冷遇された妻は愛を求める

チカフジ ユキ

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 いつもは清廉としている神殿が異様な熱気に包まれている。

 貴族だけでなく、平民でさえも面白おかしく記事を書き立て、三流新聞のような見出しのせいだと思えば、ため息が出る。
 貴族のもめごとは、平民にとって雲の上での出来事なのに、今回の件に平民出身の上級貴族であるローレンツ・ベッカーが関わっているせいで、貴族だけでなく平民にも関心の高い出来事になった。
 きっと、アリーシアの夫であるヘンリーはこの事に苛立っていそうだと思った。
 貴族の子爵家出身であるアリーシアでさえも下級貴族として下に見られ、まるで人権がないかのように扱われていたくらいなのだから、平民が自分のことをネタにして盛り上がっている事はきっと我慢ならないはずだ。

 それに比べてローレンツは全く気にしていないようだ。
 むしろ、その記事を笑って受け入れている。
 おそらく、自分自身に絶対的な自信があるからこそ、こんなふざけた話も寛容に受け入れているのだろう。
 はじめからヘンリーとは器が違いすぎた。

 貴族とは、平民とは、最近よくアリーシアは考える。

 貴族であるための義務を怠るなとはよく言われたが、その義務とは父親の言う通りに過ごし、家のために結婚することだとずっと思っていた。
 結婚したら、婚家を盛り上げるために夫を内外で立て、家政に勤しみ、次代を産み、育てていく。
 それが女性貴族の義務なのだと。

 そこに幸せは必要ない。
 平民以上に豊かな暮らしをして恵まれた生活を送れているのだから、感情を優先する事は許されないと厳しく言われてきた。

 しかし、ここではみな理性を保ちつつ、感情で動くことが多い。
 ローレンツ自身も平民だ。
 平民との関係に近いこの邸宅では、ある意味アリーシアのような存在は異質。
 貴族は平民を統治するがゆえに、威厳が必要で舐められるようであれば、全てが瓦解することもある。
 ローレンツは、あらゆる意味でアリーシアが関わってきた貴族とは違う。

 感情で行動しながらも、理知的で寛大。
 優しさも持ちながら、同時に厳しさも持ち合わせ、時に非情な決断も即決していく。
 平民への感謝の気持ちも忘れず、まるで親しい友人の様に付き合いつつも、仕える主人としてきちんと認められている。

 考えれば考えるほど、不思議な存在だ。

 今もこうして向かい合って馬車に乗り、神殿に来てくれている。

 自分の目的のために動けばいいのに、アリーシアを助けたことで、きっと考えていた復讐が変更せざる状況になっているだろうに、しかも当事者のように裁判に向かい合うことになった。

「大丈夫か?」
「はい……少し緊張しているだけですので」

 王家からの信頼が厚い人なのに、こんな醜聞に巻き込んで、きっと上からも相当言われているに違いない。
 それをアリーシアに感じさせることはない。

 それさえも、些細な問題とでも言うように。

「上級貴族とはいえ、すでに影響力などほとんどない貴族に負けるものか」
「自信が、おありなのですね」
「あの家を堂々と非難できるような場に、俺が大人しくしていると思うか? 負ける要素が一切ないのに。さて、どんな顔をするか楽しみだ」

 ローレンツにしたから、これはまだ幕開けに過ぎないようだ。
 ただの軽い、あいさつ代わり。

 アリーシアを利用するだけの事。

「俺も言いたいことが言うが、シアも言いたいことはこの場で言っておいた方がいい。貴族でなくなると思うのならなおさら。何も言わないより、言っておいた方が向こうの心象もかわるからな」

 それには、アリーシアも頷く。
 今までただ従うだけでよかった。
 それが自分にとっての義務だったから。

 貴族としての矜持、義務、そんなものすべて無くすのなら、全てをさらけ出したとしても、恥ずかしくはない。
 一時、新聞をにぎわせるかもしれないが、日々人の興味は移っていく。

 むしろ、貴族社会で、社交界で生きて行くであろうヘンリーの方が苦しい立場に立たされる。
 そう思うと、少しだけ心が軽くなった。

 ヘンリーを恨んでいるのか、恐れているのか分からないが、彼の名前を聞くと、どこかで震える心がある。
 だからこそ、もうすべてを終わらせたかった。
 
 この先苦労することがたくさんあっても、縁を切りたかった。
 恐怖することなく、笑って生きてきたい、そう願った。

「心配はいらない。何かあっても、守るから。さて、行こうか」
「はい、ありがとうございます」

 いつか、この恩は絶対に返すと心に近い、アリーシアは馬車を降りた。



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