わたしはドルチェじゃありません! ~敏腕コンサルのめちゃあま計画~

ichigo/小日向江麻

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1巻

1-3

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 こうしてふたりが横に並ぶと、身長に頭一つ分以上も差があった。蛭田さんが塩顔のイケメン――蒲生さんを見上げる形で話を続ける。

「大家の私が言うのも何ですがね、この店はお客が寄りつかなくていつもガラガラ。いくら蒲生さんの敏腕びんわんぶりでも、どうにかすることは難しい――いや、無理、でしょうな」

 蛭田さんはわたしを一瞥いちべつすると、バカにする風に笑った。
 蛭田さんはわたしの苛立いらだちをあおるようにさらに続ける。

「僕も初めてここを訪れたときは面食らいましたよ。センスはないわ、薄汚いわ、古いわの三重苦でしょう?」

 蛭田さんは同意を求めるように、蒲生さんに問いかける。

「それは、まあ」
「っ!?」

 すると、蒲生さんはあっさりとそれを肯定した。
 ――ちょっと、わたしの味方をしてくれるんじゃないの!?

「そうでしょう、そうでしょう。やはり話がわかる方だな、蒲生さんは」

 蒲生さんの返事に気をよくしたのか、蛭田さんは勝ちほこった様子でわたしを見た。

「さぁ、わかっただろう? 大人しく僕の四番目の妻になるんだ。そうすれば、店の家賃は未来永劫えいごうこちらで負担してやる。たとえこの先店が繁盛はんじょうしなくても、ね。……すべてが丸く収まる。むしろ、これ以上ない好条件のはずだ」

 蛭田さんはカウンターの中にいるわたしと距離をちぢめるため、こちらへ身を乗り出した。依然として、その顔には生温なまぬるい笑みが貼りついている。

「みやびちゃん、もう待てないよ。今すぐ決断するんだ。新婚旅行はどこがいい? ハワイか、セブか? タヒチなんかもいいねぇ。結婚式も盛大にやろう。僕の妻たちも一緒に――ああ、もしかして新しい生活が不安かな? 心配しなくていい。子どもでも産めば、妻たちともすぐに打ち解けて仲良くなれるだろう」

 次第に早口になっていく蛭田さん。そのおぞましい台詞せりふに、悪寒おかんが走る。
 いい加減にしてよ! と、また爆発しかけたそのとき――

「今どき政略結婚なんて流行はやらないだろう、くだらない」

 蒲生さんが吐き捨てるように言った。

「何?」
「戦国時代じゃあるまいし、今は自由恋愛が主流だ。店を盾に結婚を強要するなんて、時代錯誤さくごはなはだしい」
「あんたには関係ないだろう! それに、こちらは何ヶ月も家賃を待ってやってるんだぞ。こんなみすぼらしい、美味うまくもない菓子なんかを売ってる店、価値がないも同然。本来ならつぶしたって構わないが、せめてラストチャンスを与えてやろうって話のどこが悪い?」

 蛭田さんは自分の低俗な下心を、バッサリと否定されたのが気に食わなかったのだろう。取りつくろっていた口調が崩れるのも構わずに言い返す。
 すると、蒲生さんの左の眉がぴくりと動き、ちょっと不機嫌そうに顔をしかめる。

「彼女の――いや、この店の名誉のために訂正してもらいたい。たしかに古臭くてみすぼらしいかもしれないが、菓子は美味うまい。それは俺が実際に食べてそう思ったのだから、間違いない。ゆえに、価値がない、という表現は誤りだ」
「だからどうした。客が入ってないのだから、店としての価値はないじゃないか」
「価値はまだはかれない。少なくとも俺は、この店の価値が高まる可能性は存分にあると思っている。そして、その方法も教えられる」

 淡々とした口調で述べると、彼は口元にかすかな笑みをたたえて、わたしに言った。

「この男と結婚せずに、店を続けたいんだろう。三ヶ月もあれば、『ヤミーファクトリー』に取られた客を取り返せる――いや、それどころか、さらなる集客だって可能になる」

 わたしを見つめる蒲生さんの瞳は自信にあふれていた。その表情に、ドキッと胸が高鳴る。

「それは面白い!」

 すると、蛭田さんがケタケタ、と気色悪い笑い声を立てた。

「『ヤミーファクトリー』以上に客を集めるなんて、あんたも大きく出ましたね。いいでしょう、そこまで言うなら、三ヶ月待ってやってもいい。滞納分の家賃を、三ヶ月後に支払うんだ。まあ、この先の三ヶ月分は特別にサービスとしてもらわないことにしてあげますよ。感謝してほしいな。ま、できるものならやってみせなさい――その代わり」

 蛭田さんの大きな目が、威嚇いかくするように細められる。

繁盛はんじょうしなかったら、みやびちゃんは僕のお嫁さんだよ? それに蒲生さん……あんたには僕の運転手にでも転職してもらおうかなぁ。そこまで言い切ったからには、構わないよね?」
「もちろん構わない。運転手でも家政夫でも、好きなように使ってくれ」
「ようし、聞いたからな! なら三ヶ月だけチャンスをやろう。三ヶ月後――そうだな、情けをかけて十月末でいい。十月最後の日に、これまで滞納していた家賃三ヶ月分、耳を揃えて払ってもらうよ。かせげるように、せいぜい知恵をしぼるんだな」
「心配無用だ。彼女は渡さない」

 蒲生さんは強い口調でそう言うと、カウンターの内側にいるわたしをかばうように片手を伸ばし、蛭田さんと対峙たいじした。
 渡さない、という響きに、言葉以上の意味はないとわかっていても、胸がじんわりと熱くなる。
 この人は、わたしを蛭田さんから守ってくれようとしているのだ。
 そう確信して、先ほど感じた胸の高鳴りが、もう一度よみがえる。

「ふん、その威勢も今のうちだな」

 まるっきり本気にしていない様子の蛭田さんは、蒲生さんの顔を見上げて鼻で笑うと、きびすを返した。

「――みやびちゃん。三ヶ月後の結婚式、楽しみにしてるよ♪」

 蛭田さんは扉の手前でわたしを振り返り、寒気がするような笑顔を見せてから、店を出て行った。

「……あの、あんなこと約束しちゃってよかったんですか?」

 蛭田さんの気配が遠のいてから、たまらずわたしは声をかけた。すると、蒲生さんはこちらを振り返り、不思議そうに首をかしげる。

「何で?」
「だって……」

 逆に、どうしてあなたはそんなに平静でいられるんだ、と思う。この状況をわかっていないんだろうか?
 わたしはカウンターに、バンと両手をついた。

「あなた、有名なコンサルタントなんでしょう。うちの店を繁盛はんじょうさせられなかったら、蛭田さんの運転手になっちゃうんですよ。やっぱり無理でしたーなんて言って、納得する相手じゃないです」

 ああ見えて蛭田さんだっていっぱしの、それも裏世界の経営者だ。ヤバそうな知り合いだって多いだろうし、仮に約束が果たせなかった場合、なかったことにはできないはず。

「なら、繁盛はんじょうさせればいい」

 蒲生さんは、余裕の微笑を浮かべている。

「俺の言う通りにすれば、この店は必ず地域で一番の有名店になる。それこそ、『ヤミーファクトリー』なんて目じゃないくらいにな」
「どうしてそんなこと言い切れるんですか」

 うちの店に今日初めてやって来たこの人が、なぜそんな風に断言できるのかが疑問だった。

「それは、俺がその道のプロだからに決まってるだろう。飲食店を繁盛はんじょうさせるのが俺の仕事だ。俺が繁盛はんじょうさせると決めた店は、絶対にそうなる」

 焦るわたしに対して、蒲生さんはマイペースなままだ。
 何て強気なんだろう。まだ始める前の段階で、ここまで言えるなんて。
 だけど、何故だかわからないけれど、この人が言うなら大丈夫という気になってくるから不思議だ。

「本当に……あの、本当に頼んでいいんですか? うちのお店、お客さんを呼べるようにしてもらえるんですね?」

 わたしは震える声で問いかけた。
 この人がどれほど信頼できるかなんて、わたしにはわからない。けれど、八方ふさがりのこの状況で、彼の存在だけが唯一の希望だった。

「もちろんだ、任せておけ」

 彼がうなずいた瞬間、荘厳そうごんなパイプオルガンの音色が聞こえた――気がした。
 神様はいたのだ。
 どうしようもない窮地きゅうちにもがいていたわたしに、手を差し伸べてくれた。

「あ――ありがとうございますっ。あの、じゃあ……さっそく今の話、両親にもしてもらえませんか?」

 わたしは厨房ちゅうぼうでお菓子作りにはげむふたりを思い、目頭が熱くなるのを感じた。



   3


「蒲生朔弥さん……とおっしゃるんですね」
「はい」

 店舗の二階――先日、両親から無理心中を提案されたリビングに蒲生さんを通し、ソファにかけてもらうと、わたしは父と一緒に彼と向かい合って座った。
 父は蒲生さんから差し出された名刺を、しげしげと興味深そうにながめている。

「今はこういう、透き通った紙の名刺も作れるんですか」

 てっきりそこに書かれている肩書きや会社名に対して反応するかと思いきや、名刺そのものへの感想か。ガクッと肩が下がった。
 まぁ、お菓子作り一辺倒だった父がコンサル業界に精通しているとは到底思えないから、別にいいのだけれど。

「紙の材質もですが、サイズも結構自由に作れます。通常のサイズよりも一回り小さいものを使っている知り合いも何人かいますよ。まだまだ少数派ですけど」

 蒲生さんも蒲生さんで、父のどうでもいい質問に丁寧な回答をくれる。

「へぇ、そうなんですね。みやび、うちのショップカードもこういうのに変えたら、もう少し目立って、売り上げが伸びるかな」
「お父さん、そのことなんだけど」

 話が脱線しそうだったので、軌道修正をはかる。

「さっき電話で軽く話したけど、この人は『サファイアタワー』の売り上げを三倍に増やしたっていう有名な飲食店コンサルタントの方なの。それで、うちの店のお客さんの数を『ヤミーファクトリー』よりも増やしてくれるって言うのよ」

 あのあと、厨房ちゅうぼうで製菓をしている父にすぐ電話を入れ、偶然蒲生さんが店を訪れたこと、そこに蛭田さんが現れて三ヶ月の猶予ゆうよをもらったことを報告していた。

「ああ、もちろん聞いたよ」
「すごいじゃないの、『サファイアタワー』を立て直した方なんて」

 スリッパの音を立てながら、母がトレイを抱えて現れた。
 トレイの上には人数分の紅茶と、お茶け代わりの小分けにされたパウンドケーキがのっている。もちろん、先ほど蒲生さんが食べたものと同じだ。
 それらをローテーブルの上に置いてから、母はソファの向かい側にあるオットマンに腰かけた。

「そんな方がうちのお店のために知恵を貸してくれるなんて、とても光栄な話だわ」

 胸の前で両手を合わせて喜ぶ母の声は、まるでもうよい結果を見たあとかのように弾んでいる。
 気持ちはわかる。わたしだって、最後まで可能性を捨てないようにとは思っていたけれど、ふとした瞬間に「もうこれまでか……」と何度も暗い気持ちになっていたから。
 でも、もう大丈夫。
 強い味方が増えたし、しかもそれは、店の立て直しのプロだ。
 わたしと母がアイコンタクトを取り、互いにホッとした表情を浮かべる中、父だけが神妙な面持ちでいる。

「せっかくのご提案なんですが、蒲生さん。その話、お断りさせてください」
「ええっ!?」

 父の言葉に、わたしと母は驚きの声をあげる。

「どうして、お父さん。せっかく蒲生さんが協力するって言ってくれてるのに!?」
「そうよ、こんなチャンス二度と来ないわ」

 左右から飛んでくる非難の声を、父はまぁ聞けとでも言うように片手で制した。

「もちろん、蒲生さんが専門家であることや、立て直しの実績があることも承知しています。ですが……廃業寸前の我々には、先立つものがありません。蒲生さん、あなたが名のある方であればあるほど、我々はその対価を支払わなければならない。それがプロであるあなたに対する最低限の礼儀だと思っています」

 父の言葉に、わたしも母も黙るしかなかった。
 プロのコンサルに立て直しを依頼するということは、当然それなりの費用がかかるということになる。恥ずかしながら、舞い上がっていたわたしはそのことに思い至らなかったのだ。
 ……考えが甘すぎた。何してるんだろう、わたし。
 プロの蒲生さんが、見返りなしにこんな提案をするわけないのに。無駄に両親を期待させたりして――

「対価は結構です。頂くつもりはありません」

 けれどわたしの反省を他所よそに、蒲生さんはあっけらかんとうなずいた。

「で、ですが……」
「店の状況は把握はあくしています。だから対価を要求するつもりはない。俺は、食にたずさわる者として、美味おいしい菓子を作る店がつぶれるのはえられない。それに――」

 たじろぐ父に、相変わらずの淡々とした蒲生節を発揮する。

「店を続ける代わりに嫁に来いだなんて、その思考に虫唾むしずが走る。そういう卑劣ひれつな人間の思うままにはさせたくないので」

 彼はわたしを一瞥いちべつしてそう述べた。
 ……それって、わたしの境遇に同情したっていうこと?

「とはいえ、ただ厚意に甘えるというのも、申し訳ないですし……」

 父はひたすら恐縮している。初対面の蒲生さんに、そこまでしてもらっていいのだろうかという戸惑いがあるのだろう。

「じゃあ、こうしましょう。対価なしが気が引けるというのであれば、条件をつけさせてください」

 何か思いついた様子の蒲生さんが、わたしに視線を向けた。

「――君は、この店で働く以外、何か仕事をしているか?」
「してない、ですけど……」
「ならちょうどいい。店を立て直す間、君には俺の身の回りの世話をしてもらおう。どうだ? 悪くない案だろう」

 ……身の回りの世話?
 ぽかんとしているわたしや両親を前に、蒲生さんが話を続けた。

「コンサル業は、帰りは遅いし休みは少ない。国内だけでなく海外出張もザラにある。そうすると、どうしても家のことがおろそかになってしまう。そばについて、家事を引き受けてくれる人間がいれば、仕事の能率が上がる。場合によっては、仕事の補助――たとえば出張時の飛行機の手配とかをお願いすることもあるかもしれない」
「わ、わたしが、それをするってこと?」
「君にとってはそれが店を無償で立て直す対価となるわけで、願ったり叶ったりだろう。それなら、何も問題ないでしょう?」

 後半は、わたしではなくわたしのとなりにいる父に問いかける。

「み、みやびはこれといった特技や資格もないですし、うちの店でしか働いたことのない娘ですが、蒲生さんのお役に立ちますでしょうか?」
「パソコンやスマートフォンが扱えて、一通りの家事をこなせるのであれば、心配無用です」
「うちではパソコンなんかは全部みやびに聞いているし、料理や洗濯、掃除も家内の代わりにやってくれています」
「ええ、そうなんです。みやびは昔からじっとしてるのが苦手な子でしてね、ほら、この間も私の誕生日にこんな手の込んだ夕食を作ってくれたりして――」

 母はふと何かを思い出したようにエプロンのポケットから携帯を取り出すと、カメラで撮った写真を見せようとする。

「ちょっとお母さん、いいってば!」

 母が見せたかったのは、母の誕生日に家計が苦しくて外食できなかったから、せめて気分だけでも……と腕を振るったディナーの写真だろう。とはいえ、普段から豪華な食事を見れているに違いない彼に見せるような出来栄えではない。

「そういうことなら安心ですね」

 母が差し出した写真を見た蒲生さんがうなずくと、不安そうだった父の表情がみるみるうちに明るくなっていく。
 それどころか、嬉しさのあまりか、父は泣きそうにさえなっていた。わたしの両肩をがしっとつかみ、声を弾ませる。

「ということらしいぞ、みやび! よかったな、これで蒲生さんに店を立て直してもらえる! しばらくの間、店は父さんと母さんに任せて、みやびは蒲生さんの役に立てるように頑張りなさい」
「みやびちゃん。しっかりね」
「わ、わかった……!」

 蒲生さんが求めているのは、ハウスキーパー兼雑用係、というところだろうか。
 蛭田さんが出してきた条件よりははるかにまともだし、三ヶ月の期限だってついている。
 これで店の立て直しをしてもらえるのであれば、お安い御用だ。

「蒲生さん、頑張りますので、わたしにできることがあれば何でも言ってください!」

 わたしが言うと、蒲生さんは満足そうにうなずいた。

「であれば、話もまとまったことだし、さっそく引っ越しの準備をしてくれ」
「え、引っ越し?」
「決まってるだろう、俺のそばで仕事をするんだから、通いより住み込みのほうが効率がいい。急遽きゅうきょ頼むような仕事もあるかもしれないからな」
「あ、いや、あのっ、ちょっとっ!」

 わたしは蒲生さんの話を制するように、両手をぶんぶんと振った。

「引っ越しって、もしかして蒲生さんの住んでるお家に……ってことですか?」
「それ以外どこに引っ越すっていうんだ?」
「しっ、失礼ですけど蒲生さん、他に住んでいらっしゃる方とかは?」
「いない。ひとり暮らしだ」

 ということは――蒲生さんがひとりで暮らす家に引っ越して、わたしもそこで生活する……?

「マ、マズイでしょっ!」

 思ったよりも大きな声が出た。
 父や母がびくっと肩を揺らすのを横目に、そのままの勢いで続ける。

「通いじゃだめなんですか? わたし、早起きは得意ですし、夜更かしも問題ありません。急な用事でも、すぐ電話で対応するようにしますから」
「それが可能なのであれば構わないが、一日二日ではなく、三ヶ月間の話だからな。体力的に負担になるし、場合によってはすぐ家に来て対応してもらわなければいけないこともある。逆に住み込みで、君のデメリットとなる部分は何だ?」
「デメリットって、そりゃあ……」

 ひとり暮らしの独身男性の家に、結婚前の妙齢みょうれいの女が住むことそのものに他ならない。
 ねぇ、そう思うでしょ? と両親を見やったのだけど――

「みやびちゃん、うちのことは心配しなくてもいいのよ」
「そうだぞ、みやび。蒲生さんがそう言ってくださるのであれば、ありがたくお世話になりなさい。そのほうが蒲生さんのサポートもしやすいだろう」
「ええっ?」

 まさか全面的に賛成されるとは。

「そ、それはどうかな。お父さんもお母さんも、わたしを蛭田さんのところに嫁に出すのには、絶対反対って言っていたじゃない。だから、ひとり暮らしの男の人の家にわたしが住むのも……」
「蛭田さんと蒲生さんじゃ全然違うだろう。彼はみやびが蛭田さんと結婚しないために店を立て直してくれるわけだから」
「そうよ、みやびちゃん。蒲生さんなら安心してみやびちゃんを預けられるわ。男気があってイケメンなんて素敵じゃない。お母さん、蒲生さんだったら喜んでお嫁に出せるわ」
「うん、それもアリだなあ。蛭田さんにとつぐよりは絶対に幸せになれるぞ」
「お、お嫁っ?」

 いきなり思ってもみないことを言われ、わたしは頬が熱くなるのを感じながら声を上げた。

「幸い、僕はまだ独身ですよ」
「あらまぁ、本当ですか?」

 何が幸いなんだかわからない。
 蒲生さんが淡々と両親の暴走にノッてしまうものだから、母は彼に期待を含んだ笑みを向けている。

「もうっ、勝手に話を進めないで」

 わたしは、本人を差し置いてあらぬ方向に転がる話を制した。
 どうやら、両親はわたしが思う以上に判断能力がにぶっているらしい。無理心中の次は、初対面の蒲生さんを信頼し、べた褒めしながら嫁にまで出そうとするなんて。
 しかし、我が家にスーパーマンのごとく現れた彼を信じ込んでしまうのは仕方ない。
 それに蛭田さんと蒲生さんに、比べるのは申し訳ないくらいの違いがあるのもわかる。
 けれど、だからといってわたしが蒲生さんと一緒に住む理由にはならない。ましてや、とつぐだなんてもっての外だ。

「蒲生さんは地位も名誉もある人なんだろう。そんな人が、こんな小さな菓子屋の娘に変なことしたりしないよ。蒲生さんにだって相手を選ぶ権利はあるんだから」

 気をむわたしを、父は笑って一蹴いっしゅうした。
 蒲生さんくらいすぐれた人が、平々凡々なわたしを異性として見るわけがないと言いたいのだろう。
 ……そういう言い方をされると、わたしが自意識過剰なだけのような気がして、言い返すことができなくなる。

「話はまとまったな」

 言い訳の材料を探して無言になる。と、そんなわたしを見て、蒲生さんは納得したものと判断したらしい。

「――せっかくれてもらったので、お茶を頂いていきますね」

 何て言いつつ、カップを手に取り涼しい顔で紅茶をすする。

「あっ、是非是非。うちの主人自慢のパウンドケーキも、召し上がっていってください」
「先ほど店頭で一つ頂きました。とても美味おいしかった」
「それは光栄です! 真理枝、お土産みやげに一本ご用意して」
「ええ、わかりました」
「特に中央のパート・ド・フリュイが最高ですね。都心の有名店にも引けを取らない商品です」
「さすが蒲生さん、実はですね、これは何度も試作を重ねた逸品で――」

 わたしの意思なんてそっちのけで、三人はわいわいと楽しそうにパウンドケーキの話題で盛り上がり始めた。
 ええい、もうこうなったら腹をくくるしかない。
 初対面の男性との同居でも、蛭田さんにとつぐより何万倍もマシだ。
 わたしの使命は、あまり深いことは考えず、蒲生さんの役に立てるように努力するのみ。
 ――かくしてわたしは、両親公認のもと、蒲生さんと暮らすことが決まったのだった。



   4


「――ここ、ですか」

 タクシーから降りたわたしは、目の前にそびえ立つタワーマンションに気圧けおされていた。
 大規模なビルが所狭しと並ぶ、東京の中心地に建っているこのマンションは、周りと比べてとりわけ高い。

「蒲生さん、こんなところに住んでるんですか」
「ここは駅からもすぐだし、出張にも行きやすいからな」
「はぁ……」

 確かにこの辺りであればどこへ行くにもアクセスがいいだろう。新幹線に乗るのも、飛行機に乗るのもスムーズだ。
 しかし、こんな場所に住める人が実在していたとは……


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