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本編
31 ジェロームの謝罪
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リジーに「どういう事?」と問いただしたかったのだが、教師達に「授業を始めるぞ!」と追い立てられ叶わなかった。王侯貴族でも学院では生徒だ。余程理不尽でない限り教師の言う事を聞かなければならない。
授業中でもリジーの言葉が気になった。学力テストで手を抜きまくって最下位のDクラスになったので、元々、私にはこのクラスでの授業は物足りなかった。最初から真面目な生徒ではなかったが、今日はさらに身が入らなかった(……先生方、ごめんなさい)。
考えて考えて、そして、ありえないとしか思えない答えにたどりついてしまった。
けれど、そうとしか思えない。
私に対して「恋愛事はポンコツ」だとロバートは言った。
悔しいが、その通りだと思う。
私が恋愛に、いやもっと人の心の機微に聡ければ、アーサーに対しても、もっとうまく立ち回れただろう。……こんなに拗れる事もなかった。
……アーサーの言うように、私は本当に「何も分かってない」のだと認めるしかない。
「……リズ様、お疲れならエリック様に言って、都合のいい日にしてもらいましょうか?」
ローズマリーも今朝の騒動の時にいた。私が疲れているだろうと言ってくれているのだ。
「大丈夫。エリックと約束したんだから、ちゃんと彼の話を聞きにいくわ」
……アントニアやジェロームに言われた事よりも、最後にリジーに言われた事が衝撃だった。あれは罵倒よりも質が悪いと思う。
昨夜の仮面舞踏会でのエリックとの約束通り、彼と話すためにローズマリーを伴って生徒会室に向かっている。
現在の生徒会長はロバート・ウィザーズ侯爵令息。王女の従兄だ。
最終学年で身分と成績と人柄で生徒会長が決まるのだ。他の生徒会役員も同じだ。
そのため生徒会室は選ばれた生徒のための場所だ。内緒話をするには持って来いである。
前方から顔中に湿布を張ったジェロームが歩いてくるのに気づいた。
顔中ぼこぼこにされたジェロームに、当然教師達は「どうした?」と詰問したのだが、彼は頑として口を割らなかった。リジーを庇うというよりは、自分にされた事を絶対に知られたくなかったのだと思う。ロバート曰く「好きな女に人前でぼこられるなぞ、男にとってこれほどの苦痛や屈辱はない」らしいから。
「……王女殿下」
私の前まで歩いてきたジェロームは、リジーと対峙していた時のような勢いは鳴りを潜め、ひどく憔悴している。今朝の事を思えば無理もない。
「リズ様……王女様に何か御用ですか? ジェローム様」
ローズマリーが私とジェロームの間に割り込んだ。今朝の事があるので私を庇ってくれているのだろう。
「王女殿下に話があって来たんだ。できれば、ローズマリー嬢には、どこかに行っていてほしい」
この学院でローズマリー・ダドリー伯爵令嬢を知らぬ者は、まずいない。学院の人気者で王女の親友、そして、ロバート・ウィザーズ侯爵令息の婚約者だ。今初めてまともに彼女と話しただろうジェロームも例外ではないようだ。
「それはできません。今朝の事を思えば当然でしょう?」
ローズマリーの表情は「そんな事も分からないの?」と言いたげだ。
「……それを謝りたくて」
「来たんだ」と言いかけただろうジェロームの言葉を私が遮った。
「怒ってないから謝罪は結構よ。それにね――」
私は王族特有の紫眼でジェロームを見据えた。
ジェロームは心なしか怯んだ様子だ。
「あなたの自己満足に付き合ってあげる気はない」
「……王女殿下?」
ジェロームには、なぜ、王女がこう言うのか理解できないようだ。戸惑った顔をしている。
妾妃やアーサー、アルバートやケイティなど、私の周囲にいる人々は頭脳明晰で人の心の機微にも聡い(妾妃とアーサーは他人に全く興味がないくせにだ)。だからか、大抵は一言だけで私の真意を読み取ってくれる。
それに慣れているため、わざわざジェロームに「自己満足」の真意を説明するのが面倒だった。無視して行ってもよかったが、ジェロームに言いたい事ができた。彼が現れなければ言おうとは思わなかったのだけれど。
「……私が王女だから自分と家のために謝りにきただけでしょう? 誠意のない謝罪など自己満足に過ぎないのよ」
ジェロームは息を呑んだ。指摘されるまで、王女への謝罪が「自己満足」だと思ってもいなかったのだろう。
「確かに、時には誠意のない謝罪を受けなきゃいけない時もある。でも、今は、その必要はないはずよ。だから、それに付き合ってあげる気はない」
あの時も偉そうな事を言ったけれど、今回も言わせてもらう。これが言いたくて彼を無視して行かなかったのだから。
「別に内心で他人を馬鹿にするのはいいのよ。ただそれを他人に悟られない事ね。後、いくら癇に障る言葉を言われたとしても、かっとしない。冷静でいなさい。あなたは次期グレンヴィル子爵で領民の命と生活を背負う義務があるのだから――」
グレンヴィル子爵家は、《脳筋国家》のこの国では珍しく武ではなく商いで繁栄してきた。他家よりもずっと腹の探り合いをする必要があるのだ。
私などに悟られたり、かっとするようでは、将来グレンヴィル子爵としてやっていけない。彼が相手をするのは、アーサーや妾妃のような化け物とまではいかないだろうが海千山千の商人や貴族達なのだから。
ただただ呆然とするばかりジェロームに、私は優しく聞こえるように付け加えた。
「リジーにも言ったけど、怒ってないから、あなたとグレンヴィル子爵家に何かするつもりはないから安心して」
まあ、あの時のジェロームは殴られた痛みで呻いていた。とても私とリジーの会話を聞く余裕などなかっただろう。
「私も自分の事を棚に上げて、あなたに偉そうな事を散々言ったわ。……今も言ったしね」
「女王になりたくない!」と言い続けている私が、彼に対しては「領民の命と生活を背負う義務がある」と言い放ってしまった。……自分でも「お前が言うなよ」と思う。
けれど、王女としてグレンヴィル子爵となる彼に言うべきなのだ。
「今言った事はともかく、今朝はリジーのためではなく私のために言った。あなたが怒るのも無理はなかった。だから、今朝の発言については謝るわ。ごめんなさい」
「リズ様が謝る事はないでしょう?」
「王女殿下が謝る事はないです」
奇しくもローズマリーとジェロームの発言は同時で、ほぼ同じだった。
「……王女殿下の仰る通り、私はここに来るまで、家と自分のために、とにかく謝罪しなければとしか思っていなかった。貴女に欠片も悪いとは思ってなかった。むしろ、リジーに殴られた私は被害者だとしか思ってなかった。けれど――」
ジェロームは私を真っ直ぐに見つめた。
「誠意のない謝罪など自己満足だと言われ、私の至らない所を指摘され目が覚めました」
ジェロームは私に向かって優雅に一礼した。
「……今朝も今も、本当に申し訳ありませんでした。心から謝罪します。王女殿下」
「本当に怒ってないから謝罪は結構だったのだけれど、わざわざこうやって謝りに来てくれたから、もういいわ。だから、グレンヴィル子爵に、あなたの謝罪は不要だと言っておいて」
貴族間のもめ事は個人の問題では済まない。王侯貴族は家を背負っているのだから。子供のもめ事でも親が必ず出てくるのだ。
けれど、私は元々怒ってないし、ジェロームも心から謝罪してくれた。わざわざ彼の父親が出てくる必要はないと思う。
授業中でもリジーの言葉が気になった。学力テストで手を抜きまくって最下位のDクラスになったので、元々、私にはこのクラスでの授業は物足りなかった。最初から真面目な生徒ではなかったが、今日はさらに身が入らなかった(……先生方、ごめんなさい)。
考えて考えて、そして、ありえないとしか思えない答えにたどりついてしまった。
けれど、そうとしか思えない。
私に対して「恋愛事はポンコツ」だとロバートは言った。
悔しいが、その通りだと思う。
私が恋愛に、いやもっと人の心の機微に聡ければ、アーサーに対しても、もっとうまく立ち回れただろう。……こんなに拗れる事もなかった。
……アーサーの言うように、私は本当に「何も分かってない」のだと認めるしかない。
「……リズ様、お疲れならエリック様に言って、都合のいい日にしてもらいましょうか?」
ローズマリーも今朝の騒動の時にいた。私が疲れているだろうと言ってくれているのだ。
「大丈夫。エリックと約束したんだから、ちゃんと彼の話を聞きにいくわ」
……アントニアやジェロームに言われた事よりも、最後にリジーに言われた事が衝撃だった。あれは罵倒よりも質が悪いと思う。
昨夜の仮面舞踏会でのエリックとの約束通り、彼と話すためにローズマリーを伴って生徒会室に向かっている。
現在の生徒会長はロバート・ウィザーズ侯爵令息。王女の従兄だ。
最終学年で身分と成績と人柄で生徒会長が決まるのだ。他の生徒会役員も同じだ。
そのため生徒会室は選ばれた生徒のための場所だ。内緒話をするには持って来いである。
前方から顔中に湿布を張ったジェロームが歩いてくるのに気づいた。
顔中ぼこぼこにされたジェロームに、当然教師達は「どうした?」と詰問したのだが、彼は頑として口を割らなかった。リジーを庇うというよりは、自分にされた事を絶対に知られたくなかったのだと思う。ロバート曰く「好きな女に人前でぼこられるなぞ、男にとってこれほどの苦痛や屈辱はない」らしいから。
「……王女殿下」
私の前まで歩いてきたジェロームは、リジーと対峙していた時のような勢いは鳴りを潜め、ひどく憔悴している。今朝の事を思えば無理もない。
「リズ様……王女様に何か御用ですか? ジェローム様」
ローズマリーが私とジェロームの間に割り込んだ。今朝の事があるので私を庇ってくれているのだろう。
「王女殿下に話があって来たんだ。できれば、ローズマリー嬢には、どこかに行っていてほしい」
この学院でローズマリー・ダドリー伯爵令嬢を知らぬ者は、まずいない。学院の人気者で王女の親友、そして、ロバート・ウィザーズ侯爵令息の婚約者だ。今初めてまともに彼女と話しただろうジェロームも例外ではないようだ。
「それはできません。今朝の事を思えば当然でしょう?」
ローズマリーの表情は「そんな事も分からないの?」と言いたげだ。
「……それを謝りたくて」
「来たんだ」と言いかけただろうジェロームの言葉を私が遮った。
「怒ってないから謝罪は結構よ。それにね――」
私は王族特有の紫眼でジェロームを見据えた。
ジェロームは心なしか怯んだ様子だ。
「あなたの自己満足に付き合ってあげる気はない」
「……王女殿下?」
ジェロームには、なぜ、王女がこう言うのか理解できないようだ。戸惑った顔をしている。
妾妃やアーサー、アルバートやケイティなど、私の周囲にいる人々は頭脳明晰で人の心の機微にも聡い(妾妃とアーサーは他人に全く興味がないくせにだ)。だからか、大抵は一言だけで私の真意を読み取ってくれる。
それに慣れているため、わざわざジェロームに「自己満足」の真意を説明するのが面倒だった。無視して行ってもよかったが、ジェロームに言いたい事ができた。彼が現れなければ言おうとは思わなかったのだけれど。
「……私が王女だから自分と家のために謝りにきただけでしょう? 誠意のない謝罪など自己満足に過ぎないのよ」
ジェロームは息を呑んだ。指摘されるまで、王女への謝罪が「自己満足」だと思ってもいなかったのだろう。
「確かに、時には誠意のない謝罪を受けなきゃいけない時もある。でも、今は、その必要はないはずよ。だから、それに付き合ってあげる気はない」
あの時も偉そうな事を言ったけれど、今回も言わせてもらう。これが言いたくて彼を無視して行かなかったのだから。
「別に内心で他人を馬鹿にするのはいいのよ。ただそれを他人に悟られない事ね。後、いくら癇に障る言葉を言われたとしても、かっとしない。冷静でいなさい。あなたは次期グレンヴィル子爵で領民の命と生活を背負う義務があるのだから――」
グレンヴィル子爵家は、《脳筋国家》のこの国では珍しく武ではなく商いで繁栄してきた。他家よりもずっと腹の探り合いをする必要があるのだ。
私などに悟られたり、かっとするようでは、将来グレンヴィル子爵としてやっていけない。彼が相手をするのは、アーサーや妾妃のような化け物とまではいかないだろうが海千山千の商人や貴族達なのだから。
ただただ呆然とするばかりジェロームに、私は優しく聞こえるように付け加えた。
「リジーにも言ったけど、怒ってないから、あなたとグレンヴィル子爵家に何かするつもりはないから安心して」
まあ、あの時のジェロームは殴られた痛みで呻いていた。とても私とリジーの会話を聞く余裕などなかっただろう。
「私も自分の事を棚に上げて、あなたに偉そうな事を散々言ったわ。……今も言ったしね」
「女王になりたくない!」と言い続けている私が、彼に対しては「領民の命と生活を背負う義務がある」と言い放ってしまった。……自分でも「お前が言うなよ」と思う。
けれど、王女としてグレンヴィル子爵となる彼に言うべきなのだ。
「今言った事はともかく、今朝はリジーのためではなく私のために言った。あなたが怒るのも無理はなかった。だから、今朝の発言については謝るわ。ごめんなさい」
「リズ様が謝る事はないでしょう?」
「王女殿下が謝る事はないです」
奇しくもローズマリーとジェロームの発言は同時で、ほぼ同じだった。
「……王女殿下の仰る通り、私はここに来るまで、家と自分のために、とにかく謝罪しなければとしか思っていなかった。貴女に欠片も悪いとは思ってなかった。むしろ、リジーに殴られた私は被害者だとしか思ってなかった。けれど――」
ジェロームは私を真っ直ぐに見つめた。
「誠意のない謝罪など自己満足だと言われ、私の至らない所を指摘され目が覚めました」
ジェロームは私に向かって優雅に一礼した。
「……今朝も今も、本当に申し訳ありませんでした。心から謝罪します。王女殿下」
「本当に怒ってないから謝罪は結構だったのだけれど、わざわざこうやって謝りに来てくれたから、もういいわ。だから、グレンヴィル子爵に、あなたの謝罪は不要だと言っておいて」
貴族間のもめ事は個人の問題では済まない。王侯貴族は家を背負っているのだから。子供のもめ事でも親が必ず出てくるのだ。
けれど、私は元々怒ってないし、ジェロームも心から謝罪してくれた。わざわざ彼の父親が出てくる必要はないと思う。
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