[完結]愛する人たちに裏切られた私は……

青空一夏

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23 マリーの因果応報

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 ※マリー視点

 私が連れてこられたのは、見るからに格式の高い、立派な貴族のお屋敷だった。
「お前はここで働くんだよ。一生な」
 そう言われ、侍女長に引き渡されて屋敷に入った私は、すぐに仕事を言い渡される。
「あなたの担当は、大旦那様。身の回りの世話がすべてです。他のことはしなくて結構」

 正直、こんな立派なお屋敷に住み込みで働けることに、神様に感謝したぐらいだ。それも、かつての当主付きの専属侍女だなんて、ある意味栄誉だとさえ思った。

 これって、ご褒美かしら?
 私が一生懸命、生きてきたことへの神様のご褒美よね?
 けれど――現実は、想像とはまるで違っていた。

 夜明け前、私は大旦那様の寝室へ向かう。扉を開けた瞬間、強烈な尿臭が鼻を突き、寝具は汚れていた。私は深く息を吐きながら、大旦那様を優しく起こし、寝巻きを脱がせる。

「何をする! 私に触れるな!」
「申し訳ございません。お着替えをお手伝いさせていただきます」

 そう伝えても、大旦那様は混乱し、私を泥棒だと勘違いして怒鳴り散らす。
 汚れた寝具を片づけ老いた体を拭き、新しい衣服を着せる間も彼の罵倒は止まない。ときに突き飛ばされ、ときに叩かれ、私は痣だらけになった。
「この盗人め! 私の財産を狙っているのだろう!」

 ​大旦那様の食事時間は、旦那様や奥様方とは異なり、ずらされていた。​食事の時間になると、私は大旦那様を支えて食堂へお連れする。
 出された料理を見るなり、皿を床に叩きつけるのは日常茶飯事だ。
 
「こんなまずいもの、食えるか!」
「申し訳ございません。すぐに別のお食事をご用意いたします」
 私は床に散らばった食べ物を拾いながら、頭を下げる。
 厨房に戻って事情を説明すると、今度は料理長に怒鳴られた。

「出されたもんをうまいこと食わすのが、お前の仕事だろうが!」
 その後も、食堂と厨房を何度も往復する。たったそれだけで、もう身体は鉛のように重くなった。

 午後には、さらなる試練が待っている。
「私の勲章がない! お前が盗んだのだろう!」
「いえ、決してそのようなことは……ご一緒に探しましょう」
 屋敷中を探し回った末に、勲章は大旦那様ご自身が隠していた場所から見つかる。
 しかし、彼はそんなことはすっかり、忘れているのだ。
「お前が戻したのだろう。この盗人め!」

 私には無実を証明する手立てがない。​侍女長は大旦那様のお心を乱した罰だとして、短い鞭で私のふくらはぎを打つ。​その痛みは、じわじわと私の心を蝕んでいった。

 夜、大旦那様を寝室へお連れすると、また怒鳴られる。
「まだ眠くない! お前は私を早く死なせたいのか!」
「とんでもございません。お休みになりたいときに、お声がけくださいませ」
 大旦那様が眠るまでそばに付き添い、自室に戻れるのは深夜だ。

 けれど、ベッドに体を沈めた瞬間――呼び鈴が鳴る。
 私は疲れた体を引きずって、再び大旦那様の部屋へ向かった。

 これは侍女の仕事ではない。呆けの進んだ老人の、介護だった。本来なら二人か三人がかりで対応するような重労働を、私はひとりで担っている。

「寒い。……ベッドに入れ」

 そう言われ、仕方なく布団に潜ると、背後から抱きしめられる。
 もう老人なので、いやらしいことをされるわけではない。だが、その代わり、彼はまるで子供のように甘えた声で私に縋る。

「ママン……ぼくね、きょうはすごくお利口だったの。がんばったよ。もうすぐ、お兄ちゃんになるんだ……」

 いったい、何年前の記憶なのだろう。夜になるたびに、大旦那様の意識は別の時代へと旅立ってしまう。その話に合わせて相槌を打つのも、私の仕事だった。
 そしてついには赤ちゃん返りし、私の胸をまさぐり、まるで乳を吸うような仕草をはじめる。

 ――これは、いつまで続くのだろう? 少なくとも、あのルーファスのお世話の方が、何千倍も楽だった。

 ◆◇◆

 ある日、この屋敷に、彼女が現れた。レティシア様――かつて私が命を賭けてお守りした、気高く、美しいお嬢様。
 その姿は、まるで女神のようだった。
 磨き抜かれた宝石のように輝く銀髪と、どんな華やかな衣装にも負けない気品を備えた佇まい。レティシア様は昔と変わらず、いや、それ以上に凛とした存在感を放っていた。

 私は、目を見開いた。

 ――ああ、やっぱり……レティシア様は、私のことを忘れていなかった……!

 自分でも驚くほど、体が勝手に動いた。
 ​あれほど傷つき、疲弊していた足が、震えながらも駆け出す。
 どれほど願ったことか。あの日、私を見捨てたのではなく――今、こうして迎えに来てくれたのだと。

 「レティシア様……! 私です、マリーです! 私を助けに来てくださったのですね……!」
 感極まって、涙が頬をつたう。
 けれど、レティシア様は、私を一瞥しただけだった。
 まるで、道ばたの石ころでも見るように。

 「……どなた?」
 凍りつくような声音で、彼女は首を傾げた。
 「私はあなたなんて、見たこともありませんわ」

 瞬間、何かが崩れ落ちた。私の中で、何かが。
 でも、私はまだ信じたかった。
 痩せて、髪も肌も荒れ果てたこの姿に気づいていないだけだと――

 「わ、私です……昔、お嬢様のお屋敷で……! それから、ルーベルト公爵家で……専属侍女のマリーですよ」

 そのとき、老執事が控えめに声をかけてきた。

 「オックスリー商会長様、こちらに。サロンへご案内します」
 「えぇ、ありがとう。さっそく用件を済ませましょう」

 レティシア様は振り返り、ドレスの裾を翻してサロンへと入っていく。その手には、分厚い帳簿が握られていた。

 ――帳簿?

 私は茫然としながら、その場に立ち尽くす。

 しばらくして、扉の奥から微かに聞こえてきたのは、事務的で冷静な声だった。
「こちらが未払い分のリストですわ。絹のカーテン、銀食器、香水、希少なスパイスにフルーツ……。このまま放置されるようでしたら、商会としては差し押さえも検討いたします。ドジソン伯爵家とはいえ、信用は一度失えば戻りませんわよ」

 ……そういうことだったのか。
 私を迎えに来たのではなかった。
 レティシア様は私を忘れていた。
 それどころか、最初から“私なんていなかった”ように生きている。

 ――でも……私……あんなに尽くしたのに……

 どれだけレティシア様の安全を祈り、身体を張って立ち回ったか。
 その日々を、今も鮮明に覚えているのに――レティシア様は、その一秒たりとも、覚えてなどいなかった。

 その場に居合わせた若い侍女たちのひそひそ声が耳に入った。
「ねえ、あの人……大旦那様の世話係でしょう? 今度はいつまで持つかしら?」
「ふっ。みんな、しばらくすると、精神崩壊しちゃうからね。もって、半年じゃないの?」
  
 そうか……私は使い捨ての使用人として売られたんだ。

 その夜、大旦那様が暴れた拍子に私は突き飛ばされ、家具の角に頭を強く打ちつけた。​視界が狭まり、鮮血が絨毯に広がっていくのを感じる。​意識が遠のく中、レティシア様の姿が浮かぶ。​思わず手を伸ばすが、その美しい人は冷たく言い放つのだ。

 「どなた?」

 そして……意識が途絶えた……

 




•───⋅⋆⁺‧₊☽⛦☾₊‧⁺⋆⋅───•

※マリーの末路、妥当だと思われた方は💓をお願いします。
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※次回からは、いよいよレティシアの幸せです。
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