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第一部 異世界転移

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 夫は見合いで「仕事優先できみを蔑ろにするだろう」と言い放ったので私もこれ幸いと条件を突きつけた。

「互いに離れて好きに暮らしましょう」

「性行為も出産も絶対に嫌なので子供は体外受精で代理母で出産してもらうつもりです。そのために豊柴家が懇意にしている病院には私の凍結卵子も保管していますから」

 私は恋愛感情はあるが性的欲求がないノンセクシャルだ。私がこうなったのは、どう考えても父親のせいだ。

 恋愛感情もないアセクシャルだと思っていたが知高さんに恋をした。幸いというべきなのか、知高さんもノンセクシャルだった。そのせいで過去の恋人達と破局してきた彼にとっても「結婚するまでの恋人だけど性的な接触は一切なし」という私の提案は都合が良かったのだ。

 大好きな知高さん相手でも嫌だのに、この世で一番嫌いで軽蔑している父親が選んだ夫と肌を重ねて、そいつの子を十月十日とつきとおかお腹の中で育てて産むなど考えただけで気持ち悪くて、おぞましい。絶対に無理だ。それでも、豊柴の女として次代を産むのは義務だ。だから、体外受精で代理母での出産を目論んだのに。

 豊柴の後ろ盾があれば出世できる。警察官である夫にとってメリットしかないはずだ。だから、ひどい事を言ったとは思わない。夫だってわたしに対してひどい事を言ったし。お互い様だ。

 だのに、何をとち狂ったのか、夫は結婚直後、わたしと暮らすために買ったマンションに私を軟禁し強姦したのだ。

 私の自由と生き甲斐と尊厳をあいつは奪った。

 妻が夫に尽くすのは当然だという考えが夫にはあったらしい。

 けれど、私は豊柴の女、しかも、次期当主だ。ただ夫に尽くすのが私の役割ではない。

 夫は婿になった自分こそが豊柴の次期当主になると思い込んでいたようだが、彼は、あくまでも「次期当主の夫」に過ぎない。
 
 豊柴家は血筋を重視している。余程人格に問題ない限り、女でも直系が当主になるのだ。私に兄か弟がいれば、どちらかが次期当主だったが現当主の子供は私だけだ。だから、私が次期当主確定だ(まあ、結局、異世界に転移してしまったから、その未来はなくなってしまったが)。

 父が忙しく家に帰らないのをいい事に、中学生の頃から徳松のお祖父様名義のマンションで使用人達の助けを借りながらだが一人暮らしをしていた。

 だから、他の名家のお嬢様に比べれば家事を一通りこなせるが夫のためにはしなかった。なぜ、自分を軟禁し強姦した男のために家事をしなければならない?

 自分が忙しくて家事ができない、私もしないとなれば、豊柴の使用人を使えばいいのに、家に他人を入れるのは嫌なのだそうだ。

「俺の飯は?」

 自分で作った、きっちり一人分のご飯を目の前でおいしそうに食べている私に、疲れて帰って空腹なのが丸わかりな夫が尋ねた。

 夫は仕事で忙しく警視庁での泊まり込みが多い上、「何時に帰る」という事前連絡もしてこない。まあ、連絡があっても彼の帰りに合わせて食事を用意などしてやらないけど。

「俺の飯は?」

 ひたすらご飯を食べ、食べ終えると食器を食洗器に入れている私に夫が同じ科白を繰り返してきたが、私は彼に視線を向ける事もせず、そのまま部屋に入った。

 結婚して、すぐ軟禁されたので部屋の鍵はつけられなかった。まあ鍵をつけられたとしても、警察の中でも特殊な部署にいる夫にとって鍵開けなど朝飯前だろうから意味はないだろう。

「聞こえないのか? 俺の飯は?」

 さすがに無視されて苛立ったのか、夫はノックもせずに部屋に入ると怒鳴る事こそなかったが怒っているのが明らかな口調で三度目の同じ科白を繰り返してきた。

 ここまで徹底的に無視されても自分の食事の有無を確認するとは、この男は馬鹿なのかと私は思いっ切り呆れた視線を向けてしまった。

 それをどう解釈したのか、夫は私の予想外な科白を言ってきた。

「待つから、飯の用意をしてくれ」

「は?」

 私は思わず間抜けな声を上げてしまった。ここまで徹底的に無視されて、なぜわたしが自分の食事の用意をしてくれると思えるのだろう? こいつ、頭が大丈夫かと心配してしまった。

「今日は許すけど、夫の帰りに合わせてご飯の用意くらいしておけよ」

 だったら、事前に連絡しろよと思う。勿論、連絡されても私は食事の用意などしないけど。

「そんな簡単な事もできないのか? 使えない女だな」

 更には、暴言を吐いてダイニングに向かう夫に何一つ反論しなかった。

 別に、彼の言葉に納得して反省したからではない。言葉は勿論、嫌悪や憎悪であれ感情の一欠けらでも夫に向けたくないからだ。

 どれだけ罵倒しようと私が食事の用意をしないと分かると、彼は結局諦めたように買い置きしておいたカップラーメンを食べ始めた。
 
 私が家事をしないのが気に入らないらしく「それくらい、どうしてできないんだ?」は、まだ序の口で最終的には「まるで美しいだけのダ〇チ〇イフだな」とまあ私の人格を全否定するような罵倒をしてくれたが別に気にしない。何とも思っていない人間に何を言われても応えないからだ。

 耐えられなかったのは、生き甲斐であるアルピスタ(アルパ奏者)として活動できない事と時折帰ってくる夫が私にするおぞましい行為だ。

 私がされている事を知れば、父は私を救出するはずだが……心の奥底で愛する妻を死なせた私を憎んでいるあの男が、すぐに私を救い出さないのも分かっていた。この軟禁生活が終わるのは早くて一年か。

 豊柴の女として、いや、まず人間として殺人は忌避していた。夫を殺してまで自由になりたいとは思っていなかったのだが。

 ストレスからか生理が止まり、妊娠したかもしれないと思った時、宿した子に対する嫌悪感しかなかった。

 私が望んだ形でなくても豊柴の女として子が出来た以上は産むべきだと分かっている。

 けれど、私は産みたくなかった。

 その時から義務ではなく自分の望みを優先した。

 好きで豊柴の家に、あの男の娘に生まれた訳ではない。

 それでも、豊柴の人間として裕福な生活ができたし、生き甲斐であるアルピスタとして短い間でも活動できた。

 だから、愛する恋人と別れてでも最終的には豊柴の女として生きようと決意していたのに。

 望まぬ妊娠(本当は妊娠していなかったが)が、私の中の義務感を打ち砕いたのだ。

 最初は子供を道連れに死のうと思った。

 けれど、私が自殺しようと、あの男は、これまでと変わらぬ生活を享受する。

 そんなの絶対に許せない。

 だから、夫を道連れにした。

《日本の守護神》とまで謳われる豊柴の直系の娘が夫を道連れに死んだというのは多大な醜聞スキャンダルだ。

 加えて、愛する妻が憎しみすら向けないほど自分に何の興味もなかったと書かれた日記を発見すれば、どれだけショックだろう。

 その様を見られなかったのだけは心底残念だったが。

  





 

 





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