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本編
55 父親としての想い(国王視点)
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「分かっただろう? 俺が、自分が愛したのが、どんな男か」
生涯誰にも打ち明けるつもりはなかった俺の真実。
聞かされた王妃は、ただただ呆然としていた。
「君には、もう何も残らない。生きている唯一の子供であるアルバートからの愛は得られず、夫への愛もなくなった。それが自分を慕う娘を切り捨てた君の当然の報いだ」
子供を取り替えられた王妃も被害者だとリズは言うだろう。
けれど、王妃にも咎はあるのだ。自分の取り巻きを管理できなかった彼女の王妃としての能力不足故に起こった事だからだ。
だのに、自分が産んだ娘ではなかったというだけで、自分がこの世で最も嫌いな女が産んだ娘というだけで、十六年も自分を母として慕ってくれた娘を切り捨てた。
だから、俺も切り捨てる。
俺の娘を切り捨てる王妃など俺には要らない。
「……どうして、妾の貴方への愛がなくなるなどと思うのですか?」
長い沈黙の後、王妃がぽつりと言った。
「貴方がどなたの御子でも、国王陛下でなくても、妾は貴方を、リチャード・テューダ様を愛しているのです」
王妃の真摯な顔を見れば、彼女が真実そう思って言っているのが分かる。
だからこそ、俺には理解できなかった。
「……俺を愛しているだと? 俺は神に背く行為の結果生まれてきた呪われた人間だ。真実を知れば、誰も俺を愛せるはずがない!」
俺は最後は叫ぶように言った。
「妾は愛しています」
王妃は繰り返した。俺が国王でなくても、俺が呪われた人間でも、愛しているのだと。
俺は哄笑した。
人間、許容範囲を超えると笑うか泣くかだというが、その通りだと思う。
もう笑うしかない。
だって、そうだろう?
「……だったら、なぜ、リズは切り捨てるんだ?」
俺は唐突に笑いをおさめて言った。
「こんな俺の事は愛せるのに――」
俺の真実を知っても愛してくれた感謝など微塵も感じなかった。
むしろ、怒りが倍増した。
誰もが嫌悪して拒絶するのが当然の俺の事は愛せて、なぜ、自分を慕う娘は切り捨てるんだ?
「要らない」
俺は王妃に向かって、はっきりと言った。
「俺の娘を切り捨てるお前など要らない」
俺の倍増する怒気に当てられたのか、震えて身動ぎもできないらしい王妃に、俺は目だけは笑っていない一見優しげな微笑を向けた。
「――消えろ。二度と俺や子供達の前に現われるな」
「陛下。お聞きしてもよろしいでしょうか?」
王妃を追い払った後、「空気に徹していた」妾妃が甘くまろやかな声を発した。
国王が怒りを露にすれば大抵の人間は先程の王妃のように竦むものなのだが、生憎、妾妃は「大抵の人間」などではない。部屋に漂う微妙な沈黙も意に介さず、ごく普通に話しかけてきた。
「何だ?」
「それだけの想いがあるのに、どうして、あの子達に見せないのですか?」
妾妃が聞いてきたのは、これからの王妃の処遇ではなく、あの子達、リズとアルバートについてだった。
俺が意外そうな顔をしたからだろう。妾妃は鈴を転がすような笑い声をあげた。
「わたくしがこんな事を訊くのは、おかしいでしょうか?」
「……ああ。王妃のこれからについてだと思ったからな」
つい先程まで国王と王妃が目の前で会話していたのだ。普通なら国王が「消えろ」と言った王妃について気にするものだろう。……この女を「普通」に当てはめるほうがおかしいのは熟知しているが。
「あの方がどうなろうと、わたくしには興味ありませんわ。なので、あの方の事は陛下にお任せします。わたくしが何かするより陛下からされたほうが、あの方の精神的打撃は大きいだろうし」
最初の子を殺された復讐として王妃の子と自分の子を取り替えた妾妃だが、今は復讐ではなく生きている唯一の子であるリズの幸せだけを願っているのは知っている。
そのリズを切り捨てたのだ。王妃がどうなろうと自業自得だと思っているのだ。
「……分かった」
「それよりも、先程の答えを聞かせてください」
俺が頷くと、妾妃は先程の質問の答えを求めてきた。
「ここで聞いた事、起こった事は、他言無用でしょう? 勿論、あの子達に言ったりなどしませんわ」
他の誰よりも、あの子達にだけは知られたくない俺の気持ちを妾妃は分かっているのだ。
この女は平気で嘘を吐くが、彼女が誰よりも大切に想う娘に関してだけは信じられる。
それに、俺自身も誰かに知ってほしかったのかもしれない。
あの子達には知られたくない俺の父親としての想いを――。
「……お前が子供を取り替えるのを黙認していた俺も共犯だ。お前だけではない。俺も、あの瞬間、あの子達の親ではなくなったんだ」
むしろ、実際に子供を取り替えた妾妃よりも黙認していた俺のほうが卑怯だろう。
「わたくしが勝手にした事です。その事で陛下が負い目を抱く必要はありませんわ」
妾妃は俺を慰めるためではなく真実そう思っているから言っているのだ。彼女には王妃と違って俺に対する恋愛感情など全くない。俺を気に掛ける事などしないのだ。
「それに何より、俺は最終的には、あの子達の父親ではなく国王である事を優先する。そのためなら、あの子達さえ犠牲にする。そんな俺を父親だと思う必要などないだろう」
「あなたがそれほど国王である事に拘るのは、『お父様』を犠牲にして王位に就いたと思っていらっしゃるからですか?」
妾妃は「お父様」という言葉に含みを持たせている。だから、彼女が言っているのは、俺の形式上の父親、前国王ハインリッヒではない。
――妾妃は知っていたのだ。
俺が王妃に出生を語るのを「空気に徹して」聞いていた以前から。
だから、俺は妾妃がいても構わず王妃に語った。
リズメアリは不義の子を産むのに、乳母だったシーモア伯爵の母親を頼った。前シーモア伯爵夫妻の尽力により、リズメアリは自分の死を偽装し俺を産む事ができたのだ。
だから、シーモア伯爵も俺の出生を知っている。
養女にした妾妃に俺の真実を全て語り「命に代えても陛下をお守りしろ」と厳命し、後宮に送ったのだ。
「……思っているじゃない。俺は、あの人を犠牲にしたんだ」
リズに語ったように、俺は王になりたいから兄弟姉妹を皆殺しにしたのではない。
けれど、真実は誰にも明かせない。特にリズやアルバートには絶対に知られたくない。
そうである以上、「王になるために兄弟姉妹を殺したのだ」と思ってもらったほうがいい。
俺は、ただあの人に、リックに生きてほしかったのだ。
だから、リックの命を狙う兄弟姉妹と形式上の父親を排除した。
最後は俺の自殺で締めくくるつもりだったのに、肝心のリックに邪魔された。
リックが最愛の女が亡くなってから心の奥底で彼女の後を追いたいと願っていたのは知っていた。それでも生きていたのは、彼女との間に生まれた我が子がいたからだ。
王になれなければ死ぬ以上、生き残るために兄弟姉妹でも争うのがテューダ王国王家だ。
そんな中に、我が子を独りにしておけなかったのだろう。
誰よりも王に相応しい能力を周囲に示して、弟妹の殺意が自分だけに向くようにしたのだ。我が子を守るために。
最愛の女に続いて我が子まで死んだらリックの心に消えない傷は残るだろうが、それでも、唯一生き残った王子として王となり国を改革してくれるだろうと思ったのだ。それが彼の心の支えになると。
親になった今ならリックの気持ちも分かるのだ。
普通の親なら我が子を犠牲にして王になどなりたいものか。
――悪いな。お前の命と引き換えにして王位に就く気は、私には更々ないんだ。
けれど、俺だって父親を犠牲にして王になどなりたくなかった。
だから、リックが望んだ改革をしない事が俺の唯一の抵抗だ。
無論、俺だって王位を巡って我が子達が争う事など望んでいない。
幸い、あの子達は王位など望まず、それどころか互いに押し付け合おうとした。
今はリズが女王になる決意をした以上、リックが望んだ改革は実現するだろう。リズの望みだ。あのアーサーが叶えないはずがないのだから。
リックが息子に望んだ事を孫娘がしてくれるのだ。
生涯誰にも打ち明けるつもりはなかった俺の真実。
聞かされた王妃は、ただただ呆然としていた。
「君には、もう何も残らない。生きている唯一の子供であるアルバートからの愛は得られず、夫への愛もなくなった。それが自分を慕う娘を切り捨てた君の当然の報いだ」
子供を取り替えられた王妃も被害者だとリズは言うだろう。
けれど、王妃にも咎はあるのだ。自分の取り巻きを管理できなかった彼女の王妃としての能力不足故に起こった事だからだ。
だのに、自分が産んだ娘ではなかったというだけで、自分がこの世で最も嫌いな女が産んだ娘というだけで、十六年も自分を母として慕ってくれた娘を切り捨てた。
だから、俺も切り捨てる。
俺の娘を切り捨てる王妃など俺には要らない。
「……どうして、妾の貴方への愛がなくなるなどと思うのですか?」
長い沈黙の後、王妃がぽつりと言った。
「貴方がどなたの御子でも、国王陛下でなくても、妾は貴方を、リチャード・テューダ様を愛しているのです」
王妃の真摯な顔を見れば、彼女が真実そう思って言っているのが分かる。
だからこそ、俺には理解できなかった。
「……俺を愛しているだと? 俺は神に背く行為の結果生まれてきた呪われた人間だ。真実を知れば、誰も俺を愛せるはずがない!」
俺は最後は叫ぶように言った。
「妾は愛しています」
王妃は繰り返した。俺が国王でなくても、俺が呪われた人間でも、愛しているのだと。
俺は哄笑した。
人間、許容範囲を超えると笑うか泣くかだというが、その通りだと思う。
もう笑うしかない。
だって、そうだろう?
「……だったら、なぜ、リズは切り捨てるんだ?」
俺は唐突に笑いをおさめて言った。
「こんな俺の事は愛せるのに――」
俺の真実を知っても愛してくれた感謝など微塵も感じなかった。
むしろ、怒りが倍増した。
誰もが嫌悪して拒絶するのが当然の俺の事は愛せて、なぜ、自分を慕う娘は切り捨てるんだ?
「要らない」
俺は王妃に向かって、はっきりと言った。
「俺の娘を切り捨てるお前など要らない」
俺の倍増する怒気に当てられたのか、震えて身動ぎもできないらしい王妃に、俺は目だけは笑っていない一見優しげな微笑を向けた。
「――消えろ。二度と俺や子供達の前に現われるな」
「陛下。お聞きしてもよろしいでしょうか?」
王妃を追い払った後、「空気に徹していた」妾妃が甘くまろやかな声を発した。
国王が怒りを露にすれば大抵の人間は先程の王妃のように竦むものなのだが、生憎、妾妃は「大抵の人間」などではない。部屋に漂う微妙な沈黙も意に介さず、ごく普通に話しかけてきた。
「何だ?」
「それだけの想いがあるのに、どうして、あの子達に見せないのですか?」
妾妃が聞いてきたのは、これからの王妃の処遇ではなく、あの子達、リズとアルバートについてだった。
俺が意外そうな顔をしたからだろう。妾妃は鈴を転がすような笑い声をあげた。
「わたくしがこんな事を訊くのは、おかしいでしょうか?」
「……ああ。王妃のこれからについてだと思ったからな」
つい先程まで国王と王妃が目の前で会話していたのだ。普通なら国王が「消えろ」と言った王妃について気にするものだろう。……この女を「普通」に当てはめるほうがおかしいのは熟知しているが。
「あの方がどうなろうと、わたくしには興味ありませんわ。なので、あの方の事は陛下にお任せします。わたくしが何かするより陛下からされたほうが、あの方の精神的打撃は大きいだろうし」
最初の子を殺された復讐として王妃の子と自分の子を取り替えた妾妃だが、今は復讐ではなく生きている唯一の子であるリズの幸せだけを願っているのは知っている。
そのリズを切り捨てたのだ。王妃がどうなろうと自業自得だと思っているのだ。
「……分かった」
「それよりも、先程の答えを聞かせてください」
俺が頷くと、妾妃は先程の質問の答えを求めてきた。
「ここで聞いた事、起こった事は、他言無用でしょう? 勿論、あの子達に言ったりなどしませんわ」
他の誰よりも、あの子達にだけは知られたくない俺の気持ちを妾妃は分かっているのだ。
この女は平気で嘘を吐くが、彼女が誰よりも大切に想う娘に関してだけは信じられる。
それに、俺自身も誰かに知ってほしかったのかもしれない。
あの子達には知られたくない俺の父親としての想いを――。
「……お前が子供を取り替えるのを黙認していた俺も共犯だ。お前だけではない。俺も、あの瞬間、あの子達の親ではなくなったんだ」
むしろ、実際に子供を取り替えた妾妃よりも黙認していた俺のほうが卑怯だろう。
「わたくしが勝手にした事です。その事で陛下が負い目を抱く必要はありませんわ」
妾妃は俺を慰めるためではなく真実そう思っているから言っているのだ。彼女には王妃と違って俺に対する恋愛感情など全くない。俺を気に掛ける事などしないのだ。
「それに何より、俺は最終的には、あの子達の父親ではなく国王である事を優先する。そのためなら、あの子達さえ犠牲にする。そんな俺を父親だと思う必要などないだろう」
「あなたがそれほど国王である事に拘るのは、『お父様』を犠牲にして王位に就いたと思っていらっしゃるからですか?」
妾妃は「お父様」という言葉に含みを持たせている。だから、彼女が言っているのは、俺の形式上の父親、前国王ハインリッヒではない。
――妾妃は知っていたのだ。
俺が王妃に出生を語るのを「空気に徹して」聞いていた以前から。
だから、俺は妾妃がいても構わず王妃に語った。
リズメアリは不義の子を産むのに、乳母だったシーモア伯爵の母親を頼った。前シーモア伯爵夫妻の尽力により、リズメアリは自分の死を偽装し俺を産む事ができたのだ。
だから、シーモア伯爵も俺の出生を知っている。
養女にした妾妃に俺の真実を全て語り「命に代えても陛下をお守りしろ」と厳命し、後宮に送ったのだ。
「……思っているじゃない。俺は、あの人を犠牲にしたんだ」
リズに語ったように、俺は王になりたいから兄弟姉妹を皆殺しにしたのではない。
けれど、真実は誰にも明かせない。特にリズやアルバートには絶対に知られたくない。
そうである以上、「王になるために兄弟姉妹を殺したのだ」と思ってもらったほうがいい。
俺は、ただあの人に、リックに生きてほしかったのだ。
だから、リックの命を狙う兄弟姉妹と形式上の父親を排除した。
最後は俺の自殺で締めくくるつもりだったのに、肝心のリックに邪魔された。
リックが最愛の女が亡くなってから心の奥底で彼女の後を追いたいと願っていたのは知っていた。それでも生きていたのは、彼女との間に生まれた我が子がいたからだ。
王になれなければ死ぬ以上、生き残るために兄弟姉妹でも争うのがテューダ王国王家だ。
そんな中に、我が子を独りにしておけなかったのだろう。
誰よりも王に相応しい能力を周囲に示して、弟妹の殺意が自分だけに向くようにしたのだ。我が子を守るために。
最愛の女に続いて我が子まで死んだらリックの心に消えない傷は残るだろうが、それでも、唯一生き残った王子として王となり国を改革してくれるだろうと思ったのだ。それが彼の心の支えになると。
親になった今ならリックの気持ちも分かるのだ。
普通の親なら我が子を犠牲にして王になどなりたいものか。
――悪いな。お前の命と引き換えにして王位に就く気は、私には更々ないんだ。
けれど、俺だって父親を犠牲にして王になどなりたくなかった。
だから、リックが望んだ改革をしない事が俺の唯一の抵抗だ。
無論、俺だって王位を巡って我が子達が争う事など望んでいない。
幸い、あの子達は王位など望まず、それどころか互いに押し付け合おうとした。
今はリズが女王になる決意をした以上、リックが望んだ改革は実現するだろう。リズの望みだ。あのアーサーが叶えないはずがないのだから。
リックが息子に望んだ事を孫娘がしてくれるのだ。
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