ザ・リベンジャー

tobu_neko_kawaii

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第六幕 安息の秒針

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 その日はミレイユのために、彼女専用のトイレの完成日で、完成させたのは俺には身近だった洋式のトイレだ。

 木製で製作しようとして二日で断念し、結果、血を使って型を作りそれを元に南にある街にだけいる石膏に発注した。もちろん赤黒いその型を石膏職人は不審に思ったが、トイレと聞いて興味深々でそれの使用法を聞いてきた。

 現状ではこちらのトイレは貴族が使っている物も穴の横で出して、それを専用の掃けで穴へ落とす形式で、その穴の下にはバケツのような入れ物があり、人力でそれを取り出し捨てる。

 だが、俺が作ろうとしているのは水栓トイレ、便器の下に穴を開けてそこにするだけでは、わざわざ重い石膏製の便器を除けてバケツを取り出すという手間がいる。

 だから、あえて、肥溜めの上に便器を設置するようにした。こうすれば、出したらそこは肥溜めで、畑などの肥料として使える。それを見て職人は、その型をさらに型をとってもいいか、そう聞いてきたため、もちろんそうするようにと言った。それで人々の生活の水準が上がるならその方がいい。

 だけど、今のところは俺が考えた水栓式は資金的に不可能で、全家庭に普及するのはまだまだ先になりそうだった。

「どうだ座ってみた感想は」
「うん、一人でできそう、拭くのもほらこうすればできそう」

 そう言って体を傾けながら尻を拭く真似をするミレイユ。この屋敷に来たばかりの時は暗い表情が絶えなかったが、今では以前のように笑顔も見せてくれる。

「ミレイユ……」
「あ、ちょっと、ブラッド――またこんなところでですか?」

 触れることも叶わないと思っていた彼女と生活を始めて、彼女を抱くのは時も場所も選ばなかった。彼女が拒めばもちろん自重するが、今のところ彼女が俺を拒んだことはない。

 彼女との営みにおいて、俺が注意するのは彼女の妊娠だ。というのも、子どもが欲しくないわけではなく、手足の不自由に慣れない彼女の身を案じて、愛ゆえにそうしている。

「ミレイユ、皆は親切にしてくれるか?」
「皆?ええ、ちょっと親切すぎて戸惑ってしまうくらいです」

 俺が今大事にしているのはミレイユの暮らす環境で、少しでももう辛い思いをさせまいと日々気を付けている。

「クラエベールは貴方の為に私に優しくしてくれるし、ファラエはいつも元気、エルナもよく気が利くわ、あの子……ブラッドはナナシって呼んでいるのよね?あの子ともこの前、字を書く練習をしたわ、アーシャは妹を思い出すわ……私の妹はもういないけど、姉だった頃を思い出すの」

 ミレイユの妹は病死したのだそうだ。話だけきけばインフルエンザのような感染病らしい。

「そう言えば、ミレイユはナナシの本当の名前を聞いているんだったな、どうして俺に教えてくれないのか知っているか?」
「そんなの決まってます、直接言いたいからよ」

 ナナシは文字が書ける、故に筆談で何度か名前を尋ねたが、彼女は頑なに教えてくれなかった。でも、俺以外は皆知っていてワザと呼ばないようにしているらしく、それがずっと気にはなっていた。

「そんなものか……」
「そんなものですよ」

 トイレでこんなに愛し合う者は、この世界では俺たちだけだろう。その後、ミレイユを抱いてトイレから出ると、顔を真っ赤にして恥ずかしそうにファラエが待っていた。

「ブ、ブラッド様、お客様ですぅ」
「客?珍しいな俺に客など」

 その日訪れた客は、これからしばらく顔を合わせることになると、この時の俺は思ってもいなかった。

 メイドの如く並ぶクラエベールたち、そして、あえてフルプレートを身に着けてその場に現れた俺。客は男一人で、もちろんそいつが威風堂々した態度で上から出てくるなら、俺は苛立ちでつい頭を飛ばしかねない、故にあえて格好で威嚇しておくことにしたのだ。

「さすが、ラブズレン伯を屠ったお方、いかなる時でも戦う準備を怠らない!」

 ……最初から下手、貴族ではなく行商人であろう格好、要らぬ構えだったかもしれない。

「で、用件はなんだ、見たところ行商に関係する職の持ち主だろお前」
「はい!私はつい最近までラブズレン伯のところで行商をしていた――」

 俺は、もしこいつがラブズレンの子分として行商していたと吐こうものなら、即座に塵にするつもりで右手を向けた。だが、男はどうやらそうではないようで。

「ハフレンのライバル関係のブラーニと言います」

 俺は振り上げた右手をゆっくり下ろして話を続けた。

「……なるほど、それで、そのハフレンはどこにいる、見つけて俺が始末してやる」
「お待ち下さい!少し、今少しだけお話を聞いてください」

 そう言うとブラーニは座っていた椅子から立ち上がって、椅子の横に立つとそのまま膝を突いて額を床に着けて言う。

「どうかお願いします!ラブズレンの代わりが現れる前に!この地の領主となって下さい!」
「……詳しく教えてもらうぞブラーニ」

 俺は地理や政治やその他諸々の知識が欠けている、領主になってくれと言われてもそうするだけの意味が理解できないからこそ彼に尋ねた。

「ラブズレン、彼の非道は周知の事実、それは私が子どもの頃も同じでした。私は子どもながら、大人になった時には、彼のような人間をいなくさせる力を付けようとずっと思っていました。ですが、所詮私にできたのは彼の被害に遭う人を少なくするくらいしかできなかった」

 ブラーニは額を上げて真剣な面持ちで俺に言う。

「そんな中、急にラブズレンが死んだ、それを聞いた時は耳を疑いました。私も何度も彼を殺す算段を考えて常に失敗していたので、最初はその事実を信じられませんでした。でも、それは事実だった。彼の屋敷は使命による力か何かで原型も留めていなかった。彼は死んだ、ただ、彼の元にいた女性たちも死んだと思うと少し残念でなりませんでした」

 拳に力を入れるブラーニ、余程女たちの死が許せないらしい。

「でも、明らかに不自然な手作りの墓が傍にあり、人道に劣る行為と知って尚掘り返さずにはいられませんでした。結果、四肢の無い女性の遺体があり、私は確信しました。ラブズレンの命を奪った者は彼女らに死という慈悲を与えたのだと!ならば、やはりその者に話さなくてはならない、恐らく召喚して呼び出された者であるために――」

 俺はこの世界に来て以来、エシューナ以外からその言葉を聞いたのは初めてだった。

「なぜ、召喚された者だと?」

「不自然だからです。ラブズレンを殺したのにその領地の権利を主張していないこと、ラブズレンに囚われていた女性を慈悲で殺したこと、屋敷をあれほどまでに吹き飛ばしたこと。どれをとってもこの世界の人間の行動じゃないですから」

「なるほど、お前の言う通り、俺はこの世界の人間ではない、召喚されこの地にいる」

 俺の言葉に驚いたのは、ブラーニではなく後ろで立っている女たちだった。

「やはり……ですが、そうなると不思議でなりません。召喚された者は等しく王家に騙されて魔王の討伐に向かうはずです。貴方はどうしてこんなところに?」
「話せば長くなるが、分かり易く言うなら、俺が使命を持っていなかったからだ」

 それを聞いたブラーニは、驚きと同時に関心を示した。

「使命を持たない……なるほど、それは王家が見捨てるのも頷けます。彼らにとって使命を持たない者など役立たずでしかない、ですが、ならどうやってあなたはラブズレンの命を奪うほどの力を得たのですか?」

 全てを可能にする力を欲する、その想いは分からなくもない。

「……他言すれば命はないが、それでも聞きたいか?」
「……ぜひ!お聞かせください!」

 俺は左手を上げてクラエベールに言う。

「エシューナを呼んでくれないか」
「……彼女をですか?……はい、すぐに」

 エシューナの名前を聞いた時点でブラーニは眉を顰めていた。王家に詳しい彼が、その名前に気が付かないわけがないのは俺も呼ぶ前から分かっていたことだ。

「お連れしました」
「あぁ入ってくれ」

 そうして、部屋へと入ってくるエシューナを見たブラーニは腰を抜かして驚いた。

「な、な、な!どうして死んだはずのエシューナ姫がここに!」
「これに関しても説明すると長くなるが、聞くか?」

「も、もちろん!」
「ならブラーニはその椅子を使え、クラエベールお前たちも自由に楽にして構わないぞ」

「私どもはこのままで大丈夫です、アーシャだけは椅子に座ることをお許しできればと」
「ああ、好きにして構わない」

 アーシャはまだ幼いし、ブラーニも若いというわけではない。これからする話は、それなりに時間を要するものだからな。


 それからその場にいる全員が、俺の今日までの苦労と絶望と、犯した罪を知ることになった。

「エシューナ姫を連れ去り、彼女の貞操を奪い犯しつづけた?……そんなことを使命を得る前から成していたなんて、そして悪魔と契約……まるで物語の主人公のようですね!」

 興奮するブラーニとは対照的に、後ろの女たちの反応は様々だった。

「ですが、彼女もまたただ無知な女性、できれば彼女にも慈悲を与えてあげて下さい」

 ブラーニは、エシューナ自身がそれほど悪意を持つ者ではないと考えているようだった。

 だがしかし、俺の考えは彼とは平行線で交わることのない一つの想いを伝えた。

「……無知であろうが王族、ならば彼女へのこれまでとこれから与える事柄は全て罰だ」
「でも、考えてみて下さい、使命の無いただの女、ただ王家に生まれただけ。そう考えてみると、それほど彼女に罪はないのではないでしょうか」
「……くどい」

 確かに、俺自身無力だったから分かる。この非道な世界で、彼女にいったい何ができたといえるだろうか……しかし、俺のあの苦しみを知ることは、寄り添うことは不可能ではなかったはずだ。

「……仮にだが、王家としての彼女の罪は許そう、だが、俺に対し行ったことは許すつもりはない。これからも俺はエシューナにはその罰を与えるだろう」

 エシューナに関してはそれ以上話す事はなく、話は悪魔の話に移る。

「その、悪魔と契約は誰でもできるのでしょうか?」
「よくは分からないが、おそらくは普通の人間には無理だろうな。ある意味飛び抜けて人間を極めた者か、もしくは人間を捨てた者だろうな。無論俺は後者の方に当たる」

 人を捨て悪魔と契約など、そうなりたいと思える者はこの世界にそうはいないだろう。だが、人間を極めた者ならおそらく召喚者は間違いなくそれにあたるし、特殊な使命を得ている者も可能性がないわけではない。

「……そうですか、では私のような普通の人間では無理な話というものですね。いや、それでよかったのかもしれません。所詮私には現状が奇跡なのですから」

 ここまでの話で、彼が言う領主云々にようやく触れられる。

「で、領主というのは?」
「そうですね、本題へ戻りましょう。領主、今この領地には領主がいません、それはラブズレンの死によって周知の事実です。ですが、このままではハフレン、彼が勝手に新しい領主を立ててこの領地を想うがままにしてしまいます」

 なるほど、領主が勝手に税を指定できるんだったな。

「分かった、俺が領主になって新しく税を決めればいいのだろ?」
「そうです!ですが、領主になるにはそれなりに条件があり、その条件が王家への献上金、行商会の了解が必要なのです」

 なかなかに敷居が高い。

「なるほど、つまりは、お前がそれらをどうにかする代わりに俺に領主になれというわけだな。自分が領主になろうとは思わないのか?」

 その言葉にはブラーニも少し笑みを浮かべて首を横に振る。

「領主というのは命を狙われる者、私がなったところですぐに殺されて別の領主が現れるだけになる。その点あなたならば、誰を敵に回しても簡単に負けはしないでしょう」

「確かに俺なら簡単に死なないかもしれない。だが、彼女らは違うだろ」

 俺が言う彼女らというのは、クラエベールらの事を指してだ。

「俺が襲われるリスクは、そのまま彼女らの襲われるリスクになる。そうなるのなら俺は領主になどなりはしない」

 ブラーニはこれに対する考えを用意していなかったのか、その時点で何かを考えて黙ってしまう。俺は彼の言葉をジッと待っていた、が、彼の口から対策は出ないまま時間が過ぎていく。

「お願いしますブラッド様、領主になって下さい」

 意外でもないが、そう言うのはクラエベールで、視線を向けると全員が頭を下げていた。

「分かっているのか?俺が領主になればお前たちの身も危険になる。俺はそうならないためならお前たちを傍から遠ざけることも考えているぞ」

「私!怖くはありません!ブラッド様の傍でお支えいたします」

 ファラエ。

「私もです、怖いですけど、全く別の知らない人が領主になるよりも、ブラッド様が領主な方がいい。私、そうしていただけるなら、喜んでお支えいたします」

 エルナ。

「アーシャはね、もう痛いのも怖いのも嫌だけど、ブラッド様の傍は離れないよ」

 アーシャ。

「あ……あたじあ、うらっとさまといらいれす」

 ナナシ。

「……何か言いたげだなエシューナ」

 彼女の表情は見ただけでいつもと違うと分かる。俺にとって最も時間を伴に過ごしてきたのが彼女だから、ある意味当然ではあるが。

「私が何かを言っても、きっとあなたは否定してしまうでしょう……、でもこれだけは言えるのです。あなたの思うようにすることが、最も正しいことなのだと思います」

 否定も肯定もせず、俺の考えに従う、彼女も随分と俺が望む答えを返すようになった。

「……実はもう、最初から答えは出ているんだ」

 俺の言葉に聞き入るブラーニ。

「クラエベール、ファラエ、ミレイユを連れてきてくれ」

 これは前々から考えていたことと、今回の件とが重なって決断できたことだ。

 二人に連れられて部屋に入ってきたミレイユ。彼女を見たブラーニは驚きを隠さない。

「その手足……ラブズレンの被害者ですか?」
「俺の才愛の人だ、そしてもうすぐ領主の妻となる」

 驚きを隠せないブラーニ。

「あ、あの私、何の話か分からないのだけど……ブラッド?」

「結婚して欲しいミレイユ」

 俺に抱き寄せられた瞬間、ミレイユは驚きを表し、すぐに真面目な表情で俺を見つめ返す。

「……はい、喜んで」

「決まりだな、ブラーニ、領主の件受けよう」

 もちろん展開に追いついてこれないブラーニは困惑していた。

「ぶ、ブラッド殿?あなたの奥方はエシューナ姫なのでは?見たところご懐妊の様子ですし」
「そうだな、エシューナは言うなら俺の生涯の奴隷だ。そして、ミレイユこそ俺の才愛の伴侶だ。それを違えるなブラーニ」

「は、はい、多少複雑なようですが、胆に銘じておきます」

 そうして、ブラーニの後ろ盾で俺はこの領地の領主になることにした。
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