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後日談
81 出産
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出産予定日を間近に控えたある日、私はノックもせず勢いよく国王の執務室の扉を開けた。
「リ、王太女?」
「リズ?」
国王は一人掛けのソファ、妾妃はその斜め左のソファに座って紅茶を飲んでいた。
国王と妾妃、「夫婦」とはいえ二人の間に恋愛感情などない。
敬愛する養父の命令で国王の妾妃となり、そのすぐれた能力を彼のために使っている妾妃。
妾妃のすぐれた能力のみを必要としている国王。
「夫婦」というよりは、上司と部下だ。
そんな二人が仕事抜きで、まったりお茶を飲んでいるのは何とも珍しい。
普段なら指摘するが今の私はそんな事全く気にならない。というよりは、むしろ怒りが倍増した。
「あの人を失意のうちに死なせたくせに、なぜ、あなたは、あの人がこの世で一番嫌っていた女とお茶しているんだ?」と。
ゆったりしたドレスを着ているため、さして目立たないが大きくなったお腹を抱えて私は国王に近づいた。
私は拳を握り、私に似たその顔を殴ろうとして――。
「やめなさい。不敬罪になるわよ」
さして慌てもせず妾妃は背後から国王を殴ろうとした私の右腕を摑んだ。
小柄で華奢だのに妾妃は意外と力がある。私が振りほどこうとしても無理だった。
「放して! こいつを殴らないと気が済まないの!」
実の父親、何より国王に向かって「こいつ」呼ばわりは、あってはならない事だが私は気にしない。
「何があった?」
娘に殴られそうになっていたのに国王は全く動じず冷静に尋ねた。
……その姿がまたむかつく。
妾妃に腕を摑まれたまま私はぽつりと言った。
「……王妃様が亡くなられたと聞いたわ」
国王と妾妃は顔を見合わせた。
「……誰がお前にそれを言った?」
国王の顔はあからさまに「余計な事を言いやがって」というものだった。
「誰でもいい。肝心なのは亡くなる間際まであなたを求めていたのに、一度も王妃様に会いに行かなかった事よ!」
二年前、王宮から追い出されてから王妃は、ずっと愛する国王を求めて嘆き暮らしていたという。そのせいか、健康だった王妃は寝台で寝込むようになり、ついには一週間ほど前に亡くなったのだという。
妊娠中の王太女を気遣って誰もその事を私に直接告げる者はいなかった。
けれど、人の口には戸が立てられない。
王太女宮の庭を散策していた私は、庭の片隅でお喋りしていた新米の侍女達の会話から知ってしまった。
安定期に入ってから体調が戻ってきた私は、王太女宮の庭を散策するようになった。ある程度運動しておかないと出産がつらくなると主治医に言われたのだ。
王妃の事を知り、後先考えず国王の執務室に乗り込んだのだ。
「なぜ、俺がアレに会いに行かなければならないんだ?」
国王は醒めた眼差しを私に向けた。興奮している私とは対照的だ。
「あなたは、あの方の夫でしょう! あの方は最期まで、あなを求めていたのに!」
「興奮するな。腹の子に障る」
一見、娘を気遣っている科白だが、何の事はない。この男が私に望むのは、アーサーのようなすぐれた後継者を産む事だけだ。私に無事に子供を産んでもらわなければならないから、こう言っているのだ。
いつだって、この男は私とアルバートの父親である事よりも、王妃の夫である事よりも、国王である事を優先してきたのだから。
「いくら国王としての領域に口を出されて許せなかったとはいえ、なぜ亡くなる前に一度でも王妃様に会おうとしなかったのよ!」
私が実の娘ではなくこの世で一番嫌いな女の娘だと知った王妃は、「次代の王は、お前ではなく妾の息子、アルバートだ」と言った。
国王は国王としての領域に口を出されて許せなかったのだ。
「リズ、陛下が一番許せなかったのは」
「黙っていろ」
何やら言いかける妾妃を国王が遮った。
二人のそんなやり取りも興奮している私はスルーした。
「死んでしまったら、もう取り返しはつかないのよ!」
「そんな事は分かっている!」
国王は私と同じ紫眼に、ぎらぎらとした光を浮かべ強い口調で言い返した。
「……お父様?」
国王の尋常でない様子に私の興奮はすっかり醒めていた。
「……国王だろうと死者は蘇らせられない。どれだけ後悔しても謝る事もできない。名を呼んでもらう事も、微笑みかけてもらう事もできない。死んだら終わりだ。そんな事は分かっている」
今見せた激しさが嘘のように、その紫眼は絶望や後悔、やるせなさ、複雑な感情に揺れていた。
普段周囲に見せている国王としての覇気に満ちた姿とは違う。生身の彼、リチャード・テューダがそこにはいた。
私はもう何も言えなくなってしまった。
国王の一番踏み込んでほしくない部分に踏み込んだのだと分かってしまったからだ。
王妃にした事は許せない。
けれど、だからといって、人として国王に限らず他人の触れてほしくない部分に土足で踏み込んでいいはずもない。
「アレは王妃で形式上は王太女の母親だ。ちゃんと王家の墓に葬る」
黙り込んでしまった私に、いつもの覇気に満ちた姿に戻った国王が言った。
王妃を遠くに追いやったが離婚はしなかったので王妃は王妃のままだったのだ。
「……失礼します」
来た時の勢いが嘘のように悄然と部屋から出て行こうとして――。
「……いたっ!」
私は絨毯が敷かれた床に座り込んだ。立っていられないくらい突然お腹が痛くなったのだ。
「「リズ!?」」
国王と妾妃の声が重なった。
「破水!?」
普段、穏やかで優しげな微笑を浮かべている妾妃だが、私の真下にある絨毯を濡らしている大量の水に気づいて、さすがに顔色を変えた。
「……言わんこっちゃない。だから、興奮するなと言ったんだ」
国王の言葉は私を責めるものだが……気のせいか、その顔は私を心配しているように見えた。
「主治医を王太女宮に呼んでおけ」
「はい!」
国王の命令に妾妃は頷くと駆け出した。いつも優雅に歩き走った姿など見た事がないと言われる彼女には珍しい。
「リ、王太女、抱き上げるぞ」
そう一言断りをいれて私に触れようとした国王だが――。
「私が運びます。国王陛下」
いつの間にかいたアーサーが妾妃が開けたままにしていた扉(さすがの彼女も動揺していたのだろう。いつもならきちんと閉めていくはずだ)から室内に入って来た。
「……アーサー……どうして……ここに?」
あまりのお腹の痛みに、とぎれとぎれで質問する私に、私を抱き上げて歩き出したアーサーが答えた。
「貴女がすごい勢いで陛下の執務室に駆け込んだという話を聞いたので」
私のお腹の子、未来の統治者に何か障りがあってはと思ったのだろう。彼に我が子に対する愛情はないのは、もう分かっている。彼の妻や我が子に向ける思いは家族の情ではなく、あくまでも王侯貴族としての義務なのだ。
「貴女の無茶な行動は後で追及します。今はまず無事に子を産んでください」
アーサーの「追及」が怖くて、一瞬、陣痛の痛みを忘れた。
それから十二時間、死ぬような痛みの末、私はアーサーによく似た男の子を産んだ。
けれど、その瞳はアーサーとは違い、私と同じ王族特有の紫眼だった。
エリザベス王太女とその夫アーサー王子の第一子、リカルド・テューダの誕生だ。
「リ、王太女?」
「リズ?」
国王は一人掛けのソファ、妾妃はその斜め左のソファに座って紅茶を飲んでいた。
国王と妾妃、「夫婦」とはいえ二人の間に恋愛感情などない。
敬愛する養父の命令で国王の妾妃となり、そのすぐれた能力を彼のために使っている妾妃。
妾妃のすぐれた能力のみを必要としている国王。
「夫婦」というよりは、上司と部下だ。
そんな二人が仕事抜きで、まったりお茶を飲んでいるのは何とも珍しい。
普段なら指摘するが今の私はそんな事全く気にならない。というよりは、むしろ怒りが倍増した。
「あの人を失意のうちに死なせたくせに、なぜ、あなたは、あの人がこの世で一番嫌っていた女とお茶しているんだ?」と。
ゆったりしたドレスを着ているため、さして目立たないが大きくなったお腹を抱えて私は国王に近づいた。
私は拳を握り、私に似たその顔を殴ろうとして――。
「やめなさい。不敬罪になるわよ」
さして慌てもせず妾妃は背後から国王を殴ろうとした私の右腕を摑んだ。
小柄で華奢だのに妾妃は意外と力がある。私が振りほどこうとしても無理だった。
「放して! こいつを殴らないと気が済まないの!」
実の父親、何より国王に向かって「こいつ」呼ばわりは、あってはならない事だが私は気にしない。
「何があった?」
娘に殴られそうになっていたのに国王は全く動じず冷静に尋ねた。
……その姿がまたむかつく。
妾妃に腕を摑まれたまま私はぽつりと言った。
「……王妃様が亡くなられたと聞いたわ」
国王と妾妃は顔を見合わせた。
「……誰がお前にそれを言った?」
国王の顔はあからさまに「余計な事を言いやがって」というものだった。
「誰でもいい。肝心なのは亡くなる間際まであなたを求めていたのに、一度も王妃様に会いに行かなかった事よ!」
二年前、王宮から追い出されてから王妃は、ずっと愛する国王を求めて嘆き暮らしていたという。そのせいか、健康だった王妃は寝台で寝込むようになり、ついには一週間ほど前に亡くなったのだという。
妊娠中の王太女を気遣って誰もその事を私に直接告げる者はいなかった。
けれど、人の口には戸が立てられない。
王太女宮の庭を散策していた私は、庭の片隅でお喋りしていた新米の侍女達の会話から知ってしまった。
安定期に入ってから体調が戻ってきた私は、王太女宮の庭を散策するようになった。ある程度運動しておかないと出産がつらくなると主治医に言われたのだ。
王妃の事を知り、後先考えず国王の執務室に乗り込んだのだ。
「なぜ、俺がアレに会いに行かなければならないんだ?」
国王は醒めた眼差しを私に向けた。興奮している私とは対照的だ。
「あなたは、あの方の夫でしょう! あの方は最期まで、あなを求めていたのに!」
「興奮するな。腹の子に障る」
一見、娘を気遣っている科白だが、何の事はない。この男が私に望むのは、アーサーのようなすぐれた後継者を産む事だけだ。私に無事に子供を産んでもらわなければならないから、こう言っているのだ。
いつだって、この男は私とアルバートの父親である事よりも、王妃の夫である事よりも、国王である事を優先してきたのだから。
「いくら国王としての領域に口を出されて許せなかったとはいえ、なぜ亡くなる前に一度でも王妃様に会おうとしなかったのよ!」
私が実の娘ではなくこの世で一番嫌いな女の娘だと知った王妃は、「次代の王は、お前ではなく妾の息子、アルバートだ」と言った。
国王は国王としての領域に口を出されて許せなかったのだ。
「リズ、陛下が一番許せなかったのは」
「黙っていろ」
何やら言いかける妾妃を国王が遮った。
二人のそんなやり取りも興奮している私はスルーした。
「死んでしまったら、もう取り返しはつかないのよ!」
「そんな事は分かっている!」
国王は私と同じ紫眼に、ぎらぎらとした光を浮かべ強い口調で言い返した。
「……お父様?」
国王の尋常でない様子に私の興奮はすっかり醒めていた。
「……国王だろうと死者は蘇らせられない。どれだけ後悔しても謝る事もできない。名を呼んでもらう事も、微笑みかけてもらう事もできない。死んだら終わりだ。そんな事は分かっている」
今見せた激しさが嘘のように、その紫眼は絶望や後悔、やるせなさ、複雑な感情に揺れていた。
普段周囲に見せている国王としての覇気に満ちた姿とは違う。生身の彼、リチャード・テューダがそこにはいた。
私はもう何も言えなくなってしまった。
国王の一番踏み込んでほしくない部分に踏み込んだのだと分かってしまったからだ。
王妃にした事は許せない。
けれど、だからといって、人として国王に限らず他人の触れてほしくない部分に土足で踏み込んでいいはずもない。
「アレは王妃で形式上は王太女の母親だ。ちゃんと王家の墓に葬る」
黙り込んでしまった私に、いつもの覇気に満ちた姿に戻った国王が言った。
王妃を遠くに追いやったが離婚はしなかったので王妃は王妃のままだったのだ。
「……失礼します」
来た時の勢いが嘘のように悄然と部屋から出て行こうとして――。
「……いたっ!」
私は絨毯が敷かれた床に座り込んだ。立っていられないくらい突然お腹が痛くなったのだ。
「「リズ!?」」
国王と妾妃の声が重なった。
「破水!?」
普段、穏やかで優しげな微笑を浮かべている妾妃だが、私の真下にある絨毯を濡らしている大量の水に気づいて、さすがに顔色を変えた。
「……言わんこっちゃない。だから、興奮するなと言ったんだ」
国王の言葉は私を責めるものだが……気のせいか、その顔は私を心配しているように見えた。
「主治医を王太女宮に呼んでおけ」
「はい!」
国王の命令に妾妃は頷くと駆け出した。いつも優雅に歩き走った姿など見た事がないと言われる彼女には珍しい。
「リ、王太女、抱き上げるぞ」
そう一言断りをいれて私に触れようとした国王だが――。
「私が運びます。国王陛下」
いつの間にかいたアーサーが妾妃が開けたままにしていた扉(さすがの彼女も動揺していたのだろう。いつもならきちんと閉めていくはずだ)から室内に入って来た。
「……アーサー……どうして……ここに?」
あまりのお腹の痛みに、とぎれとぎれで質問する私に、私を抱き上げて歩き出したアーサーが答えた。
「貴女がすごい勢いで陛下の執務室に駆け込んだという話を聞いたので」
私のお腹の子、未来の統治者に何か障りがあってはと思ったのだろう。彼に我が子に対する愛情はないのは、もう分かっている。彼の妻や我が子に向ける思いは家族の情ではなく、あくまでも王侯貴族としての義務なのだ。
「貴女の無茶な行動は後で追及します。今はまず無事に子を産んでください」
アーサーの「追及」が怖くて、一瞬、陣痛の痛みを忘れた。
それから十二時間、死ぬような痛みの末、私はアーサーによく似た男の子を産んだ。
けれど、その瞳はアーサーとは違い、私と同じ王族特有の紫眼だった。
エリザベス王太女とその夫アーサー王子の第一子、リカルド・テューダの誕生だ。
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