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本編
2 妾妃という女
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妾妃に無理矢理、彼女の私室に引きずられて、ようやく私は解放された。
「どうして邪魔するのよ!」
興奮する私とは対照的に妾妃は冷静だ。
「落ち着きなさい。まず座ってミルクでも飲みなさい」
控えていた侍女に紅茶とミルクを用意するように言いつける妾妃に私は憮然とした。
「コーヒーか紅茶にして。ミルクは嫌いだと言ったでしょう。これは嫌がらせなの?」
カフェラテやミルクティーなら飲めるがミルクだけで飲むのは嫌いだ。それを知っているはずだのに。
「あら、妊娠中にコーヒーは体によくないわよ?」
人畜無害に見える笑顔の妾妃を私は睨みつけた。
「……分かっていて言っているのよね?」
妾妃の言葉通り私の前にはミルクが置かれた。妾妃の前には紅茶だ。
侍女が下がると部屋には私と妾妃の二人きりになった。
「そうね。三日前まで月の物があったあなたのお腹に子供がいるはずないわね」
妊娠が嘘なのは見抜かれていると思っていたが――。
「……ものすごく個人的な事を、なぜ、あなたが知っているのか、怖くて訊きたくもないわね」
この宮廷どころか、この国で起こる事で、妾妃が知らない事はない。それくらい彼女に信奉し手足となる人間が吐いて捨てるほどいるのだ。
分かってはいたが、私の月の物事情まで把握されていたとは、改めて、この女は恐ろしい。
いや、そうやって私を脅しているのか?
「何をしても、あなたのしている事は私の手の内なのだ」と。
「陛下はアーサー様を気に入っているわ。あなたが、どれだけ彼との婚約を嫌だと言い続けても無駄でしょうね。彼のほうから婚約解消を願い出ないかぎりね」
「……別の男の子を宿していると知れば、そうなると思ったのよ」
アーサーと婚約破棄するために利用したエドワード・ヴォーデン。
私がアーサーと婚約しているというのに構わず私に恋を囁いてきた男だから都合がよかった。少しでも私に対する恋心があるのなら、あんな顔だけ男でも利用するのは申し訳なかったが幸い彼の目的は王配だ。だから、遠慮なく利用した。
エドワードと二人きりの時、睡眠薬入りの酒を飲ませ、翌朝、裸にひんむいて、その隣に同じく裸の私がいた。それだけで、エドワードは私と何かあったと思い、私の胎に子がいると信じた。
テューダ王国の国王は、王の子供で強い人間である事を示せば誰でもなれる。王女だろうが母親が妾妃だろうが関係ない。そして、国王となった後、王位継承権を持つ兄弟姉妹を殺すのが慣例だ。
父であるリチャードは大勢いる兄弟姉妹を殺して、その地位に就いた。他国では眉をひそめるだろうが、この国ではむしろ尊敬されている。
妾妃の息子、私の異母弟であるアルバートも武術は強いほうだ。けれど、彼は武術よりも知力で勝負するタイプだ。臣民の尊敬を受けにくい。それでも婚約者が力になる家柄ならばよかったのに、よりによって、彼が選んだのは容姿だけの男爵家の娘だった。とても次期国王にはなれない。
王妃同様、妾妃には未だ勝てないが並の男を倒すくらいには私は強い。おまけに婚約者は王家に次ぐ名家ペンドーン侯爵家の跡取り息子だ。異母弟よりも私が女王となる確率が高いのだ。
でも、それを私は望んでいない。アーサーを愛している。けれど、彼が夫となる事で私が女王となるのなら結婚はしたくない。
だから、出会った時からアーサーに嫌われるように仕向けた。
……その事で胸が痛んでも自業自得なのだ。
「王妃様がいらっしゃるとうるさいから下剤を飲ませたの?」
なぜ王妃が娘である私の誕生日会に欠席したか、妾妃は当然のように知っていた。
「そうでもしなければ、あの容姿と健康だけが取り柄のお方が『体調が悪くなった』など言って、陛下とわたくしも出席する愛娘の誕生日に欠席するはずないものね」
何気に王妃を貶している彼女に私は苦笑した。
「お母様には申し訳なかったけれどね。あなたの言う通り、あの方がいらっしゃるとうるさいから」
妾妃の言う通り、容姿と健康だけが取り柄の王妃。
アーサーの女性版みたいな絶世の美女であるため《テューダ王国に咲く大輪の薔薇》などと讃えれているが私に言わせれば「脳筋王妃」だ。
強さこそが正義のテューダ王国。特に王妃の実家は代々将軍職を務めるウィザーズ侯爵家。王妃は女性ながら男性にも引けを取らない武術の腕前だ。
愛する夫である国王の妾妃達を、その武術で撃退してきた。唯一撃退できなかったのは目の前の妾妃だ。だからこそ彼女は今も妾妃として居続けられるのだ。
「……ったく、あのクソ親父、アルバートには容姿だけしか取り柄のない女でも婚約者として認めたくせに、どうして私は駄目なのよ」
理由は分かっているが、私は言わずにはいられなかった。
妾妃は国王を前にした時は「不敬罪ですよ」とたしなめたが二人きりの今は苦笑するだけだ。
「アーサー様を王配にしたいからでしょう」
妾妃は私がとうに分かっている理由を口にした。
「……あなたは自分の息子を次期国王にしたくないの?」
「だったら、さっさと、あなたとアーサー様を殺しているわ」
私もアーサーも今も無事に生きているのだから彼女にその気はないのだ。
暗殺が日常茶飯事の国。そして、妾妃は外見通りの女ではない。やると決めたら悪事でも実行する女だ。
「国王が、あなたでもアーサー様でもアルバートでも構わない。わたくしの目的が叶えられるのなら」
「あなたが何を企んでいても構わないけれどね」
私は妾妃を睨みつけた。
「私は、あなたの思い通りにはならない」
もう赤ん坊ではない。あなたの思惑などで動かされてたまるか!
「……リズ、わたくしは」
「愛称で呼ばないでと言ったはずよ」
私の気持ちが伝わったのか、妾妃は困った顔で何か言いかけたが私が遮った。
愛する夫によく似た娘に王妃は自分の名前を付けた。それは自分大好きな彼女の娘への愛情の証だろう。だから、この妾妃にだけは気安く呼ばれたくはない。
王妃の事は嫌いではない。考えるよりも先に行動する脳筋なお方だが私には優しい母だ。
……けれど、彼女が真実を知った時、その愛情は木っ端微塵に砕け散るだろう。その原因となる目の前の女を私はどうしても許す事ができない。
「……あなたが、わたくしを嫌っている事は、よく分かっているし、それは当然だと思う。でも、わたくしはわたくしなりに、あなたの幸福を願っているのよ」
「……伯爵が係れば、私など、どうでもよくなるくせに」
妾妃は北方から奴隷として、この国に売られてきた。そんな彼女を買い養女としたのはシーモア伯爵だ。
彼女にとって唯一無二の存在。夫である国王より……私より、彼女は伯爵を優先する。そもそも彼の望みだから妾妃となり子供を産んだのだから。
「……話は終わったわね。帰るわ」
「……なぜ、今、婚約破棄を宣言したの? 結婚まで、あと二年もあるでしょう?」
立ち上がりかけた私に妾妃が言った。彼女は、これが訊きたくて私を自室に連れてきたのか?
テューダ王国では女性は十六、男性は十八から結婚できる。
妾妃の言う通り、いくら私が今日誕生日を迎え十六になっても、婚約者のアーサーが十八になる二年後まで結婚はできない。
「……あなたに答える義務はない」
「高慢な王女」と人に思わせるために人前では王妃の言動を真似し、一人称も「妾」で通している。
妾妃相手にそうしないのは彼女に心を許しているからじゃない。無駄だからだ。どれだけ巧妙に「高慢な王女」を演じても妾妃と異母弟は「本当の私」を見抜く。
私は妾妃が大嫌いだ。
異母弟の事は嫌いではないが……自らの「真実」を知っても妾妃を慕う彼が理解できず肉親としての愛情を抱けない。
だが、それでも人前では「本当の私」を隠している私にとって妾妃とアルバートといる時だけは生のままの感情で向き合えるのは、ある意味で救いだった。
だからといって、彼女達に感謝する気はないし、私の心の奥に秘めた想いをさらす気もない。
まだ何か言いたそうな妾妃を無視して、今度こそ私は部屋から出て行った。
「どうして邪魔するのよ!」
興奮する私とは対照的に妾妃は冷静だ。
「落ち着きなさい。まず座ってミルクでも飲みなさい」
控えていた侍女に紅茶とミルクを用意するように言いつける妾妃に私は憮然とした。
「コーヒーか紅茶にして。ミルクは嫌いだと言ったでしょう。これは嫌がらせなの?」
カフェラテやミルクティーなら飲めるがミルクだけで飲むのは嫌いだ。それを知っているはずだのに。
「あら、妊娠中にコーヒーは体によくないわよ?」
人畜無害に見える笑顔の妾妃を私は睨みつけた。
「……分かっていて言っているのよね?」
妾妃の言葉通り私の前にはミルクが置かれた。妾妃の前には紅茶だ。
侍女が下がると部屋には私と妾妃の二人きりになった。
「そうね。三日前まで月の物があったあなたのお腹に子供がいるはずないわね」
妊娠が嘘なのは見抜かれていると思っていたが――。
「……ものすごく個人的な事を、なぜ、あなたが知っているのか、怖くて訊きたくもないわね」
この宮廷どころか、この国で起こる事で、妾妃が知らない事はない。それくらい彼女に信奉し手足となる人間が吐いて捨てるほどいるのだ。
分かってはいたが、私の月の物事情まで把握されていたとは、改めて、この女は恐ろしい。
いや、そうやって私を脅しているのか?
「何をしても、あなたのしている事は私の手の内なのだ」と。
「陛下はアーサー様を気に入っているわ。あなたが、どれだけ彼との婚約を嫌だと言い続けても無駄でしょうね。彼のほうから婚約解消を願い出ないかぎりね」
「……別の男の子を宿していると知れば、そうなると思ったのよ」
アーサーと婚約破棄するために利用したエドワード・ヴォーデン。
私がアーサーと婚約しているというのに構わず私に恋を囁いてきた男だから都合がよかった。少しでも私に対する恋心があるのなら、あんな顔だけ男でも利用するのは申し訳なかったが幸い彼の目的は王配だ。だから、遠慮なく利用した。
エドワードと二人きりの時、睡眠薬入りの酒を飲ませ、翌朝、裸にひんむいて、その隣に同じく裸の私がいた。それだけで、エドワードは私と何かあったと思い、私の胎に子がいると信じた。
テューダ王国の国王は、王の子供で強い人間である事を示せば誰でもなれる。王女だろうが母親が妾妃だろうが関係ない。そして、国王となった後、王位継承権を持つ兄弟姉妹を殺すのが慣例だ。
父であるリチャードは大勢いる兄弟姉妹を殺して、その地位に就いた。他国では眉をひそめるだろうが、この国ではむしろ尊敬されている。
妾妃の息子、私の異母弟であるアルバートも武術は強いほうだ。けれど、彼は武術よりも知力で勝負するタイプだ。臣民の尊敬を受けにくい。それでも婚約者が力になる家柄ならばよかったのに、よりによって、彼が選んだのは容姿だけの男爵家の娘だった。とても次期国王にはなれない。
王妃同様、妾妃には未だ勝てないが並の男を倒すくらいには私は強い。おまけに婚約者は王家に次ぐ名家ペンドーン侯爵家の跡取り息子だ。異母弟よりも私が女王となる確率が高いのだ。
でも、それを私は望んでいない。アーサーを愛している。けれど、彼が夫となる事で私が女王となるのなら結婚はしたくない。
だから、出会った時からアーサーに嫌われるように仕向けた。
……その事で胸が痛んでも自業自得なのだ。
「王妃様がいらっしゃるとうるさいから下剤を飲ませたの?」
なぜ王妃が娘である私の誕生日会に欠席したか、妾妃は当然のように知っていた。
「そうでもしなければ、あの容姿と健康だけが取り柄のお方が『体調が悪くなった』など言って、陛下とわたくしも出席する愛娘の誕生日に欠席するはずないものね」
何気に王妃を貶している彼女に私は苦笑した。
「お母様には申し訳なかったけれどね。あなたの言う通り、あの方がいらっしゃるとうるさいから」
妾妃の言う通り、容姿と健康だけが取り柄の王妃。
アーサーの女性版みたいな絶世の美女であるため《テューダ王国に咲く大輪の薔薇》などと讃えれているが私に言わせれば「脳筋王妃」だ。
強さこそが正義のテューダ王国。特に王妃の実家は代々将軍職を務めるウィザーズ侯爵家。王妃は女性ながら男性にも引けを取らない武術の腕前だ。
愛する夫である国王の妾妃達を、その武術で撃退してきた。唯一撃退できなかったのは目の前の妾妃だ。だからこそ彼女は今も妾妃として居続けられるのだ。
「……ったく、あのクソ親父、アルバートには容姿だけしか取り柄のない女でも婚約者として認めたくせに、どうして私は駄目なのよ」
理由は分かっているが、私は言わずにはいられなかった。
妾妃は国王を前にした時は「不敬罪ですよ」とたしなめたが二人きりの今は苦笑するだけだ。
「アーサー様を王配にしたいからでしょう」
妾妃は私がとうに分かっている理由を口にした。
「……あなたは自分の息子を次期国王にしたくないの?」
「だったら、さっさと、あなたとアーサー様を殺しているわ」
私もアーサーも今も無事に生きているのだから彼女にその気はないのだ。
暗殺が日常茶飯事の国。そして、妾妃は外見通りの女ではない。やると決めたら悪事でも実行する女だ。
「国王が、あなたでもアーサー様でもアルバートでも構わない。わたくしの目的が叶えられるのなら」
「あなたが何を企んでいても構わないけれどね」
私は妾妃を睨みつけた。
「私は、あなたの思い通りにはならない」
もう赤ん坊ではない。あなたの思惑などで動かされてたまるか!
「……リズ、わたくしは」
「愛称で呼ばないでと言ったはずよ」
私の気持ちが伝わったのか、妾妃は困った顔で何か言いかけたが私が遮った。
愛する夫によく似た娘に王妃は自分の名前を付けた。それは自分大好きな彼女の娘への愛情の証だろう。だから、この妾妃にだけは気安く呼ばれたくはない。
王妃の事は嫌いではない。考えるよりも先に行動する脳筋なお方だが私には優しい母だ。
……けれど、彼女が真実を知った時、その愛情は木っ端微塵に砕け散るだろう。その原因となる目の前の女を私はどうしても許す事ができない。
「……あなたが、わたくしを嫌っている事は、よく分かっているし、それは当然だと思う。でも、わたくしはわたくしなりに、あなたの幸福を願っているのよ」
「……伯爵が係れば、私など、どうでもよくなるくせに」
妾妃は北方から奴隷として、この国に売られてきた。そんな彼女を買い養女としたのはシーモア伯爵だ。
彼女にとって唯一無二の存在。夫である国王より……私より、彼女は伯爵を優先する。そもそも彼の望みだから妾妃となり子供を産んだのだから。
「……話は終わったわね。帰るわ」
「……なぜ、今、婚約破棄を宣言したの? 結婚まで、あと二年もあるでしょう?」
立ち上がりかけた私に妾妃が言った。彼女は、これが訊きたくて私を自室に連れてきたのか?
テューダ王国では女性は十六、男性は十八から結婚できる。
妾妃の言う通り、いくら私が今日誕生日を迎え十六になっても、婚約者のアーサーが十八になる二年後まで結婚はできない。
「……あなたに答える義務はない」
「高慢な王女」と人に思わせるために人前では王妃の言動を真似し、一人称も「妾」で通している。
妾妃相手にそうしないのは彼女に心を許しているからじゃない。無駄だからだ。どれだけ巧妙に「高慢な王女」を演じても妾妃と異母弟は「本当の私」を見抜く。
私は妾妃が大嫌いだ。
異母弟の事は嫌いではないが……自らの「真実」を知っても妾妃を慕う彼が理解できず肉親としての愛情を抱けない。
だが、それでも人前では「本当の私」を隠している私にとって妾妃とアルバートといる時だけは生のままの感情で向き合えるのは、ある意味で救いだった。
だからといって、彼女達に感謝する気はないし、私の心の奥に秘めた想いをさらす気もない。
まだ何か言いたそうな妾妃を無視して、今度こそ私は部屋から出て行った。
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