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第1章/1-36
13 ▽アナスタシア・デル・リコリス・レンブルフォート▽
しおりを挟む深い森の中。昼の太陽の光が木々の葉の間から差し込んでいる。
目の前の大きな石の墓。リコリス帝の墓だ。墓の上には3メートルくらいはある巨人の石の像がある。
代々のリコリスの皇族を守るとされる、石の巨人。緑の苔で覆われて、沈黙している。虚しいものだ。
「…これで、いいかな…」
今日は午前中の仕事を休んだ。その時間で、僕は町で手に入れた石をせっせと磨く。数日かけたからだいぶぴかぴかだ。
背後から足音が近づいて来る。
「殿下」
振り向く。イスカールだ。
「帝国軍がアナスタシア殿下の居場所を見つけたようです。早く逃げた方がよいかと」
「うん…知ってるよ」
僕は変わらず石を磨き続ける。
「工場長が賄賂を貰ったみたいだ。僕を売ったんだね。今日、日当をみんなとは別に後から取りに来るように言われてるから、その時に帝国兵に売り渡すんだろう。ひどいやつだよ」
「では今すぐ逃げる準備を」
「逃げても無駄だよ」
「わしが護衛いたします」
「今回ばかりは無理さ。多勢に無勢だよ。それにイスカールには、今は無理に帝国軍と対立してほしくない」
「しかし…」
「大丈夫」
僕はたった今磨き上げた石を見せる。赤く透明で、きらきらしている。
「…殿下、それは?」
「闇市で手に入れたのさ。軍に見つかりそうだって分かってから、探して見つけたんだ。どう、綺麗でしょ?」
僕はその赤い石を傍に用意してあった金属の箱に収める。
持ち上げると、けっこう重い。
墓に上って、それを巨人の像の背中部分にある窪みに入れる。ちょっとサイズが合っていなくて不自然だが…まあいいか。
「…ふう、間に合ったな」
「殿下、どういうことです?」
僕は墓から降りる。服のポケットから一本のコルフィナの葉巻を取り出してくわえ、ライターで火を点ける。煙を深く吸い込んで、吐く。
…頭がくらくらする。ちょっと気持ちいい。
コルフィナの煙は僅かながら快楽作用がある。依存性があるため有効成分の比率や葉の栽培・製造の免許など厳しく規制されている。麻酔・鎮痛作用の面から医療用にも用いられている。僕が今働いている工場ではこのコルフィナの葉を生産、製造している。一日の終わりに、日当とコルフィナの葉巻を数本貰う。葉巻の分、日当は安くなる。作業員は自分でコルフィナを吸って中毒になり、工場にとってますます都合の良い労働者になる。
僕はもともとコルフィナを吸っていたから、この条件は好都合だった。どうせ他に選べた職場もどれも劣悪な環境のものばかりだった。
ちなみに僕の吸っている葉巻は細長いスリムタイプ。女性が嗜むことが多い。これとは別に太くて大ぶりな形状のレギュラータイプがある。
やれやれ…僕もすっかりコルフィナ無しではいられなくなった。困ったものだ…まあ、気持ちいいからいいんだけど。
「…連中は僕を捕まえて、リコリス皇鉱石の場所をなんとしてでも聞き出そうとするだろう。王国軍ももう帝都のすぐ近くまで迫っているし、彼らも必死さ。言霊草も使うかもしれない。そうなったらやっかいだ」
言霊草は自白作用がある薬草だ。僕は何度も飲まされたから、効果はよく知っている。貴重だから普段は滅多に使われないが、僕は特別だったらしい。
クラッ…
…し、しまった。ちょっと煙を深く吸いすぎた。軽く眩暈がしたが、すぐおさまる。
「…拷問されるかもしれないね。いやされるだろう。痛いのはヤだなあ…まあいずれにしても、僕は喋ってしまうよ。そのための準備さ。大丈夫、うまくいくよ」
我ながら雑な計画だとは思うけど、時間が無い中ではよくやった方だと思う。問題は捕まった後だ。
「…イスカールは、しばらく身を潜めて、帝都が王国軍に襲われている時に、どさくさにまぎれて僕を助け出してくれないか」
そんなのでうまくいくんだろうかと自分でも思う。でも大筋ではこれでいいハズ。あとは、どれだけ犠牲があるか。
「うまくいくかどうかはわかりませんが…殿下の言う通りやってみましょう」
「ありがとう、イスカール」
葉巻を吸い終わって残りを捨てる。僕はイスカールに歩み寄り、愛用のライターを手渡す。
「これ預かっておいてくれないか」
イスカールはライターを受け取る。
「しばらくコルフィナが吸えなくなりますな」
「それがね…つらいよ」
僕は石の巨像を見上げる。リコリスの守護者。君に守れるのは墓だけか。僕はイスカールを見る。僕にはイスカールがいる。
「…じゃ、行きますか」
▽ ▽ ▽
「今日の分だ」
仕事終わり、工場長から今日の半日分の日当をもらう。
「ありがとうございます」
封筒に入った日当をもらう。一日中働いても、その日の最低限の食事がぎりぎり賄えるくらいの金額。これはその半分。
何だか…お腹空いたな。仕事終わりはいつも。
「…えっと、今日の分のコルフィナは?」
「コルフィナは無い」
「え?」
「今君に渡しても、もう使えんからな」
バタン!
部屋の扉が勢いよく開かれる。数人の武装した帝国兵が物々しい様子で入って来た。真っ黒の鉄の鎧。顔も全て隠れていて表情が見えない。真ん中の兵隊長が僕を真っ直ぐ見て話す。
「アナスタシア・デル・リコリス・レンブルフォート。間違いないな?」
レンブルフォート・リコリス帝の帝位継承権のあることを示す、僕の正式な名前。
軽々しく呼ぶな。
…もっとも、今の状態では虚しさだけが響くが。
「さて、突然だが、君は今日でクビだ。君は真面目でよく働いてくれていたからね、残念だよ」
工場長が白々しく話す。
「その日当は私からの君への最後の餞別だよ」
「工場長! これはどういうことですか?」
一応動揺するふりをしておく。というか、餞別ならお金よりコルフィナをくれないか。
「まるで私が君を裏切ったとでも言いたげだな。だが待ってくれ、騙されたのは私の方だ」
帝国兵が僕を取り押さえる。振り解こうとするが僕の腕力では全く抵抗できない。帝国兵は僕の服の袖を強引に捲り上げる。
…や、やめろ、見るな!
「…やはりな」
その場の全員が僕の右肩の焼印を見る。
…ただただ、つらい。やり場のない、屈辱。
「右肩の大罪の印。やはりこいつがアナスタシアだ」
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