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31 レティシアの幸せ-8
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ノルディアン大公が用意してくださった劇場の席は――最上階の特等席だった。カーテンで仕切られた半個室のような空間は、外界の喧騒から切り離された静寂を湛えていた。深紅の絨毯、繊細な金糸で縁取られた座席、卓上に控えるシャンパンとチーズの盛り合わせ。
告白の余韻がまだ胸の奥に残っていて、正直、少しだけ気持ちは落ち着かない。けれど、隣で静かに舞台を見つめるノルディアン大公の横顔を目にしたとたん、不思議と心が落ち着いていくのを感じた。
私はそのまま、ゆっくりと物語の世界に身を委ねていった。
劇が終わり、余韻がまだ空気の中に漂っているなかで、ノルディアン大公が穏やかに口を開く。
「舞台俳優の間の取り方が見事でしたね。あの沈黙の数秒に、すべてが込められていた」
「……私も、まさにそこに引き込まれてました。あの瞬間、息をするのも忘れていたくらいです」
目が合い、自然と微笑みがこぼれる。言葉を交わす前から同じ場面に感動していた。――そのことが、なんとも言えず嬉しかった。
その後、ノルディアン大公が選んだのは劇場近くの小さなレストラン。華美ではなく、落ち着いた照明とアンティーク調の内装が印象的な隠れ家のような店だった。
「この店の鹿肉のローストは、香り高いスパイスを効かせて焼き上げているそうなんです。赤ワインは、しっかりめのボディで合わせるのがいいですね。来られたことは?」
「いいえ、一度もありませんわ。でも、スパイス香る鹿肉に、重めの赤ワイン……想像するだけで楽しみになります。私、甘すぎるソースよりも、香りで味わえる料理のほうが好きなんです」
「それは奇遇ですね。私も、料理は香りで楽しむのが一番だと思っていて――香りに惹かれて食欲が湧く、というか」
テーブルの向こう側で、グラスを傾けながら話すノルディアン大公の表情は、穏やかで大人の余裕を感じさせた。
話題は料理の好みにとどまらず、最近の食文化の変化や、観劇中に気になった衣装の素材、幼少期に感動した絵本の話へと広がる。
どこか懐かしくて、でも誰にも話したことのないことまで、私は自然と口をついて出ていた。
「『はっぱの帽子をかぶったリスくん』という絵本なのですが、小さなリスが自分を勇者だと思い込んで旅に出るんです。
でも本当は臆病で、風の音に怯えたり、道端のきのこに話しかけてみたり……。最後には自分が勇者でもなんでもない、ただのリスだと気づくんですけど、ありのままの自分も素敵だなって悟るんです。子どもの頃の私は、その結末にどうしようもなく救われた気がして――今でも印象に残っていますわ」
つい早口になっていたことに気づいて、少しだけ口元に手を当てて笑う。
けれどノルディアン大公は、そんな私の話をひとつひとつ逃すまいとするように、頷きながら熱心に聞いていた。
その眼差しはまるで、幼いころの私まで大切にしてくれるようで――それが、心のどこかにじんと染みた。
気づけば、私は声を立てて笑っていた。飾らず、無理もせず、心から。
あら……こんなふうに笑うの、いつ以来だったかしら?
笑いながらも、ふとそんな思いが胸をよぎる。肩肘張らずにいられて感覚が通じ合って、そして、楽しい。ただ一緒にいるだけで、そう思えた――それが、今のノルディアン大公だわ。私……
。:+* ゚ ゜゚ *+:。。:+* ゚ ゜゚ *+:。
※しつこく宣伝です。
夫がよそで「家族ごっこ」していたので、別れようと思います。連載中です。
告白の余韻がまだ胸の奥に残っていて、正直、少しだけ気持ちは落ち着かない。けれど、隣で静かに舞台を見つめるノルディアン大公の横顔を目にしたとたん、不思議と心が落ち着いていくのを感じた。
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目が合い、自然と微笑みがこぼれる。言葉を交わす前から同じ場面に感動していた。――そのことが、なんとも言えず嬉しかった。
その後、ノルディアン大公が選んだのは劇場近くの小さなレストラン。華美ではなく、落ち着いた照明とアンティーク調の内装が印象的な隠れ家のような店だった。
「この店の鹿肉のローストは、香り高いスパイスを効かせて焼き上げているそうなんです。赤ワインは、しっかりめのボディで合わせるのがいいですね。来られたことは?」
「いいえ、一度もありませんわ。でも、スパイス香る鹿肉に、重めの赤ワイン……想像するだけで楽しみになります。私、甘すぎるソースよりも、香りで味わえる料理のほうが好きなんです」
「それは奇遇ですね。私も、料理は香りで楽しむのが一番だと思っていて――香りに惹かれて食欲が湧く、というか」
テーブルの向こう側で、グラスを傾けながら話すノルディアン大公の表情は、穏やかで大人の余裕を感じさせた。
話題は料理の好みにとどまらず、最近の食文化の変化や、観劇中に気になった衣装の素材、幼少期に感動した絵本の話へと広がる。
どこか懐かしくて、でも誰にも話したことのないことまで、私は自然と口をついて出ていた。
「『はっぱの帽子をかぶったリスくん』という絵本なのですが、小さなリスが自分を勇者だと思い込んで旅に出るんです。
でも本当は臆病で、風の音に怯えたり、道端のきのこに話しかけてみたり……。最後には自分が勇者でもなんでもない、ただのリスだと気づくんですけど、ありのままの自分も素敵だなって悟るんです。子どもの頃の私は、その結末にどうしようもなく救われた気がして――今でも印象に残っていますわ」
つい早口になっていたことに気づいて、少しだけ口元に手を当てて笑う。
けれどノルディアン大公は、そんな私の話をひとつひとつ逃すまいとするように、頷きながら熱心に聞いていた。
その眼差しはまるで、幼いころの私まで大切にしてくれるようで――それが、心のどこかにじんと染みた。
気づけば、私は声を立てて笑っていた。飾らず、無理もせず、心から。
あら……こんなふうに笑うの、いつ以来だったかしら?
笑いながらも、ふとそんな思いが胸をよぎる。肩肘張らずにいられて感覚が通じ合って、そして、楽しい。ただ一緒にいるだけで、そう思えた――それが、今のノルディアン大公だわ。私……
。:+* ゚ ゜゚ *+:。。:+* ゚ ゜゚ *+:。
※しつこく宣伝です。
夫がよそで「家族ごっこ」していたので、別れようと思います。連載中です。
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