23 / 70
22
しおりを挟む
魔獣は〈アルト〉と名付けた。
アルトと暮らし始めて、もう二月ほどが過ぎていた。
開店準備が一段落するころ、私はいつものように食堂の奥のソファ席に腰を下ろす。
大きくなったお腹をそっとなでながら、隣にぴたりと寄り添って横たわるアルトに、頬をすり寄せた。
銀灰色の毛並みをもつ魔獣――アルトは時折嬉しそうに尻尾を揺らした。見た目は大きな犬にしか見えないため、食堂に来る誰もが彼を怖がることはない。それどころか、今やこの町の人気者になっていて、商店街の女将さんたちにすっかり懐いていた。今日も変わらず、近所の商店街の女将さんたちが食堂に集まってくる。
私の身体を気にかけつつ、にぎやかなおしゃべりの花を咲かせた。
「エルナちゃん、お腹大きくなったねぇ……歩くの大変だわね。気をつけてね」
「この前仕立てた妊婦服、どうだった? 着心地悪かったら言ってね。もっと柔らかい布で作ってあげれば良かったわ」
「最近よく眠れてる? お腹が大きいと寝苦しいでしょ。抱き枕を作ってきたのよ。これ、使ってみて」
少し照れながらも、私は笑顔で「ありがとうございます」と頭を下げた。みんながこうして来てくれることが、心強くて、嬉しい。
「アルトちゃん、今日もお利口さんねえ。ほら、林檎を持ってきたよ」
「苺もあるよ~。朝仕入れたばかりの、甘いやつ!」
そのとき――アルトがぴくりと耳を動かし、女将さんたちの声に反応するように立ち上がった。
そして、ひょいと軽やかな足取りで歩み寄り、差し出された苺のそばへと顔を近づける。
「ふふ、やっぱり来たわね。はい、どうぞ」
アルトは嬉しそうに尾を小さく振りながら、苺をひと粒ずつ、大切そうにかじっていく。
その仕草はまるで、おやつをもらった子どもみたいだった。
「ほんと、なんでアルトちゃんって、こんなに食べ方が可愛いのかしらねぇ……」
「いつも苺のヘタのとこだけ、ちゃんと残すのね」
「ほんとに賢い子だわ……果物と甘いパンが好きなんて、うちの孫と一緒よ!」
女将さんたちの目はすっかりトロけていた。
そんな和やかな空気の中、食堂の扉の鈴が鳴った。
「おはよう」
低く、けれどどこかやさしい声。レオン騎士団長が、毎朝の日課のように現れた。
「アルト、今日も元気か?」
アルトはレオン団長を見上げ、しっぽをふわりと一振りして応える。
「果物に、干しぶどうがたっぷり入った甘いパンを持ってきたぞ。おや、もう女将さんたちにもらっているのか?……もっと肉が好きなもんだと思ってたが、ほんと、お前は変わってるな。女将さん達、いつもエルナとアルトがお世話になってます」
女将さんたちは、レオン団長に軽く会釈を返す。
「ありがとうございます、レオン団長。アルト、ほら、お礼は?」
苺を食べ終わったアルトは、くぅんと鳴いてから、レオン団長の手に鼻をすり寄せた。レオン団長は微笑んで、ふわふわの頭を撫でる。
そして、私の方をちらりと見やると、少し照れくさそうにしながら、持ってきた品を順に並べていく。
「それから、これも。いつもの薬草と、腰当てクッション。お腹の重さで腰が痛むって言ってたよな。それに……春物の軽い上着と、えぇと……髪飾り。無理はするなよ」
「ふふっ……ありがとうございます」
女将さんたちがにやにやしながら後ろでヒソヒソ声を飛ばす。
「また団長さん、来たわよ」
「あれ、毎日じゃない?」
「気遣いが、まるで妻を溺愛する旦那なのよ」
「いっそのこと、結婚しちゃえばいいのに」
私はその声に顔が熱くなる。レオン団長も耳まで赤くなりながら、アルトを散歩に連れて行った。
夕方になると、トミーがアルトを連れて散歩に出かける。
町の人々は、そんなふたりに果物を分けてくれたり、優しく声をかけてくれたりする。
一緒に暮らし始めたころは少し痩せていたアルトも、今ではふっくらとして、すっかり健康的になった。
日々は静かに、穏やかに流れていく。
私の体は少しずつ重くなり、椅子に腰かける時間も増えてきた。
それでも――
周りの人々のあたたかさと、アルトのやわらかなぬくもりが、いつも私を優しく支えてくれていた。
そしてある朝のこと。その日は食堂の定休日だった。
空はどこか白く霞んでいて、肌寒いような、でも春の匂いが混じった静かな朝だった。
私はふいに、下腹に鈍い痛みを感じて、思わずしゃがみ込む。
「あ……」
お腹に手を当てた瞬間、体の奥で何かがゆっくりと動き出すのを感じた。まだ弱いけれど、確かに始まっている――そんな予感。
アルトがすぐにそばへ駆け寄り、私の顔をじっと見上げる。その金色の瞳には、不安と心配が浮かんでいた。
「大丈夫……だから……女将さんたちを呼んできて……生まれそうなの……」
かすかに微笑んでみせると、アルトはしっかりと理解し、くるりと振り返って駆け出した。戸口を軽やかに抜け、まっすぐ商店街の方角へ。
遠ざかっていく足音を聞きながら、私はそっとお腹に手を当てる。――陣痛の痛みをこらえながら。
* * * つづく
。:+* ゚ ゜゚ *+:。。:+* ゚ ゜゚ *+:。
※先日のアレグランの続きは、また夜の更新で投稿しますので、よろしくお願いします。エルナを応援したいと思われたら、💓かエールをしていただけると、エルナもアルトも喜びます🤗
アルトと暮らし始めて、もう二月ほどが過ぎていた。
開店準備が一段落するころ、私はいつものように食堂の奥のソファ席に腰を下ろす。
大きくなったお腹をそっとなでながら、隣にぴたりと寄り添って横たわるアルトに、頬をすり寄せた。
銀灰色の毛並みをもつ魔獣――アルトは時折嬉しそうに尻尾を揺らした。見た目は大きな犬にしか見えないため、食堂に来る誰もが彼を怖がることはない。それどころか、今やこの町の人気者になっていて、商店街の女将さんたちにすっかり懐いていた。今日も変わらず、近所の商店街の女将さんたちが食堂に集まってくる。
私の身体を気にかけつつ、にぎやかなおしゃべりの花を咲かせた。
「エルナちゃん、お腹大きくなったねぇ……歩くの大変だわね。気をつけてね」
「この前仕立てた妊婦服、どうだった? 着心地悪かったら言ってね。もっと柔らかい布で作ってあげれば良かったわ」
「最近よく眠れてる? お腹が大きいと寝苦しいでしょ。抱き枕を作ってきたのよ。これ、使ってみて」
少し照れながらも、私は笑顔で「ありがとうございます」と頭を下げた。みんながこうして来てくれることが、心強くて、嬉しい。
「アルトちゃん、今日もお利口さんねえ。ほら、林檎を持ってきたよ」
「苺もあるよ~。朝仕入れたばかりの、甘いやつ!」
そのとき――アルトがぴくりと耳を動かし、女将さんたちの声に反応するように立ち上がった。
そして、ひょいと軽やかな足取りで歩み寄り、差し出された苺のそばへと顔を近づける。
「ふふ、やっぱり来たわね。はい、どうぞ」
アルトは嬉しそうに尾を小さく振りながら、苺をひと粒ずつ、大切そうにかじっていく。
その仕草はまるで、おやつをもらった子どもみたいだった。
「ほんと、なんでアルトちゃんって、こんなに食べ方が可愛いのかしらねぇ……」
「いつも苺のヘタのとこだけ、ちゃんと残すのね」
「ほんとに賢い子だわ……果物と甘いパンが好きなんて、うちの孫と一緒よ!」
女将さんたちの目はすっかりトロけていた。
そんな和やかな空気の中、食堂の扉の鈴が鳴った。
「おはよう」
低く、けれどどこかやさしい声。レオン騎士団長が、毎朝の日課のように現れた。
「アルト、今日も元気か?」
アルトはレオン団長を見上げ、しっぽをふわりと一振りして応える。
「果物に、干しぶどうがたっぷり入った甘いパンを持ってきたぞ。おや、もう女将さんたちにもらっているのか?……もっと肉が好きなもんだと思ってたが、ほんと、お前は変わってるな。女将さん達、いつもエルナとアルトがお世話になってます」
女将さんたちは、レオン団長に軽く会釈を返す。
「ありがとうございます、レオン団長。アルト、ほら、お礼は?」
苺を食べ終わったアルトは、くぅんと鳴いてから、レオン団長の手に鼻をすり寄せた。レオン団長は微笑んで、ふわふわの頭を撫でる。
そして、私の方をちらりと見やると、少し照れくさそうにしながら、持ってきた品を順に並べていく。
「それから、これも。いつもの薬草と、腰当てクッション。お腹の重さで腰が痛むって言ってたよな。それに……春物の軽い上着と、えぇと……髪飾り。無理はするなよ」
「ふふっ……ありがとうございます」
女将さんたちがにやにやしながら後ろでヒソヒソ声を飛ばす。
「また団長さん、来たわよ」
「あれ、毎日じゃない?」
「気遣いが、まるで妻を溺愛する旦那なのよ」
「いっそのこと、結婚しちゃえばいいのに」
私はその声に顔が熱くなる。レオン団長も耳まで赤くなりながら、アルトを散歩に連れて行った。
夕方になると、トミーがアルトを連れて散歩に出かける。
町の人々は、そんなふたりに果物を分けてくれたり、優しく声をかけてくれたりする。
一緒に暮らし始めたころは少し痩せていたアルトも、今ではふっくらとして、すっかり健康的になった。
日々は静かに、穏やかに流れていく。
私の体は少しずつ重くなり、椅子に腰かける時間も増えてきた。
それでも――
周りの人々のあたたかさと、アルトのやわらかなぬくもりが、いつも私を優しく支えてくれていた。
そしてある朝のこと。その日は食堂の定休日だった。
空はどこか白く霞んでいて、肌寒いような、でも春の匂いが混じった静かな朝だった。
私はふいに、下腹に鈍い痛みを感じて、思わずしゃがみ込む。
「あ……」
お腹に手を当てた瞬間、体の奥で何かがゆっくりと動き出すのを感じた。まだ弱いけれど、確かに始まっている――そんな予感。
アルトがすぐにそばへ駆け寄り、私の顔をじっと見上げる。その金色の瞳には、不安と心配が浮かんでいた。
「大丈夫……だから……女将さんたちを呼んできて……生まれそうなの……」
かすかに微笑んでみせると、アルトはしっかりと理解し、くるりと振り返って駆け出した。戸口を軽やかに抜け、まっすぐ商店街の方角へ。
遠ざかっていく足音を聞きながら、私はそっとお腹に手を当てる。――陣痛の痛みをこらえながら。
* * * つづく
。:+* ゚ ゜゚ *+:。。:+* ゚ ゜゚ *+:。
※先日のアレグランの続きは、また夜の更新で投稿しますので、よろしくお願いします。エルナを応援したいと思われたら、💓かエールをしていただけると、エルナもアルトも喜びます🤗
5,904
あなたにおすすめの小説
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】
星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
【完結】離縁ですか…では、私が出掛けている間に出ていって下さいね♪
山葵
恋愛
突然、カイルから離縁して欲しいと言われ、戸惑いながらも理由を聞いた。
「俺は真実の愛に目覚めたのだ。マリアこそ俺の運命の相手!」
そうですか…。
私は離婚届にサインをする。
私は、直ぐに役所に届ける様に使用人に渡した。
使用人が出掛けるのを確認してから
「私とアスベスが旅行に行っている間に荷物を纏めて出ていって下さいね♪」
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
【完結】私から全てを奪った妹は、地獄を見るようです。
凛 伊緒
恋愛
「サリーエ。すまないが、君との婚約を破棄させてもらう!」
リデイトリア公爵家が開催した、パーティー。
その最中、私の婚約者ガイディアス・リデイトリア様が他の貴族の方々の前でそう宣言した。
当然、注目は私達に向く。
ガイディアス様の隣には、私の実の妹がいた──
「私はシファナと共にありたい。」
「分かりました……どうぞお幸せに。私は先に帰らせていただきますわ。…失礼致します。」
(私からどれだけ奪えば、気が済むのだろう……。)
妹に宝石類を、服を、婚約者を……全てを奪われたサリーエ。
しかし彼女は、妹を最後まで責めなかった。
そんな地獄のような日々を送ってきたサリーエは、とある人との出会いにより、運命が大きく変わっていく。
それとは逆に、妹は──
※全11話構成です。
※作者がシステムに不慣れな時に書いたものなので、ネタバレの嫌な方はコメント欄を見ないようにしていただければと思います……。
【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。
文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。
父王に一番愛される姫。
ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。
優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。
しかし、彼は居なくなった。
聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。
そして、二年後。
レティシアナは、大国の王の妻となっていた。
※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。
小説家になろうにも投稿しています。
エールありがとうございます!
病弱な幼馴染と婚約者の目の前で私は攫われました。
鍋
恋愛
フィオナ・ローレラは、ローレラ伯爵家の長女。
キリアン・ライアット侯爵令息と婚約中。
けれど、夜会ではいつもキリアンは美しく儚げな女性をエスコートし、仲睦まじくダンスを踊っている。キリアンがエスコートしている女性の名はセレニティー・トマンティノ伯爵令嬢。
セレニティーとキリアンとフィオナは幼馴染。
キリアンはセレニティーが好きだったが、セレニティーは病弱で婚約出来ず、キリアンの両親は健康なフィオナを婚約者に選んだ。
『ごめん。セレニティーの身体が心配だから……。』
キリアンはそう言って、夜会ではいつもセレニティーをエスコートしていた。
そんなある日、フィオナはキリアンとセレニティーが濃厚な口づけを交わしているのを目撃してしまう。
※ゆるふわ設定
※ご都合主義
※一話の長さがバラバラになりがち。
※お人好しヒロインと俺様ヒーローです。
※感想欄ネタバレ配慮ないのでお気をつけくださいませ。
【完結】旦那様は、妻の私よりも平民の愛人を大事にしたいようです
よどら文鳥
恋愛
貴族のことを全く理解していない旦那様は、愛人を紹介してきました。
どうやら愛人を第二夫人に招き入れたいそうです。
ですが、この国では一夫多妻制があるとはいえ、それは十分に養っていける環境下にある上、貴族同士でしか認められません。
旦那様は貴族とはいえ現状無職ですし、愛人は平民のようです。
現状を整理すると、旦那様と愛人は不倫行為をしているというわけです。
貴族の人間が不倫行為などすれば、この国での処罰は極刑の可能性もあります。
それすら理解せずに堂々と……。
仕方がありません。
旦那様の気持ちはすでに愛人の方に夢中ですし、その願い叶えられるように私も協力致しましょう。
ただし、平和的に叶えられるかは別です。
政略結婚なので、周りのことも考えると離婚は簡単にできません。ならばこれくらいの抵抗は……させていただきますよ?
ですが、周囲からの協力がありまして、離婚に持っていくこともできそうですね。
折角ですので離婚する前に、愛人と旦那様が私たちの作戦に追い詰められているところもじっくりとこの目で見ておこうかと思います。
君を愛す気はない?どうぞご自由に!あなたがいない場所へ行きます。
みみぢあん
恋愛
貧乏なタムワース男爵家令嬢のマリエルは、初恋の騎士セイン・ガルフェルト侯爵の部下、ギリス・モリダールと結婚し初夜を迎えようとするが… 夫ギリスの暴言に耐えられず、マリエルは神殿へ逃げこんだ。
マリエルは身分違いで告白をできなくても、セインを愛する自分が、他の男性と結婚するのは間違いだと、自立への道をあゆもうとする。
そんなマリエルをセインは心配し… マリエルは愛するセインの優しさに苦悩する。
※ざまぁ系メインのお話ではありません、ご注意を😓
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる