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母の最後の手紙2
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「ハークから『アドニス』の話を聞いて、ミュラの娘、アネモネではないかと思った。ハークは少年だと思い込んでいたようだけれど話に聞いた外見特徴と何より名前だ。危険を避けるために男の子のふりをしているのだろうと。
グレーヴス男爵が五歳の女の子を養女に迎えたと噂で聞き調べてミュラの娘だと分かった。亡くなった娘の代わりでも男爵夫妻は君を大切にしているようだったから、遠くから見守るだけにしたんだ」
言った後でオルフェは苦笑した。
「……いや、見守るなどときれいな事を言っているが、ストーカーだな。女性の私生活を探るなど。すまなかった」
「いいえ。あなたは、お母様に頼まれて私を見守っていただけですし、それで不快な思いや怖い思いはしませんでしたから」
エウリは気づいた。
「もしかして、それで、パーシーと親しくなったんですか? 私は気づかなかったけれど、パーシーなら私を見ていただろうあなたの部下に気づいただろうし」
侯爵や宰相として忙しいオルフェが四六時中エウリを見ていられるはずがないし、大抵の貴族男性は小娘の尾行や監視などという簡単な仕事は部下に命じてやらせるものだ。
パーシーは伊達に帝国情報局の長官などやってはいない。きっとエウリを尾行していただろうオルフェの部下に気づいたのだ。
「ああ。それで、あの方が君の『秘密』を知っている事に気づいて、私と君の母親との係わりを話したんだ」
エウリがパーシーと出会ったのは約二年前、彼女がBL作家アネモネ・アドニスとなった時だ。その頃にはオルフェと母との係わりを知っていたのに、どうしてパーシーは仮にも親友であるエウリに話してくれなかったのか。
そんなエウリの不満に気づいたのか、オルフェが取りなすように言った。
「あの方が君に私とミュラとの係わりを黙っていたのは、私が頼んだからだ。その事で、あの方を悪く思わないでほしい。あの方も親友である君に隠し事をするのは心苦しかっただろうし」
「お母様の手紙を私に渡すおつもりだったのなら、隠す事もなかったのでは?」
パーシーがオルフェと母との係わりを知った二年前でなく、それ以前でも、求婚した時でも話してくれたらよかったのに。
「ミュラの手紙を届けに行くのは、私が死ぬ間際のつもりだった。それまでは、君をただ遠くから見るだけにしたかったんだ」
息子がエウリに求婚するなどという思いもしなかった事が起きない限り、オルフェ自身がエウリに係わる気はなかったらしい。
「宰相が気にかける娘として君が注目されたら私の政敵に君が狙われる。ミュラの望みは娘が自由に幸せに生きる事だ。私が係わったら、そうできなくなると思ったんだ」
もしオルフェが養父母より先にエウリを見つけていたとしても、彼女を引き取って育てる事はしなかっただろう。母も手紙で「娘を育ててくれとはいいません」と書いていたし。こっそりといい里親をあてがって陰から見守るくらいか。
「……私の事を考えてくださったのですね」
「『アドニス』と暮らしたがっていたハークには悪いと思ったが、妻が君に何をするか分からなかったし、父上と母上も君を養女に迎える事を反対されていたしな」
「……それは、私の出自を知れば誰だって」
納得しかけたエウリだが、すぐにそんな事はありえない事に気づいた。
「……あなたは、ご家族に私の出自を話されてはいないのですよね? 知っていて、あんなに優しく私に接するなどできないはずですし……それ以前に私の存在は決して知られてはならないもの。あなたが大切なご家族に、そんな重荷を背負わせるはずありませんものね」
エウリ(アネモネ)の存在は、公国と帝国にとって知られてはならない最大の禁忌だ。
この世界のどの宗教でも最大の禁忌のひとつである近親相姦。
それをフェニキア公国の前大公が、アルゴリス帝国の現皇帝の伯父が犯したなど絶対に知られてはならない。
「君の言う通り、家族に君の出自は話していない。家族が知っているのは、君が私が唯一愛した女性の娘という事だけだ」
オルフェの答えはエウリの思った通りのものだった。
「それなら、なぜ、お義母様は私を養女にする事を反対されたのでしょう?」
エウリの出自を知らない義母が反対したのは意外だった。高飛車な結婚条件を出した素性の知れないエウリすら嫁に認めた義母だ。息子が望めば得体の知れない娘でも養女に迎える事を反対などしないと思ったのに。
「母上に言われたんだ。『その子を養女に迎えたとして、我が子達と同じように平等に扱う事ができるの? 愛した女性への想いと母を亡くしたその子への憐れみから、その子を贔屓する可能性があるのなら、あの子達の祖母として反対する』とね。
愛する女性の最期の願いだからというだけでなく、私も子を持つ親として、幼い子供が、たった一人で世間に放り出されるのを放っておく事ができなかった。だから、我が子達よりも君を捜す事を優先した。
あの子達は、それに対して文句ひとつ言わなかったが、ずっと寂しい思いをさせていたのは分かっていた。君を傍に置いたら母上が危惧された通りになっただろう。これ以上、あの子達に寂しい思いをさせたくなかった。
幸い君はグレーヴス男爵の養女となったから、私が引き取る必要もなくなったが」
「……もし、私を養女に迎えてくださったとしても、あなたやお義母様が心配するような事はなかったと思いますが」
母への想いからか、母が手紙で書いた通り、ただ単に死に逝く者の最期の願いだからか、ともかくオルフェはエウリを気にかけてくれている。
それでも、自分の子供達の事も愛している。
もしエウリを傍に置いたとしても贔屓するとは思えない。きちんと自分の子供達と同じように平等に扱っただろう。
「……私を捜してくださった事は感謝しています。けれど、いくら愛した女性の最期の願いだからって、幼いハーク様やデイア様を放ってまで私を捜す事などなかったのに」
幼い子にとって親は特別だ。どんなに邪険にされてもデイアは母親であるあの女に好かれようと必死に努力していたとハークは言っていたし……エウリもまた「父」に懐いていた。
母に何をしているかも知らず幼いエウリは無邪気に「父」を慕っていたのだ。
エウリがバイオリンを嫌いなのは「父」を思い出すからだ。「父」はバイオリンの名手だった。
……母がオルフェの事をエウリに話さなかったのは当然だ。幼子に隠し事はできない。幼いエウリはオルフェの事を知れば「父」に喋ってしまっていただろう。
フェニキア公国史上最高の大公として人々に尊敬されていた「父」だが、子供っぽい一面も持っていた。それがまた人を惹きつける魅力になっていたが。
今自分が夢中になっている「おもちゃ」(……母の事だ)が自分以外の事を想っているなどと知れば、決して許さなかっただろう。オルフェが遠く離れた帝国にいようと、将来の帝国宰相だろうと(当時は彼の父親が帝国宰相だった)何らかの嫌がらせをしたはずだ。
「君が、あの子達に対して罪悪感を抱く事はない。それは、私が生涯抱えるべきものだ。ミュラの最期の願いを叶えようと決めたのは私の意思であり、誰かに強制されたものではないのだから」
「……お母様でなくても、あなたはでき得る限り死に逝く人の最期の願いを叶えようとしたでしょうね。それは大変立派ですけれど……傍にいる大切な方々を苦しめては意味がないです」
思わず言ってしまった後で、エウリは反省した。
「……申し訳ありません。私に、あなたを責める権利などないのに、偉そうな事を言ってしまいました」
オルフェは、ただ母の最期の願いを叶えようとしてくれただけだ。それで捜してもらい見守ってもらっているエウリが彼を責める権利などない。彼が愛する子供達を放っておかねばならなかった原因はエウリなのだから。責められるべきはエウリであってオルフェではない。
「似たような事を父上は仰った」
オルフェは、ぽつりと呟いた。
「『お前の優しさは、お前自身だけでなく周囲をも苦しめる』と。その時は、どういう意味か分からなかったけれど、今、君に言われて分かるような気がした」
オルフェは、その優しさや高潔さ故に死に逝く人の最期の願いを無視する事など絶対にできない。そのために、愛する子供達を放っておく事になっても、それで苦しむ事になっても。
オルフェの亡くなった父親、先代の宰相は、そういう息子の気性が分かっていたのだ。
「……先代の宰相様、あなたのお父様が生きていらしたら、私とあなたの結婚を反対されたでしょうね」
エウリの出自故ではない。息子が孫達を放っておいた原因だからだ。
「……今でも、私と結婚したいか?」
エウリは、きょとんとした。なぜ、オルフェがそんな事を言いだしのか理解不能だったのだ。
「私は、君をミュラの娘という眼でしか見てなかった。君を一人の人間として見てなかったんだ。そんな私と結婚したいか?」
「私も、あなた方親子の外見しか見てなかったのですから、お互い様です」
それに、何より――。
「どんな理由であれ、あなたは私を気にかけてくださった。感謝しています」
エウリの出自を知れば誰もが嫌悪するのが当然だ。だのに、オルフェは知った上で捜し見守ってくれた。いくら愛した女性の娘であっても、その女性の最期の願いであっても、普通なら到底できない。
「あなたは絶対に私に手は出せない。私にとって貴方はパーシーと同じくらい安全な男性だと思います」
オルフェにとってエウリは愛した女性の娘、見守るべき対象だ。実の娘と同じような存在だろう。どれだけ愛した女性に似ていても手を出す事は絶対にできない。
「私個人としては、あなたと結婚したいのですが……」
「何か問題があるのか?」
「……外見だけでなく、あなたとあなたのご家族を好きになってしまいました。だから、隠し事をしたまま結婚するのが耐えられません。ご家族が私の出自を知って反対されるのなら結婚はやめましょう」
「私の家族を見くびるな。君が話したいのなら話せばいい」
オルフェは家族がエウリの出自を知っても彼女を受け入れてくれると確信しているようだ。
(……そんな奇跡、何度も起きないわ)
オルフェや養父母、二人の親友が受け入れてくれた事が奇跡なのだ。
……いや、そもそも母がエウリ(アネモネ)を愛してくれた事が奇跡だったのではないだろうか?
ただでさえ女性にとって何よりもおぞましい行為の結果であり、さらには人として許されぬ行為の証だ。
堕胎しても当然だのに、母はエウリ(アネモネ)を産み慈しんでくれた。さらには残される娘を心配してオルフェに手紙で頼んでくれた。
(……お母様、オルフェ様のご家族が私の全てを知っても受け入れてくださるのなら、私はオルフェ様と……貴女が唯一愛した男性と結婚します)
――最初で最後の恋でした。
オルフェにとって母が唯一愛した女性だったように、母にとってもオルフェは唯一愛した男性だ。
本当の意味で夫婦になる訳ではない。それでも仮初めでも彼の「妻」になる事は母に申し訳なく思うけれど。
(都合のいい考えかもしれないけれど、私とオルフェ様の幸福を最期まで願ってくれた貴女なら、仮初めでも真実でも私とオルフェ様が夫婦になる事を祝福してくださるわよね?)
母が唯一愛した男性、ずっとエウリを見守ってくださった方。
オルフェの家族がエウリを受け入れてくれるのなら、でき得る限り彼と家族のために尽くそう。
そう固く決意するその一方で(決して受け入れられる事はないだろう)という諦めの気持ちもあるエウリだった。
グレーヴス男爵が五歳の女の子を養女に迎えたと噂で聞き調べてミュラの娘だと分かった。亡くなった娘の代わりでも男爵夫妻は君を大切にしているようだったから、遠くから見守るだけにしたんだ」
言った後でオルフェは苦笑した。
「……いや、見守るなどときれいな事を言っているが、ストーカーだな。女性の私生活を探るなど。すまなかった」
「いいえ。あなたは、お母様に頼まれて私を見守っていただけですし、それで不快な思いや怖い思いはしませんでしたから」
エウリは気づいた。
「もしかして、それで、パーシーと親しくなったんですか? 私は気づかなかったけれど、パーシーなら私を見ていただろうあなたの部下に気づいただろうし」
侯爵や宰相として忙しいオルフェが四六時中エウリを見ていられるはずがないし、大抵の貴族男性は小娘の尾行や監視などという簡単な仕事は部下に命じてやらせるものだ。
パーシーは伊達に帝国情報局の長官などやってはいない。きっとエウリを尾行していただろうオルフェの部下に気づいたのだ。
「ああ。それで、あの方が君の『秘密』を知っている事に気づいて、私と君の母親との係わりを話したんだ」
エウリがパーシーと出会ったのは約二年前、彼女がBL作家アネモネ・アドニスとなった時だ。その頃にはオルフェと母との係わりを知っていたのに、どうしてパーシーは仮にも親友であるエウリに話してくれなかったのか。
そんなエウリの不満に気づいたのか、オルフェが取りなすように言った。
「あの方が君に私とミュラとの係わりを黙っていたのは、私が頼んだからだ。その事で、あの方を悪く思わないでほしい。あの方も親友である君に隠し事をするのは心苦しかっただろうし」
「お母様の手紙を私に渡すおつもりだったのなら、隠す事もなかったのでは?」
パーシーがオルフェと母との係わりを知った二年前でなく、それ以前でも、求婚した時でも話してくれたらよかったのに。
「ミュラの手紙を届けに行くのは、私が死ぬ間際のつもりだった。それまでは、君をただ遠くから見るだけにしたかったんだ」
息子がエウリに求婚するなどという思いもしなかった事が起きない限り、オルフェ自身がエウリに係わる気はなかったらしい。
「宰相が気にかける娘として君が注目されたら私の政敵に君が狙われる。ミュラの望みは娘が自由に幸せに生きる事だ。私が係わったら、そうできなくなると思ったんだ」
もしオルフェが養父母より先にエウリを見つけていたとしても、彼女を引き取って育てる事はしなかっただろう。母も手紙で「娘を育ててくれとはいいません」と書いていたし。こっそりといい里親をあてがって陰から見守るくらいか。
「……私の事を考えてくださったのですね」
「『アドニス』と暮らしたがっていたハークには悪いと思ったが、妻が君に何をするか分からなかったし、父上と母上も君を養女に迎える事を反対されていたしな」
「……それは、私の出自を知れば誰だって」
納得しかけたエウリだが、すぐにそんな事はありえない事に気づいた。
「……あなたは、ご家族に私の出自を話されてはいないのですよね? 知っていて、あんなに優しく私に接するなどできないはずですし……それ以前に私の存在は決して知られてはならないもの。あなたが大切なご家族に、そんな重荷を背負わせるはずありませんものね」
エウリ(アネモネ)の存在は、公国と帝国にとって知られてはならない最大の禁忌だ。
この世界のどの宗教でも最大の禁忌のひとつである近親相姦。
それをフェニキア公国の前大公が、アルゴリス帝国の現皇帝の伯父が犯したなど絶対に知られてはならない。
「君の言う通り、家族に君の出自は話していない。家族が知っているのは、君が私が唯一愛した女性の娘という事だけだ」
オルフェの答えはエウリの思った通りのものだった。
「それなら、なぜ、お義母様は私を養女にする事を反対されたのでしょう?」
エウリの出自を知らない義母が反対したのは意外だった。高飛車な結婚条件を出した素性の知れないエウリすら嫁に認めた義母だ。息子が望めば得体の知れない娘でも養女に迎える事を反対などしないと思ったのに。
「母上に言われたんだ。『その子を養女に迎えたとして、我が子達と同じように平等に扱う事ができるの? 愛した女性への想いと母を亡くしたその子への憐れみから、その子を贔屓する可能性があるのなら、あの子達の祖母として反対する』とね。
愛する女性の最期の願いだからというだけでなく、私も子を持つ親として、幼い子供が、たった一人で世間に放り出されるのを放っておく事ができなかった。だから、我が子達よりも君を捜す事を優先した。
あの子達は、それに対して文句ひとつ言わなかったが、ずっと寂しい思いをさせていたのは分かっていた。君を傍に置いたら母上が危惧された通りになっただろう。これ以上、あの子達に寂しい思いをさせたくなかった。
幸い君はグレーヴス男爵の養女となったから、私が引き取る必要もなくなったが」
「……もし、私を養女に迎えてくださったとしても、あなたやお義母様が心配するような事はなかったと思いますが」
母への想いからか、母が手紙で書いた通り、ただ単に死に逝く者の最期の願いだからか、ともかくオルフェはエウリを気にかけてくれている。
それでも、自分の子供達の事も愛している。
もしエウリを傍に置いたとしても贔屓するとは思えない。きちんと自分の子供達と同じように平等に扱っただろう。
「……私を捜してくださった事は感謝しています。けれど、いくら愛した女性の最期の願いだからって、幼いハーク様やデイア様を放ってまで私を捜す事などなかったのに」
幼い子にとって親は特別だ。どんなに邪険にされてもデイアは母親であるあの女に好かれようと必死に努力していたとハークは言っていたし……エウリもまた「父」に懐いていた。
母に何をしているかも知らず幼いエウリは無邪気に「父」を慕っていたのだ。
エウリがバイオリンを嫌いなのは「父」を思い出すからだ。「父」はバイオリンの名手だった。
……母がオルフェの事をエウリに話さなかったのは当然だ。幼子に隠し事はできない。幼いエウリはオルフェの事を知れば「父」に喋ってしまっていただろう。
フェニキア公国史上最高の大公として人々に尊敬されていた「父」だが、子供っぽい一面も持っていた。それがまた人を惹きつける魅力になっていたが。
今自分が夢中になっている「おもちゃ」(……母の事だ)が自分以外の事を想っているなどと知れば、決して許さなかっただろう。オルフェが遠く離れた帝国にいようと、将来の帝国宰相だろうと(当時は彼の父親が帝国宰相だった)何らかの嫌がらせをしたはずだ。
「君が、あの子達に対して罪悪感を抱く事はない。それは、私が生涯抱えるべきものだ。ミュラの最期の願いを叶えようと決めたのは私の意思であり、誰かに強制されたものではないのだから」
「……お母様でなくても、あなたはでき得る限り死に逝く人の最期の願いを叶えようとしたでしょうね。それは大変立派ですけれど……傍にいる大切な方々を苦しめては意味がないです」
思わず言ってしまった後で、エウリは反省した。
「……申し訳ありません。私に、あなたを責める権利などないのに、偉そうな事を言ってしまいました」
オルフェは、ただ母の最期の願いを叶えようとしてくれただけだ。それで捜してもらい見守ってもらっているエウリが彼を責める権利などない。彼が愛する子供達を放っておかねばならなかった原因はエウリなのだから。責められるべきはエウリであってオルフェではない。
「似たような事を父上は仰った」
オルフェは、ぽつりと呟いた。
「『お前の優しさは、お前自身だけでなく周囲をも苦しめる』と。その時は、どういう意味か分からなかったけれど、今、君に言われて分かるような気がした」
オルフェは、その優しさや高潔さ故に死に逝く人の最期の願いを無視する事など絶対にできない。そのために、愛する子供達を放っておく事になっても、それで苦しむ事になっても。
オルフェの亡くなった父親、先代の宰相は、そういう息子の気性が分かっていたのだ。
「……先代の宰相様、あなたのお父様が生きていらしたら、私とあなたの結婚を反対されたでしょうね」
エウリの出自故ではない。息子が孫達を放っておいた原因だからだ。
「……今でも、私と結婚したいか?」
エウリは、きょとんとした。なぜ、オルフェがそんな事を言いだしのか理解不能だったのだ。
「私は、君をミュラの娘という眼でしか見てなかった。君を一人の人間として見てなかったんだ。そんな私と結婚したいか?」
「私も、あなた方親子の外見しか見てなかったのですから、お互い様です」
それに、何より――。
「どんな理由であれ、あなたは私を気にかけてくださった。感謝しています」
エウリの出自を知れば誰もが嫌悪するのが当然だ。だのに、オルフェは知った上で捜し見守ってくれた。いくら愛した女性の娘であっても、その女性の最期の願いであっても、普通なら到底できない。
「あなたは絶対に私に手は出せない。私にとって貴方はパーシーと同じくらい安全な男性だと思います」
オルフェにとってエウリは愛した女性の娘、見守るべき対象だ。実の娘と同じような存在だろう。どれだけ愛した女性に似ていても手を出す事は絶対にできない。
「私個人としては、あなたと結婚したいのですが……」
「何か問題があるのか?」
「……外見だけでなく、あなたとあなたのご家族を好きになってしまいました。だから、隠し事をしたまま結婚するのが耐えられません。ご家族が私の出自を知って反対されるのなら結婚はやめましょう」
「私の家族を見くびるな。君が話したいのなら話せばいい」
オルフェは家族がエウリの出自を知っても彼女を受け入れてくれると確信しているようだ。
(……そんな奇跡、何度も起きないわ)
オルフェや養父母、二人の親友が受け入れてくれた事が奇跡なのだ。
……いや、そもそも母がエウリ(アネモネ)を愛してくれた事が奇跡だったのではないだろうか?
ただでさえ女性にとって何よりもおぞましい行為の結果であり、さらには人として許されぬ行為の証だ。
堕胎しても当然だのに、母はエウリ(アネモネ)を産み慈しんでくれた。さらには残される娘を心配してオルフェに手紙で頼んでくれた。
(……お母様、オルフェ様のご家族が私の全てを知っても受け入れてくださるのなら、私はオルフェ様と……貴女が唯一愛した男性と結婚します)
――最初で最後の恋でした。
オルフェにとって母が唯一愛した女性だったように、母にとってもオルフェは唯一愛した男性だ。
本当の意味で夫婦になる訳ではない。それでも仮初めでも彼の「妻」になる事は母に申し訳なく思うけれど。
(都合のいい考えかもしれないけれど、私とオルフェ様の幸福を最期まで願ってくれた貴女なら、仮初めでも真実でも私とオルフェ様が夫婦になる事を祝福してくださるわよね?)
母が唯一愛した男性、ずっとエウリを見守ってくださった方。
オルフェの家族がエウリを受け入れてくれるのなら、でき得る限り彼と家族のために尽くそう。
そう固く決意するその一方で(決して受け入れられる事はないだろう)という諦めの気持ちもあるエウリだった。
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