イレーヌ

青葉めいこ

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 彼に体を貪られて意識を手放すのは、いつもの事。

 そして、気づけば朝になっている。

 けれど、その日は少し違った。

「……何だ? これは?」

 夢現に聞く低く艶やかな美声。

 お腹に衝撃を感じてイレーヌは目覚めた。

「……何、それ?」

 彼の美しい右手は火傷を負ったように赤くなっていた。

「……二つ身にならん限り始末できんか」

 彼は忌々しそうにイレーヌを、正確には彼女のお腹を睨みつけた。

 超絶美形、しかも、彼は魔族だ。その睨みは、かなり迫力がある。イレーヌは思わず身を引いた。

「……どうしたというの?」

「……お前のはらに子がいるんだ。始末したかったが、お前に押した魔刻印のせいで、できなかった」

 彼は忌々しげに答えてくれたが、その科白はイレーヌにとってかなり衝撃的だった。

「お前に押した魔刻印は複雑な魔力で編んだ。胎児だけを始末するには、いったん魔刻印を消すしかない。だが、再びそうするのも面倒だ」

 魔刻印はイレーヌの若さを保つだけでなく彼女に危害を加える者から守る働きもある。彼女自身が自死を試みようとしても、できなかったくらいだ。彼女の胎にいる限り、胎児も彼女の一部として守られているのだ。

「……ここに子供が?」

 イレーヌは恐る恐る、まだ膨らんでいもいないお腹に触った。

(――私と彼の子が?)

 全く実感がなかった。

 けれど、魔族の彼には分かったのだ。イレーヌ自身がまだ感知できない彼女の胎内に宿る存在に――。

「……言っておくけど、あなたの子よ。私は、あなた以外とは誰とも肌を重ねた事はないのだから」

 人間と魔族の間に子が出来たという話は聞いた事がないが、言葉通り、イレーヌは彼以外の男性と肌を重ねた事などない。だから、どれだけ信じられなくても、胎の子の父親は彼以外ありえない。

「そんな事は分かっている」

 彼は素っ気なく言った。

「……分かっていて、この子を殺そうとしたの?」

 魔族の彼に肉親の情などないのだろう。……人間との間にも子が出来る可能性があると知りながらイレーヌを抱いたくせに。

「……あなたにとっては要らない子かもしれない。それでも、私にとっては私に残された最後の希望よ」

 国を奪い家族を殺した男との子であっても――。

「この子を失ったら私は生きていけない。体は死ねなくても心は死ぬわ」

 彼は信じられないと言いたげにイレーヌを凝視した。

 そう、「イレーヌ」を見ている。

 イレーヌを見ていても、イレーヌ本人に向けられた視線ではなかった。彼は、いつもいつもアイリーンという女性の面影をイレーヌに求めていたから。……イレーヌを抱いている時でさえもだ。

 そんなの何の意味もない。

 イレーヌを見ていないなら、イレーヌを抱いていないのなら、何の意味もない!

「……お前・・は違うんだな」

 彼は、ぽつりと呟いた。

 アイリーンではない。イレーヌじぶんに向けられた言葉だと分かって目を瞠った。

「……あなたが私に『アイリーン』を求めているとしても、私はイレーヌ以外の何者にもなれないし、なる気もない! だって、これ・・だけが私に残された最後の誇りだから」

 国を家族を体を心を、全てを奪われた。

 それでも自分である事、「イレーヌ」である事だけは、彼にでも誰にも奪わせない!

 そう思っていたのに、もう「自分」しか残されていないのだと思っていたのに――。

 彼はイレーヌから全てを奪ったが、希望を与えてもくれたのだ。

「私が私である事、私の最後の希望であるこの子まで奪われるのなら、もう生きている意味もない。『アイリーン』になれない私が不要なら、この子・・・も要らないのなら、この子ごと殺して」

 自分が死ぬ事になっても、我が子には生きてほしい。

 けれど、彼が我が子の存在を認めず殺そうとするのなら、一緒に殺してほしかった。

 我が子と共に死ぬ事。

 それが産んであげられない母である自分が唯一できる事だ。

(さあ、この子ごと殺しなさい!)

 その思いを込めてイレーヌは彼の魔族特有の黒い瞳を見つめた。

 何秒にも何時間にも思えるほど見つめ合った後、彼は溜息を吐いた。

 無言で、いつの間にか元の美しさを取り戻した右手をイレーヌにかざすと魔力を放った。

 一瞬後、イレーヌはイグレック国の王宮からゼドゥ国の修道院に飛ばされていた。

 そして、ここでウィルを産み王妃に奪われ……閉じ込められる事になる。

 










 
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