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本編
51 母子
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「あなたにメアリーを責める資格などありませんよ。王妃殿下」
アルバートが言った。王妃に向ける眼差しは、どことなく冷たい。とても息子が母に向けるものではなかった。当然だ。彼は王妃を生物学上以外で母親とは思っていないのだから。
「……アルバート?」
王妃は驚いた顔をしている。まかさ実の息子が妾妃を庇う発言をするとは思いもしなかったのだ。
「なぜ、この女を庇う! お前は、この女の復讐の道具にされたんだぞ!」
「そうさせたのは、あなただ」
「いいえ。間違えないで、アルバート。どんな理由があるにせよ、私達を復讐の道具に使おうと考えて実行したのは、この女であって、王妃様ではないわ」
私は堪らなくなって、王妃とアルバートの言い合いに口を挟んだ。アルバートが、なぜ、妾妃を庇う発言をするのか分かっている。それでも、王妃の実の息子である彼が王妃を非難する姿など見たくないのだ。
「ええ。わたくしが自分で決めて実行したのよ。あなたが責める相手は、わたくしであって王妃様ではないわ」
妾妃のアルバートに向ける眼差しは、思いの外優しかった。彼女がアルバートに、こんな眼差しを向けるのを見るのは初めてだった。
王妃の息子を自分の息子として育てても、妾妃はアルバートに愛情を注がず教育も部下に任せきりだった。アルバートがまともに育ったのは奇跡に近いと、いつも思っていたくらいだ。
「……メアリー」
アルバートは妾妃から初めて優しい眼差しを向けられて戸惑っている様子だった。
「……事実や真実がそうであっても、私に貴女を責める事などできませんよ、メアリー」
そう、アルバートに妾妃を責める事などできない。彼女を愛しているからだ。
最初から妾妃が「母」ではないと知っていたアルバートにとって、彼女は「母」ではなく「女性」だった。
妾妃が復讐のために実の母親から自分を奪ったと知っていても、自分に「母」としての愛情を全く注がなくても、恋情は消せなかった。
けれど、「真実」は実の母子でなくても、世間的には母子であり、そして、それを表沙汰にはできない。罪に問われなくても、愛する女性が非難される事態など絶対に望まないからだ。
非難されて傷つくようなかわいらしい精神を持つ女性ではない事は分かっていても、彼女が非難されるという事態そのものがアルバートには耐えられないのだ。
何より、彼女は国王の妾妃だ。彼女を手に入れるには、国王になるしかない。国王になれば、生母以外の先代国王の王妃や妾妃を妻にできるからだ。
妾妃と相愛ならば、アルバートは姉とアーサーを排除してでも国王になっただろう。けれど、元々、彼に野心などない。片恋の女性を手に入れるために、わざわざ王位を狙ったりはしないのだ。
愛する女性とは決して結ばれない。だから、外見だけは妾妃に似たアントニアを婚約者にした。アルバートにとってアントニアは愛する女性の身代わりに過ぎなかったのだ。アントニア自身に対する愛など最初からなかった。
「なぜ、この女を責めない! この女は妾からお前を奪い、妾に実の息子を嫌うように仕向けたのだぞ!」
「実の母親から嫌われる事など、私には大した事ではありません」
「何?」
アルバートに、こんな切り返しをされるとは思わなかったのだろう。王妃は柳眉をひそめた。
「私にとって、あなたは生物学上の母親でしかありません。だから、あなたも私を息子だと思わなくいいのです。こんな私よりも、十六年、あなたを『母』として慕っている姉上を大切にすべきだ」
「……アルバート」
私は、まさかアルバートが、こう言ってくれるとは思わず目を瞠った。
決して仲のいい姉弟ではない。「真実」を知りながら妾妃を女性として愛するアルバートが理解できず肉親としての愛情を抱けなかった。
アルバートにとって唯一無二の妾妃は、「息子」となった彼ではなく実の娘にだけ愛情を注ぎ、本来なら彼が享受すべき王妃からの愛情も奪った。
嫌われるどころか憎まれても仕方ないと思っていたのに――。
「この娘を大切にしろ? 本気で言っているのか? この娘は、妾をずっと騙していたのだぞ!」
王妃は忌々し気な視線を私に向けた。
私は黙って王妃の視線を受け止めた。それしか、今の私にできる事はないから。
「……リズ、妾に何か言う事はないのか? 謝罪でも釈明でも、何でも聞いてやる」
王妃はソファにふんぞり返って宣った。
「あなたが王妃様に謝る事はないわ。全て、わたくしが仕出かした事で、あなたとアルバートは被害者なのだから」
妾妃なりに実の娘である私を愛してくれている。私が絶対に彼女を許さない事も、「母」だと認めない事も分かっていても、いざという時、庇ってくれるのだ。だからといって、感謝はしないが。
「知っていながら黙っていた私も共犯よ」
こう言ったのは、この女を庇うためじゃない。事実だからだ。
「だったら、私もそうですよ」
私に続いてアルバートが言った。
「――違う。妾妃の共犯者は、お前達じゃない」
淡々とした言い方だのに、重い何かを感じさせる口調だった。
「お父様?」
「陛下?」
私とアルバートは思わず発言した国王を凝視したが、無表情の彼からは何の感情も読み取れなかった。
「陛下もアルバートも知っていながら、なぜ黙っていた!?」
王妃の金切り声を上げた。
「メアリーが非難される事態など起こしたくないからですよ」
国王より先にアルバートが答えた。
「この女が実母ではないと知っていながら、実母よりも気に掛けるのか!?」
息子が母親に向けるとは思えない醒めた目でアルバートは王妃を見つめた。
「メアリーは、私にとって唯一無二の存在ですから」
「自分を産んだ母親とは比べるまでもなく大切なのだ」と、アルバートは言外に告げている。
「私が実の息子だと知って、今更、態度を変えなくていいのです。私にとって実母は、どうでもいい存在なので」
「……アルバート、それは、いくら何でも」
分かっている。「今更」なのだ。今更、実の息子だと知った王妃がアルバートに対する態度を変えても肉親の情など抱けるはずがない。それでも、弟には王妃に優しく接してほしかった。
私が弟に対して、こう望むのは、あまりにも烏滸がましいのは理解している。私は彼が享受すべき「母親」の愛情を奪ったのだから。
けれど、王妃があまりにも憐れなのだ。私が王妃を「母」として慕っていた気持ちに嘘はないけれど、偽りの自分としてしか彼女に接しなかった。実の息子にまで無関心な態度をとられては堪らないだろう。
復讐の道具にされ「母親」からの愛情を得られなかったアルバートは被害者だ。けれど、王妃もまた子供を取り替えられた被害者なのだ。
「こんな私よりも、あなたは姉上を大切にすべきだ。姉上は間違いなく、あなたが愛する陛下の娘で、あなたを『母』として慕っている。実の娘でなかったというだけで、母親としての愛情が消えてしまうものなのですか?」
アルバートは私の「いくら何でも」に対しては何も言わず、王妃を問い詰め始めた。
「……偽りの上で成り立っていた関係よ。『真実』を知ったら私への愛情など木っ端微塵に砕け散るわ」
私が王妃の愛する夫の娘でも、彼女を「母」として慕っていた気持ちに嘘はなくても、私は彼女が産んだ娘じゃない。
しかも、二重の意味で王妃を騙していた。王妃が私を愛せなくなるどころか憎んでも仕方ない。
「……陛下に命じられたから、この事は、言い触らしたりはしない。だがな――」
王妃は私を真っ直ぐに見つめた。今まで向けられた事のない強く鋭い眼差しだ。
「お前とアーサーとの婚約は解消させてもらう。可愛い甥と女狐の娘との結婚など認められないからな。嬉しいだろう? 嘘の妊娠発言をしてまで、アーサーとの婚約を破棄したがっていたからな」
以前なら喜んだが今は違う。王妃が何を言っても、私とアーサーとの結婚は確定だと分かっているからだ。
「次代の王になるのは、アルバート、妾の息子だ。絶対に、お前を、メアリーの娘を女王になどしない!」
王妃は私に人差し指を突き付けて宣言した。
その瞬間、この場の空気が変わった。
「――残念だよ、ベッツィ」
たったこれだけの言葉、けれど、そこに込められた想いは、いかなるものなのか?
国王は、父は、リチャード・テューダは、微笑んでいた。
一見、優しげな微笑。けれど、目は全く笑っておらず、冷酷に光る紫眼は王妃を射貫くように見つめていた。
国王はアーサーや宰相ほど冷静沈着ではない。失敗した部下は容赦なく怒鳴りつけ時には拳すら振るう人だ。それでも、彼はいついかなる時でも「国王」だった。アーサーのカリスマ性とはまた違う、覇気に満ちた佇まいで臣民から敬意を払われていた。
なぜだろう? 部下を怒鳴りつけ拳を振るう姿よりも、表面上だけでも微笑んでいる国王のほうが恐ろしく思えた。
国王から、まともにそんな微笑を向けられた王妃は固まっていた。
「俺を国王ではなく一人の男として愛してくれるから愛している」と言っていた王妃に対して、国王がこんな恐ろしい微笑を向けた事など全くなかっただろう。
王妃の今までの発言の何かが、国王の逆鱗に触れたのだ。
アルバートが言った。王妃に向ける眼差しは、どことなく冷たい。とても息子が母に向けるものではなかった。当然だ。彼は王妃を生物学上以外で母親とは思っていないのだから。
「……アルバート?」
王妃は驚いた顔をしている。まかさ実の息子が妾妃を庇う発言をするとは思いもしなかったのだ。
「なぜ、この女を庇う! お前は、この女の復讐の道具にされたんだぞ!」
「そうさせたのは、あなただ」
「いいえ。間違えないで、アルバート。どんな理由があるにせよ、私達を復讐の道具に使おうと考えて実行したのは、この女であって、王妃様ではないわ」
私は堪らなくなって、王妃とアルバートの言い合いに口を挟んだ。アルバートが、なぜ、妾妃を庇う発言をするのか分かっている。それでも、王妃の実の息子である彼が王妃を非難する姿など見たくないのだ。
「ええ。わたくしが自分で決めて実行したのよ。あなたが責める相手は、わたくしであって王妃様ではないわ」
妾妃のアルバートに向ける眼差しは、思いの外優しかった。彼女がアルバートに、こんな眼差しを向けるのを見るのは初めてだった。
王妃の息子を自分の息子として育てても、妾妃はアルバートに愛情を注がず教育も部下に任せきりだった。アルバートがまともに育ったのは奇跡に近いと、いつも思っていたくらいだ。
「……メアリー」
アルバートは妾妃から初めて優しい眼差しを向けられて戸惑っている様子だった。
「……事実や真実がそうであっても、私に貴女を責める事などできませんよ、メアリー」
そう、アルバートに妾妃を責める事などできない。彼女を愛しているからだ。
最初から妾妃が「母」ではないと知っていたアルバートにとって、彼女は「母」ではなく「女性」だった。
妾妃が復讐のために実の母親から自分を奪ったと知っていても、自分に「母」としての愛情を全く注がなくても、恋情は消せなかった。
けれど、「真実」は実の母子でなくても、世間的には母子であり、そして、それを表沙汰にはできない。罪に問われなくても、愛する女性が非難される事態など絶対に望まないからだ。
非難されて傷つくようなかわいらしい精神を持つ女性ではない事は分かっていても、彼女が非難されるという事態そのものがアルバートには耐えられないのだ。
何より、彼女は国王の妾妃だ。彼女を手に入れるには、国王になるしかない。国王になれば、生母以外の先代国王の王妃や妾妃を妻にできるからだ。
妾妃と相愛ならば、アルバートは姉とアーサーを排除してでも国王になっただろう。けれど、元々、彼に野心などない。片恋の女性を手に入れるために、わざわざ王位を狙ったりはしないのだ。
愛する女性とは決して結ばれない。だから、外見だけは妾妃に似たアントニアを婚約者にした。アルバートにとってアントニアは愛する女性の身代わりに過ぎなかったのだ。アントニア自身に対する愛など最初からなかった。
「なぜ、この女を責めない! この女は妾からお前を奪い、妾に実の息子を嫌うように仕向けたのだぞ!」
「実の母親から嫌われる事など、私には大した事ではありません」
「何?」
アルバートに、こんな切り返しをされるとは思わなかったのだろう。王妃は柳眉をひそめた。
「私にとって、あなたは生物学上の母親でしかありません。だから、あなたも私を息子だと思わなくいいのです。こんな私よりも、十六年、あなたを『母』として慕っている姉上を大切にすべきだ」
「……アルバート」
私は、まさかアルバートが、こう言ってくれるとは思わず目を瞠った。
決して仲のいい姉弟ではない。「真実」を知りながら妾妃を女性として愛するアルバートが理解できず肉親としての愛情を抱けなかった。
アルバートにとって唯一無二の妾妃は、「息子」となった彼ではなく実の娘にだけ愛情を注ぎ、本来なら彼が享受すべき王妃からの愛情も奪った。
嫌われるどころか憎まれても仕方ないと思っていたのに――。
「この娘を大切にしろ? 本気で言っているのか? この娘は、妾をずっと騙していたのだぞ!」
王妃は忌々し気な視線を私に向けた。
私は黙って王妃の視線を受け止めた。それしか、今の私にできる事はないから。
「……リズ、妾に何か言う事はないのか? 謝罪でも釈明でも、何でも聞いてやる」
王妃はソファにふんぞり返って宣った。
「あなたが王妃様に謝る事はないわ。全て、わたくしが仕出かした事で、あなたとアルバートは被害者なのだから」
妾妃なりに実の娘である私を愛してくれている。私が絶対に彼女を許さない事も、「母」だと認めない事も分かっていても、いざという時、庇ってくれるのだ。だからといって、感謝はしないが。
「知っていながら黙っていた私も共犯よ」
こう言ったのは、この女を庇うためじゃない。事実だからだ。
「だったら、私もそうですよ」
私に続いてアルバートが言った。
「――違う。妾妃の共犯者は、お前達じゃない」
淡々とした言い方だのに、重い何かを感じさせる口調だった。
「お父様?」
「陛下?」
私とアルバートは思わず発言した国王を凝視したが、無表情の彼からは何の感情も読み取れなかった。
「陛下もアルバートも知っていながら、なぜ黙っていた!?」
王妃の金切り声を上げた。
「メアリーが非難される事態など起こしたくないからですよ」
国王より先にアルバートが答えた。
「この女が実母ではないと知っていながら、実母よりも気に掛けるのか!?」
息子が母親に向けるとは思えない醒めた目でアルバートは王妃を見つめた。
「メアリーは、私にとって唯一無二の存在ですから」
「自分を産んだ母親とは比べるまでもなく大切なのだ」と、アルバートは言外に告げている。
「私が実の息子だと知って、今更、態度を変えなくていいのです。私にとって実母は、どうでもいい存在なので」
「……アルバート、それは、いくら何でも」
分かっている。「今更」なのだ。今更、実の息子だと知った王妃がアルバートに対する態度を変えても肉親の情など抱けるはずがない。それでも、弟には王妃に優しく接してほしかった。
私が弟に対して、こう望むのは、あまりにも烏滸がましいのは理解している。私は彼が享受すべき「母親」の愛情を奪ったのだから。
けれど、王妃があまりにも憐れなのだ。私が王妃を「母」として慕っていた気持ちに嘘はないけれど、偽りの自分としてしか彼女に接しなかった。実の息子にまで無関心な態度をとられては堪らないだろう。
復讐の道具にされ「母親」からの愛情を得られなかったアルバートは被害者だ。けれど、王妃もまた子供を取り替えられた被害者なのだ。
「こんな私よりも、あなたは姉上を大切にすべきだ。姉上は間違いなく、あなたが愛する陛下の娘で、あなたを『母』として慕っている。実の娘でなかったというだけで、母親としての愛情が消えてしまうものなのですか?」
アルバートは私の「いくら何でも」に対しては何も言わず、王妃を問い詰め始めた。
「……偽りの上で成り立っていた関係よ。『真実』を知ったら私への愛情など木っ端微塵に砕け散るわ」
私が王妃の愛する夫の娘でも、彼女を「母」として慕っていた気持ちに嘘はなくても、私は彼女が産んだ娘じゃない。
しかも、二重の意味で王妃を騙していた。王妃が私を愛せなくなるどころか憎んでも仕方ない。
「……陛下に命じられたから、この事は、言い触らしたりはしない。だがな――」
王妃は私を真っ直ぐに見つめた。今まで向けられた事のない強く鋭い眼差しだ。
「お前とアーサーとの婚約は解消させてもらう。可愛い甥と女狐の娘との結婚など認められないからな。嬉しいだろう? 嘘の妊娠発言をしてまで、アーサーとの婚約を破棄したがっていたからな」
以前なら喜んだが今は違う。王妃が何を言っても、私とアーサーとの結婚は確定だと分かっているからだ。
「次代の王になるのは、アルバート、妾の息子だ。絶対に、お前を、メアリーの娘を女王になどしない!」
王妃は私に人差し指を突き付けて宣言した。
その瞬間、この場の空気が変わった。
「――残念だよ、ベッツィ」
たったこれだけの言葉、けれど、そこに込められた想いは、いかなるものなのか?
国王は、父は、リチャード・テューダは、微笑んでいた。
一見、優しげな微笑。けれど、目は全く笑っておらず、冷酷に光る紫眼は王妃を射貫くように見つめていた。
国王はアーサーや宰相ほど冷静沈着ではない。失敗した部下は容赦なく怒鳴りつけ時には拳すら振るう人だ。それでも、彼はいついかなる時でも「国王」だった。アーサーのカリスマ性とはまた違う、覇気に満ちた佇まいで臣民から敬意を払われていた。
なぜだろう? 部下を怒鳴りつけ拳を振るう姿よりも、表面上だけでも微笑んでいる国王のほうが恐ろしく思えた。
国王から、まともにそんな微笑を向けられた王妃は固まっていた。
「俺を国王ではなく一人の男として愛してくれるから愛している」と言っていた王妃に対して、国王がこんな恐ろしい微笑を向けた事など全くなかっただろう。
王妃の今までの発言の何かが、国王の逆鱗に触れたのだ。
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