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本編
35 最初から実らない恋だった(エリオット視点)
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王女殿下の学院入学祝いのためのお茶会だった。
社交も貴族の義務だ。《脳筋国家》とはいえテューダ王国もそれは変わらない。
成人し本格的な社交をする前の練習として時折、貴族は子供連れでのお茶会に参加する。
行きたくはなかったが王女殿下のためのお茶会を欠席するなどという我儘は当然許されず、弟と共に半ば両親に引きずられるようにしてやって来た。
今でこそ数多くの女性と浮名を流している俺だが、子供の頃は女の子が苦手だった。幼くとも女だからか、親にけしかけられているのか、将来の夫候補として俺にまとわりつく少女が多かったのだ。
次期ラングリッジ伯爵という立場とこの容姿で、いつもなら同世代の少女達に囲まれ辟易しているのだが、この時は違った。
いつもなら俺にまとわりつく少女達が、俺そっちのけで、しきりにある方向を気にしているのだ。
そちらに目を向けた俺は、目立つ一団に気づいて「なるほど」と納得した。
お茶会の主役である王女殿下と彼女の婚約者アーサー・ペンドーン侯爵令息、二人のいとこである兄妹ロバート・ウィザーズ侯爵令息とロクサーヌ・ウィザーズ侯爵令嬢だ。
このテューダ王国でも高位の貴人達だ。それに加え、皆そろって幼かったこの時から、すでに整い過ぎた容姿をしていた。注目されるのも無理はない。
「何で、お前がいるんだ!」
突然、王女殿下がアーサーに向かって叫んだ。
「私は貴女の婚約者です。貴女の入学祝いに参加するのは当然でしょう」
この時のアーサーは六歳だったが、そうは思えないほど冷静に、興奮している王女殿下に切り返した。
「そう、妾の入学祝いだ。だから、お前の顔など見たくはなかった!」
言葉だけを聞くと憎まれ口だ。けれど、王女殿下の顔は泣きそうだった。「本当は、こんな事言いたくないけど、言わなきゃいけないの!」という悲壮な決意(?)まで伝わってくる。
(なぜ、この子は、こんな泣きそうな顔で憎まれ口を叩くのだろう?)
そう思ったのが、俺が王女殿下に興味を持ったきっかけだった。
「そもそも妾は、お前を婚約者などと認めていないぞ!」
「貴女が認めようと認めまいと家同士が決めた事です」
「そんな事は分かっている! だが、妾だけは認めない! いつか絶対、お前との婚約など破棄してみせる!」
王女殿下の宣言にアーサーは醒めた眼差しを向けた。
「貴女の一存だけでは、どうにもなりませんよ」
「だから、お前も妾との婚約を解消したいとお父様に言えばいい」
今までの泣きそうな顔が嘘のように、王女殿下は、にっこり笑って提案した。
その笑顔を見た瞬間、確かに、俺の胸が高鳴った。
俺にまとわりつく少女達は、それなりに綺麗で笑顔で話しかけてきた。だが、どの少女達を見ても何とも思わなかった。俺の見かけと身分しか見ていないと分かっていたからだ。
王女殿下が今まで俺にまとわりついてきた少女達よりも、ずっと綺麗だからか?
それならロクサーヌも王女殿下に比肩する美少女だ。彼女も笑顔で従弟や兄と会話していた。けれど、その笑顔を見ても何とも思わなかった。
王女殿下の笑顔だからか?
あれこれ考えている俺をよそに、アーサーと王女殿下の会話は続いていた。
「嫌です」
アーサーは、きっぱりと王女殿下の提案をはねつけた。
「え?」
アーサーの答えが信じられないのだろう。王女殿下は目をぱちくりさせた。
「貴女と必ず結婚すると決めているので、私から婚約解消を言い出したりはしません」
「はあ!? これだけ、あな……お前に悪態を吐く妾と結婚したいなんて、お前、マゾなの!?」
周囲で二人の会話を聞いていた俺を含めた数人が噴き出した。
「……アーサーをマゾ……やっぱ、リズって、さいこ」
「最高!」と言いたかったのだろうが、言葉の途中でロバートが凍りついた。
勿論、比喩なのだが、そうとしか表現できなかった。アーサーが、それはそれは冷たい一瞥で従兄を黙らせたのだ。
六歳の少年とは思えないくらいその一瞥には迫力があった。年齢でも体格でもアーサーを上回るとはいえ、この時はまだ八歳のロバートが「凍りつく」のも無理はない。
ロバートに同情している俺だったが、それどころではない事態に直面する事になる。
ふと、凄まじい圧力を感じた。
(……何だ?)
思わず「凄まじい圧力」の方向に目を向けた俺は後悔した。
アーサーが俺を見ていた。
偶々目が合ったのではない。
別の人物や何かを見ていて、その視界に偶然入ったのでもない。
はっきりと「俺」を見ていた。
この時、俺はアーサーの瞳に冥府の闇を見た。
アーサーの瞳が黒だからではない。人が恐れながら逃れられない冥府の闇。それを連想させるほど彼の眼差しは冥く凄味があったのだ。
……凄まじい圧力は、アーサーの視線だったのだ。
まさに「蛇に睨まれた蛙」だ。時間にして数秒だっただろう。けれど、俺にとっては、たった九年しか生きていない人生で一番長い数秒だった。
ふいとアーサーが目をそらした。
それで、ようやく俺は金縛り状態から脱する事ができた。地面にへたり込まなかったのが不思議なくらいだ。
ロバートのように凍りつくような冷たい一瞥を向けられた訳ではない。けれど、そうされたほうが遙かにマシだった。ロバートにとっては最大の恐怖だっただろうが、あんなもの今、俺に向けられた眼差しなどより余程生温い。
(こいつだけは、絶対に敵に回さない――)
俺より三歳下の相手に情けないとは欠片も思わなかった。それだけ、俺は恐怖のどん底に叩きつけられたのだ。あの見つめ合った数秒だけで――。
後で分かった事だが、俺はこの時、アーサーに「無言の圧力」をかけられていたのだ。
「私の婚約者に近づくな」という。
アーサーには分かっていたのだ。
俺自身がまだ自覚していない芽生えかけている恋心に――。
社交も貴族の義務だ。《脳筋国家》とはいえテューダ王国もそれは変わらない。
成人し本格的な社交をする前の練習として時折、貴族は子供連れでのお茶会に参加する。
行きたくはなかったが王女殿下のためのお茶会を欠席するなどという我儘は当然許されず、弟と共に半ば両親に引きずられるようにしてやって来た。
今でこそ数多くの女性と浮名を流している俺だが、子供の頃は女の子が苦手だった。幼くとも女だからか、親にけしかけられているのか、将来の夫候補として俺にまとわりつく少女が多かったのだ。
次期ラングリッジ伯爵という立場とこの容姿で、いつもなら同世代の少女達に囲まれ辟易しているのだが、この時は違った。
いつもなら俺にまとわりつく少女達が、俺そっちのけで、しきりにある方向を気にしているのだ。
そちらに目を向けた俺は、目立つ一団に気づいて「なるほど」と納得した。
お茶会の主役である王女殿下と彼女の婚約者アーサー・ペンドーン侯爵令息、二人のいとこである兄妹ロバート・ウィザーズ侯爵令息とロクサーヌ・ウィザーズ侯爵令嬢だ。
このテューダ王国でも高位の貴人達だ。それに加え、皆そろって幼かったこの時から、すでに整い過ぎた容姿をしていた。注目されるのも無理はない。
「何で、お前がいるんだ!」
突然、王女殿下がアーサーに向かって叫んだ。
「私は貴女の婚約者です。貴女の入学祝いに参加するのは当然でしょう」
この時のアーサーは六歳だったが、そうは思えないほど冷静に、興奮している王女殿下に切り返した。
「そう、妾の入学祝いだ。だから、お前の顔など見たくはなかった!」
言葉だけを聞くと憎まれ口だ。けれど、王女殿下の顔は泣きそうだった。「本当は、こんな事言いたくないけど、言わなきゃいけないの!」という悲壮な決意(?)まで伝わってくる。
(なぜ、この子は、こんな泣きそうな顔で憎まれ口を叩くのだろう?)
そう思ったのが、俺が王女殿下に興味を持ったきっかけだった。
「そもそも妾は、お前を婚約者などと認めていないぞ!」
「貴女が認めようと認めまいと家同士が決めた事です」
「そんな事は分かっている! だが、妾だけは認めない! いつか絶対、お前との婚約など破棄してみせる!」
王女殿下の宣言にアーサーは醒めた眼差しを向けた。
「貴女の一存だけでは、どうにもなりませんよ」
「だから、お前も妾との婚約を解消したいとお父様に言えばいい」
今までの泣きそうな顔が嘘のように、王女殿下は、にっこり笑って提案した。
その笑顔を見た瞬間、確かに、俺の胸が高鳴った。
俺にまとわりつく少女達は、それなりに綺麗で笑顔で話しかけてきた。だが、どの少女達を見ても何とも思わなかった。俺の見かけと身分しか見ていないと分かっていたからだ。
王女殿下が今まで俺にまとわりついてきた少女達よりも、ずっと綺麗だからか?
それならロクサーヌも王女殿下に比肩する美少女だ。彼女も笑顔で従弟や兄と会話していた。けれど、その笑顔を見ても何とも思わなかった。
王女殿下の笑顔だからか?
あれこれ考えている俺をよそに、アーサーと王女殿下の会話は続いていた。
「嫌です」
アーサーは、きっぱりと王女殿下の提案をはねつけた。
「え?」
アーサーの答えが信じられないのだろう。王女殿下は目をぱちくりさせた。
「貴女と必ず結婚すると決めているので、私から婚約解消を言い出したりはしません」
「はあ!? これだけ、あな……お前に悪態を吐く妾と結婚したいなんて、お前、マゾなの!?」
周囲で二人の会話を聞いていた俺を含めた数人が噴き出した。
「……アーサーをマゾ……やっぱ、リズって、さいこ」
「最高!」と言いたかったのだろうが、言葉の途中でロバートが凍りついた。
勿論、比喩なのだが、そうとしか表現できなかった。アーサーが、それはそれは冷たい一瞥で従兄を黙らせたのだ。
六歳の少年とは思えないくらいその一瞥には迫力があった。年齢でも体格でもアーサーを上回るとはいえ、この時はまだ八歳のロバートが「凍りつく」のも無理はない。
ロバートに同情している俺だったが、それどころではない事態に直面する事になる。
ふと、凄まじい圧力を感じた。
(……何だ?)
思わず「凄まじい圧力」の方向に目を向けた俺は後悔した。
アーサーが俺を見ていた。
偶々目が合ったのではない。
別の人物や何かを見ていて、その視界に偶然入ったのでもない。
はっきりと「俺」を見ていた。
この時、俺はアーサーの瞳に冥府の闇を見た。
アーサーの瞳が黒だからではない。人が恐れながら逃れられない冥府の闇。それを連想させるほど彼の眼差しは冥く凄味があったのだ。
……凄まじい圧力は、アーサーの視線だったのだ。
まさに「蛇に睨まれた蛙」だ。時間にして数秒だっただろう。けれど、俺にとっては、たった九年しか生きていない人生で一番長い数秒だった。
ふいとアーサーが目をそらした。
それで、ようやく俺は金縛り状態から脱する事ができた。地面にへたり込まなかったのが不思議なくらいだ。
ロバートのように凍りつくような冷たい一瞥を向けられた訳ではない。けれど、そうされたほうが遙かにマシだった。ロバートにとっては最大の恐怖だっただろうが、あんなもの今、俺に向けられた眼差しなどより余程生温い。
(こいつだけは、絶対に敵に回さない――)
俺より三歳下の相手に情けないとは欠片も思わなかった。それだけ、俺は恐怖のどん底に叩きつけられたのだ。あの見つめ合った数秒だけで――。
後で分かった事だが、俺はこの時、アーサーに「無言の圧力」をかけられていたのだ。
「私の婚約者に近づくな」という。
アーサーには分かっていたのだ。
俺自身がまだ自覚していない芽生えかけている恋心に――。
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