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第三章『焔魔仙教編』

第百二十二話 琥珀の笑み【後】

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 朝食が美味しかった。困ったことに、それ以外の言葉が思いつかない。
 野菜を細かくきざんだ蓮虎リェンフーの離乳食まで用意されていたのをみたときは、どうしようかと思った。
 食後の杏仁豆腐やお茶まで、いたれりつくせり。

一心イーシンさまを警戒しろって、無理があるのでは?」

 早い話が、すっかり好感度という名の胃袋をつかまれてしまった早梅はやめである。
 ちょろいとか言ってはいけない。どこぞの年下上司ならともかく。

「食べ物に感謝するくらいならいいよね、べつに求婚を受け入れたわけじゃないんだし!」
「なんですって?」
「独り言だよー! おーよしよし小蓮シャオリェン、おなかいっぱいだねぇ、おねむだねぇ」
「あぅ、んぅぅ……」

 壁に耳あり障子に目あり、ふり返った庭に黒皇ヘイファンありだ。
 とっさに笑顔をつくろった早梅は、ボロがでないうちに黒皇へあずけていたわが子を引き取って、あやす。

「かわいいですねぇ。僕まで笑顔になっちゃいます」
「わっ……」

 油断していた。いつの間にか、一心が蓮虎をのぞき込んでいたのである。気配がなかったのだが。

「だ・か・ら! てめぇはいちいち近ぇんだよ、にゃん小僧! あっちこっちからニョキニョキ生えてきやがって、たけのこか!」
フォンおじいさま、小蓮が起きてしまいます……!」
「うぐっ……」

 すかさず晴風チンフォンが威嚇するも、早梅の抗議に口をつぐむしかない。

「お祖父さまは、面白いことをおっしゃる方ですねぇ。ふふっ」

 かたや、声をひそめてほほ笑む一心。
 晴風のほうが何百倍もながく生きているはずだが、精神年齢は一心のほうが上のようだ。

梅雪メイシェお嬢さまとおぼっちゃまにご用でしょうか、一心さま」

 ちなみに黒皇はというと、早梅も見たことのない真顔だった。
 間違いない、あれは悟りをひらいている顔だ。

「用がないと、話しかけちゃだめかな?」
「内容によるかと」
「手厳しくなったねぇ、黒皇?」

 眉を八の字に下げて肩をすくめてみせる一心も、次の瞬間にははにかんで、朗々と告げる。

「梅雪さん方はこちらがはじめてだし、みんなに紹介したいなと思って」
マオ族のみなさまに、ですか?」
「えぇ。みんな梅雪さんにごあいさつしたくて、うずうずしているんですよ。おいで、八藍バーラン九詩ジゥシー

 おもむろにふり返った一心が声をかける。
 すると、ちょうど屋敷の軒下の物陰から顔をだしていた『彼ら』と、ぱっちり目があう。黒とキジトラ。二匹の子猫だ。

「おやまぁ、かわいい猫ちゃんだこと」

 ほぼ無意識のつぶやきだったのだが、それを聞いたとたん、まんまるな瞳を輝かせた子猫たちが、たっと短い前足で地面を蹴った。

 とててて、と軽快に駆ける子猫があと一歩のところまでやってきたとき、微風が吹いて、またたく間におさない少年たちがすがたを現した。

「一心さま、お客さまですね」
「じょせいのかたです、お姫さまです」
「そうだよ。前に話していた梅雪さんだ。ほら、ごあいさつして?」
「はい、ごあいさつします。はじめまして、お姫さま。おれは八藍です」
「お姫さま、お姫さま、ぼくは九詩です、よろしくおねがいします!」

 黒髪の少年が八藍、茶髪に黒毛の混じった少年が九詩というらしい。一心に言われたとおり、ふたりそろってぺこりとお辞儀をしている。
 見たところ、七、八歳くらいだろうか。なんともほほ笑ましい。

「はじめまして、私は梅雪。この子は蓮虎。よろしくね?」

 蓮虎を抱き直してひざを折り、小柄な少年たちと目線をあわせたなら、わぁ、と歓声があがる。

「お姫さまだぁ……」
「お姫さまだねぇ……」
「うん?」

 心なしか、八藍と九詩の薄緑の瞳が、潤んでいるような気が。
 それに先ほどから『お姫さま』としきりにくり返しているのは、なぜだろうか。

「梅雪さん、よろしければ、この子たちと遊んであげてくださいませんか?」
「えぇ、もちろん、よろこんで」
「きゃあ!」
「ばか九詩! 赤ちゃんおきちゃう!」
「八藍も声おっきいよ!」

 きゃいきゃいと、少年たちがはしゃいでいる。

「まぁ、こどもだしなぁ」

 一心はさておき、さすがの晴風も、無邪気な幼子を前にして警戒心をといたようだ。

「お姫さま、川におさかなをみにいきましょう!」
「ぼく、お姫さまにお花をあげたいです!」
「おやおや。はは、順番にねぇ。それと私はお姫さまじゃなくて、梅雪だよ」

 天真爛漫な少年たちに袖をひかれるかたちで、歩きだす早梅。そのあとに続こうとした黒皇だったが──

「おっと、君はこっちだよ」
「……一心さま」
「そんなにこわい顔をしないで。ちょっと頼みごとをされてくれないかな?」

 言うまでもなく、引きとめたのは一心である。彼のいう『頼みごと』がたいていろくなものではないことを、身をもって知っている。
 じとりと黄金のまなざしをよこす黒皇へ、一心はあくまではにかみを返す。

「離れのほうに、お茶を届けてほしくて」
「どなたがいらっしゃるのですか?」
「行けばわかると思うよ」

 のらりくらり。それは、答えていないこととおなじではないだろうか。
 ちらとふり返れば、晴風と目があう。「ま・か・せ・と・け」と唇を読むことができた。

「かしこまりました。すぐに済ませてまいります」
「ふふっ、すぐに帰ってこれるかなぁ」
「……どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ」

 疑念をつのらせる黒皇をよそに、琥珀色の双眸をほそめた一心が、わらう。

「善は急げ、だ。行ってらっしゃい、黒皇」
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