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1巻
1-2
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大河内といえば誰もが知ってる製薬関係の一大企業だけど、意外にもお家は放任主義らしく、わたしの置かれた境遇を珍しがっている。
夜遊びや外泊は当たり前、夕食も家で取る日のほうが少ないんだとか。何ともアクティブ。だからかわからないけど、明音本人も全然気取ったところのないサバサバした面白い子。
一般的に礼櫻のイメージは『お嫁さんにしたい清楚な女の子』らしいんだけど、明音はそれに反して濃いめのメイクや肌を出す服が好きらしく、セクシー系っていうのかな……そういうのをよく着ている。
今だって、学食内では白やパウダーピンク、ライトブルーなんかのパステルカラーで纏めた、いかにもお嬢なファッションが多い中、幾何学模様のオフショルダーという個性的なミニワンピースを見事に着こなしている。余談だけど、組んだ足から下着が見えそうだとかで、試験の前、男性教授に名指しで注意されたりしていたっけ。本人はどこ吹く風だったけど。
「まー、おとーさんの気持ちもわかるなあ。清花ってボーっとしてるし、なーんかちっちゃくて誘拐されそうな感じするもんね」
「誘拐って、もー、また子供扱いしないでよー」
父がこうも過保護なのは、明音の言うようにわたしがぼんやりしている上、小柄であるのも一因なのかもしれない。
女の子の平均身長といえば百五十センチ台後半だったと記憶しているんだけど、わたしはそれを大きく下回る百四十八センチ。小さいころから好き嫌いせずに何でも食べていたはずなのに、初等部の終わりを境に縦には一切伸びなくなってしまった。
通学電車で寿司詰め状態になると、他人の背中が壁に見えて、圧迫感から具合が悪くなることもしばしば。
せめてスタイルだけは……と思うのだけど、残念ながらの幼児体型。身体の肉付きが薄いかわりに、バストもヒップも小さく、モデル体型の明音にはよくこうやってからかわれている。
「だけど家出はやりすぎなんじゃない? それにあんた、ドコに転がり込むつもりなの? 言っとくけどウチは足つくからダメだよ」
「それはまだ決めてない」
「決めてないのに家出するとか言ってんの?」
呆れた。彼女はそう言いたげな顔をしている。
「夜に出歩かないから知らないだろうけど、いかに日本が治安のいい国だからって、フラフラしてたら危ないんだよ。清花がアブないやつらに引っかかりでもしたら、おとーさん、ショックで倒れちゃうよ」
「……あう」
夜の街でアブない人たちに追いかけられているところを想像して背筋が冷たくなる。
わたしだって出来れば危ない目には遭いたくないし、いたずらにお父さんを困らせたくはないんだけど……
「で、でも本当に嫌がってるのを伝えるには、いなくなるしかない気がするの。ほら、ずっとお父さんに従ってきたものだから、娘は思い通りになるって思っちゃってる気がするんだよね。だからここで、わたしだって自分の意見を通したいときがあるんだってアピールしなきゃでしょ」
「……背に腹はかえられないってワケか。でも、だからってなぁー」
明音がスプーンを握り、カレーを口に運びながら唸った。
何度か咀嚼したあと、ブラウンの縁つきコンタクトを入れた大きな瞳を瞠る。何か閃いたようだ。
「そうだ、あたしが間に立ってみようか?」
またスプーンを皿に置き、提案する。
なるほど、それは魅力的な申し出かもしれない。
わたしの友達関係にすら口を出してくる父だけど、初等部からの付き合いである明音のことは妙に気に入っていて、年に数回、明音のお家にお呼ばれしたときに限っては門限に関係なく外出を許してもらえるくらいだ。上手くいく可能性は存分にある。
けれど、わたしはゆっくり首を横に振った。
「せっかくだけど、それはやめておく」
「どうして?」
「万が一、それが原因で明音のことを悪く思われちゃったら嫌だし。そしたら友達いなくなっちゃうもん」
「あー、そっか」
ぽりぽりと首の後ろを掻きながら頷く明音。
なかなか学校外で遊べないわたしと、辛抱強く友達でいてくれた明音は貴重な存在だ。父が明音に悪印象を持って、今までみたいに付き合えなくなるのだけは避けたい。
「やっぱりわたし自身がどうにかしなきゃいけないんだよ。うん、お父さんには悪いけど、家出しかない」
「清花ぁー」
「ちゃんと家出先は探すよ。見つかってから家出する」
あては全くないけれど、とまでは言わなかった。
鼻息荒いわたしを、冷静な親友はどうにか思い留まらせようとしているみたいだった。
けれど決意が固いことを知ると、ふうっと息を吐いて同情的な視線をくれる。
「……でもそーだよね。いつもはおおらかな清花だって、ムリヤリ婚約させられちゃうとなれば、イイコになんてしてられないか」
「当たり前だよっ、人生かかってるんだもん」
この分じゃわたしの意思なんて関係なく、強制的に結婚まっしぐら。そんなの絶対に無理に決まってる。
「あれだね。清花は良くも悪くも、今まで従順すぎたのかも。親に反抗的な態度を取ったことなんて一度もないでしょ?」
「うん。考えたこともない」
「わー、ちょーマジメ。あんた、すごいわ」
淀みなく答えると、明音はうっすら上唇についたカレールウをぺろりと舐めながら感心した風に言った。相変わらず、他人を褒めるのが下手だなぁと思う。
「……でも今回は別だよっ。そもそも、会ってもいないのに婚約だなんていつの時代の話? しかも親同士の約束だなんて」
「まーね。出会い系とかお見合いパーティでさえ、当人の意思でするものだし」
そこまで言うと、明音の苦笑が揶揄に取って代わる。
「その上、清花は筋金入りの処女だもんねー。カレシもいたことないし、キスとかハグとか、一通りの経験ゼロでしょ?」
「ちょ、ちょっと明音っ、あんまり大きい声で言わないでよっ、恥ずかしいから!」
隣でラーメンを啜っていた子が、物珍しそうにこちらを見た気がする。……明音ったら、公共の場でそんなことバラさないでほしいのに。
わかってますよ。礼櫻の学生ってだけで男の人の食いつきが良くなると言われるほど、礼櫻のブランドは確立している。ゆえに、礼櫻の女の子はモテるのだ。
普通にしてれば引く手あまただって言いたいんだろうけど、そんなのやっぱり人によるんだと思うよ、人に!
「あーごめんごめん。でも事実でしょ?」
「むぅ、ほっといてっ」
にしたって、わざわざ言葉にされると面白くない。
「――じゃあ、どうしたら彼氏ができるのか教えて下さいよー。経験豊富な明音先生」
「そうだねー、あたしが思うに」
かけてもいない眼鏡のフレームを、くいっと上げるような仕草をする。
明音は恋多き女の子だ。男の子をとっかえひっかえというわけじゃないけど、高校生を過ぎてからは彼氏が途切れたことがないように思う。意外と言ってはいけないけど、男の子受けはいいみたいだった。
「清花の場合は絶対的に出会いが少ないんだよね。門限早くてサークルもバイトもダメ、休みの日も特にやることなくて家にいるんでしょ。出会いがないんじゃ発展のしようがないし、経験値だって上がらないよ」
明音の言う通り、出会いの機会はほぼゼロに等しい。生活基盤の大学はご覧の通りの女の園だし、他大学と繋がるチャンスも一切ない。
……あ、でも。
「経験値なら稼いでるよ」
「……どゆこと?」
「えへへ、最近好きなのはコレ!」
首を傾げた明音に、わたしは椅子の背もたれに置いていた通学バッグの中を漁り「じゃんっ」と効果音のような音を混ぜながら一冊の漫画本を取りだす。そして、書店のカバーを外して彼女に見せた。
ポップな字体で『とらべる×ろまんす』と書かれた表紙には、互いを見つめ合う男女のイラストが。今どきのカジュアルなファッションに身を包む女子と、作務衣を着ているクール系の男性。
この二人は、ヒロインの栞、そしてヒーローの詩文。
詩文の指先が栞の顎を持ち上げ、見上げさせるような構図がたまらない。あぁ、叶うものなら栞になりたいっ!!
なんて叫びたくなるくらい、『とらべる×ろまんす』――世間での略称は『とら×ろま』らしい――は、わたしが今一番ハマっている女性向けの恋愛漫画なのだ。
「あー……ハイハイ、なんだ経験じゃなくて疑似体験じゃん」
差し出した漫画を一瞥するなり、明音はげんなりと肩を落とした。何よう、その反応は。
「疑似体験だっていいじゃない。面白いから明音も読んでみなよー、キュンキュンするよ! このお話はね――」
『とら×ろま』は人気恋愛小説家である愛野詩文と、詩文の書く小説の大ファンで女子大生の押花栞が稀有な運命を経て出会い、徐々に惹かれあっていく……というラブストーリー。
この物語のウリはワイルドかつフリーダムなヒーロー像にある。住所不定の詩文は気分の赴くままに日本各地を転々とし、昼間はその土地ならではのアルバイトに勤しみ、夜は執筆活動に没頭するという暮らしを続けている自由人。
書く物語は胸やけしそうなくらいベタベタの甘々なのに、私生活ではハードボイルドな言動を見せるタフでクールな詩文。そのギャップがたまらなく素敵なのだ。
この漫画、女子中高生を中心にカルト的な人気を誇ってはいるのだけど、あまりに破天荒すぎるというか、リアリティに欠けるということでOLからの受けはあまりよくないんだとか。……そこがイイんだけどなあ。
「ちなみにヒロインの栞の性格も斬新な設定で、旅先での詩文の健康が気にかかるあまりノイローゼになって、彼の後を付け回してストーカー化しちゃうんだけど、彼ってばそれくらいじゃ全然動じない心の強さを持ってるんだよねー」
「ごめん、そのあらすじのドコでキュンキュンしたらいーの?」
明音は露骨に眉間に皺を寄せると、わからないというように首を横に振り、漫画を押しのけるように手のひらを見せる。結構です、と。
「え、何で~?」
「突飛すぎるでしょ。ってか、そーゆーのはリアルで間に合ってますから」
明音はきっと、わたしみたいに漫画で恋愛要素をチャージする必要はないのだろう。
「縁がないのはわかるけどさぁ、そーゆーのに逃げちゃダメだって」
「別に逃げてるわけじゃ――」
「理想だけ膨らんで、マジで彼氏できなくなるよ?」
「うっ……」
的確かつ厳しいお言葉。お話の世界に逃げてるつもりはないにしても、それで満足してしまいそうになっている感は否めない。
だって面白いんだもん――と内心で言い訳をしつつ、食器の載ったお盆の脇に漫画本を置いた。
「――でも、そう、トラベル……旅行、か」
人差し指を下唇に当てながら、ひとりごとみたいに呟く明音。
「うん?」
「旅行……旅行、ねえ」
『とら×ろま』を指しているのだろうか。タイトルにもあるように、ものすごくスパンの長い旅行の話っていう風に読めなくもない。
でも、それがどうかしたんだろうか?
明音は唐突に両手を合わせ、小さく叫んだ。
「――そう、旅行だよ! 一人旅!」
「え?」
「あたし、やっぱマジな家出ってのは賛成できない。でも、プチ家出ってか、家出っていう名の一人旅ならアリだと思う」
何かものすごい公式を編み出した数学者みたいな口調のまま、彼女が続けた。
「あたしも前々から思ってたんだけど、清花だってフツーの女子としての経験をする権利があるよ。いや、するべき! 大学はこれから夏休みに突入だし、気分転換も兼ねてさ、ぶらっと一人旅に出てみたら?」
「……わたしが、一人旅に?」
「そ。おとーさんに婚約拒否の主張はしつつ、何日間か好きな所に行って、普段じゃできないことしてきたらいーじゃん。ね、それがいい」
これ以上の名案は存在しないと、明音は得意気に腕を組む。
「そんな簡単に言うけど……わたし、今まで旅行らしい旅行なんてほとんどしたことないのに、大丈夫なのかな」
「今の今までガチな家出しようって意気込んでた人間の言う台詞? 一人旅のほうが断然ハードル低いじゃん。何を躊躇う理由があんのよ、マジうける」
わたしの矛盾した発言がツボにハマったらしく、明音は長テーブルを叩いて笑い出す。
うぅ、そっか、言われてみればそうなのかも。家出をする度胸があるなら、一人旅くらい余裕だろうってこと。
うーん。でも一人旅かぁ……それって知らない土地にひとりで向かうってことだよね。
何となく、家からそんなに離れていない場所で、明音に頼んで一緒に潜伏するようなことをイメージしていたから、逆に難しい気がしてしまう。
「それにさー、出会いを求めてるなら、旅行はもってこいだと思うよ」
渋るわたしに、明音は違う言葉で興味を煽ってくる。
「どういうこと?」
「旅は出会いって言うでしょ。たとえ短い期間だとしても場所や環境が変われば、清花がいいと思うような男の人と出会うチャンスがあるかもね」
「……ほ、本当っ!?」
「あー……絶対とはいいきれないけど、希望的観測だっていーじゃん。準備期間含め、清花が楽しむことが一番重要なんだからさ」
思ったよりも食いつきがよかったことにビックリしたのだろう。彼女はちょっとたじろぎながら答える。
考えれば考えるほど悪くない条件だった。家から抜け出せる。家出先の心配をしなくていい。それに出会いのチャンスもある。一石二鳥ならぬ一石三鳥だ。
「今までずっとガマンにガマンだったんだから、これくらいのワガママは許されるっしょ。清花のおとーさんには内緒にしておくし。あたしもサポートできるところはするからさ」
「ね?」といたずらっぽく笑いかける明音。
彼女の言葉が、最後の一歩を踏み出せないわたしの背中をトンと押した。
……そうだよね。
わたし、ずっとずっと、ずーっと我慢してきたんだもん。
友達と遊びたいのも、日が暮れてから出掛けるのも、好きな人をつくるのだって。
もうハタチなんだもん。大人だもん。
明音の言う通り、ちょっとだけワガママを通すくらい、自分の好きなことをするくらい許されるはず。
この際、自分ひとりで新しい世界の扉を開けてみるっていうのもいいかもしれない。
「……明音。大丈夫だよね、ひとりでも」
だから決めた。
わたし、この夏休みに家出――もとい、家出という名の一人旅をする!
「大丈夫大丈夫。……よし、そうと決まれば作戦会議をしなくちゃね。メインの目的は婚約阻止なんでしょ。おとーさんへの対策を考えつつ、楽しい旅行にしよう」
「うん。ありがとうっ」
決断してしまうと、今まで胃の辺りに何かが詰まったような重苦しさが取れ、急に食欲が湧いてきた。
明音がカレーライスを平らげるころになって初めて、わたしはAランチに手をつけ始めたのだった。
2
その後何度か行った作戦会議により、一人旅の準備は着実に整えられていた。
この一人旅の目的は、自宅から数日姿を消してそれだけ婚約を拒否している旨を知ってもらい、父を諦めさせること。
決行日は、九月十日の月曜日に決まった。
本当はもう少し早めがよかったのだけれど、試験が終わったのが七月の下旬。そこから夏休みに突入し、何だかんだでスケジュールの詰まった明音と打ち合わせの予定が合わず、親戚との集まりがあるお盆を挟むと、いつの間にか八月の終わりになってしまっていたというわけ。
ちょっと遅れてしまったけれど、待つ楽しみというのもあるもので心はウキウキと弾んでいた。
学校行事を除いたら初めての遠出。しかも一人きりで。
新幹線の手配なんて当然したこともないし、方法もいまいちよくわからなかったから、その辺りは明音を頼って任せてしまった。
行き先については、「絶対にここ!」って場所はなかったんだけど、明音に相談したり、書店のガイドブック売り場を眺めたりして、京都に決定。日程は二泊三日。
実は京都に行くのは二回目。高等部での修学旅行で訪れたことがあった。
いっそ本州から離れて北海道や沖縄っていうのも魅力的だったけど、全く知らない土地に行くよりは心強かったし、パンフレットに載ったモダンとクラシックが入り交じる街並みに興味をそそられて――なんてもっともらしいことを言いつつ、最大の理由は実に単純。
京都に一人旅って響きがカッコいい!
これに尽きる。素直に言うとまた明音に呆れ顔をされそうなので、黙っておいた。
そんなわけで、まさに「そうだ京都行こう」な気分になったわたしは、計画を阻害されないように、決行当日までを普段以上に大人しく過ごした。変に鋭い父に勘付かれやしないかとヒヤヒヤしていたけれど、杞憂だったようだ。
そして決行当日――九月十日がやって来た。
いつも通り七時に起床したわたしは、週に三回通いで家事をこなしてくれるお手伝いさんがストックしてくれた冷凍のおかずを温めて、いつも通りに朝ごはんの支度をする。
少し遅れて起きてきた父と、いつも通りにダイニングで二人きりの食卓を囲んだ。
「清花、今日の予定は?」
「お昼過ぎまで駅の裏の図書館で調べ物して、家に帰ってきたら課題のレポートを片付けちゃおうと思って」
「そうか」
朝食の時間にわたしの一日のスケジュールを確認するのが父の日課。
門限さえ破ったりしなければ特にダメ出しはされない。単にわたしの行動を把握して安心したいのだろう。
二ヶ月前のあの日から、顔を合わせても父の方から婚約の話に触れてくることは一切なかったし、わたしも詳しく訊こうとは思わなかった。
確かめたわけじゃないけど、お互いに堂々巡りを避けたかったのだ。
父は婚約させたいし、わたしはしたくない。
また気まずい雰囲気になるのはわかりきっているのだから、それなら敢えて話題にしないのがベストだろう、と。
会社へ向かう父をいつも通りに笑顔で送り出したあと、いつも通りに食器を片付け、いつも通りにメイクを始める。
メイクが完了すると、わたしは明音に一通のメールを送った。
『あと三十分くらいしたら東京駅に向かうね』
すぐに返信がきた。そこには
『わかった。じゃあたしも支度するわ』
と書かれている。
その場で『了解!』と短く返事を返し、二階にある自分の部屋に向かった――いつもとは違う、大イベントの準備のために。
まずクローゼットを開くと、今日に合わせて新調した服を引っ張り出し、着替える。
レースの付いた小花柄のワンピースは、普段のわたしなら敬遠するデザイン。ショッピングに同行してくれた明音と店員さんに強く勧められて、ついつい買ってしまったのだった。
服に着られてる風に見えないか心配で姿見の前に立ってみる。予想よりも違和感がなくてホッとした。
次はヘアスタイル。ドレッサーの前に座り、胸の下まである絡まりやすく細い髪を丁寧にブラシで梳かしていく。
こういうスイートな服に合わせるなら巻き髪が一番だけど、黒髪だと不自然かも……と、取り止め。そうでなくてもやり慣れないわたしのこと、火傷でもしたらいきなりテンションが下がってしまう。背伸びをせず、両サイドを編み上げてハーフアップにしよう。
わたしも明音みたいに髪を染めたり、パーマをかけたりしたいな。でもお父さん、そういうことしようとするとちょっと寂しげな顔をするし。
とか考えつつ、編み目が不揃いな三つ編みを二本作って、後頭部に持ってくる。
簡単な割に、編んだ部分をバレッタで留めて仕上げると華やかになる。鏡に映る自分がいつもよりも可愛く見えて、つい微笑みかけた。
立ち上がり、再びクローゼットの前に移動して取り出したのは、キャリーケース。外側は軽さを重視したナイロン生地で、黒地にホットピンクのドット柄。今回の旅行のためにこっそり買った、二、三泊用の小さめのものだ。
着替えや化粧品などを詰めたそれを扉の前に置いて、携帯電話で時間を確認する。うん、ジャスト三十分。
わたしは通学でも愛用しているキャメル色のボストン型トートバッグを肩にかけると、キャリーケースを引きずって一階に下りた。
そして、先ほどまで父と二人で朝食をとっていたダイニングで一度荷物を下ろす。あまり余計なものを入れていなかったつもりなのに意外と重い。
キャリーケースのポケットに忍ばせていた封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。
曲線を多用した脱力系のキャラクターが描かれたカラフルな封筒は、家出にはつきものの置き手紙。これを読むことになるだろう父にとっては、見た目に反して緊張感溢れるものであるかもしれない。
『お父さんへ やっぱり婚約はしたくありません。探さないで下さい 清花』
悩んだ挙句、そっけないくらいにシンプルな文章に落ちついた。
初めは便箋三枚に渡って切々と気持ちを書き綴ったりもしたけれど、簡潔なほうが真っ直ぐにわたしの気持ちが伝わる気がして。
『探さないで下さい』なんて書くと、いかにも家出っぽい感じ。父に対して罪悪感も覚えるけど、それ以上にワクワクしてしまっている自分がいる。
たとえるなら、モンスター討伐の旅に出る前の冒険者のような。
訪れる場所も、タイミングも、行動も、全て自分が――わたし自身が決める。
「行ってきます」
両手に荷物を抱えると、わたしは誰もいない廊下に向かってそう呟き、家を出た。
* * *
「清花、こっちこっち!」
「あっ、明音!」
携帯電話から聞こえてくる声と、十メートル先に立つ女性の唇の動きが一致する。
親友の名前を呼ぶと、彼女は携帯を持つのとは逆の手を大きく振ってみせた。
「見つかってよかったぁ。駅が広くて道に迷っちゃったよ」
九月に入ったとはいえ、まだまだ夏の陽気。動きまわったせいで額に浮かぶ汗を指先で拭いながら駆け寄ると、旅だから歩きやすいようにと選んだ、リボンつきのバレエシューズがぺたぺたと鳴る。
「だろうと思った。もっと見つけやすい場所にしたらよかったかなー」
お互いに携帯をしまいつつ、顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
明音が待ち合わせで指定してきた構内の広場は、平日なのに確かに人が多かった。普段、あまり大きな駅を利用しないわたしにとっては迷路に放り込まれたのかと錯覚するほどだ。
「ううん。それよりごめんね。駅まで付いて来てもらっちゃって」
夜遊びや外泊は当たり前、夕食も家で取る日のほうが少ないんだとか。何ともアクティブ。だからかわからないけど、明音本人も全然気取ったところのないサバサバした面白い子。
一般的に礼櫻のイメージは『お嫁さんにしたい清楚な女の子』らしいんだけど、明音はそれに反して濃いめのメイクや肌を出す服が好きらしく、セクシー系っていうのかな……そういうのをよく着ている。
今だって、学食内では白やパウダーピンク、ライトブルーなんかのパステルカラーで纏めた、いかにもお嬢なファッションが多い中、幾何学模様のオフショルダーという個性的なミニワンピースを見事に着こなしている。余談だけど、組んだ足から下着が見えそうだとかで、試験の前、男性教授に名指しで注意されたりしていたっけ。本人はどこ吹く風だったけど。
「まー、おとーさんの気持ちもわかるなあ。清花ってボーっとしてるし、なーんかちっちゃくて誘拐されそうな感じするもんね」
「誘拐って、もー、また子供扱いしないでよー」
父がこうも過保護なのは、明音の言うようにわたしがぼんやりしている上、小柄であるのも一因なのかもしれない。
女の子の平均身長といえば百五十センチ台後半だったと記憶しているんだけど、わたしはそれを大きく下回る百四十八センチ。小さいころから好き嫌いせずに何でも食べていたはずなのに、初等部の終わりを境に縦には一切伸びなくなってしまった。
通学電車で寿司詰め状態になると、他人の背中が壁に見えて、圧迫感から具合が悪くなることもしばしば。
せめてスタイルだけは……と思うのだけど、残念ながらの幼児体型。身体の肉付きが薄いかわりに、バストもヒップも小さく、モデル体型の明音にはよくこうやってからかわれている。
「だけど家出はやりすぎなんじゃない? それにあんた、ドコに転がり込むつもりなの? 言っとくけどウチは足つくからダメだよ」
「それはまだ決めてない」
「決めてないのに家出するとか言ってんの?」
呆れた。彼女はそう言いたげな顔をしている。
「夜に出歩かないから知らないだろうけど、いかに日本が治安のいい国だからって、フラフラしてたら危ないんだよ。清花がアブないやつらに引っかかりでもしたら、おとーさん、ショックで倒れちゃうよ」
「……あう」
夜の街でアブない人たちに追いかけられているところを想像して背筋が冷たくなる。
わたしだって出来れば危ない目には遭いたくないし、いたずらにお父さんを困らせたくはないんだけど……
「で、でも本当に嫌がってるのを伝えるには、いなくなるしかない気がするの。ほら、ずっとお父さんに従ってきたものだから、娘は思い通りになるって思っちゃってる気がするんだよね。だからここで、わたしだって自分の意見を通したいときがあるんだってアピールしなきゃでしょ」
「……背に腹はかえられないってワケか。でも、だからってなぁー」
明音がスプーンを握り、カレーを口に運びながら唸った。
何度か咀嚼したあと、ブラウンの縁つきコンタクトを入れた大きな瞳を瞠る。何か閃いたようだ。
「そうだ、あたしが間に立ってみようか?」
またスプーンを皿に置き、提案する。
なるほど、それは魅力的な申し出かもしれない。
わたしの友達関係にすら口を出してくる父だけど、初等部からの付き合いである明音のことは妙に気に入っていて、年に数回、明音のお家にお呼ばれしたときに限っては門限に関係なく外出を許してもらえるくらいだ。上手くいく可能性は存分にある。
けれど、わたしはゆっくり首を横に振った。
「せっかくだけど、それはやめておく」
「どうして?」
「万が一、それが原因で明音のことを悪く思われちゃったら嫌だし。そしたら友達いなくなっちゃうもん」
「あー、そっか」
ぽりぽりと首の後ろを掻きながら頷く明音。
なかなか学校外で遊べないわたしと、辛抱強く友達でいてくれた明音は貴重な存在だ。父が明音に悪印象を持って、今までみたいに付き合えなくなるのだけは避けたい。
「やっぱりわたし自身がどうにかしなきゃいけないんだよ。うん、お父さんには悪いけど、家出しかない」
「清花ぁー」
「ちゃんと家出先は探すよ。見つかってから家出する」
あては全くないけれど、とまでは言わなかった。
鼻息荒いわたしを、冷静な親友はどうにか思い留まらせようとしているみたいだった。
けれど決意が固いことを知ると、ふうっと息を吐いて同情的な視線をくれる。
「……でもそーだよね。いつもはおおらかな清花だって、ムリヤリ婚約させられちゃうとなれば、イイコになんてしてられないか」
「当たり前だよっ、人生かかってるんだもん」
この分じゃわたしの意思なんて関係なく、強制的に結婚まっしぐら。そんなの絶対に無理に決まってる。
「あれだね。清花は良くも悪くも、今まで従順すぎたのかも。親に反抗的な態度を取ったことなんて一度もないでしょ?」
「うん。考えたこともない」
「わー、ちょーマジメ。あんた、すごいわ」
淀みなく答えると、明音はうっすら上唇についたカレールウをぺろりと舐めながら感心した風に言った。相変わらず、他人を褒めるのが下手だなぁと思う。
「……でも今回は別だよっ。そもそも、会ってもいないのに婚約だなんていつの時代の話? しかも親同士の約束だなんて」
「まーね。出会い系とかお見合いパーティでさえ、当人の意思でするものだし」
そこまで言うと、明音の苦笑が揶揄に取って代わる。
「その上、清花は筋金入りの処女だもんねー。カレシもいたことないし、キスとかハグとか、一通りの経験ゼロでしょ?」
「ちょ、ちょっと明音っ、あんまり大きい声で言わないでよっ、恥ずかしいから!」
隣でラーメンを啜っていた子が、物珍しそうにこちらを見た気がする。……明音ったら、公共の場でそんなことバラさないでほしいのに。
わかってますよ。礼櫻の学生ってだけで男の人の食いつきが良くなると言われるほど、礼櫻のブランドは確立している。ゆえに、礼櫻の女の子はモテるのだ。
普通にしてれば引く手あまただって言いたいんだろうけど、そんなのやっぱり人によるんだと思うよ、人に!
「あーごめんごめん。でも事実でしょ?」
「むぅ、ほっといてっ」
にしたって、わざわざ言葉にされると面白くない。
「――じゃあ、どうしたら彼氏ができるのか教えて下さいよー。経験豊富な明音先生」
「そうだねー、あたしが思うに」
かけてもいない眼鏡のフレームを、くいっと上げるような仕草をする。
明音は恋多き女の子だ。男の子をとっかえひっかえというわけじゃないけど、高校生を過ぎてからは彼氏が途切れたことがないように思う。意外と言ってはいけないけど、男の子受けはいいみたいだった。
「清花の場合は絶対的に出会いが少ないんだよね。門限早くてサークルもバイトもダメ、休みの日も特にやることなくて家にいるんでしょ。出会いがないんじゃ発展のしようがないし、経験値だって上がらないよ」
明音の言う通り、出会いの機会はほぼゼロに等しい。生活基盤の大学はご覧の通りの女の園だし、他大学と繋がるチャンスも一切ない。
……あ、でも。
「経験値なら稼いでるよ」
「……どゆこと?」
「えへへ、最近好きなのはコレ!」
首を傾げた明音に、わたしは椅子の背もたれに置いていた通学バッグの中を漁り「じゃんっ」と効果音のような音を混ぜながら一冊の漫画本を取りだす。そして、書店のカバーを外して彼女に見せた。
ポップな字体で『とらべる×ろまんす』と書かれた表紙には、互いを見つめ合う男女のイラストが。今どきのカジュアルなファッションに身を包む女子と、作務衣を着ているクール系の男性。
この二人は、ヒロインの栞、そしてヒーローの詩文。
詩文の指先が栞の顎を持ち上げ、見上げさせるような構図がたまらない。あぁ、叶うものなら栞になりたいっ!!
なんて叫びたくなるくらい、『とらべる×ろまんす』――世間での略称は『とら×ろま』らしい――は、わたしが今一番ハマっている女性向けの恋愛漫画なのだ。
「あー……ハイハイ、なんだ経験じゃなくて疑似体験じゃん」
差し出した漫画を一瞥するなり、明音はげんなりと肩を落とした。何よう、その反応は。
「疑似体験だっていいじゃない。面白いから明音も読んでみなよー、キュンキュンするよ! このお話はね――」
『とら×ろま』は人気恋愛小説家である愛野詩文と、詩文の書く小説の大ファンで女子大生の押花栞が稀有な運命を経て出会い、徐々に惹かれあっていく……というラブストーリー。
この物語のウリはワイルドかつフリーダムなヒーロー像にある。住所不定の詩文は気分の赴くままに日本各地を転々とし、昼間はその土地ならではのアルバイトに勤しみ、夜は執筆活動に没頭するという暮らしを続けている自由人。
書く物語は胸やけしそうなくらいベタベタの甘々なのに、私生活ではハードボイルドな言動を見せるタフでクールな詩文。そのギャップがたまらなく素敵なのだ。
この漫画、女子中高生を中心にカルト的な人気を誇ってはいるのだけど、あまりに破天荒すぎるというか、リアリティに欠けるということでOLからの受けはあまりよくないんだとか。……そこがイイんだけどなあ。
「ちなみにヒロインの栞の性格も斬新な設定で、旅先での詩文の健康が気にかかるあまりノイローゼになって、彼の後を付け回してストーカー化しちゃうんだけど、彼ってばそれくらいじゃ全然動じない心の強さを持ってるんだよねー」
「ごめん、そのあらすじのドコでキュンキュンしたらいーの?」
明音は露骨に眉間に皺を寄せると、わからないというように首を横に振り、漫画を押しのけるように手のひらを見せる。結構です、と。
「え、何で~?」
「突飛すぎるでしょ。ってか、そーゆーのはリアルで間に合ってますから」
明音はきっと、わたしみたいに漫画で恋愛要素をチャージする必要はないのだろう。
「縁がないのはわかるけどさぁ、そーゆーのに逃げちゃダメだって」
「別に逃げてるわけじゃ――」
「理想だけ膨らんで、マジで彼氏できなくなるよ?」
「うっ……」
的確かつ厳しいお言葉。お話の世界に逃げてるつもりはないにしても、それで満足してしまいそうになっている感は否めない。
だって面白いんだもん――と内心で言い訳をしつつ、食器の載ったお盆の脇に漫画本を置いた。
「――でも、そう、トラベル……旅行、か」
人差し指を下唇に当てながら、ひとりごとみたいに呟く明音。
「うん?」
「旅行……旅行、ねえ」
『とら×ろま』を指しているのだろうか。タイトルにもあるように、ものすごくスパンの長い旅行の話っていう風に読めなくもない。
でも、それがどうかしたんだろうか?
明音は唐突に両手を合わせ、小さく叫んだ。
「――そう、旅行だよ! 一人旅!」
「え?」
「あたし、やっぱマジな家出ってのは賛成できない。でも、プチ家出ってか、家出っていう名の一人旅ならアリだと思う」
何かものすごい公式を編み出した数学者みたいな口調のまま、彼女が続けた。
「あたしも前々から思ってたんだけど、清花だってフツーの女子としての経験をする権利があるよ。いや、するべき! 大学はこれから夏休みに突入だし、気分転換も兼ねてさ、ぶらっと一人旅に出てみたら?」
「……わたしが、一人旅に?」
「そ。おとーさんに婚約拒否の主張はしつつ、何日間か好きな所に行って、普段じゃできないことしてきたらいーじゃん。ね、それがいい」
これ以上の名案は存在しないと、明音は得意気に腕を組む。
「そんな簡単に言うけど……わたし、今まで旅行らしい旅行なんてほとんどしたことないのに、大丈夫なのかな」
「今の今までガチな家出しようって意気込んでた人間の言う台詞? 一人旅のほうが断然ハードル低いじゃん。何を躊躇う理由があんのよ、マジうける」
わたしの矛盾した発言がツボにハマったらしく、明音は長テーブルを叩いて笑い出す。
うぅ、そっか、言われてみればそうなのかも。家出をする度胸があるなら、一人旅くらい余裕だろうってこと。
うーん。でも一人旅かぁ……それって知らない土地にひとりで向かうってことだよね。
何となく、家からそんなに離れていない場所で、明音に頼んで一緒に潜伏するようなことをイメージしていたから、逆に難しい気がしてしまう。
「それにさー、出会いを求めてるなら、旅行はもってこいだと思うよ」
渋るわたしに、明音は違う言葉で興味を煽ってくる。
「どういうこと?」
「旅は出会いって言うでしょ。たとえ短い期間だとしても場所や環境が変われば、清花がいいと思うような男の人と出会うチャンスがあるかもね」
「……ほ、本当っ!?」
「あー……絶対とはいいきれないけど、希望的観測だっていーじゃん。準備期間含め、清花が楽しむことが一番重要なんだからさ」
思ったよりも食いつきがよかったことにビックリしたのだろう。彼女はちょっとたじろぎながら答える。
考えれば考えるほど悪くない条件だった。家から抜け出せる。家出先の心配をしなくていい。それに出会いのチャンスもある。一石二鳥ならぬ一石三鳥だ。
「今までずっとガマンにガマンだったんだから、これくらいのワガママは許されるっしょ。清花のおとーさんには内緒にしておくし。あたしもサポートできるところはするからさ」
「ね?」といたずらっぽく笑いかける明音。
彼女の言葉が、最後の一歩を踏み出せないわたしの背中をトンと押した。
……そうだよね。
わたし、ずっとずっと、ずーっと我慢してきたんだもん。
友達と遊びたいのも、日が暮れてから出掛けるのも、好きな人をつくるのだって。
もうハタチなんだもん。大人だもん。
明音の言う通り、ちょっとだけワガママを通すくらい、自分の好きなことをするくらい許されるはず。
この際、自分ひとりで新しい世界の扉を開けてみるっていうのもいいかもしれない。
「……明音。大丈夫だよね、ひとりでも」
だから決めた。
わたし、この夏休みに家出――もとい、家出という名の一人旅をする!
「大丈夫大丈夫。……よし、そうと決まれば作戦会議をしなくちゃね。メインの目的は婚約阻止なんでしょ。おとーさんへの対策を考えつつ、楽しい旅行にしよう」
「うん。ありがとうっ」
決断してしまうと、今まで胃の辺りに何かが詰まったような重苦しさが取れ、急に食欲が湧いてきた。
明音がカレーライスを平らげるころになって初めて、わたしはAランチに手をつけ始めたのだった。
2
その後何度か行った作戦会議により、一人旅の準備は着実に整えられていた。
この一人旅の目的は、自宅から数日姿を消してそれだけ婚約を拒否している旨を知ってもらい、父を諦めさせること。
決行日は、九月十日の月曜日に決まった。
本当はもう少し早めがよかったのだけれど、試験が終わったのが七月の下旬。そこから夏休みに突入し、何だかんだでスケジュールの詰まった明音と打ち合わせの予定が合わず、親戚との集まりがあるお盆を挟むと、いつの間にか八月の終わりになってしまっていたというわけ。
ちょっと遅れてしまったけれど、待つ楽しみというのもあるもので心はウキウキと弾んでいた。
学校行事を除いたら初めての遠出。しかも一人きりで。
新幹線の手配なんて当然したこともないし、方法もいまいちよくわからなかったから、その辺りは明音を頼って任せてしまった。
行き先については、「絶対にここ!」って場所はなかったんだけど、明音に相談したり、書店のガイドブック売り場を眺めたりして、京都に決定。日程は二泊三日。
実は京都に行くのは二回目。高等部での修学旅行で訪れたことがあった。
いっそ本州から離れて北海道や沖縄っていうのも魅力的だったけど、全く知らない土地に行くよりは心強かったし、パンフレットに載ったモダンとクラシックが入り交じる街並みに興味をそそられて――なんてもっともらしいことを言いつつ、最大の理由は実に単純。
京都に一人旅って響きがカッコいい!
これに尽きる。素直に言うとまた明音に呆れ顔をされそうなので、黙っておいた。
そんなわけで、まさに「そうだ京都行こう」な気分になったわたしは、計画を阻害されないように、決行当日までを普段以上に大人しく過ごした。変に鋭い父に勘付かれやしないかとヒヤヒヤしていたけれど、杞憂だったようだ。
そして決行当日――九月十日がやって来た。
いつも通り七時に起床したわたしは、週に三回通いで家事をこなしてくれるお手伝いさんがストックしてくれた冷凍のおかずを温めて、いつも通りに朝ごはんの支度をする。
少し遅れて起きてきた父と、いつも通りにダイニングで二人きりの食卓を囲んだ。
「清花、今日の予定は?」
「お昼過ぎまで駅の裏の図書館で調べ物して、家に帰ってきたら課題のレポートを片付けちゃおうと思って」
「そうか」
朝食の時間にわたしの一日のスケジュールを確認するのが父の日課。
門限さえ破ったりしなければ特にダメ出しはされない。単にわたしの行動を把握して安心したいのだろう。
二ヶ月前のあの日から、顔を合わせても父の方から婚約の話に触れてくることは一切なかったし、わたしも詳しく訊こうとは思わなかった。
確かめたわけじゃないけど、お互いに堂々巡りを避けたかったのだ。
父は婚約させたいし、わたしはしたくない。
また気まずい雰囲気になるのはわかりきっているのだから、それなら敢えて話題にしないのがベストだろう、と。
会社へ向かう父をいつも通りに笑顔で送り出したあと、いつも通りに食器を片付け、いつも通りにメイクを始める。
メイクが完了すると、わたしは明音に一通のメールを送った。
『あと三十分くらいしたら東京駅に向かうね』
すぐに返信がきた。そこには
『わかった。じゃあたしも支度するわ』
と書かれている。
その場で『了解!』と短く返事を返し、二階にある自分の部屋に向かった――いつもとは違う、大イベントの準備のために。
まずクローゼットを開くと、今日に合わせて新調した服を引っ張り出し、着替える。
レースの付いた小花柄のワンピースは、普段のわたしなら敬遠するデザイン。ショッピングに同行してくれた明音と店員さんに強く勧められて、ついつい買ってしまったのだった。
服に着られてる風に見えないか心配で姿見の前に立ってみる。予想よりも違和感がなくてホッとした。
次はヘアスタイル。ドレッサーの前に座り、胸の下まである絡まりやすく細い髪を丁寧にブラシで梳かしていく。
こういうスイートな服に合わせるなら巻き髪が一番だけど、黒髪だと不自然かも……と、取り止め。そうでなくてもやり慣れないわたしのこと、火傷でもしたらいきなりテンションが下がってしまう。背伸びをせず、両サイドを編み上げてハーフアップにしよう。
わたしも明音みたいに髪を染めたり、パーマをかけたりしたいな。でもお父さん、そういうことしようとするとちょっと寂しげな顔をするし。
とか考えつつ、編み目が不揃いな三つ編みを二本作って、後頭部に持ってくる。
簡単な割に、編んだ部分をバレッタで留めて仕上げると華やかになる。鏡に映る自分がいつもよりも可愛く見えて、つい微笑みかけた。
立ち上がり、再びクローゼットの前に移動して取り出したのは、キャリーケース。外側は軽さを重視したナイロン生地で、黒地にホットピンクのドット柄。今回の旅行のためにこっそり買った、二、三泊用の小さめのものだ。
着替えや化粧品などを詰めたそれを扉の前に置いて、携帯電話で時間を確認する。うん、ジャスト三十分。
わたしは通学でも愛用しているキャメル色のボストン型トートバッグを肩にかけると、キャリーケースを引きずって一階に下りた。
そして、先ほどまで父と二人で朝食をとっていたダイニングで一度荷物を下ろす。あまり余計なものを入れていなかったつもりなのに意外と重い。
キャリーケースのポケットに忍ばせていた封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。
曲線を多用した脱力系のキャラクターが描かれたカラフルな封筒は、家出にはつきものの置き手紙。これを読むことになるだろう父にとっては、見た目に反して緊張感溢れるものであるかもしれない。
『お父さんへ やっぱり婚約はしたくありません。探さないで下さい 清花』
悩んだ挙句、そっけないくらいにシンプルな文章に落ちついた。
初めは便箋三枚に渡って切々と気持ちを書き綴ったりもしたけれど、簡潔なほうが真っ直ぐにわたしの気持ちが伝わる気がして。
『探さないで下さい』なんて書くと、いかにも家出っぽい感じ。父に対して罪悪感も覚えるけど、それ以上にワクワクしてしまっている自分がいる。
たとえるなら、モンスター討伐の旅に出る前の冒険者のような。
訪れる場所も、タイミングも、行動も、全て自分が――わたし自身が決める。
「行ってきます」
両手に荷物を抱えると、わたしは誰もいない廊下に向かってそう呟き、家を出た。
* * *
「清花、こっちこっち!」
「あっ、明音!」
携帯電話から聞こえてくる声と、十メートル先に立つ女性の唇の動きが一致する。
親友の名前を呼ぶと、彼女は携帯を持つのとは逆の手を大きく振ってみせた。
「見つかってよかったぁ。駅が広くて道に迷っちゃったよ」
九月に入ったとはいえ、まだまだ夏の陽気。動きまわったせいで額に浮かぶ汗を指先で拭いながら駆け寄ると、旅だから歩きやすいようにと選んだ、リボンつきのバレエシューズがぺたぺたと鳴る。
「だろうと思った。もっと見つけやすい場所にしたらよかったかなー」
お互いに携帯をしまいつつ、顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
明音が待ち合わせで指定してきた構内の広場は、平日なのに確かに人が多かった。普段、あまり大きな駅を利用しないわたしにとっては迷路に放り込まれたのかと錯覚するほどだ。
「ううん。それよりごめんね。駅まで付いて来てもらっちゃって」
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