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第二章『瑞花繚乱編』
第百一話 慈愛と情愛につつまれて【前】
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さらり、さらり。
白い紙の上を、黒に染まった筆先がすべる。
ややあって、静かにはなした筆を、そっと硯へ寝かせる。
「これが私の名前だ。姓を雪平、名を早梅という」
「お珍しいお名前ですね」
「それは私が、央原ではない、日本という異世界で生まれた人間だからだ」
「ニッポン……建物もひとびとの服装も、見たことのないものでしたが、あの場所が」
文机に向かう早梅のとなりへ腰をおろし、「雪平 早梅」と記された料紙をのぞきこんだ黒皇が、そういってうなずく。
「私は男装をして、軍人、ここでいう武官をしていてね」
「失礼ですが、なぜ男装を?」
「男尊女卑の思考が根強いお国柄だったからね。だが、親に言われるがまま嫁入りをして子を生むつもりはなかった。私の人生だ、道は私が決めると」
「私の目から見ても、凛と行く末を見据えた、まっすぐな女性でした」
「面と向かって言われると、気恥ずかしいなぁ……」
無自覚の発言にまんまとしてやられた早梅は、苦笑をかえす。それからふと、まつげを伏せた。
「終わりは、なんともあっけなかったけれどね」
早梅の自嘲に、黒皇は沈黙するのみ。
黄金の瞳にじっと少女の横顔を映し、その心境を汲み取ろうとしているのだろう。
「──だれよりも信頼している部下だった。だからこそ、許せないんだ」
なぜじぶんは、殺されなければならなかったのか。
なぜ彼が、凶行におよんだのか。
いまだにわからない。それは呪いのように、早梅をさいなむ。
「あの『マツナミ』という方からは、殺意以上に、酷い嫉妬心と執着が感じられました」
「……どういうことだい?」
「彼が言っていたのです。『俺を見ないあなたが悪い』『これであなたは俺のものだ』──歪んだ愛情。それが、彼を突き動かしたものではないでしょうか」
「そんな……」
「稚拙な推論です。ご気分を害してしまい、申し訳ございません」
「いや……」
にわかには信じがたいが、否定もできない。
黒皇の言葉どおりだとすれば、つじつまが合うためだ。
(松波君が、私を……愛していた? 彼は私を、男だと思っていたはずなのに……)
すべては、愛憎ゆえの悲劇だというのか。
「ですが、そうだとしても、私欲のために尊いいのちを奪ってもよいという理由には決してなり得ません。彼の魂は、地獄の業火に灼かれていることでしょう」
泥沼にはまり込んだ思考ごと、早梅を引き上げる力強い言葉がある。
ひときわ低い語尾は、「そうでなければ、私が燃やします」とでも言わんばかりの気迫で。
まさかの不意討ちに、緊張がほぐされる。
「ふふっ、そうだなぁ……ねぇ黒皇、実を言うと私は、もとの世界にもどりたかったんだ」
「え」
そこで黒皇が一変。ぴしりと石のように固まる。
「帰られるの、ですか……? 黒皇をおいて……?」
「あーっ! ごめん! 説明不足!」
とたんに雛鳥のごとく縮こまった黒皇から、ふるえる声音で問われては、早梅もたまったものではなかった。
「ちょっと長くなるんだけどね……」
変にごまかすのも悪手だろうと、洗いざらい白状することにした。
ここが『氷花君子伝』という小説に描かれた世界であること。
やがて梅雪が、死にゆく運命だったことを。
物語の展開を聞かされた黒皇は、絶句していた。無理もないだろう。
「憂炎どのが、梅雪お嬢さまを手にかけるだなんて、信じられません……」
「ガッツリ変えちゃったかなぁ、いろいろと。あはは」
復讐。それが幽霊となってもなお、早梅を現世へとどめていた最大の理由だ。
現代へもどるためには、この世界で生き抜き、結末を見届けなければならない。
だからがむしゃらにあがいてきたが、近頃ふと気づいたのだ。
「もとの世界にもどっても彼は死んでいて、いないじゃないか。それなのに、復讐にこだわる必要もないかなって」
──クラマのことが、脳裏をよぎらないわけではない。
けれど、彼とはもう決別したのだ。早梅が、じぶんの意思で突き放した。
白い紙の上を、黒に染まった筆先がすべる。
ややあって、静かにはなした筆を、そっと硯へ寝かせる。
「これが私の名前だ。姓を雪平、名を早梅という」
「お珍しいお名前ですね」
「それは私が、央原ではない、日本という異世界で生まれた人間だからだ」
「ニッポン……建物もひとびとの服装も、見たことのないものでしたが、あの場所が」
文机に向かう早梅のとなりへ腰をおろし、「雪平 早梅」と記された料紙をのぞきこんだ黒皇が、そういってうなずく。
「私は男装をして、軍人、ここでいう武官をしていてね」
「失礼ですが、なぜ男装を?」
「男尊女卑の思考が根強いお国柄だったからね。だが、親に言われるがまま嫁入りをして子を生むつもりはなかった。私の人生だ、道は私が決めると」
「私の目から見ても、凛と行く末を見据えた、まっすぐな女性でした」
「面と向かって言われると、気恥ずかしいなぁ……」
無自覚の発言にまんまとしてやられた早梅は、苦笑をかえす。それからふと、まつげを伏せた。
「終わりは、なんともあっけなかったけれどね」
早梅の自嘲に、黒皇は沈黙するのみ。
黄金の瞳にじっと少女の横顔を映し、その心境を汲み取ろうとしているのだろう。
「──だれよりも信頼している部下だった。だからこそ、許せないんだ」
なぜじぶんは、殺されなければならなかったのか。
なぜ彼が、凶行におよんだのか。
いまだにわからない。それは呪いのように、早梅をさいなむ。
「あの『マツナミ』という方からは、殺意以上に、酷い嫉妬心と執着が感じられました」
「……どういうことだい?」
「彼が言っていたのです。『俺を見ないあなたが悪い』『これであなたは俺のものだ』──歪んだ愛情。それが、彼を突き動かしたものではないでしょうか」
「そんな……」
「稚拙な推論です。ご気分を害してしまい、申し訳ございません」
「いや……」
にわかには信じがたいが、否定もできない。
黒皇の言葉どおりだとすれば、つじつまが合うためだ。
(松波君が、私を……愛していた? 彼は私を、男だと思っていたはずなのに……)
すべては、愛憎ゆえの悲劇だというのか。
「ですが、そうだとしても、私欲のために尊いいのちを奪ってもよいという理由には決してなり得ません。彼の魂は、地獄の業火に灼かれていることでしょう」
泥沼にはまり込んだ思考ごと、早梅を引き上げる力強い言葉がある。
ひときわ低い語尾は、「そうでなければ、私が燃やします」とでも言わんばかりの気迫で。
まさかの不意討ちに、緊張がほぐされる。
「ふふっ、そうだなぁ……ねぇ黒皇、実を言うと私は、もとの世界にもどりたかったんだ」
「え」
そこで黒皇が一変。ぴしりと石のように固まる。
「帰られるの、ですか……? 黒皇をおいて……?」
「あーっ! ごめん! 説明不足!」
とたんに雛鳥のごとく縮こまった黒皇から、ふるえる声音で問われては、早梅もたまったものではなかった。
「ちょっと長くなるんだけどね……」
変にごまかすのも悪手だろうと、洗いざらい白状することにした。
ここが『氷花君子伝』という小説に描かれた世界であること。
やがて梅雪が、死にゆく運命だったことを。
物語の展開を聞かされた黒皇は、絶句していた。無理もないだろう。
「憂炎どのが、梅雪お嬢さまを手にかけるだなんて、信じられません……」
「ガッツリ変えちゃったかなぁ、いろいろと。あはは」
復讐。それが幽霊となってもなお、早梅を現世へとどめていた最大の理由だ。
現代へもどるためには、この世界で生き抜き、結末を見届けなければならない。
だからがむしゃらにあがいてきたが、近頃ふと気づいたのだ。
「もとの世界にもどっても彼は死んでいて、いないじゃないか。それなのに、復讐にこだわる必要もないかなって」
──クラマのことが、脳裏をよぎらないわけではない。
けれど、彼とはもう決別したのだ。早梅が、じぶんの意思で突き放した。
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