44 / 70
41 恥をかくドネロン伯爵夫人。そして腹いせに……
しおりを挟む
旦那様の目がルカの頬の涙の跡と、男の子の手に握られた騎士の人形に向けられる。
「おや……そのおもちゃ、俺の息子の大事な物だな。どうして君が持っている?」
いつもの穏やかな声だったけれど、空気がひんやりと引き締まるのを感じた。
「子供のしたことですから、大ごとにしないでくださいまし」
割って入ったのは、やはり母親のドネロン伯爵夫人だ。
旦那様はその言葉を無言で受け流しながら、ぐったりと床に身を横たえたアルトの姿に目を止めた。
「……アルト。おまえ、背中に翼……? 伝説の神獣そっくりじゃないか。いや、まさか本当に?」
そう言いながらも、旦那様はアルトに駆け寄りひざをつき、優しく撫でてやる。私も後に続いて顔を覗き込むと、アルトはスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていただけだった。
「神獣様は力を使ったあとは、しばらくお休みになるという記述が、神殿にありましたわね」
ヴェルツェル公爵夫人が、ふとそんなことを口にした。なるほど、そんな記述を、どこかの文献で目にした記憶がある。
すると、ルカがぺたんとアルトのお腹の横に座った。
「あると、えらかったね。ぼく、まもってくれたの。すごいよ」
そう言って、ふわふわの首元に小さな腕を回し、ぽふんと頬を寄せる。
そのままウトウトと……その寝顔は、心の底から安心しきっているようだった。
「まるで神話の一場面みたいですわね。神獣と、愛らしい幼子……。ルカちゃんは、神獣を従えた騎士になるのかしら? まぁ、なんて素敵な未来でしょう」
ヴェルツェル公爵夫人がぽつりと呟くと、貴婦人たちの間からも、うっとりとしたようなため息がこぼれた。
旦那様はその光景を静かに見守りながら、小さく息を吐く。
「……ああ、俺の家族って、本当に誇らしいな。最愛の妻と、愛らしくも優しい息子。それに神獣までついてくるとは、贅沢な話だ」
そのとき、ドネロン伯爵夫人が、どさくさに紛れて子息の手を引き、こっそりその場を離れようとしていた。
「お待ちを。まだ話は終わっていない」
旦那様の声が低く響くと、夫人の肩がピクリと揺れた。
「あなたは平民をお嫌いだそうだが――俺の妻はグリーンウッド侯爵夫人だ。そして、ルカは俺の息子。たとえ血が繋がっていなくとも、かけがえのない大切な子だ。正式にドネロン伯爵家宛てに抗議文を送らせてもらう。……そのつもりで」
「まったく……。平民を蔑むほどの家柄でもありませんでしょうに。たしか、ドネロン伯爵夫人のご実家は、一代限りの男爵家だったと記憶していますわ。――片腹痛いこと」
ヴェルツェル公爵夫人の言葉に、ドネロン伯爵夫人は顔を真っ赤に染めながら、足早に立ち去った。
――あの子供、大丈夫かしら? ドネロン伯爵夫人も、少しでも考えを改めてくれるといいのだけれど……
※ドネロン伯爵夫人視点
――……許せないわ、絶対に。
なによ、あの女。平民のくせに、あんなに余裕のある顔で、貴婦人たちの前に立つなんて……。
しかも夫は王都騎士団長? 子どもは神獣に守られてるですって? ふざけないで!
どうせ“いい人ぶってる”だけ。裏ではきっと、なにかやましいことをしてるのよ。
あんなすごい“神獣”を手懐けてるなんて――気に入らない。
……そうよ。神殿に報告しなくちゃ。
私はその足で、すぐに神殿へ向かった。
「レオン王都騎士団長の奥様、グリーンウッド侯爵夫人のことなのですけれど――神獣を手なずけて、もとは平民の騎士だったくせに、レオン様まで誘惑して今の地位を手に入れて……。きっと、あの女は悪い魔女ですわ!」
私は腹いせに、そうまくし立てるように言った。
「……なるほど。それは、看過できませんな。上にも報告いたします」
思ったよりも真面目に聖務官に受け止められて、私は少し意外だった。
どうせ神殿なんて、形ばかりの対応しかしないと思っていたのに。
しばらく待たされた後、奥の扉が音もなく開いた。
そして現れたのは――神殿の頂点、コルネリオ大神官。
――え? まさか……本当に?
コルネリオ大神官は、まるで愉快な玩具でも見つけたかのように微笑んで呟いた。
「大層貴重な情報をいただきまして、感謝に堪えません。この件、私が直接預かりましょう」
――……まさか、コルネリオ大神官ご本人が出てくるなんて。
私、ほんの“ちょっと”言ってやりたかっただけなのに――
ふふ……でも。これは、思った以上に、面白いことになりそうですわね。
つづく
•───⋅⋆⁺‧₊☽⛦☾₊‧⁺⋆⋅───•
※お知らせ:
これまで、ほぼ、決まった時間、朝6時・夕方18時の1日2回更新でしたが、今後は【夕方18時】の1日1回に変更させていただきます。
無理のないペースで、丁寧に続きをお届けしていきますので、どうか変わらずお付き合いいただければ嬉しいです!
「おや……そのおもちゃ、俺の息子の大事な物だな。どうして君が持っている?」
いつもの穏やかな声だったけれど、空気がひんやりと引き締まるのを感じた。
「子供のしたことですから、大ごとにしないでくださいまし」
割って入ったのは、やはり母親のドネロン伯爵夫人だ。
旦那様はその言葉を無言で受け流しながら、ぐったりと床に身を横たえたアルトの姿に目を止めた。
「……アルト。おまえ、背中に翼……? 伝説の神獣そっくりじゃないか。いや、まさか本当に?」
そう言いながらも、旦那様はアルトに駆け寄りひざをつき、優しく撫でてやる。私も後に続いて顔を覗き込むと、アルトはスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていただけだった。
「神獣様は力を使ったあとは、しばらくお休みになるという記述が、神殿にありましたわね」
ヴェルツェル公爵夫人が、ふとそんなことを口にした。なるほど、そんな記述を、どこかの文献で目にした記憶がある。
すると、ルカがぺたんとアルトのお腹の横に座った。
「あると、えらかったね。ぼく、まもってくれたの。すごいよ」
そう言って、ふわふわの首元に小さな腕を回し、ぽふんと頬を寄せる。
そのままウトウトと……その寝顔は、心の底から安心しきっているようだった。
「まるで神話の一場面みたいですわね。神獣と、愛らしい幼子……。ルカちゃんは、神獣を従えた騎士になるのかしら? まぁ、なんて素敵な未来でしょう」
ヴェルツェル公爵夫人がぽつりと呟くと、貴婦人たちの間からも、うっとりとしたようなため息がこぼれた。
旦那様はその光景を静かに見守りながら、小さく息を吐く。
「……ああ、俺の家族って、本当に誇らしいな。最愛の妻と、愛らしくも優しい息子。それに神獣までついてくるとは、贅沢な話だ」
そのとき、ドネロン伯爵夫人が、どさくさに紛れて子息の手を引き、こっそりその場を離れようとしていた。
「お待ちを。まだ話は終わっていない」
旦那様の声が低く響くと、夫人の肩がピクリと揺れた。
「あなたは平民をお嫌いだそうだが――俺の妻はグリーンウッド侯爵夫人だ。そして、ルカは俺の息子。たとえ血が繋がっていなくとも、かけがえのない大切な子だ。正式にドネロン伯爵家宛てに抗議文を送らせてもらう。……そのつもりで」
「まったく……。平民を蔑むほどの家柄でもありませんでしょうに。たしか、ドネロン伯爵夫人のご実家は、一代限りの男爵家だったと記憶していますわ。――片腹痛いこと」
ヴェルツェル公爵夫人の言葉に、ドネロン伯爵夫人は顔を真っ赤に染めながら、足早に立ち去った。
――あの子供、大丈夫かしら? ドネロン伯爵夫人も、少しでも考えを改めてくれるといいのだけれど……
※ドネロン伯爵夫人視点
――……許せないわ、絶対に。
なによ、あの女。平民のくせに、あんなに余裕のある顔で、貴婦人たちの前に立つなんて……。
しかも夫は王都騎士団長? 子どもは神獣に守られてるですって? ふざけないで!
どうせ“いい人ぶってる”だけ。裏ではきっと、なにかやましいことをしてるのよ。
あんなすごい“神獣”を手懐けてるなんて――気に入らない。
……そうよ。神殿に報告しなくちゃ。
私はその足で、すぐに神殿へ向かった。
「レオン王都騎士団長の奥様、グリーンウッド侯爵夫人のことなのですけれど――神獣を手なずけて、もとは平民の騎士だったくせに、レオン様まで誘惑して今の地位を手に入れて……。きっと、あの女は悪い魔女ですわ!」
私は腹いせに、そうまくし立てるように言った。
「……なるほど。それは、看過できませんな。上にも報告いたします」
思ったよりも真面目に聖務官に受け止められて、私は少し意外だった。
どうせ神殿なんて、形ばかりの対応しかしないと思っていたのに。
しばらく待たされた後、奥の扉が音もなく開いた。
そして現れたのは――神殿の頂点、コルネリオ大神官。
――え? まさか……本当に?
コルネリオ大神官は、まるで愉快な玩具でも見つけたかのように微笑んで呟いた。
「大層貴重な情報をいただきまして、感謝に堪えません。この件、私が直接預かりましょう」
――……まさか、コルネリオ大神官ご本人が出てくるなんて。
私、ほんの“ちょっと”言ってやりたかっただけなのに――
ふふ……でも。これは、思った以上に、面白いことになりそうですわね。
つづく
•───⋅⋆⁺‧₊☽⛦☾₊‧⁺⋆⋅───•
※お知らせ:
これまで、ほぼ、決まった時間、朝6時・夕方18時の1日2回更新でしたが、今後は【夕方18時】の1日1回に変更させていただきます。
無理のないペースで、丁寧に続きをお届けしていきますので、どうか変わらずお付き合いいただければ嬉しいです!
2,513
あなたにおすすめの小説
【完結】すり替えられた公爵令嬢
鈴蘭
恋愛
帝国から嫁いで来た正妻キャサリンと離縁したあと、キャサリンとの間に出来た娘を捨てて、元婚約者アマンダとの間に出来た娘を嫡子として第一王子の婚約者に差し出したオルターナ公爵。
しかし王家は帝国との繋がりを求め、キャサリンの血を引く娘を欲していた。
妹が入れ替わった事に気付いた兄のルーカスは、事実を親友でもある第一王子のアルフレッドに告げるが、幼い二人にはどうする事も出来ず時間だけが流れて行く。
本来なら庶子として育つ筈だったマルゲリーターは公爵と後妻に溺愛されており、自身の中に高貴な血が流れていると信じて疑いもしていない、我儘で自分勝手な公女として育っていた。
完璧だと思われていた娘の入れ替えは、捨てた娘が学園に入学して来た事で、綻びを見せて行く。
視点がコロコロかわるので、ナレーション形式にしてみました。
お話が長いので、主要な登場人物を紹介します。
ロイズ王国
エレイン・フルール男爵令嬢 15歳
ルーカス・オルターナ公爵令息 17歳
アルフレッド・ロイズ第一王子 17歳
マルゲリーター・オルターナ公爵令嬢 15歳
マルゲリーターの母 アマンダ・オルターナ
エレインたちの父親 シルベス・オルターナ
パトリシア・アンバタサー エレインのクラスメイト
アルフレッドの側近
カシュー・イーシヤ 18歳
ダニエル・ウイロー 16歳
マシュー・イーシヤ 15歳
帝国
エレインとルーカスの母 キャサリン帝国の侯爵令嬢(前皇帝の姪)
キャサリンの再婚相手 アンドレイ(キャサリンの従兄妹)
隣国ルタオー王国
バーバラ王女
永遠の誓いをあなたに ~何でも欲しがる妹がすべてを失ってからわたしが溺愛されるまで~
畔本グラヤノン
恋愛
両親に愛される妹エイミィと愛されない姉ジェシカ。ジェシカはひょんなことで公爵令息のオーウェンと知り合い、周囲から婚約を噂されるようになる。ある日ジェシカはオーウェンに王族の出席する式典に招待されるが、ジェシカの代わりに式典に出ることを目論んだエイミィは邪魔なジェシカを消そうと考えるのだった。
悪役令嬢は調理場に左遷されましたが、激ウマご飯で氷の魔公爵様を餌付けしてしまったようです~「もう離さない」って、胃袋の話ですか?~
咲月ねむと
恋愛
「君のような地味な女は、王太子妃にふさわしくない。辺境の『魔公爵』のもとへ嫁げ!」
卒業パーティーで婚約破棄を突きつけられた悪役令嬢レティシア。
しかし、前世で日本人調理師だった彼女にとって、堅苦しい王妃教育から解放されることはご褒美でしかなかった。
「これで好きな料理が作れる!」
ウキウキで辺境へ向かった彼女を待っていたのは、荒れ果てた別邸と「氷の魔公爵」と恐れられるジルベール公爵。
冷酷無慈悲と噂される彼だったが――その正体は、ただの「極度の偏食家で、常に空腹で不機嫌なだけ」だった!?
レティシアが作る『肉汁溢れるハンバーグ』『とろとろオムライス』『伝説のプリン』に公爵の胃袋は即陥落。
「君の料理なしでは生きられない」
「一生そばにいてくれ」
と求愛されるが、色気より食い気のレティシアは「最高の就職先ゲット!」と勘違いして……?
一方、レティシアを追放した王太子たちは、王宮の食事が不味くなりすぎて絶望の淵に。今さら「戻ってきてくれ」と言われても、もう遅いです!
美味しいご飯で幸せを掴む、空腹厳禁の異世界クッキング・ファンタジー!
【完結】結婚しておりませんけど?
との
恋愛
「アリーシャ⋯⋯愛してる」
「私も愛してるわ、イーサン」
真実の愛復活で盛り上がる2人ですが、イーサン・ボクスと私サラ・モーガンは今日婚約したばかりなんですけどね。
しかもこの2人、結婚式やら愛の巣やらの準備をはじめた上に私にその費用を負担させようとしはじめました。頭大丈夫ですかね〜。
盛大なるざまぁ⋯⋯いえ、バリエーション豊かなざまぁを楽しんでいただきます。
だって、私の友達が張り切っていまして⋯⋯。どうせならみんなで盛り上がろうと、これはもう『ざまぁパーティー』ですかね。
「俺の苺ちゃんがあ〜」
「早い者勝ち」
ーーーーーー
ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。
完結しました。HOT2位感謝です\(//∇//)\
R15は念の為・・
醜い私は妹の恋人に騙され恥をかかされたので、好きな人と旅立つことにしました
つばめ
恋愛
幼い頃に妹により火傷をおわされた私はとても醜い。だから両親は妹ばかりをかわいがってきた。伯爵家の長女だけれど、こんな私に婿は来てくれないと思い、領地運営を手伝っている。
けれど婚約者を見つけるデェビュタントに参加できるのは今年が最後。どうしようか迷っていると、公爵家の次男の男性と出会い、火傷痕なんて気にしないで参加しようと誘われる。思い切って参加すると、その男性はなんと妹をエスコートしてきて……どうやら妹の恋人だったらしく、周りからお前ごときが略奪できると思ったのかと責められる。
会場から逃げ出し失意のどん底の私は、当てもなく王都をさ迷った。ぼろぼろになり路地裏にうずくまっていると、小さい頃に虐げられていたのをかばってくれた、商家の男性が現れて……
両親から謝ることもできない娘と思われ、妹の邪魔する存在と決めつけられて養子となりましたが、必要のないもの全てを捨てて幸せになれました
珠宮さくら
恋愛
伯爵家に生まれたユルシュル・バシュラールは、妹の言うことばかりを信じる両親と妹のしていることで、最低最悪な婚約者と解消や破棄ができたと言われる日々を送っていた。
一見良いことのように思えることだが、実際は妹がしていることは褒められることではなかった。
更には自己中な幼なじみやその異母妹や王妃や側妃たちによって、ユルシュルは心労の尽きない日々を送っているというのにそれに気づいてくれる人は周りにいなかったことで、ユルシュルはいつ倒れてもおかしくない状態が続いていたのだが……。
愛する夫が目の前で別の女性と恋に落ちました。
ましゅぺちーの
恋愛
伯爵令嬢のアンジェは公爵家の嫡男であるアランに嫁いだ。
子はなかなかできなかったが、それでも仲の良い夫婦だった。
――彼女が現れるまでは。
二人が結婚して五年を迎えた記念パーティーでアランは若く美しい令嬢と恋に落ちてしまう。
それからアランは変わり、何かと彼女のことを優先するようになり……
フッてくれてありがとう
nanahi
恋愛
「子どもができたんだ」
ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。
「誰の」
私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。
でも私は知っている。
大学生時代の元カノだ。
「じゃあ。元気で」
彼からは謝罪の一言さえなかった。
下を向き、私はひたすら涙を流した。
それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。
過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる