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第1章/1-36
31 ▽密会はコーヒーを添えて▽
しおりを挟む帝都の市場にあるコーヒー専門店。中に入ると同時にコーヒーのいい香りがする。僕はとびきり上等のコーヒー豆を買って、待っていた貸し馬車に戻る。
「それどうすんだ?」
馬車の中で待っていたニキータが聞いてくる。
「おみやげさ。きっと気に入ってくれるよ」
いい買い物ができて満足だ。
今日はきっといい日になるだろう。
「…じゃ、お願いします」
僕は貸し馬車の御者に指示をする。
「ええと…環境調査所? でよかったかな?」
「そうです」
「今新しく作ってる所だよねえ…まあまあ距離があるから料金がかさんじゃうけど、お嬢さんたち、それで大丈夫だったかい?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ走らせるよ」
御者は馬車を発進させる。
「…なあ、本当に行くのか? ばれないか?」
ニキータは少し心配そうにしている。
「大丈夫さ」
ルシーダには、ずっと宮廷にこもっていても苦しくなってくる、たまには外に出たいと話して、帝都の市場の喫茶店でコーヒーを飲んでくると伝えてある。ルシーダはあっさり許可を出してくれた。
「今日でないと、警備員がいなくなるタイミングが無いんでしょ?」
「そうだけど…」
「それよりニキータ…本当にその人で、間違いないんだね?」
「ああ、それは保証する」
「じゃあ何の問題もないよ」
「でも万が一ばれたら面倒なことになるぜ」
「その時は」
僕はニキータに微笑む。
「君に脅されて、しかたなく、ってことにしておくよ」
「…アナスタシア、それ、ひどくない?」
▽ ▽ ▽
帝都の外れ、周辺に民家などは無く、森に囲まれた一帯。工事中の建物群。大きいとは聞いていたけど、まさかこんなに本格的だとは。王国の技術力の高さにちょっと感動する。警備員、作業員などは今は出払っていて、誰もいない。普段は人も多いらしいから、このタイミングを逃したら次またいつ来れるか分からない。
「うーん…正面で待っててくれるはずだったんだけど…誰もいないな…」
「中にいるんじゃない?」
「まあ入るか」
本棟の正面には『レンブルフォート領地自然環境調査所』と書かれてある。貸し馬車には待っていてもらって、僕とニキータは建物の中に入る。
「…あっちだ。第五研究室って所」
ニキータが案内する。前に来たことあるのだろうか? 僕らは通路を何回か曲がって歩いて行く。どこまで行っても同じ景色なので、これ初めての時は絶対迷う。
「…着いたぜ」
ニキータが立ち止まる。部屋の前に『第五:地質地層調査室』と書かれた札がかかっている。
僕はドアを数回ノックする。
「…ああ、開いてるよ、どうぞ」
中から声がした。僕はドアを開ける。
何かの書類を手に持ったままの男性が1人。想像していたより歳はまだ若い。
「いやあ、早かったね。資料の確認が多くてね、迎えに行けなくてすまない」
「…オッサン、連れて来たぜ」
「わざわざありがとう。遠かっただろう? 私が宮廷に行ってもよかったんだけどね」
「ニキータ、おじさんって失礼だよ?」
「ハハ…いやいや、頭の使いすぎかな、最近は白髪が交じってきてね。老けて見られてしまうんだ」
「綺麗なグレーですね。かっこよくて憧れますよ」
僕は自分の髪を少し摘んで触る。
「…僕は髪の毛が細いから、そんなふうにならないと思うので」
男性は眼鏡のズレを直す。いかにも研究者って感じ。
「君が、アナスタシア君?」
「そうです」
僕は男性に向かって微笑む。
「初めまして。レンブルフォート、リコリス皇族皇子、アナスタシア・デル・リコリス・レンブルフォートです」
「この第五研究室、主任のクロノスだ。初めまして。そこのニキータ君に話を聞いてから、ずっと君に会いたいと思っていたよ。聞いた通り、優しそうな人だね」
クロノスは僕のもとに歩み寄り片手を差し出す。僕も応えて、握手をする。
「これ、どうぞ」
僕はおみやげのコーヒー豆をクロノスに渡す。
「…これは…おや、コーヒーかい? いい香りだね。嬉しいよ。さ、座って。さっそく淹れよう」
クロノスは来客用の椅子に座るよう促す。
「お邪魔します」
▽ ▽ ▽
「…最初は随分と怪しかったんだけどね」
クロノスはコーヒー豆にお湯をゆっくりと注ぎながら話す。いい香りがしてくる。
「ニキータの話を信じてくれてありがとうございます」
「話を聞くうちに、どうもこれは本当じゃないかという気がしてきてね。私もレンブルフォートについては大分調べさせてもらったから、彼の話が嘘でないことは分かった。それどころか、本来ごく一部の人間にしか知りようのないことも、ニキータ君は話してくれた」
「では、もうすでにだいたいのことは研究所としても判明していると」
「それはどうかな」
クロノスはコーヒーを淹れ終わって、カップに注ぎ、僕のところまで持ってくる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
すごくいい香りがする。一番上等のものを選んでよかった。
「…まあ、ニキータ君から美女を紹介すると言われた時は、さすがにどうしようかと思ったけどね」
…さすがはニキータ。ここでもハニートラップを使おうとしていたとは。ちょっと呆れる。
「はは、ニキータ、この人にその手は通用しないよ」
「でもオッサン、案外乗り気だったぜ?」
「おかげさまで。仲良くさせてもらってるよ」
「ええっ!?」
僕はあやうくせっかくのコーヒーをこぼしそうになる。
「…何か?」
「い、いえ…それは、まあそうですよね、クロノスさんも一人の男性ですし…なんというか、羨ましいですね…僕はそういうの、楽しめない体なので…」
「何のことかな?」
「え?」
「…お前勘違いしてないか? オレは助手を紹介したんだぜ」
「彼女はとても優秀だよ。おかげで仕事が捗る」
「そ、それはよかった」
僕は気をまぎらわすためにコーヒーを一口飲む。恥ずかしい…
クロノスは部屋の隅で立っているニキータにもコーヒーを手渡す。
「サンキュ」
ニキータはコーヒーを受け取る。
さて本題に入るか。
「…ルシーダはリコリス皇鉱石のありかを教えてくれないでしょう。知らないですからね」
「この間ここに来たよ。何も聞いても結局しらを切り通されてしまったよ。君のことも話してくれなかった」
「…あなた方は独自の研究でアイリス皇鉱石とは別にリコリス皇鉱石が存在することをつきとめたらしいですね」
「そこまで聞いているのかい? 勉強してくれたんだね」
「人工のアイリス皇鉱石の製造にも成功している」
「純度はまだまだだけどね。本物のアイリス皇鉱石の本格的な分析は、これからさ」
クロノスはコーヒーを飲もうと、口にカップを近づける。
「完成させたくはありませんか?」
クロノスがはっとして、傾けかけていたカップの動きを止める。
「…今何と?」
「僕はリコリス皇鉱石の場所を知っています。あなたに教えましょう」
クロノスは微笑する。
「…君はルシーダにも教えていないんだろう? なぜ私に教えるんだい? そうして君に何の利益がある?」
「ルシーダから聞いたところによると、あなた方の目的はリコリス皇鉱石を王国軍部に渡さないこと、そのために軍部より先に自分たちがリコリス皇鉱石を手に入れること。それを達成させることができます。僕がそんなリスクを負って得るものについてですが、あなたには、リコリス皇鉱石を渡した見返りに、あなた方が持っている人工アイリス皇鉱石を使って、失われてしまった究極の爆弾を完成させてほしいんです」
「…ハハ」
クロノスは軽く笑う。
「正気かい?」
「はい」
「なぜ?」
「僕はその爆弾を手に入れて、レンブルフォートの新しい皇帝になります」
ガシャン!
ニキータがカップを落とした。
「…す、すまん…ってか、アナスタシア、それ本気で言ってんのか?」
僕はニキータの方を振り向いて、にっこり微笑む。
「本気さ」
「でもいくら究極の爆弾を手に入れたといっても、王国軍部をレンブルフォートから追い出せるかな?」
僕はクロノスに向き直る。
「それであなた方にも協力してほしいんです。僕1人では王国と戦えない。今レンブルフォートを実効支配しているのは王国軍部ですから、それと戦える王国側の組織が必要です。あなた方は王国軍部とはあまり関係が良くないはずです。いろいろ不満もあるとか。僕の作る新しいリコリス・レンブルフォート国は、あなた方、王立科学戦術兵器研究所の後ろ盾のもとに建国します。ルシーダと軍部の政権を滅ぼして、僕とあなた方が新しいレンブルフォートの支配者になるんです」
「軍部がそんな簡単に折れるかな」
「できます。あなた方の、高貴なる女王陛下の親任さえあれば」
クロノスは黙ってコーヒーの入ったカップに口をつける。
「究極の爆弾さえあれば、可能です。誰も止められない」
「フフッ…なるほど」
クロノスは顎に手をあてて僕を見る。合点がいったというような様子。
「さすがに今君の話した通りに何もかも事が運ぶとは私も思わないが…ただ私達としても、軍部の横行には正直辟易していたところだ。早くしないと、軍部が先にリコリス皇鉱石を見つけてしまえば、いよいよ王国内で軍事政権ができかねない。今回の戦争の大勝利を受けて、女王陛下もそのような話にやぶさかではないという噂も聞こえてきている。私達にとって、何も悪い話は無さそうだね」
「やってくれますか?」
クロノスは少し黙って考えた後、口を開く。
「…分かった。とりあえず上に話してみてもいい。まずは約束通り、リコリス皇鉱石を見せてもらおう」
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