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母娘
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「わたくしの生物学上の母親よ」
ほぼ初対面のエウリの前でさえ母親に対して「嫌いだし、どうでもいい」とは言っていたが、これほど不機嫌絶頂の顔で「生物学上の母親」と吐き捨てるように言ったのだ。
デイアの中で母親は「生物学上の母親」でしかなくなったのだろう。
それは、男に連れてこられた居間で対面した母親に向けた第一声でも明らかだ。
「お母様、あなたの頭の中には何が詰まっているの? エウリ様を攫うだなんて、馬鹿で阿保とは思っていたけど、これほどとは思わなかったわ」
デイアの母親に対する言い方は相変わらず辛辣だ。しかも敬語ではなくなっている。顔合わせの時は母親にも一応敬語を遣っていたのに、もうそんな気もおきないのだろう。
「何ですって!?」
攫うという手段はともかく、エウリに用があったはずだのに、それを忘れて自分を侮辱した(エウリからすれば当然の発言としか思えないが)娘に食ってかかるとは本当に単純な女だ。
呆れるエウリの前で、カシオペアは彼女にとって最大の禁句を喚いてくれた。
「母親に向かって、そんな口を利くだなんて! 本当にお前は、わたくしにも旦那様にも似ず、あの女の嫌な所ばかり受け継いで! 産むんじゃなかったわ!」
「……ちょっと、あんた」
エウリは思わず貴族の女性らしからぬ言葉が出たが、同時にデイアが言った。
「毎回毎回それ言うけど、お父様に似なかったのは残念だけど、あなたに似なくて本当によかったわ。いくら美人の範疇に入る顔でも知性の欠片もない上、性格の険しさが出たそんな顔には絶対なりたくないもの。
それと、あなたが言う『あの女』がお祖母様なら『嫌な所』などないわよ。少なくとも、あなたとは比べものにならないくらい素晴らしい女性だわ」
母親から「産むんじゃなかった」と言われても応えた様子のないデイアにエウリは安堵した。
……エウリは特殊な環境で生を享けた。
だからこそ幼いエウリにとって母親が世界の全てになったのだ。
カシオぺアとデイアの母娘に限らず、他の母娘と自分達母娘が違うのは分かっている。
それでも「産むんじゃなかった」と娘に言う母親も、母親からそう言われる娘も見たくなかった。
……もしかしたら、自分も母からそう言われていたかもしれないからだ。
そんな事は、ありえないのは分かっている。
無理矢理な行為の結果であり、本来なら産まれるはずのない、産まれてきてはならない子が胎内に宿っても葬り去る事ができなかった母だ。
――私の可愛いアネモネ。
そう言って慈しんでくれた。
あの母が我が子を否定するはずがない。
(……私を攫った事はいい。けれど、母親が我が子に言ってはいけない言葉を口にした事は許せない)
言われた当人であるデイアに傷ついた様子がなくても、エウリが許せないのだ。
エウリにとって最大の禁句を聞かせてくた事。
大事な友人であるデイアを否定した事。
(優しいオルフェ様は穏便にすませようとするかもしれない。でも、私はそんな事では許さない)
「わたくしのどこが、あの女に劣っているというのよ!? わたくしのほうが何もかも上じゃない!」
「「……本気で言っているの?」」
エウリとデイアの声が重なった。
「お祖母様に限らず、あなた以上の女性ならいくらでもいるわ。少なくとも、夫の新しい妻を攫うなんて事、他の女性ならしないわよ」
「……私に用があるのならデイア様は関係ないでしょう? デイア様は帰らせてください。未来の皇太子妃を害したとなると実の母親でもただでは済みませんよ」
今は言葉の暴力だけだが(それも幸い何を言われてもデイアに傷ついた様子はない)実際にデイアを害さないかが心配だった。
この女は、その時その時の感情で動いている。実際、言葉を交わしたのは二度目だが、それだけでも充分過ぎるほど、この女の性質は伝わってきた。
相手が自分の娘でも未来の皇太子妃でも歯止めにはならないだろう。
「帰るならエウリ様と一緒よ。わたくし一人だけでは帰らないわ」
デイアはエウリを心配して言ってくれているのだろうが、エウリとしては「さっさと帰ってくれ」と言いたい気分だった。
「……だから、デイア様、私なら大丈夫ですから」
「何を根拠にそう言うのよ? お母様が嫌いな女性、しかも、愛するお父様の新しい『妻』となる女性を前にして何もしないはずないでしょう?」
「わたくしの言う事を聞けば何もしないわよ」
二人の言い合いをうんざりした顔で聞いていたカシオぺアが言った。
「言う事? 『オルフェ様との結婚をやめろ』ですか?」
カシオペアがエウリに言いたい事など、それくらいしか思いつかない。
そして、それはその通りだった。
「そうよ」
頷くカシオペアに対し、エウリは難しい顔になった。
「……やめるにしても、それは、あなたに言われてではありません」
オルフェとの話し合い次第であり……エウリの全てを知っても、彼の家族(カシオペアは入ってない)が受け入れてくれるかどうかだ。
自分とデイアの身の安全を考えると、ここは嘘でもカシオペアの言う事を聞いたほうがいいのかもしれない。だが、そんな事は一時しのぎだ。
実際にオルフェと結婚したら、この女は同じ事をするだろう。その時、エウリ一人ならいいが、今回のようにデイアや他の人間が巻き込まれる事態は避けたい。
この女とは、ここで決着をつけなければ。
「分からない女ね! わたくしの言う事を聞けば無事に帰れるのよ! お前といい、お前の元夫といい、人の話を聞かないんだから!」
「……アリスタ様に会ったんですか?」
この女の実のない言葉も喚き声もうんざりするが、これは聞き逃せない。
「わたくしの見たところ、今もお前を想っているようだったから、お前を取り戻す協力をしてあげようと思ったのに話も聞かずに離れていったわ」
「当たり前でしょう。子供達に恥じない父親でありたいと願っているあの方が、こんな馬鹿な事に係わるはずがないわ」
エウリもデイア同様、充分カシオぺアに腹を立てていたが、それでも敬語を遣っていたのは慇懃無礼という言葉あるからだ。敬語での皮肉や嫌味のほうが、より彼女の癇に障ると思ったのだ。
だが、もうそんな気もなくなった。カシオぺアの発言があまりにも馬鹿馬鹿しくて。
「あなたが、あなたなりにオルフェ様を愛しているのは分かる。それで、第二夫人の存在を許せないのも。だからといって、私を攫っていい理由はないし、何よりアリスタ様を巻き込もうとした事と母親が我が子に向けて言ってはいけない言葉を遣った事は許せない」
「……エウリ様」
デイアは驚いた顔でエウリを見つめた。母親の自分に向けた発言に、これほど彼女が怒っているとは思ってもいなかったのだろう。
「はっ! お前のみたいな得体の知れない女が、よくも、このわたくしに偉そうに言えるわね!?」
「……私を調べたのね」
「当然でしょう。旦那様の新しい妻になる女を調べないはずがないわ!」
「……初めて、お母様の口から、まともな言葉が出たわね」
デイアが感心したように言った。
それはエウリも思ったが、普通は、父親の新しい「妻」となる女の素性が知れない事を気にしないか?
父親の選んだ女なら、どんな女でも構わないのだろうか?
心情的にはそれで済んでも対外的には済まない。高位貴族であれば尚更だ。
(……今の今まで何でこれに気づかなかったのかしら?)
自分の事しか考えなかったせいだ。
普通なら到底受け入れられない結婚条件を受け入れてくれた上、帝国宰相であるオルフェはパーシー以外ではエウリを守る盾として最良だった。
自分の事だけで、自分を「妻」とするオルフェの事を全く考えなかったのだ。
カシオペアのように嫉妬に駆られてでなくても、新しい家族となる人間を調べないはずがない。オルフェだって仮初めでも「妻」にするエウリの素性を調べたはずだ。だが、今でも何も言ってこない。
エウリュディケ・グレーヴスとなる以前のエウリ、アネモネは公式には存在しない。戸籍がないのだ。
当時、アネモネ(エウリ)と母の世話をしていた使用人達が生きているとしても、命が惜しいなら墓場まで持っていくはずだ。
いくら帝国宰相でもエウリの素性を解き明かす事は絶対に無理だ。
そんな得体の知れない女が仮初めでも「妻」になるというのに、まして、彼の息子まで彼女に求婚したというのに「結婚をやめる」とも「息子に近づくな」とも言ってこない。
オルフェはエウリの姿が気に入って彼女と結婚しようとしている。だから、彼女の素性がどうだろうと構わないのだろうか?
オルフェが独り身で、ごく普通の男性なら、それでいいかもしれない。
けれど、彼は帝国宰相でありハークの父親だ。
息子を愛する父親として、また優秀な宰相として、らしくないのではないだろうか?
「お前は何者なの? いえ、お前が何者でも、旦那様の妻になるのは許さない。旦那様の妻は、わたくしだけでいいのだから」
「政略結婚でも、お父様なりにお母様を大切にしていたわ。お兄様とわたくし、二人も愛するお父様の子供を産んだ。まあ、わたくしを娘と思ってはいないだろうけれど、それでも、お兄様という素晴らしい息子がいる。もう充分でしょう? お父様の幸せを邪魔しないで」
(……デイア様、あなたの発言は尤もなのだけれど、感情だけで生きているこの女には火に油を注ぐものだと思う)
エウリの危惧は当たりカシオペアはまた彼女の聞くに堪えない発言をしてくれた。
「わたくしは、旦那様の幸せを邪魔した事など一度もないわよ! むしろ、お前のような娘を持った事が、わたくしと旦那様の一番の不幸だわ!」
「何、馬鹿な事を言っているのよ」
エウリの声はけして大きくはなかったが、絶世の美貌に怒りを露にしたため、かなり迫力があった。
「デイア様は、あなたには勿体ないほど素晴らしい娘だわ。むしろ、あなたが母親なのがデイア様の一番の不幸でしょう」
「わたくしは、この娘のせいで旦那様と暮らせなくなったのよ! 出来の悪い娘に躾をしていただけなのに、お義父様はわたくしを追い出したのよ! お義父様が亡くなっても旦那様はわたくしを呼び戻してくれないし! 全て、あの女とこの娘のせいだわ!」
「躾? 自分の苛々を幼かったわたくしにぶつけていただけでしょう。地下室に閉じ込めたり、わたくしの食事を床にぶちまけて台無しにしたり、ああ、容赦なく引っぱたいたり蹴りつけたりしてくれた事もあったわね」
「……そんな事をしていたの」
ぼそりとエウリは呟いた。
貴族の令嬢として何不自由なく暮らしているように見えても、幼いデイアは母親から理不尽な目に遭っていたのか。
だが、彼女の救いはハークの言葉ではないが「母親以外は恵まれた事」だろう。
「お祖母様に似たわたくしを溺愛していたお祖父様が、そんなあなたを許すはずないじゃない。全て自分がしでかした事でしょう? お祖母様やわたくしのせいにしないで」
「やっぱり、お前を産んだ事は間違いだった。わたくしの不幸は、お前を産んだ事よ!」
「まだそんな事を言うの? そもそも、あなたのどこが不幸なの?」
皇女として生まれ、愛する夫との間には素晴らしい子供達も出来た。愛する夫には愛されず遠ざけられても、公式の場では、ちゃんと妻として扱われているし、この美しい館で何不自由なく暮らせている。
……母やアンが味わった地獄に比べれば、大した事ないではないか。
「旦那様は、生涯妻はお前だけだと言ってくださったのよ! なのに、お前が旦那様を誑かして第二夫人におさまろうとしている! 許せる訳ないでしょう!」
「……では、お父様は、自分の息子と同い年になる女性に『誑かされて』第二夫人に迎えようとしている事なるんだけど? 分かっている? それは、お父様をも侮辱しているって事を?」
発言したデイアもエウリも勿論知らなかったが、それは、まさにアリスタも思った事だった。
「それに、人間に絶対などない。当時は本当に、お父様が妻はあなただけだと決めていても事情が変わる事もあるわ」
「だからって、何もこんな得体の知れない下賤な女なんかを!」
「……下賤な女、ね」
別にそう言われてカチンときた訳ではない。もうすでにエウリは(デイアもだろうが)この女の言動に充分むかついているのだから。
「一応、私は、あなたと血が繋がっているのだけど?」
顔合わせの時は言わなかった事を、あえてエウリは言った。
ほぼ初対面のエウリの前でさえ母親に対して「嫌いだし、どうでもいい」とは言っていたが、これほど不機嫌絶頂の顔で「生物学上の母親」と吐き捨てるように言ったのだ。
デイアの中で母親は「生物学上の母親」でしかなくなったのだろう。
それは、男に連れてこられた居間で対面した母親に向けた第一声でも明らかだ。
「お母様、あなたの頭の中には何が詰まっているの? エウリ様を攫うだなんて、馬鹿で阿保とは思っていたけど、これほどとは思わなかったわ」
デイアの母親に対する言い方は相変わらず辛辣だ。しかも敬語ではなくなっている。顔合わせの時は母親にも一応敬語を遣っていたのに、もうそんな気もおきないのだろう。
「何ですって!?」
攫うという手段はともかく、エウリに用があったはずだのに、それを忘れて自分を侮辱した(エウリからすれば当然の発言としか思えないが)娘に食ってかかるとは本当に単純な女だ。
呆れるエウリの前で、カシオペアは彼女にとって最大の禁句を喚いてくれた。
「母親に向かって、そんな口を利くだなんて! 本当にお前は、わたくしにも旦那様にも似ず、あの女の嫌な所ばかり受け継いで! 産むんじゃなかったわ!」
「……ちょっと、あんた」
エウリは思わず貴族の女性らしからぬ言葉が出たが、同時にデイアが言った。
「毎回毎回それ言うけど、お父様に似なかったのは残念だけど、あなたに似なくて本当によかったわ。いくら美人の範疇に入る顔でも知性の欠片もない上、性格の険しさが出たそんな顔には絶対なりたくないもの。
それと、あなたが言う『あの女』がお祖母様なら『嫌な所』などないわよ。少なくとも、あなたとは比べものにならないくらい素晴らしい女性だわ」
母親から「産むんじゃなかった」と言われても応えた様子のないデイアにエウリは安堵した。
……エウリは特殊な環境で生を享けた。
だからこそ幼いエウリにとって母親が世界の全てになったのだ。
カシオぺアとデイアの母娘に限らず、他の母娘と自分達母娘が違うのは分かっている。
それでも「産むんじゃなかった」と娘に言う母親も、母親からそう言われる娘も見たくなかった。
……もしかしたら、自分も母からそう言われていたかもしれないからだ。
そんな事は、ありえないのは分かっている。
無理矢理な行為の結果であり、本来なら産まれるはずのない、産まれてきてはならない子が胎内に宿っても葬り去る事ができなかった母だ。
――私の可愛いアネモネ。
そう言って慈しんでくれた。
あの母が我が子を否定するはずがない。
(……私を攫った事はいい。けれど、母親が我が子に言ってはいけない言葉を口にした事は許せない)
言われた当人であるデイアに傷ついた様子がなくても、エウリが許せないのだ。
エウリにとって最大の禁句を聞かせてくた事。
大事な友人であるデイアを否定した事。
(優しいオルフェ様は穏便にすませようとするかもしれない。でも、私はそんな事では許さない)
「わたくしのどこが、あの女に劣っているというのよ!? わたくしのほうが何もかも上じゃない!」
「「……本気で言っているの?」」
エウリとデイアの声が重なった。
「お祖母様に限らず、あなた以上の女性ならいくらでもいるわ。少なくとも、夫の新しい妻を攫うなんて事、他の女性ならしないわよ」
「……私に用があるのならデイア様は関係ないでしょう? デイア様は帰らせてください。未来の皇太子妃を害したとなると実の母親でもただでは済みませんよ」
今は言葉の暴力だけだが(それも幸い何を言われてもデイアに傷ついた様子はない)実際にデイアを害さないかが心配だった。
この女は、その時その時の感情で動いている。実際、言葉を交わしたのは二度目だが、それだけでも充分過ぎるほど、この女の性質は伝わってきた。
相手が自分の娘でも未来の皇太子妃でも歯止めにはならないだろう。
「帰るならエウリ様と一緒よ。わたくし一人だけでは帰らないわ」
デイアはエウリを心配して言ってくれているのだろうが、エウリとしては「さっさと帰ってくれ」と言いたい気分だった。
「……だから、デイア様、私なら大丈夫ですから」
「何を根拠にそう言うのよ? お母様が嫌いな女性、しかも、愛するお父様の新しい『妻』となる女性を前にして何もしないはずないでしょう?」
「わたくしの言う事を聞けば何もしないわよ」
二人の言い合いをうんざりした顔で聞いていたカシオぺアが言った。
「言う事? 『オルフェ様との結婚をやめろ』ですか?」
カシオペアがエウリに言いたい事など、それくらいしか思いつかない。
そして、それはその通りだった。
「そうよ」
頷くカシオペアに対し、エウリは難しい顔になった。
「……やめるにしても、それは、あなたに言われてではありません」
オルフェとの話し合い次第であり……エウリの全てを知っても、彼の家族(カシオペアは入ってない)が受け入れてくれるかどうかだ。
自分とデイアの身の安全を考えると、ここは嘘でもカシオペアの言う事を聞いたほうがいいのかもしれない。だが、そんな事は一時しのぎだ。
実際にオルフェと結婚したら、この女は同じ事をするだろう。その時、エウリ一人ならいいが、今回のようにデイアや他の人間が巻き込まれる事態は避けたい。
この女とは、ここで決着をつけなければ。
「分からない女ね! わたくしの言う事を聞けば無事に帰れるのよ! お前といい、お前の元夫といい、人の話を聞かないんだから!」
「……アリスタ様に会ったんですか?」
この女の実のない言葉も喚き声もうんざりするが、これは聞き逃せない。
「わたくしの見たところ、今もお前を想っているようだったから、お前を取り戻す協力をしてあげようと思ったのに話も聞かずに離れていったわ」
「当たり前でしょう。子供達に恥じない父親でありたいと願っているあの方が、こんな馬鹿な事に係わるはずがないわ」
エウリもデイア同様、充分カシオぺアに腹を立てていたが、それでも敬語を遣っていたのは慇懃無礼という言葉あるからだ。敬語での皮肉や嫌味のほうが、より彼女の癇に障ると思ったのだ。
だが、もうそんな気もなくなった。カシオぺアの発言があまりにも馬鹿馬鹿しくて。
「あなたが、あなたなりにオルフェ様を愛しているのは分かる。それで、第二夫人の存在を許せないのも。だからといって、私を攫っていい理由はないし、何よりアリスタ様を巻き込もうとした事と母親が我が子に向けて言ってはいけない言葉を遣った事は許せない」
「……エウリ様」
デイアは驚いた顔でエウリを見つめた。母親の自分に向けた発言に、これほど彼女が怒っているとは思ってもいなかったのだろう。
「はっ! お前のみたいな得体の知れない女が、よくも、このわたくしに偉そうに言えるわね!?」
「……私を調べたのね」
「当然でしょう。旦那様の新しい妻になる女を調べないはずがないわ!」
「……初めて、お母様の口から、まともな言葉が出たわね」
デイアが感心したように言った。
それはエウリも思ったが、普通は、父親の新しい「妻」となる女の素性が知れない事を気にしないか?
父親の選んだ女なら、どんな女でも構わないのだろうか?
心情的にはそれで済んでも対外的には済まない。高位貴族であれば尚更だ。
(……今の今まで何でこれに気づかなかったのかしら?)
自分の事しか考えなかったせいだ。
普通なら到底受け入れられない結婚条件を受け入れてくれた上、帝国宰相であるオルフェはパーシー以外ではエウリを守る盾として最良だった。
自分の事だけで、自分を「妻」とするオルフェの事を全く考えなかったのだ。
カシオペアのように嫉妬に駆られてでなくても、新しい家族となる人間を調べないはずがない。オルフェだって仮初めでも「妻」にするエウリの素性を調べたはずだ。だが、今でも何も言ってこない。
エウリュディケ・グレーヴスとなる以前のエウリ、アネモネは公式には存在しない。戸籍がないのだ。
当時、アネモネ(エウリ)と母の世話をしていた使用人達が生きているとしても、命が惜しいなら墓場まで持っていくはずだ。
いくら帝国宰相でもエウリの素性を解き明かす事は絶対に無理だ。
そんな得体の知れない女が仮初めでも「妻」になるというのに、まして、彼の息子まで彼女に求婚したというのに「結婚をやめる」とも「息子に近づくな」とも言ってこない。
オルフェはエウリの姿が気に入って彼女と結婚しようとしている。だから、彼女の素性がどうだろうと構わないのだろうか?
オルフェが独り身で、ごく普通の男性なら、それでいいかもしれない。
けれど、彼は帝国宰相でありハークの父親だ。
息子を愛する父親として、また優秀な宰相として、らしくないのではないだろうか?
「お前は何者なの? いえ、お前が何者でも、旦那様の妻になるのは許さない。旦那様の妻は、わたくしだけでいいのだから」
「政略結婚でも、お父様なりにお母様を大切にしていたわ。お兄様とわたくし、二人も愛するお父様の子供を産んだ。まあ、わたくしを娘と思ってはいないだろうけれど、それでも、お兄様という素晴らしい息子がいる。もう充分でしょう? お父様の幸せを邪魔しないで」
(……デイア様、あなたの発言は尤もなのだけれど、感情だけで生きているこの女には火に油を注ぐものだと思う)
エウリの危惧は当たりカシオペアはまた彼女の聞くに堪えない発言をしてくれた。
「わたくしは、旦那様の幸せを邪魔した事など一度もないわよ! むしろ、お前のような娘を持った事が、わたくしと旦那様の一番の不幸だわ!」
「何、馬鹿な事を言っているのよ」
エウリの声はけして大きくはなかったが、絶世の美貌に怒りを露にしたため、かなり迫力があった。
「デイア様は、あなたには勿体ないほど素晴らしい娘だわ。むしろ、あなたが母親なのがデイア様の一番の不幸でしょう」
「わたくしは、この娘のせいで旦那様と暮らせなくなったのよ! 出来の悪い娘に躾をしていただけなのに、お義父様はわたくしを追い出したのよ! お義父様が亡くなっても旦那様はわたくしを呼び戻してくれないし! 全て、あの女とこの娘のせいだわ!」
「躾? 自分の苛々を幼かったわたくしにぶつけていただけでしょう。地下室に閉じ込めたり、わたくしの食事を床にぶちまけて台無しにしたり、ああ、容赦なく引っぱたいたり蹴りつけたりしてくれた事もあったわね」
「……そんな事をしていたの」
ぼそりとエウリは呟いた。
貴族の令嬢として何不自由なく暮らしているように見えても、幼いデイアは母親から理不尽な目に遭っていたのか。
だが、彼女の救いはハークの言葉ではないが「母親以外は恵まれた事」だろう。
「お祖母様に似たわたくしを溺愛していたお祖父様が、そんなあなたを許すはずないじゃない。全て自分がしでかした事でしょう? お祖母様やわたくしのせいにしないで」
「やっぱり、お前を産んだ事は間違いだった。わたくしの不幸は、お前を産んだ事よ!」
「まだそんな事を言うの? そもそも、あなたのどこが不幸なの?」
皇女として生まれ、愛する夫との間には素晴らしい子供達も出来た。愛する夫には愛されず遠ざけられても、公式の場では、ちゃんと妻として扱われているし、この美しい館で何不自由なく暮らせている。
……母やアンが味わった地獄に比べれば、大した事ないではないか。
「旦那様は、生涯妻はお前だけだと言ってくださったのよ! なのに、お前が旦那様を誑かして第二夫人におさまろうとしている! 許せる訳ないでしょう!」
「……では、お父様は、自分の息子と同い年になる女性に『誑かされて』第二夫人に迎えようとしている事なるんだけど? 分かっている? それは、お父様をも侮辱しているって事を?」
発言したデイアもエウリも勿論知らなかったが、それは、まさにアリスタも思った事だった。
「それに、人間に絶対などない。当時は本当に、お父様が妻はあなただけだと決めていても事情が変わる事もあるわ」
「だからって、何もこんな得体の知れない下賤な女なんかを!」
「……下賤な女、ね」
別にそう言われてカチンときた訳ではない。もうすでにエウリは(デイアもだろうが)この女の言動に充分むかついているのだから。
「一応、私は、あなたと血が繋がっているのだけど?」
顔合わせの時は言わなかった事を、あえてエウリは言った。
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