…初めてで…。
今までは、怒鳴られるか無視されるかのどっちかで…。ちょっと変かもしれないですけど、それが、嬉しくて…。
怒られるって、こんなに切ないんだなと思って…。」
文章に成っていたかは分からないが、思ったことを、全部言った。しんと静まり返る店内…。寧々か彩かは分からないが、鼻をすする音が聞こえる…。すると、カラコロと下駄が地面を叩く音が、私の方に近づいて来た。
「実は、あの時の会話聞こえてて…。寧々が必死で止めるから、きっと大事な物なんだと思って…。」
大事な物を失う辛さは、痛い程知って居た。だから、どうにかしなきゃならない。そう思ったら、自然と体が動いていた。
あの縫いぐるみを失ってから、私は物に執着しない様にしていた。大事にすればするほど、愛着が湧き、失ったときのショックは、計り知れない。
値段と言うのは、公平な価値。捨てるはずだった古本も、私にとっては、宝物だった。
物を大事にするのは、良い事だと思うが、それは時として、良くも悪くも、人の性格を変える程、大きい事だ。
寧々は『そんな事』と、思うかもしれないが、私には耐えられなかった。
価値観は違えど、大事な人から貰った物。自分で努力して、漸く手に入った、ずっと欲しかった物。
他人に何と言われようが、それが自分にとって、かけがえのない物ならば、お金には換えられない。
「彰も悪かったな。閉店に間際に慰め役頼んで。」
「タダ酒できたから、俺は儲けもんだがな。」
その時、格子戸が勢いよく開いた。入ってきたのは、今井さんだった。普段の彼女からは、想像できない様な、鬼の形相だった。
無言のまま、私の前まで来たかと思うと、左頬に、強い衝撃が走った。殴られたと気付いたのは、隣に居た寧々も同じ様に頬を摩っていたからだ。
「何でこうなる前に、あたしたちに相談しないの!親元を離れたからって、あたしたちからすれば、あんたたちはまだ子ども!」
打たれた左頬が、ヒリヒリと痛み出した。
腕の時は、ただただ、恐ろしかった…。痛いという感覚よりも、恐ろしい感情の方が大きかった…。
だけど、今回は違った。普通に痛みがあった。怖いというよりは、申し訳なく感じた。
「悲しむ人が居ない?あたしは心配したよ!あたしだけじゃない!古川さんも、彩ちゃんも皆心配した!」
心配した。そんな言葉、今まで、一度も言われた事は無かった。小学低学年の時は、少なからず、担任や周りに親からは、心配されていたのかもしれない。
だが、それを口にする者は、誰一人いなかった。
だから、こんな、胸が締め付けられる様な、感覚は、初めてだった。
「確かに、香織ちゃんは特殊かもしれない。そんな環境で育って、そんな事を言ってしまう様な状況に落ちてしまったのは、大人たちの責任かもしれない…。
ずっと独りぼっちで、声を上げられなくなる様な、あたしたちじゃ、想像もつかない様な、地獄の様な日々を過ごしてきたのかもしれない…。」
一瞬にして、今までの十六年分の記憶が、走馬灯の様に、頭を駆け巡った。
十六年。生まれた赤子が、高校に入学するほどの時間。私には少し長すぎた。その癖、思い出せるほどの記憶は殆どない。
「でも、今は独りじゃない。最低でもここに居る全員は、香織ちゃんが居なくなって、喜ぶ人は誰一人居ない。」
ずっと、その言葉が欲しかった。今まで、誰にも言われた事も、思われた事もなかった。
何度も、自分の人生を恨んだことも、生まれた事を後悔した事もあった。
怒られているのに、凄く、嬉しかった。この歳になって、ちゃんと目上の人に説教されるのは、初めてだった。
理不尽ではなくて、ちゃんと何が悪いのか、それが、どういう事なのか、教えてくれる人は、今井さんが初めてだった。
「香織ちゃん、聞いてる?」
俯きながらも、ついにやけてしまっていた。慌てて、表情を戻した。
「す、すみません…。こうして、叱られてのが、その…初めてで…。
今までは、怒鳴られるか無視されるかのどっちかで…。ちょっと変かもしれないですけど、それが、嬉しくて…。
怒られるって、こんなに切ないんだなと思って…。」
文章に成っていたかは分からないが、思ったことを、全部言った。しんと静まり返る店内…。寧々か彩かは分からないが、鼻をすする音が聞こえる…。すると、カラコロと下駄が地面を叩く音が、私の方に近づいて来た。
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