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第二章『瑞花繚乱編』
第百五話 兄弟の絆【後】
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「皇兄上……」
そっと床へおろされるころ、呆けたような黄金の双眸が黒皇へ向けられていた。
黒皇が口をひらこうとしたそのとき、はじかれたように身をひるがえした黒慧が、引っつかんだ枕を放り投げるではないか。
「出て行ってください!」
腕でふさぐ黒皇。床に落ちる枕。
「小慧」
「あなたとお話しすることはありません、出て行って!」
「聞いて、小慧」
「いやだ、僕は……っ」
黒慧があとずされば、黒皇が踏み込む。
歩幅は、黒皇のほうが大きい。
「独りにさせて……ごめん」
黒皇が伸ばした腕は、とどいた。
「っ……見放されたのだと、思ってたんですよ」
こわばる唇からつむがれた言葉は、いまにも消えてしまいそうなほどだ。
「兄上たちがいなくなって、でも僕、『おつとめ』の仕方なんて、ひとつもわからなくて……」
「私が、教えてあげなかったから」
「なにかわかるかもしれないと思って、皇兄上のお部屋に行って、報告書を見ました。そうしたら、『小慧に行かせるべきではない』と、書かれていて……」
「まだおさない小慧に、つらいお役目を背負わせたくなかったんだ」
「なんにも期待されてないって、役立たずだから置き去りにされたんだ、見返してやるって、そう思ってたのに……僕は、一体僕は、これまでなにを恨んでいたんですか!」
「私が小慧を置き去りにしたことは事実だ」
「それでも! 僕が余計なことをしなければ、皇兄上たちが金玲山の外へでることはなかった! 僕が餓鬼を倒せるくらい強かったら、俊兄上たちが犠牲になることもなかったんです! 僕のせいなんです!」
「それは違うだろう、小慧!」
耳をふさぐ弟の手を、黒皇がさらう。
「たしかに私たちは、許されない罪を犯した。けれど家族を想う気持ちまで罪に問われるの? そうじゃないだろう?」
──小慧が苦しんでいたら、とても悲しいです。
その言葉どおり、黒皇は歩み寄る。
これ以上悲しみを連鎖させないために。
「翼を貫かれ、地上に墜ちても、空を見上げない日は一日たりともなかった。そこに小慧がいたから」
「でも僕……兄上みたいに、うまくできません……いまでも無駄に力を使って、つかれちゃうんです……」
「私になろうとしなくてもいいだろう。小慧は、小慧なんだから」
「空の上から人が争っているのを見て、かなしくなります……」
「それは小慧が、やさしい子だからだよ」
じぶんを責める黒慧を抱きとめ、言葉を受けとめる黒皇。
「空にいるときはみんなの太陽でも、ここにいる小慧は、私の、私だけの弟だ」
「……あに、うえ」
「小慧の気持ちを教えて」
私の前ではがんばらなくてもいい。
おだやかな言葉が、黒慧の張りつめた緊張を断ち切る。
「……かえってきて、ほしかった」
兄と向き合った黒慧の黄金の瞳から、ひとすじの雫がつたう。
「いつもみたいに笑って、うまくできたら『よくがんばったね』って、ほめてほしかった……」
「……うん」
「かなしかった、つらかった……ひとりで、さびしかった……だめなんです。僕には兄上がいなくちゃ、だめなんです……慧の兄上は、皇兄上だけなんです……っ」
「私も……小慧がだいすきだよ」
「っ……兄上、あにうえっ……あいたかった! さびしいのはいやです! もう慧をひとりにしないでっ! おねがいだからっ……!」
「しない。絶対にしない」
「あにうえぇっ……うぅ、あぁあ、わぁああん!」
ながい間、独りで耐えてきたのだろう。
せき止めていたものをすべてあふれさせ、幼子のように泣きじゃくる黒慧を、黒皇はきつく抱きしめる。
「よくがんばってきたね。立派になって……もっと自信をもちなさい。小慧は私の、自慢の弟なんだから」
それは殺し文句というやつだろう。
黒慧も「ふぇえっ……!」と声をひっくり返したかと思うと、黒皇の胸に顔をぐりぐりとこすりつける。
「兄弟の絆かぁ……私まで泣けてきちゃうね」
ふたりきりにしてあげるべきだろう。
そっと室を後にしようときびすを返す早梅ではあったが、くん、と引っ張られる感触が。
「……どこへいくんですか? 梅雪さま」
「んっ?」
黒慧だった。ぐすぐすと黒皇へ泣きつきながらも、片手で早梅の袖をしっかりとにぎりしめている。
「慧をおいていかないでください……」
「うぐっ……!」
潤んだ瞳で懇願される。それも上目遣いで。
(あ、これ、置き去りにしたら号泣されるやつ)
現状の把握にいたった早梅の変わり身は早かった。
「なにを言ってるんだい。私はここにいるよ?」
「……ほんとうに?」
「もちろん!」
「うれしいですっ……!」
「ぐぇっ」
気づいたときには、ぱぁと瞳を輝かせた黒慧に、飛びつかれていて。
「やさしい梅雪さま、ぎゅってしてくれる梅雪さま……すき、もうだいすき。ずっとここにいてください。慧のこと、もっとさわってください……」
「あわわわ……」
なんだろう。すごく懐かれている。そしてものすごくほおずりをされている。大したことはしていないはずなのだが。
「こんなこと思うの、梅雪さまだけなんですから……ね?」
「あざとい!」
どうせそれも、無自覚の発言なんだろう。兄ともども、とんでもない烏だ。
(とりあえず……黒皇、ほほ笑ましげに見てないで、助けてくれ)
ぎゅむぎゅむと黒慧に抱きしめられながら、途方に暮れる早梅なのであった。
そっと床へおろされるころ、呆けたような黄金の双眸が黒皇へ向けられていた。
黒皇が口をひらこうとしたそのとき、はじかれたように身をひるがえした黒慧が、引っつかんだ枕を放り投げるではないか。
「出て行ってください!」
腕でふさぐ黒皇。床に落ちる枕。
「小慧」
「あなたとお話しすることはありません、出て行って!」
「聞いて、小慧」
「いやだ、僕は……っ」
黒慧があとずされば、黒皇が踏み込む。
歩幅は、黒皇のほうが大きい。
「独りにさせて……ごめん」
黒皇が伸ばした腕は、とどいた。
「っ……見放されたのだと、思ってたんですよ」
こわばる唇からつむがれた言葉は、いまにも消えてしまいそうなほどだ。
「兄上たちがいなくなって、でも僕、『おつとめ』の仕方なんて、ひとつもわからなくて……」
「私が、教えてあげなかったから」
「なにかわかるかもしれないと思って、皇兄上のお部屋に行って、報告書を見ました。そうしたら、『小慧に行かせるべきではない』と、書かれていて……」
「まだおさない小慧に、つらいお役目を背負わせたくなかったんだ」
「なんにも期待されてないって、役立たずだから置き去りにされたんだ、見返してやるって、そう思ってたのに……僕は、一体僕は、これまでなにを恨んでいたんですか!」
「私が小慧を置き去りにしたことは事実だ」
「それでも! 僕が余計なことをしなければ、皇兄上たちが金玲山の外へでることはなかった! 僕が餓鬼を倒せるくらい強かったら、俊兄上たちが犠牲になることもなかったんです! 僕のせいなんです!」
「それは違うだろう、小慧!」
耳をふさぐ弟の手を、黒皇がさらう。
「たしかに私たちは、許されない罪を犯した。けれど家族を想う気持ちまで罪に問われるの? そうじゃないだろう?」
──小慧が苦しんでいたら、とても悲しいです。
その言葉どおり、黒皇は歩み寄る。
これ以上悲しみを連鎖させないために。
「翼を貫かれ、地上に墜ちても、空を見上げない日は一日たりともなかった。そこに小慧がいたから」
「でも僕……兄上みたいに、うまくできません……いまでも無駄に力を使って、つかれちゃうんです……」
「私になろうとしなくてもいいだろう。小慧は、小慧なんだから」
「空の上から人が争っているのを見て、かなしくなります……」
「それは小慧が、やさしい子だからだよ」
じぶんを責める黒慧を抱きとめ、言葉を受けとめる黒皇。
「空にいるときはみんなの太陽でも、ここにいる小慧は、私の、私だけの弟だ」
「……あに、うえ」
「小慧の気持ちを教えて」
私の前ではがんばらなくてもいい。
おだやかな言葉が、黒慧の張りつめた緊張を断ち切る。
「……かえってきて、ほしかった」
兄と向き合った黒慧の黄金の瞳から、ひとすじの雫がつたう。
「いつもみたいに笑って、うまくできたら『よくがんばったね』って、ほめてほしかった……」
「……うん」
「かなしかった、つらかった……ひとりで、さびしかった……だめなんです。僕には兄上がいなくちゃ、だめなんです……慧の兄上は、皇兄上だけなんです……っ」
「私も……小慧がだいすきだよ」
「っ……兄上、あにうえっ……あいたかった! さびしいのはいやです! もう慧をひとりにしないでっ! おねがいだからっ……!」
「しない。絶対にしない」
「あにうえぇっ……うぅ、あぁあ、わぁああん!」
ながい間、独りで耐えてきたのだろう。
せき止めていたものをすべてあふれさせ、幼子のように泣きじゃくる黒慧を、黒皇はきつく抱きしめる。
「よくがんばってきたね。立派になって……もっと自信をもちなさい。小慧は私の、自慢の弟なんだから」
それは殺し文句というやつだろう。
黒慧も「ふぇえっ……!」と声をひっくり返したかと思うと、黒皇の胸に顔をぐりぐりとこすりつける。
「兄弟の絆かぁ……私まで泣けてきちゃうね」
ふたりきりにしてあげるべきだろう。
そっと室を後にしようときびすを返す早梅ではあったが、くん、と引っ張られる感触が。
「……どこへいくんですか? 梅雪さま」
「んっ?」
黒慧だった。ぐすぐすと黒皇へ泣きつきながらも、片手で早梅の袖をしっかりとにぎりしめている。
「慧をおいていかないでください……」
「うぐっ……!」
潤んだ瞳で懇願される。それも上目遣いで。
(あ、これ、置き去りにしたら号泣されるやつ)
現状の把握にいたった早梅の変わり身は早かった。
「なにを言ってるんだい。私はここにいるよ?」
「……ほんとうに?」
「もちろん!」
「うれしいですっ……!」
「ぐぇっ」
気づいたときには、ぱぁと瞳を輝かせた黒慧に、飛びつかれていて。
「やさしい梅雪さま、ぎゅってしてくれる梅雪さま……すき、もうだいすき。ずっとここにいてください。慧のこと、もっとさわってください……」
「あわわわ……」
なんだろう。すごく懐かれている。そしてものすごくほおずりをされている。大したことはしていないはずなのだが。
「こんなこと思うの、梅雪さまだけなんですから……ね?」
「あざとい!」
どうせそれも、無自覚の発言なんだろう。兄ともども、とんでもない烏だ。
(とりあえず……黒皇、ほほ笑ましげに見てないで、助けてくれ)
ぎゅむぎゅむと黒慧に抱きしめられながら、途方に暮れる早梅なのであった。
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