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第二章『瑞花繚乱編』

第六十五話 おひさまとえがお【中】

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 瓏池ろうちのほとりで、息を吹き返したように早梅はやめが目を覚ます。
 腕で背を支え、具合を問う黒皇ヘイファンだが、悪阻つわりが深刻で、たいていのものを口にしたがらない。
 もう十日以上ろくに食べていない。このままでは、衰弱することが目に見えている。

梅雪メイシェお嬢さま、すこしでもお召し上がりになられませんと」

 懇願する黒皇に、薄い笑みを返した早梅は、かすれた声でつぶやいた。

「……茘枝ライチが、たべたい……」
「ございます。青風真君せいふうしんくんがくださいました」

 黒皇は赤いうろこ状の表面に爪で切り込みを入れ、軸が残らないよう薄皮をきれいに剥く。
 なかにある種も取りのぞき、早梅の口もとへ添えた。
 ぷるりとした白い半透明の果肉を口唇ではさむ早梅だが、咀嚼までには至らない。
 瑠璃の瞳は焦点が合わず、意識が朦朧としているようだった。

 もう、手段をえらんではいられなかった。
 黒皇は茘枝ライチを口にふくみ、早梅のあごに手を添える。
 下唇を親指の腹で指圧すれば、すきまから赤い舌がのぞいた。
 すかさずおのれの唇でふさぎ、瑞々しい果肉を舌先で早梅の口内へ押し込む。

「んっ……んぅ」

 早梅が茘枝を噛んだら、顔をはなす。
 ゆっくりと咀嚼し、白い喉が上下したことを確認して、またひとつ茘枝を口にふくむ。

 唇をそっとついばみ、ふれあいをくり返すほど、黒皇の胸に想いがあふれゆく。

(梅雪お嬢さま……おねがいです、どうか)

 どうか、はやくお元気になってください。
 えがおが、見たいです。

 ただその一心で、梅の実よりちいさな果肉をさらに噛みちぎり、口うつしで食べさせ続けた。

「……もう、おなかいっぱいだよ」

 ふいに奏でられたのは、鈴の声音だったろうか。
 茘枝へふれた黒皇の手に、ちいさな手がかさねられた。

「黒皇ってば、過保護なんだから。もう……」

 目下に、ほんのりほほを朱に染めて、気恥ずかしげにうつむく早梅の姿がある。
 黒皇はつかの間、思考を停止する。

「……青風真君の茘枝は、想像を絶するものでした」
「なんで?」
「お嬢さまが、たちまちに元気になられて……」
「だから、なんでそうなるんだい。いやまぁ、茘枝は甘くておいしかったけれども」

 噛み合っているようで、噛み合っていない会話が交わされる。
 なんともいえない空気に先にしびれを切らしたのは、早梅だった。

「黒皇のばか!」
「……せつがなにかしましたか?」
「ほら無自覚じゃない、このにぶちんめ!」

 悪口を言われているらしい。
 そっちの語彙がすくない早梅のため、なにやらお嬢さまがかわいらしいことを言ってるなぁ、くらいにしか思わないのだが。
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