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続編
1 気になる女性
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※ユリウス視点
レティシアとノルディアン大公が結婚してから、ちょうど一年が経った。
──王都・中央行政局の文書管理室にて。
今日中に提出しなければならない文書があった。
だが、商会の業務が立て込んでしまい、気づけば空はすっかり暮れていた。
本来なら、こういう書類は日中のうちに届けるべきだ。
だが、以前にも夜遅くに訪れたとき、まだ職員が残っていて受け取ってもらえたことがある。
――もしかしたら今日も誰かが残っているかもしれない。
そんな淡い希望を抱いて、俺は中央行政局に足を運んだ。
館内はしんと静まり返っていた。人気もない。
しかし、階段を上がった先――一つだけ灯りのともる部屋が目に入った。
半開きの扉。その奥から、紙をめくるかすかな音と、小さなため息が漏れてくる。
扉には、「上級書記官室」と記されていた。
「……こんな時間まで?」
声をかけると、中にいた女性がゆっくりと顔を上げた。
肩にかかるくらいの茶髪がふわりと揺れ、眼鏡越しの瞳がこちらを見つめてくる。
その目には疲れの色が浮かんでいた。
だが、それでも手を止めることなく、黙々と文書に向き合っていた。
無理をしているようにしか見えないのに、不思議と、それが彼女らしく感じられた。
「あ……はい。今日中に処理しなきゃいけない書類がまだ山ほどあって……明日の朝までに片付いてないと、全体の進行に支障が出るんです。少しでも減らしておかないと……正直、明日が地獄になりますから」
言葉は穏やかで、どこか慣れているようでもあった。だがその口調の端々には、眠気と蓄積された疲労がにじんでいた。
笑ったつもりだったのだろう。
だが、その目はどう見ても、疲れている。
机の上には、冷めた紅茶と未処理の文書が山のように積み上がっていた。
「……あなたは?」
「すみません、提出期限ぎりぎりで。これを」
封筒の中には、物資の流通記録と納税報告書。俺はそれを差し出した。
彼女は受け取ると、静かに内容を確認し、そして小さく微笑んだ。
「あなた……字が綺麗なんですね。こういうの、本当に助かります」
たったそれだけの一言だった。
しかし、妙に胸の奥があたたかくなる。
ただの感想にも聞こえた。
でもその言葉の裏に、ちゃんと人を見て、ねぎらおうとする彼女の姿勢が透けて見えた。
きっとこの人は、誰にも甘えることなく、自分で全部抱えて、
それでも人のために働き続けるんだろう。
そのひとことの向こうにあるものに、俺は気づいてしまったのかもしれない。
――放っておけない。
ふと、失恋したあのときのことを思い出す。
レティシア会長のことだ。
俺が彼女に惹かれていたのは、美しい容姿だけが理由じゃない。
たしかに、彼女は誰の目にも魅力的だった。
だが――俺の心を動かしたのは、その生き方だった。
困難に向き合うときも、誰かのせいにせず、自分の足で立ち続ける姿。
傷ついても、苦しくても、静かに涙を拭いて、また前を向く――そんな強さ。
ひたむきで、誠実で、努力を積み重ねてきた人にしか持ちえない、静かな強さだった。
ついさきほど出会ったばかりの彼女が、どことなくレティシア会長に重なって見えた。
雰囲気か、空気の纏い方か――それとも、心に宿る芯の強さか。
「……俺、ひたむきに頑張るレティシア会長を支えたかったんだよな。隣に立って、少しでも力になれたらって思ってた。でも――まあ、ノルディアン大公には敵わなかったけどな」
ぽつりと、そんな言葉がこぼれた。
そして、俺は疲れ切った瞳で、それでも笑おうとした彼女の姿が、どうしても忘れられなかった。
レティシアとノルディアン大公が結婚してから、ちょうど一年が経った。
──王都・中央行政局の文書管理室にて。
今日中に提出しなければならない文書があった。
だが、商会の業務が立て込んでしまい、気づけば空はすっかり暮れていた。
本来なら、こういう書類は日中のうちに届けるべきだ。
だが、以前にも夜遅くに訪れたとき、まだ職員が残っていて受け取ってもらえたことがある。
――もしかしたら今日も誰かが残っているかもしれない。
そんな淡い希望を抱いて、俺は中央行政局に足を運んだ。
館内はしんと静まり返っていた。人気もない。
しかし、階段を上がった先――一つだけ灯りのともる部屋が目に入った。
半開きの扉。その奥から、紙をめくるかすかな音と、小さなため息が漏れてくる。
扉には、「上級書記官室」と記されていた。
「……こんな時間まで?」
声をかけると、中にいた女性がゆっくりと顔を上げた。
肩にかかるくらいの茶髪がふわりと揺れ、眼鏡越しの瞳がこちらを見つめてくる。
その目には疲れの色が浮かんでいた。
だが、それでも手を止めることなく、黙々と文書に向き合っていた。
無理をしているようにしか見えないのに、不思議と、それが彼女らしく感じられた。
「あ……はい。今日中に処理しなきゃいけない書類がまだ山ほどあって……明日の朝までに片付いてないと、全体の進行に支障が出るんです。少しでも減らしておかないと……正直、明日が地獄になりますから」
言葉は穏やかで、どこか慣れているようでもあった。だがその口調の端々には、眠気と蓄積された疲労がにじんでいた。
笑ったつもりだったのだろう。
だが、その目はどう見ても、疲れている。
机の上には、冷めた紅茶と未処理の文書が山のように積み上がっていた。
「……あなたは?」
「すみません、提出期限ぎりぎりで。これを」
封筒の中には、物資の流通記録と納税報告書。俺はそれを差し出した。
彼女は受け取ると、静かに内容を確認し、そして小さく微笑んだ。
「あなた……字が綺麗なんですね。こういうの、本当に助かります」
たったそれだけの一言だった。
しかし、妙に胸の奥があたたかくなる。
ただの感想にも聞こえた。
でもその言葉の裏に、ちゃんと人を見て、ねぎらおうとする彼女の姿勢が透けて見えた。
きっとこの人は、誰にも甘えることなく、自分で全部抱えて、
それでも人のために働き続けるんだろう。
そのひとことの向こうにあるものに、俺は気づいてしまったのかもしれない。
――放っておけない。
ふと、失恋したあのときのことを思い出す。
レティシア会長のことだ。
俺が彼女に惹かれていたのは、美しい容姿だけが理由じゃない。
たしかに、彼女は誰の目にも魅力的だった。
だが――俺の心を動かしたのは、その生き方だった。
困難に向き合うときも、誰かのせいにせず、自分の足で立ち続ける姿。
傷ついても、苦しくても、静かに涙を拭いて、また前を向く――そんな強さ。
ひたむきで、誠実で、努力を積み重ねてきた人にしか持ちえない、静かな強さだった。
ついさきほど出会ったばかりの彼女が、どことなくレティシア会長に重なって見えた。
雰囲気か、空気の纏い方か――それとも、心に宿る芯の強さか。
「……俺、ひたむきに頑張るレティシア会長を支えたかったんだよな。隣に立って、少しでも力になれたらって思ってた。でも――まあ、ノルディアン大公には敵わなかったけどな」
ぽつりと、そんな言葉がこぼれた。
そして、俺は疲れ切った瞳で、それでも笑おうとした彼女の姿が、どうしても忘れられなかった。
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