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第一章『忍び寄る影編』

第十六話 白雪小哥妹【前】

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 愛していた。
 おまえを、愛していた。

 だからこそ──にくかったのだ。


  *  *  *


 宙を指先で二度叩いて呼びだしたシステム画面の右上には、通知を知らせる赤いポッチが。
 おそるおそるタップし、『着信172件』と表示されたメッセージウィンドウに震え上がった。

「君は私の恋人か!」
《上司だよッ!!》
「ひぃ……」

 魂の叫びが返ってきた。おのれがクラマの地雷をピンポイントで踏み抜いたことに、縮こまったハヤメはまったくもって気づかない。

「色々あったんですヨ」
《だからその『色々』の部分を言いなさい》
「すんません」

 笑ってごまかそうとしてみた。
 血も涙もない鬼上司には、通用しなかった。

 強制通信を決行されたのだ。
 もう逃げられない。腹を決めよう。

 床にへばりつく五体投地からいそいそと起き上がり、正座の姿勢でつらつらと経緯を説明する。

《つまり、自分を襲った狼少年を甲斐甲斐しく看病して、衣食住の面倒までみてるってわけですか。どんだけお人好しなんです?》
「だって、放っておくわけにはいかないじゃないか。まだこどもなんだし」

 うなだれた頭上にのしかかる声音は、あからさまに刺々しい。
 さすがにそんな言い方はないだろうと、ハヤメも口をとがらせてしまう。

《そういうところが、あなたらしいですけど……率直に言います。ハヤメさん、いますぐにその街をはなれてください》
「は……? なんで? 憂炎ユーエンはどうするんだ」
《放っておけ、ということです》
「言っている意味がわからない!」

 クラマはひねくれた言動をするが、その心根は純粋な正義感に満ちていることを、ハヤメは知っている。
 だからこそ、非情な発言をするクラマの真意が理解できない。

《残り30%》
「え……?」
《転送するついでに、教えてやりますよ》

 なにを、と、きく間もない。

 ──ピロリン。

 電子音とともに、【ファイルダウンロードを再開します】と無機質な光のテキストが宙にまたたく。
 70%からはじまった数値が、おのれの意思に関係なく明滅する。

《ハヤメさんの憑依した梅雪メイシェは悪役ですが、物語の黒幕は別にいます。彼女より強く皇室に、人間に憎しみをいだく人物》
「……まって」

 75%、80%、90%──

 あんなにつっかえていたくせに、めまぐるしく推移する数値が、息もできないほどの重圧をハヤメによこす。

月白げっぱくの髪に、燃える柘榴ざくろの瞳をもった美青年──冷徹無慈悲なラン族の長、憂炎。彼はほかの獣人をも従え、魔教まきょう棟梁とうりょうとして、みずからを虐げた人間への復讐を成し遂げようとします》
「……やめてくれ」
《梅雪に皇子の毒殺をそそのかしたのも、彼です。憂炎にとって、梅雪は目的を遂げるための駒でしかなかった》
「……ききたくない」
《事実です。何故なら、計画が失敗し捕らえられた梅雪を、処刑の日を待たずして口封じのために殺すのも、憂炎なんですから》
「あの子はそんなことしない!!」

 するはずがない、それなのに。

 ──【100%ダウンロード完了】──

《それがこの小説のストーリーなんです》

 なぜ、反論ができないのか。

《本来の梅雪と憂炎は、まだ何年も後に出会うはずでしたが……これだけは断言できます。ハヤメさん、危険なんですよ。憂炎も、そんな彼に入れ込んでいるあなたも》

 クラマの声音は、ひどく落ち着いていた。

《悪役を改心させて、国のひとつでも救うつもりですか? やめてください。俺たちは英雄にはなれないんです。情を感じないでください。戻ってきてください、ハヤメさん》

 本当はわかっているのだ。
 クラマが自分を想って、こんなことを言っているのだということくらい。

「わかっているさ……人間わたしでは、あの子を導いてやれないことなんて」

 握りしめたこぶし。手のひらに爪が食い込む。
 だけれど手よりも、胸が痛かった。

「……憂炎のことは、獣人にまかせる。その方向で話は進めている」

 いつか、そのうちにと思っていたことだが。
 なんとも、あっけないものだ。

「私は英雄にならないが、悪役になるつもりもない。後宮には行かない」
《これから、行く宛はあるんですか》
明林ミンリンに……知り合いに働き口でも紹介してもらうさ」

 脇役は脇役らしく、汗水たらしてひっそり暮らすのがお似合い。そうだろう?

「……独りにさせてくれ」

 絞りだしたつぶやきに、こんどは、クラマも口を挟むことはしなかった。

《たまにメッセージをひと言送ってくれるだけでもいいので、連絡くださいね。……心配になりますから》

 ハヤメの心情を汲み取ってくれたのだろう。憎まれ口も、このときばかりは鳴りをひそめている。

 最後にひとつうなずいて、無言で人さし指をふれあわせたメッセージウィンドウを、上方へはじく。

「……独りきりに、なってしまったなぁ」

 自分から接続を切っておいて、なにを言っているのだか。

「私にも家族がいたら……さびしくないのに」

 声にだして、わらえてくる。
 未練たらたらではないか。
 ないものねだりをしてもしょうがないだろう。

 憂炎とは、いつか別れなければならない。
 その時が、思ったよりちょっと早く来るというだけ。

「おしぼりが冷めてしまった。早く戻ろう」

 薄く笑いながら、鉛のような手足を動かす。
 のそのそと立ち上がり、壁に手をついて部屋を出ようとして。

 ──とす。

 ろくに歩みださぬうちに、鼻先がなにかにぶつかる。
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