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第三章『焔魔仙教編』
第二百四話 胡蝶之夢【後】
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「駄目かそうじゃないかで言ったら、余裕で駄目だろ。安易に命を奪う行為は、俺たちの理念に反する」
六夜はととのった眉根を寄せ、毅然とした態度で、憂炎を見据える。
「猫族のみなさまは、そうでしょうね。ですがわたしたち狼族は、『獬幇』を脱退した身です」
善のおこないを絶対とする『獬幇』とは、なんの関わりもなくなるということ。
ゆえに、非難の言葉を受けても、憂炎は動じなかった。
「腐った果実は、そばにあるものを腐敗させていきます。その前に、削ぎ落とさなければいけないでしょう。それと同じように、必要とあらば、わたしたちは殺生も厭いません」
憂炎のいう『腐った果実』とは、獣人を迫害する人間、そして、諸悪の根源である羅飛龍のことを指しているのだろう。
六夜たち猫族も、人間へすくなからず反感を抱いたことはある。
だが憂炎の『それ』は、度の行きすぎた『殺意』だ。
「どうやら、憂炎さまとわれわれでは、考え方が根本的に異なるようですね。見境なく人を殺めるようなやり方をして、梅雪さまがお喜びになるとお思いですか」
「はっ……あははっ!」
「……なにが可笑しいのですか?」
一歩踏み込んだ五音に対して、憂炎は鼻を鳴らして嘲笑する。
これには五音も紫水晶の瞳を険しく細め、一触即発の空気がにわかに立ちこめた。
「梅雪が喜ぶかどうかですって? そんなの、肝心の梅雪が傷つけられてしまったら元も子もないじゃないですか。甘ったれた考えで敵につけ入る隙を与えて、『ごめんなさい』だなんて梅雪のお墓の前で泣いて後悔しても、遅いんですよ」
燃えたぎる炎のごとく、憂炎は爛爛と柘榴の瞳をぎらつかせる。
「梅雪がまた傷つけられたら? また理不尽に蹂躙されて、犯されたら……想像するだけで吐き気がする。腸が煮えくり返るどころじゃない。なら、彼女の脅威となるものは徹底的に排除するべきだ。『敵』がいなければ、彼女が傷つくことはないんです。違いますか?」
矢継ぎ早に問いを浴びせる憂炎の殺気が、尋常ではない。
ぐ、と八藍が気圧され、歴戦の猛者である六夜や五音でさえも、びりびりと肌に痛みを感じるほどに。
「正義とか道理とかどうでもいい。わたしにとって梅雪が善で、彼女の敵はことごとく悪。梅雪がわたしのすべてなんです。梅雪に関係ないことはどうでもいいし、梅雪が笑うならなんだってする。梅雪が犬になれと言えば地面に這いつくばり、奴隷になれと言えば沓だって舐めますよ。まぁ心やさしい梅雪が、そんなことを言うわけがないのだけど」
くつくつとのどの奥で笑う憂炎の笑みは、まさに『異様』だ。
「やさしい梅雪はわたしの手が汚れることを悲しむだろうけれど、わたしが梅雪を想ってのことだって、きっとわかってくれる。どんな理不尽があっても、ほかのだれになんと言われてもわたしの味方だと言ってくれたのは、梅雪なんだから」
笑みを深めゆく憂炎の瞳の奥に、やがて恍惚とした愛欲が宿る。
「そう、わたしのことを一番理解してくれているのは梅雪で、梅雪のことを一番理解しているのはわたし──邪魔、しないでいただけますか」
ぶわり。
瞳孔をひらいた憂炎の周囲で、殺気がふくれ上がる。
「っ……父さん」
「俺より前に出るな、八藍」
もう、いつ闘いが勃発しても、おかしくはなかった。
八藍を下がらせた六夜の隣で、五音も構えの姿勢をとる。
六夜と五音。ふたりの射抜くような視線を受けてなお、憂炎は余裕の表情を崩さない。
「ふふ……いいことを教えてさしあげます。わたしが人間に対して非情を貫く理由は、『敵に情けはかけるな』というありがたいお言葉をいただいたからなんです。これは、あなた方もよくご存知の方がおっしゃっていた言葉ですよ?」
そのとき、はたと気づいたように身じろぐ五音。すぐに、不快感で眉根を寄せた。
「……旭月のことをおっしゃっているのでしたら、悪趣味、という感想しかいだけませんね」
「旭月? あぁ、猫族のみなさまは名前をいくつも持っているんでしたか。どうぞ、解釈はお好きなように。でも、最後にひとつだけ」
「──!」
五音の左肩すれすれを、突風が吹き抜ける。
憂炎の右手から放たれた蒼い衝撃波が、風に舞い上げられた五音の茶黒の髪のひとふさを、はらり、と切り離す。
「梅雪がだれのものか、くれぐれも、勘違いなさらないでくださいね。あまりに滑稽なご冗談ばかりおっしゃられますと、可笑しすぎて……手が滑ってしまいそうになります」
「憂炎さま……」
反応が、できなかった。
憂炎が剣気による攻撃をわざと外さなければ、今ごろ、首が飛んでいただろう。
おのれの不甲斐なさに唇を噛む五音は、憂炎の行動の本当の意味を、その直後、追い討ちのごとく思い知らされることとなる。
「ぐぁああっ!」
背後で響きわたった、絶叫。
五音、そして六夜らが反射的にふり返った先で、右肩から鮮血を噴き上げる警備兵のすがたがあった。
その足もとには、根もとから斬り離された片腕が、ごろりと転がっている。
「コソコソとなにをしているのかと思えば、やれやれ……」
これみよがしに、憂炎が肩を竦めてみせる。
憂炎と対峙していた五音たちは、警備兵の存在に気がつかなかった。
だが憂炎は、五音の背後、建物の柱の影に隠れた警備兵に、気づいていたのだ。
「うっ、ぐぅ……こ、皇帝陛下に、おしらせ、を……!」
肩からとめどなく血をあふれさせる警備兵は、残る左腕で、気力を振り絞り、鷹を飛ばそうとしている。
「野郎、皇帝に伝書鷹を飛ばす気か!」
「させるものか……っ!」
鷹の足に括りつけられた伝書には、十中八九、『離宮を襲った犯人』の特徴が記されているだろう。
瞬時に状況を理解し、身を翻す六夜と五音。
が、そんなふたりの前に、とっ……と憂炎が降り立った。
瞬間移動と言っても過言ではない、軽功だ。
「邪魔ですよ。ちょっとすっこんでてもらえますか。わたしが燃やしたほうが早いです」
「言ってくれるじゃねぇか……!」
苛立ちを隠しもしない憂炎。
憂炎の一方的な物言いに、ついに六夜も我慢の限界に達する。
「書功──」
五音も怯むことなく、筆を手に、敵の妨害をこころみる。
そして、緊迫の一瞬後。
「ヒギィッ!」
今にも飛び立とうと翼を広げた伝書鷹が、声を上ずらせたかと思えば、こま切れになった。
まさに、一瞬の出来事だった。
「…………な」
手のひらに蒼い炎を浮かべた憂炎でさえも、柘榴の瞳を見ひらいて、絶句する。
「ど、どういうことだ!? なぜっ……ぎゃあああっ!!」
ついで、錯乱する警備兵の頭、肩、背、大腿にピ……と赤い切れ目が入り、切り離される。
耳を裂くような断末魔。全身をバラバラにされた警備兵が事切れるさまを、憂炎たちはただただ、呆然と目の当たりにした。
やがて訪れる静けさ。
だが、夜闇にヒュンヒュンとこだまするのは、風の啼き声ではない。
「……なぁ五音、こりゃあ……」
六夜からの呼び声に、なかば呆けたまま、五音はうなずく。
猫族は夜目がきく。それゆえ、伝書鷹と警備兵をバラバラにしたものがなんだったのか、辛うじてだが、視認することができたのだ。
「間違いない、これは──」
その存在を、だれよりもよく知っていた五音は、確信を得た。
「……同じだ」
瞳を輝かせる猫族らの隣で、憂炎は混乱の真っ只中であった。
つい先日、繁華街の路地裏でも目にした。
見覚えがある。これほどまでに鮮烈な光景を、忘れるはずがない。だが。
「……まさか、そんなはずは」
これはあり得ないことなのだ。
「……紫、哥哥……?」
唯一、憂炎が尊敬していた彼はもう、この世にはいないはずなのだから。
六夜はととのった眉根を寄せ、毅然とした態度で、憂炎を見据える。
「猫族のみなさまは、そうでしょうね。ですがわたしたち狼族は、『獬幇』を脱退した身です」
善のおこないを絶対とする『獬幇』とは、なんの関わりもなくなるということ。
ゆえに、非難の言葉を受けても、憂炎は動じなかった。
「腐った果実は、そばにあるものを腐敗させていきます。その前に、削ぎ落とさなければいけないでしょう。それと同じように、必要とあらば、わたしたちは殺生も厭いません」
憂炎のいう『腐った果実』とは、獣人を迫害する人間、そして、諸悪の根源である羅飛龍のことを指しているのだろう。
六夜たち猫族も、人間へすくなからず反感を抱いたことはある。
だが憂炎の『それ』は、度の行きすぎた『殺意』だ。
「どうやら、憂炎さまとわれわれでは、考え方が根本的に異なるようですね。見境なく人を殺めるようなやり方をして、梅雪さまがお喜びになるとお思いですか」
「はっ……あははっ!」
「……なにが可笑しいのですか?」
一歩踏み込んだ五音に対して、憂炎は鼻を鳴らして嘲笑する。
これには五音も紫水晶の瞳を険しく細め、一触即発の空気がにわかに立ちこめた。
「梅雪が喜ぶかどうかですって? そんなの、肝心の梅雪が傷つけられてしまったら元も子もないじゃないですか。甘ったれた考えで敵につけ入る隙を与えて、『ごめんなさい』だなんて梅雪のお墓の前で泣いて後悔しても、遅いんですよ」
燃えたぎる炎のごとく、憂炎は爛爛と柘榴の瞳をぎらつかせる。
「梅雪がまた傷つけられたら? また理不尽に蹂躙されて、犯されたら……想像するだけで吐き気がする。腸が煮えくり返るどころじゃない。なら、彼女の脅威となるものは徹底的に排除するべきだ。『敵』がいなければ、彼女が傷つくことはないんです。違いますか?」
矢継ぎ早に問いを浴びせる憂炎の殺気が、尋常ではない。
ぐ、と八藍が気圧され、歴戦の猛者である六夜や五音でさえも、びりびりと肌に痛みを感じるほどに。
「正義とか道理とかどうでもいい。わたしにとって梅雪が善で、彼女の敵はことごとく悪。梅雪がわたしのすべてなんです。梅雪に関係ないことはどうでもいいし、梅雪が笑うならなんだってする。梅雪が犬になれと言えば地面に這いつくばり、奴隷になれと言えば沓だって舐めますよ。まぁ心やさしい梅雪が、そんなことを言うわけがないのだけど」
くつくつとのどの奥で笑う憂炎の笑みは、まさに『異様』だ。
「やさしい梅雪はわたしの手が汚れることを悲しむだろうけれど、わたしが梅雪を想ってのことだって、きっとわかってくれる。どんな理不尽があっても、ほかのだれになんと言われてもわたしの味方だと言ってくれたのは、梅雪なんだから」
笑みを深めゆく憂炎の瞳の奥に、やがて恍惚とした愛欲が宿る。
「そう、わたしのことを一番理解してくれているのは梅雪で、梅雪のことを一番理解しているのはわたし──邪魔、しないでいただけますか」
ぶわり。
瞳孔をひらいた憂炎の周囲で、殺気がふくれ上がる。
「っ……父さん」
「俺より前に出るな、八藍」
もう、いつ闘いが勃発しても、おかしくはなかった。
八藍を下がらせた六夜の隣で、五音も構えの姿勢をとる。
六夜と五音。ふたりの射抜くような視線を受けてなお、憂炎は余裕の表情を崩さない。
「ふふ……いいことを教えてさしあげます。わたしが人間に対して非情を貫く理由は、『敵に情けはかけるな』というありがたいお言葉をいただいたからなんです。これは、あなた方もよくご存知の方がおっしゃっていた言葉ですよ?」
そのとき、はたと気づいたように身じろぐ五音。すぐに、不快感で眉根を寄せた。
「……旭月のことをおっしゃっているのでしたら、悪趣味、という感想しかいだけませんね」
「旭月? あぁ、猫族のみなさまは名前をいくつも持っているんでしたか。どうぞ、解釈はお好きなように。でも、最後にひとつだけ」
「──!」
五音の左肩すれすれを、突風が吹き抜ける。
憂炎の右手から放たれた蒼い衝撃波が、風に舞い上げられた五音の茶黒の髪のひとふさを、はらり、と切り離す。
「梅雪がだれのものか、くれぐれも、勘違いなさらないでくださいね。あまりに滑稽なご冗談ばかりおっしゃられますと、可笑しすぎて……手が滑ってしまいそうになります」
「憂炎さま……」
反応が、できなかった。
憂炎が剣気による攻撃をわざと外さなければ、今ごろ、首が飛んでいただろう。
おのれの不甲斐なさに唇を噛む五音は、憂炎の行動の本当の意味を、その直後、追い討ちのごとく思い知らされることとなる。
「ぐぁああっ!」
背後で響きわたった、絶叫。
五音、そして六夜らが反射的にふり返った先で、右肩から鮮血を噴き上げる警備兵のすがたがあった。
その足もとには、根もとから斬り離された片腕が、ごろりと転がっている。
「コソコソとなにをしているのかと思えば、やれやれ……」
これみよがしに、憂炎が肩を竦めてみせる。
憂炎と対峙していた五音たちは、警備兵の存在に気がつかなかった。
だが憂炎は、五音の背後、建物の柱の影に隠れた警備兵に、気づいていたのだ。
「うっ、ぐぅ……こ、皇帝陛下に、おしらせ、を……!」
肩からとめどなく血をあふれさせる警備兵は、残る左腕で、気力を振り絞り、鷹を飛ばそうとしている。
「野郎、皇帝に伝書鷹を飛ばす気か!」
「させるものか……っ!」
鷹の足に括りつけられた伝書には、十中八九、『離宮を襲った犯人』の特徴が記されているだろう。
瞬時に状況を理解し、身を翻す六夜と五音。
が、そんなふたりの前に、とっ……と憂炎が降り立った。
瞬間移動と言っても過言ではない、軽功だ。
「邪魔ですよ。ちょっとすっこんでてもらえますか。わたしが燃やしたほうが早いです」
「言ってくれるじゃねぇか……!」
苛立ちを隠しもしない憂炎。
憂炎の一方的な物言いに、ついに六夜も我慢の限界に達する。
「書功──」
五音も怯むことなく、筆を手に、敵の妨害をこころみる。
そして、緊迫の一瞬後。
「ヒギィッ!」
今にも飛び立とうと翼を広げた伝書鷹が、声を上ずらせたかと思えば、こま切れになった。
まさに、一瞬の出来事だった。
「…………な」
手のひらに蒼い炎を浮かべた憂炎でさえも、柘榴の瞳を見ひらいて、絶句する。
「ど、どういうことだ!? なぜっ……ぎゃあああっ!!」
ついで、錯乱する警備兵の頭、肩、背、大腿にピ……と赤い切れ目が入り、切り離される。
耳を裂くような断末魔。全身をバラバラにされた警備兵が事切れるさまを、憂炎たちはただただ、呆然と目の当たりにした。
やがて訪れる静けさ。
だが、夜闇にヒュンヒュンとこだまするのは、風の啼き声ではない。
「……なぁ五音、こりゃあ……」
六夜からの呼び声に、なかば呆けたまま、五音はうなずく。
猫族は夜目がきく。それゆえ、伝書鷹と警備兵をバラバラにしたものがなんだったのか、辛うじてだが、視認することができたのだ。
「間違いない、これは──」
その存在を、だれよりもよく知っていた五音は、確信を得た。
「……同じだ」
瞳を輝かせる猫族らの隣で、憂炎は混乱の真っ只中であった。
つい先日、繁華街の路地裏でも目にした。
見覚えがある。これほどまでに鮮烈な光景を、忘れるはずがない。だが。
「……まさか、そんなはずは」
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