社則でモブ専ですが、束縛魔教主手懐けました〜悪役武侠女傑繚乱奇譚〜

はーこ

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第三章『焔魔仙教編』

第二百二十七話 蘇りし者【前】

 反射的に、身を反転させるシュン
 紅白の蓮が浮かぶひろい池の中央に、人影があった。

 漆黒と翡翠の瞳を細めた迅は、相手の情報をすばやく把握する。笠をまぶかにかぶり華奢な体躯をした、迅よりも小柄な人物であった。
 絹のころもだろうか。質のいい紫色の襦裙じゅくんは女物だが、正体不明の人物は、女にしては長身だ。
 夜風にふわりと紫の裾をなびかせながら、水面にたたずむそのさまは、只者ではない。

「何者だ」

 突如姿を現した謎の人物は、迅の問いに答えない。

「死んだ者の魂はどこへ向かうのか、考えたことはあるかしら」

 脈絡もない問いが投げかけられ、迅は怪訝に眉をひそめた。

「死者の魂が向かう場所、それはね、天界なんかじゃないわ。ことごとく、地獄よ」

 美しい女の声を紡いだ人物が、絹のくつで一歩、音もなく蓮池に波紋をひろげる。

「死者はみな生前の所業をもとに、地獄の魔王さま──木霞帝君ぼっかていくんから、沙汰をくだされるの」

 息を飲む黒皇ヘイファン。そんな黒皇に寄り添い、早梅はやめはただ、夢中で目前の光景を見つめた。

「面白い話だな。何かの芸の演目か? 死後のことなんて、誰もわからない。いくらでも作り話ができるだろ。死んで生き返る人間なんていないんだからな」
「んふふっ! そうね、お兄さんの言うとおりだわ」

 女は口もとに袖を当て、可笑しげに肩を震わせる。

「死んで生き返るは、いないってね」

 ヒュウ、と夜風がく。
 迅がまばたきをしたその先に、女の姿はなかった。

 ヒュンと風を切る音の直後、表皮を裂かれるような感覚があり、迅の視界の端で細かな血しぶきが舞った。
 刹那のうちに、左のほほを切り裂かれていたのだ。

「アハハッ! きれいなお顔に傷をつけてごめんなさいねぇ、お兄さん!」
「こいつ……」

 驚くべきことに、女は一瞬で迅の背後を取っていた。
 迅が身をひねる軌道で腰の剣を振り抜けば、それすらも、軽やかな跳躍でかわしてしまう。
 女は迅の攻撃を見切っていたが、女があつかう肝心の得物は、迅の視覚に捉えることはできなかった。

「女の子にはやさしくしなきゃ。乱暴は、やぁよ?」

 ひらり、ひらり。
 まるで遊ぶかのように迅の攻撃をかわしていた女が、体重を感じさせない軽やかさで、水面の蓮葉に降り立つ。

「刃によるものではない、視認の困難な鋭利な武器……あぁ、面倒なやつが、なんでこう何人もいるんだよ」

 迅はおのれを襲った凶器のことを、正しく理解したのだろう。舌打ちをもらし、空鼠そらねず色の髪を苛立たしげに掻き回す。

「あら、あんただって散々、あたしの癪にさわることしてるじゃない?」

 女の声は可笑しげに震えながらも、周囲を凍てつかせるほどの寒々しさだ。
 迅はたちまち、肌を刺すような気迫に見舞われた。

「問答無用でバラバラにされなかっただけ、感謝してほしいもんだわ」

 おもむろに華奢な右腕を持ち上げた女が、くい、と笠をずらす。ゆるやかな三日月を描いた、かたちのいい唇がのぞいた。

「まぁ、切り刻むくらいじゃ、生ぬるいからな」

 ぷるりとした唇から次に紡がれたのは、女の声音ではなかった。

「俺の妹にちょっかいを出したこと、死にたくなるくらい、後悔させてやるよ」

 ぱさりと放られた笠が、水面に落ち、夜風に流されゆく。

「あぁ……」

 たまらず感嘆がもれ、目頭が熱くなるのを、早梅はこらえられない。

 風になびく、すず色の髪。
 透きとおった藍玉らんぎょくの双眸。
 女人と見まごう、美しき青年。

 彼のことを、見まごうはずがない。

紫月ズーユェ、兄さま……っ!」

 うしなった命。
 二年前、猛火に飲み込まれた街で、潰えたはずのともしび。
 それが今、目の前に。

「なんて顔してる。可愛い顔がもったいないぞ、梅雪メイシェ──俺の可愛い、梅梅メイメイ?」

 兄が、最愛のひとが、記憶の中と寸分たがわぬ笑みをたたえて、そこにいた。
 たしかな命が、そこに在った。

「紫月さま……なのですか? 本当に……?」

 たまらず、といったように、黒皇が声をあげる。だが、どう言葉を続けていいのかわからないのか。黄金の瞳をゆらめかせながら、唇を噛みしめている。

「なんだ黒皇、辛気くさい顔してんなよ。俺といい勝負の男前が、台無しだぞ」
「っ、紫月さま……紫月さまっ!」
「あーわかった、おまえがいろいろと言いたいことがあるのは、わかったから! 積もる話はあとでな。そこで梅雪といいこにしてろ、わかったな?」

 黒皇が今にも飛び出してきそうなので、さすがの紫月も慌てて押しとどめ、そう言い含めた。
 ぐっとこらえた黒皇は、紫月の言葉にうなずく。

「紫月……」

 岸辺に立ち尽くした桃英タオインが、うわごとのように紫月を呼ぶ。
 紫月は桃英へ向き直ると、はにかんだ。照れくさそうに。

「はい、ただいま戻りました……父上」
「っ……!」

 万感の想いがあふれ、それでもこぶしを握りしめることしかできない桃英の手を、二星アーシンがそっと、両手で包み込んだ。

「おかえりなさい、私たちのかわいい子」
「ただいま、母さん。一心イーシンさまも、ひさしぶり」
「信じて、待ってたよ。おかえり」
「あぁ。地獄の果てから、戻ってきたよ」

 二星譲りの美しい笑みをほころばせた紫月は、一心と言葉を交わすと、最後に早梅のもとへ視線を戻した。
 早梅のそばには、柘榴の瞳に極限まで丸みをおびさせた憂炎ユーエンが、立ち尽くしている。
 
「で、そこにいるのが、あのちび助か」
「……紫哥哥ズーおにいちゃん、なの?」
「はっ、だからそうだって言ってんだろ。背だけは無駄に伸びやがって、アホ面は変わらんな」
「やっぱり哥哥は、いじわるだ」

 平生は隙を見せない憂炎ではあるが、紫月を前に唇を尖らせるさまからは、年相応のあどけなさがにじみ出る。
 それほど憂炎が紫月に気を許しているという、あかしなのだろう。

(あぁ……こんなにも多くのひとに愛されて、慕われていて。これが、紫月の繋いできたもの。紫月が結んだ、えにしなんだね)

 なんとまぶしいひとなのだろう。
 紫月という存在が、早梅の目に、あざやかに焼きつけられた。

「感動の再会もこのくらいにして。遠慮なくやっていいんだろ、一心さま?」
「あぁ、もちろん。僕たちが『獬幇かいほう』の一員であったとしても、は、遵守すべき理念の範囲外のことだからね」

 紫月や一心は、いったい何を言っているのか。
 早梅はそれを、間もなく知ることとなる。

「『マオ族の機密事項を、みだりに外部へもらしてはならない』──一族の掟にしたがい、族長として命じます」
「無遠慮に猫族の秘密にふれたあの人間を、五体満足で生かしておくな、だろ。はっ……腕が鳴るなぁ!」

 好戦的な笑みを浮かべた紫月は、藍玉の瞳で、迅を捉えた。

「俺がおまえを、地獄に墜としてやるよ!」
 
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