一度目は勇者、二度目は魔王だった俺の、三度目の異世界転生

染井トリノ

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2巻

2-2

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    † † †


 研究所にあった転移装置を使い、俺たちは目的の場所周辺に移動した。
 例の渓谷を目指して歩いていく。ここから徒歩で十数分程度の距離らしい。

「今のところ、ただの森だね~」
「そうですね」

 この森を抜けた先に、渓谷はある。すでにだいぶ近づいているはずだが、未だに魔物との接触はない。

「ホントに竜なんているのかな~」
「あの会長、ちょっと良いですか」

 俺はシルフィーに尋ねる。

「ん、何?」
「なんでさっき、あんな質問したんですか?」
「さっき?」
「ケーニッヒさんにした質問ですよ」

 以前どこかで会っていないかなんて、あの場面でする質問としては不自然すぎて気になったのだ。加えて、それを聞いた時のシルフィーの表情はこわばっていて、おびえているように見えたから……
 するとシルフィーが意味深なことを言う。

「あー、どうしてなのかわからないけど、あの人とは、ずっと前に会ってる気がしたんだよね」
「ずっと前ってことは、学園に入る前とかですか?」
「う~ん、どうだろう。ただなんとなく初めて会った気がしなくて、それに――」

 シルフィーが表情を変える。ケーニッヒに質問した時と同じ、険しい顔になっている。

「なんだかあの人のこと、好きになれそうにないんだよね……」
「好きになれない? 顔や声が嫌いなタイプだったとか」
「そういうわけじゃないんだけど……本当、ボクにもよくわからないんだ」

 ただ、なんとなく警戒心を抱いてしまったのかな。でもそれだけの理由で、彼女は怯えているような表情を見せたのだろうか。
 俺はその場を和ませるわけじゃないけど、思いつきを言ってみる。

「もしかしたら、会長が小さい頃に、研究者を怖がるきっかけになるようなことがあったのかもしれませんね。子供にとって研究者って、なんか怖い存在ですし。両親が知り合いで会ったことがあるのかも」
「それはないかな」
「えっ、どうしてですか?」

 シルフィーが即座に否定して、表情を曇らせた。

「だってボクは――」

 その先を言おうとした時、激しいごうおんと共に突風が押し寄せた。

「なんだ、今のは!」

 この先にあるのは渓谷だ。
 まさか――

「急ごう!」

 俺たちは走りだした。
 すぐに森を抜け、目的地の渓谷にたどり着く。思っていたより広大な渓谷だ。さっきの突風はここから発生したのだろうか。

「辺りには何もいないね」
「みたいですね」

 俺たちは周囲を見渡した。周りに魔物の気配はない。てっきり竜がいて、何か起きたのかと思った。やはりただの見当違いだったのかと思ったその時、渓谷から巨大な影が姿を現す。
 俺は目を疑った。

「おいおい、冗談だろ? こいつは――」
「……」

 シルフィーは声も上げられずに驚いている。
 突如現れたそれは、一瞬にして空を覆った。
 巨大な身体としっこくの翼を持つ、その名は――

こくりゅう

 想像を遥かに上回る迫力。これはまさしく、英雄とたいした伝説の竜だ。



 2 シルフィー・フェレーラ①


 実在していた真っ黒な竜の姿に、俺たちは目を奪われていた。その大きさは広げた翼の影で渓谷が暗くなるほどだ。
 想定外だ。本物の竜が実在したことにも驚きだが、それ以上に、なんだこの魔力は……
 量も質も、俺が知ってる竜とは比べものにならないぞ。明らかにただの竜とは別格の存在だ。さすがに俺でも、この黒竜を相手に戦うには、シルフィーを守りながらじゃ不利だ。
 ここは一旦――

「会長! 退きますよ!」
「【水魔法:トライデント】」
「会長!?」

 シルフィーはすでに魔法陣を展開している。この威圧感の中で、彼女は臆することなく立ち向かおうとしているのだ。

「いけぇ!」

 シルフィーが水の槍を放つ。生徒会でこなしたダンジョン探索では、キマイラをもほふった一撃だ。
 しかし――

「だめです、会長! その程度じゃ!」

 今回はそうはいかない。放たれた槍は黒竜の硬い表皮にはばまれ、霧散むさんしてしまった。

「そんなっ」

 効かなかったことに驚いたシルフィーが声を上げる。
 感じる魔力でわかる。普通の竜ならまだしも、こいつ相手に並の魔法は通じない。せめて上位以上の魔法じゃないと。
 今度は黒竜が、俺たちに向けて禍々まがまがしい紫色の炎を放つ。

「ちっ!」

 俺たちはそれぞれ左右に跳んで回避した。
 吐きだされた炎で、辺り一面が火の海と化す。炎に気を取られていると、黒竜の振り回した巨大な尾が襲ってきた。

「っ――!」
「会長!」

 避けようとしたが間に合わず、シルフィーは攻撃をまともに受けてしまった。
 今の一撃はまずい。直感的にそう思った俺は、即座に魔法を唱えた。

「【闇魔法:黒天こくてんおり】!」

 黒い檻が黒竜を包み込む。
 ダンジョンでも使用した、相手を拘束する魔法だ。こいつには数秒しかたないだろうけど、今はそれで十分だ。

「【風魔法:グラスウォーク】」

 俺は空中を移動しシルフィーのもとへ駆け寄った。おそらく相当な傷を負っているはずだ。

「会長! 無事ですか!?」
「う、うぅ……」

 かすかだがうめくような声が聞こえる。良かった。息はあるみたいだ。

「大丈夫ですか、会ちょ――なんだよ、これ」

 覗き込んだシルフィーの姿に、俺は目を疑ってしまった。
 右半身が消失している。いや、正確には、攻撃でやられたはずの右半身が水に変化している。

「……ごめんね、レイブ君。でもボクは大丈夫だから」

 シルフィーがそう言うと、水になっていた彼女の右半身が、再生するかのように人体へ戻った。

「身体を水に……変化させる魔法?」
「そうだよ」

 自分で口にしておいてなんだが、そんな魔法は見たことがない。そもそも自分の身体を別のものに変化させるなんて、普通の魔法では不可能だ。
 入学試験で会った貴族が使っていた黒魔法であれば、人体を変質させられるかもしれない。
 しかし彼女に、人間に戻れなくなる危険さえある黒魔法を使った形跡はない。つまりこれは、シルフィーだけが使える特異な魔法なのだろうか。

「もう大丈夫だよ。さぁ続きを――あれ?」

 シルフィーがそう言って立ち上がろうとし、そのままへたり込んでしまった。
 身体は再生したのに、力が入らないみたいだ。俺ははっとする。気が付くと彼女の全身には、黒い模様が浮かび上がっていた。

「これは……呪いか!」

 黒竜には呪いの力があるようだ。攻撃を受けたシルフィーは立てないほどに弱ってしまっている。
 このままじゃまずい……早くこの呪いを解かないと。
 ピキッ――
 ひびの入る音が聞こえた。黒竜を閉じ込めていた魔法の檻が砕ける。
 竜が雄叫びを上げる。俺はシルフィーを抱きかかえ、グラスウォークで上空へ跳んだ。
 黒竜が再び炎を放とうとしている。俺が周囲を見回すと、岩肌にできた洞窟が目に入った。
 そして――

「【時空間魔法:レルミット】」

 俺たちは一瞬にして姿を消した。
 レルミットは任意の場所へ転移できる魔法だ。移動可能なのは、マーキングを施した地点、もしくは自分の視界内だ。
 俺たちは今、洞窟の中にいた。

「さすがに追っては来ないな」

 黒竜は敵を見失い、炎を吐くことなく呑み込んだようだ。

「うぅ……」

 苦しそうな声を出すシルフィー。
 俺は彼女を抱きかかえたまま膝をついた。
 本来呪いの解除には一定の手順が必要になる。ただ今はそんなことをしている余裕はない。だから手っ取り早く、彼女の時間を戻すことにした。俺は右手をかざす。

「【回帰魔法:クロノスヴェール】」

 この魔法なら順序をすっ飛ばして、呪いをなかったことにできる。
 シルフィーの辛そうな表情が次第にやわらいでいく。同時に呪いの黒い模様も薄れて消えていった。

「あれ……ここは……」
「気が付きましたか。会長」

 俺は目覚めたシルフィーに声をかける。

「レイブ君、そっか……君が助けてくれたんだね。ありがとう」
「どういたしまして」
「ごめんね。ボク、会長なのに、ないところばっかり見せて……」
「竜相手じゃ仕方がないですよ」

 むしろ黒竜に攻撃されて生きているだけで十分すごいことだ。
 しかし今は、シルフィーが身体を水に変えたことのほうが気になる。シルフィーに起きたことは普通じゃないし、魔法でも説明がつかない。

「あの、会長」

 俺が言うと、シルフィーは察したように答えた。

「わかってるよ。さっきの水化のことでしょ? 知りたいんだよね? ボクが何者なのか」
「はい」
「そうだね……ちょうど良い機会だし、君には話しておこうかな」

 シルフィーは少しだけ悩んだ後、そう言った。

「レイブ君。ボクはね、作られた人間なんだ」

 シルフィーが語る過去は、平和になったこの時代にまんえんしていたもろくて残酷な現実だった。

「今から五年くらい前かな。その頃ボクは研究所にいたんだ――」


    † † †


 五年前、とある研究所で液体の満たされたばいようそうを見つめる男がいた。中には、一人の少女が入っている。

「ようやく……ようやくここまで来たぞ!」

 機械を見ながら歓喜をあらわにする男の声に反応するように、液体に沈んでいた少女が目を開ける。

「おお! 目覚めたのかい」
「……ここは……」

 少女が呟く。

「素晴らしい! もう言語を発するまで成長したのか。初めまして、私が君の作成者――生みの親だよ」
「……さくせいしゃ? ……おや?」
「そうだ! そして喜ぶと良い。君はこれから精霊になるんだ!」

 この研究所で行われていたのは、人間と精霊の融合実験だった。
 人間のうつわに精霊を入れることで、精霊の力を持つ人間を作りだそうとしていた。
 研究者たちは、それを精霊体せいれいたいと呼んだ。精霊体の器として、遺伝子培養で生みだされたのがシルフィーだったのだ。
 シルフィーの肉体は、さらなる遺伝子操作で急成長させられた。そして、誕生から一年足らずで、魔法に関する知識を教え込まれ、多くの人体実験が行われた。
 実験の中には、耐え難い激痛を伴うものもあったらしい。


 そんなある日、研究所を魔物の大群が襲った。逃げ惑う研究者たち。それを襲い血肉を食らう魔物たち。シルフィーは自らの死を悟った。
 しかし彼女は生き残った。偶然その現場付近に居合わせた魔術師によって、魔物たちは討伐されたのだ。
 その魔術師こそ、魔法学園の学園長エレナだった。彼女に引き取られたシルフィーは、その一年後に学園に入学した。


    † † †


「――それからいろいろあって、今に至るって感じかな」
「そういうことだったのか……」

 これではっきりした。なぜシルフィーがケーニッヒと話した時に、不自然な態度を取っていたのか。

「だからあの時会長は、精霊って言葉に反応してたんですね」
「うん」

 シルフィーが俯いたまま頷く。

「なるほど……それじゃ、どうして学園に入学を?」
「エレナさんがね、学園に入ればきっと毎日楽しいぞって勧めてくれたんだ」

 エレナが……俺は納得する。

「それで入学してみて実際どうでしたか」
「最高だったよ!」

 シルフィーは普段見せている無邪気な笑顔に戻ってそう言った。

「エレナさんの言った通りだった! たくさん友達ができたし、たくさん新しい体験ができた! 明日は何があるか想像するとわくわくして、寝付けない夜だってあったんだよ?」

 シルフィーは声を弾ませて、本当に楽しそうに話す。

「それは良かった」
「うん! でもね……時々思い出すんだ。自分が普通の人間じゃないってこと」

 けれど、再び表情を曇らせながら続ける。

「……それで考えちゃうんだよ。ボクは一体、なんのために生きれば良いのかなって」
「会長……だから、危険な依頼ばかり受けてたんですか」
「別に危険な依頼だから受けてたわけじゃないよ。ただ、強い奴を相手にしている時は、そういうことを考えなくて済むし。それに、ボクには戦うくらいしかできることがないからさ」

 そう言って彼女は笑った。けれどいつもとは違って、どこか悲しげで、泣きそうな笑顔だった。その表情を見て俺は理解した。
 どうしてエレナが、シルフィーを救ってほしいと俺に言ったのか。
 シルフィーの命を助けたエレナは彼女の境遇や悩みを知っていて、俺がシルフィーに生きる理由を与えることを期待していたんだ。

「ったく、エレナの奴」
「ん? 何か言ったかい?」
「いえ、何も。というか会長、五年前に生まれたってことは、実年齢だと五歳なんですか?」

 俺は重苦しい雰囲気を壊すためにも聞いてみた。

「そういうことになるかな」

 彼女が無邪気なわけがわかった気がする。身体は成長しても、精神までは完全に成長しきれていないのかな。

「つまりボクは学園じゃ君の先輩だけど、年齢は君のほうがずっと年上ってことになるね!」
「なんだか複雑ですね」
「そうだね~。あっ、そうだ! ちょうどボクの秘密も話したことだし、今日から君のことレイって呼んでいいかな?」

 シルフィーはなんの脈絡もなくそんなことを言いだした。
 俺はさすがに呆気に取られる。
 一体、何がちょうどなのだろう。無邪気で気まぐれなのはわかってるけど、いきなりにもほどがあるだろ!

「だめかな?」

 そう尋ねるシルフィーは遊んでくれるのを待っている子供みたいだ。

「別にいいですよ」

 俺は仕方なく答えた。

「ホントに!? やったー!」

 別に呼ばれて減るものでもないし。俺はそう思った。

「それじゃ、ボクのことはシルフィーって呼び捨てにしてね。あと敬語もなしにしてほしいな! ボク、実は敬語って使うのも使われるのも苦手なんだぁ~」
「……わかったよ。シルフィー」

 俺が敬語をやめるとシルフィーは満足そうに微笑む。
 まったく、その顔は反則だろう。無邪気に輝くシルフィーの笑顔はまぶしくて見ていられないくらいだ。

「ねぇ、レイ」

 シルフィーは急に真剣な眼差しで俺を見つめてきた。

「ん?」
「ボクは、なんのために生きれば良いのかな?」

 俺は少しだけ考えた。
 シルフィーはずっと悩み続けてきたんだろう。俺が彼女に伝えられる言葉はなんだ?
 そして導きだした結論を、シルフィーに伝えようとした。

「それは――」

 その瞬間、激しい地響きが起きる。俺は咄嗟にシルフィーをかばった。
 それと同時に、俺たちが隠れていた洞窟がえぐられる。

「なんだ!?」

 洞窟から見上げた先には、黒竜が飛翔していた。

「まさか、ここまで追ってきたのか!?」
「レイ!」

 シルフィーが叫ぶ。

「逃げろ、シルフィー。こいつの相手は俺がする」
「でも!」
「いいから行け!」

 躊躇ためらうシルフィーを尻目に俺がグラスウォークで空中を移動し、黒竜へ接近する。
 次の瞬間、後方からシルフィーの悲鳴がした。
 同時に、聞き覚えのある声が言う。

「――そうはさせませんよ?」
「えっ……」

 俺が黒竜に意識を向けた一瞬で、突如現れたその男はシルフィーの自由を奪った。

「なんでお前がここにいる――」

 振り返った先にいたのはこの依頼を出した人物。

「――ケーニッヒ・クリームヒルト!」

 彼は不気味な笑みを浮かべた。
 シルフィーは意識を失い、ケーニッヒの腕に抱えられていた。なんらかの魔法で、彼女を昏倒こんとうさせたようだ。

「これはこれはレイブ君、お元気そうで何よりです」
「質問に答えろ! ケーニッヒ・クリームヒルト」
「そんな怖い顔をしないでください。私はただ、昔失くした所有物を回収しに来ただけです」
「所有物だと?」

 俺はシルフィーから聞いた研究所の話とケーニッヒの言葉を照らし合わせた。
 導きだされる結論、それは――

「まさか……お前がシルフィーの言っていた研究者か!?」
「ご明察です。やはりコレから事情を聞いていたのですね」

 ケーニッヒは彼女を「コレ」と呼んだ。
 彼女を物としか認識していない証拠だ。

「いや~、本当に困っていたんですよ。実験は順調に進んでいたというのに魔物に襲われ、そのうえ貴重な実験体を奪われてしまって……ああ、ちなみにコレが私を憶えていなかったのは、実験の時と顔を変えているからです」

 俺はケーニッヒを睨んだ。
 そうか、だからシルフィーは、こいつを好きになれないと思ったんだ。
 顔を変えていても、本能で察知したんだ。実験体としてシルフィーを作りだした奴だということを。

「シルフィーを放せ! さもなくば、お前の腕を斬り落とす」
「怖いですね~。ですがその要求には応じられません。そもそも、君は自分の心配をしたほうが良いですよ?」

 上空から風圧が押し寄せてきた。
 見上げると、頭上には黒竜が待機していた。そして、そこから俺を目掛けて降下する。

「ちっ」

 俺は跳んで回避した。
 舞い降りた黒竜は、まるでケーニッヒを守護するように俺との間に立ち塞がっている。

「なんなんだ、この竜は」

 俺が困惑していると、ケーニッヒが叫ぶ。

「これはただの竜ではありません! いにしえの時代、神話の中に登場する伝説の邪竜――ファフニールなのです!」
「ファフニールだと!?」

 そんなバカな!
 この黒竜が、あのファフニールだって言うのか?
 ファフニールは伝説の邪竜――かつての大英雄によって討たれた、この世で最も強大な力を持つ竜だぞ!?
 それがなんで、今さらこんな場所にいるんだ!


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