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*12* さむいはこわい
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「顔を、洗ってくるよ」
ㅤ死にかけの表情筋をかき集めて、笑みをかたち作る。
まんまるとした瞳に見つめられるのはどうにも落ち着かず、当たり障りのない理由を取ってつけて立ち去った、はずだった。
「咲くんやい」
「……うん?ㅤどうし、」
「先に謝っとくね、めんご。――とりゃっ!」
「っひ!」
ㅤ努めて平静を装っていたのに、情けなく声がひっくり返る。
だって考えてもみてほしい。背を向けたとたん、背後から両脇に手を差し込まれたんだ。
もう一度言う。
脇に、手を、差し込まれた。
「え、と…………?」
「すんません。無防備な脇があったもので、つい。まぁ簡易検温法とでも思って」
「外気温だったり体動に左右されるので、腋窩検温は口腔と比べて、信頼性は低いかと……」
「すごい咲くん、お医者さんみたいなこと言うね」
「……ってはとちゃんが言ってた」
「言いましたね、そういえば」
ㅤはとちゃんは不思議な子だけど、今日は特に考えが読めない。
そうやって、突然の強襲に驚いて振り返ってしまったのが、俺の運のつき。
ㅤ真顔で脇から手を引いたはとちゃんが、にっと笑う。
「んー、たしかに熱はないね。よかったよかった」
ㅤ腕を引かれたかと思えば、ひたり。
額にふれる感触。ふわふわと頬をくすぐる、藍色鳩羽の髪。
ゼロ距離でまぶしい笑顔を炸裂させられて、無傷なわけがなかった。
ㅤ俺をぐるぐるに絡め取っていた、理性とか、常識とか、すべてのものが、あっけなくリセットされる。
耐えて耐えて、ピンと張り詰めた糸なんて、あとはぷつんと、真っ二つにちぎれるだけ。
「――ッ!!」
「んわわっ?」
ㅤ……引き留めたのは、きみだから。
ㅤ自分を合理化する俺は、開き直ってさえいた。だから、額をくっつけていた女の子の手を振りほどいて、力任せに引き寄せる。
「ふぇぇ……咲くん、細腕のどこに、そんなパワーを秘めて」
「ごめん」
「なかみ、はとこの中身が、でちゃいます」
「ごめん、ちょっと静かにして」
「ウッス……」
ㅤ残念だけど、手加減をしてあげられる余裕は一切ない。
求めていたものがここにあるのに、みすみす逃がしてなどやるものか。
ㅤ一分の隙もないくらい腕を絡めて、細い首筋に鼻先をうずめる。
とくん、とくん、とくん。
頸動脈の拍動が、左の頬にふれた。心臓のおと。俺がいまこの腕に閉じ込めている、いのち。
ㅤたとえばここに噛みついて、薄い皮膚を突き破ってしまうだとか、どうとでもしてしまえる。
俺の、この手で。
その〝もしも〟をひとたび思い描いてしまえば、得も言われぬ高揚感に、身体の芯から奮い立つ。
ㅤとどのつまり、俺はどうかしていたんだ。
はとちゃんの、綿菓子みたいにふわふわ甘い女の子の香りが、何故かいつもより濃い。
クラクラする。それは、酩酊にも似た状態。
これ以上は駄目だとわかっていても、止められない。
もっと彼女で満たされたい。
浅くなる呼吸で、白い皮膚の放熱ごと吸い込む。
ㅤ浴びるように酔いしれて、あふれるほど満たされたからだろうか。
ふと、冷静になった。
直後襲いかかるのは、当然ながら自己嫌悪。
「ご、ごめ……!」
ㅤいきなり女の子に抱きついて、においを嗅ぐとか……俺は変態か。
最低だ……後悔しても、起きてしまったことは言い訳できない。
ㅤきら、われた。
絶対、嫌われた……いやだ、嫌だ、嫌だ、嫌だ……!
ㅤ全身から血の気が引く。頭はぐちゃぐちゃ。
声を出そうにも喉はひゅうひゅう空吹くばかり。
俺にできるのは、震え出した腕で、みっともなくすがりつくことだけ。
「うんしょ……と」
ㅤ身をよじるはとちゃんが、この腕から抜け出そうとするのを止める権利は、俺にはない。
すきまに入り込む冴えた外気は、喪失感にも似て。
「咲くん」
ㅤ胸を押され、距離が生まれる。視線を感じる。
どんな表情がそこにあるのか、目にするのが怖い。
だけど、逃げる権利だって、俺にはないから。
それこそ最低だから、唇を噛みしめて、そろりと、伏せた視線を上げる。
ㅤ……と、同時に、そっと両頬にやわらかさを覚えた。
は……と意味を持たない音が、口からこぼれる。
だって……わからない。わからないんだ。
俺の頬を包み込んだはとちゃんが、眉を八の字に下げて、心配そうに覗き込んでいるわけが。
「もしかして、寒かった?」
「え……?」
「身体、冷えてるからさ」
ㅤその瞬間、ぽっと身体の芯に熱がともる。
羞恥というより、安堵のような、歓喜のような。
「そう……さむ、くて……さむいの、にがて、で」
ㅤさむいは……こわい。
ㅤ何故かは知らない。ただ事実としてそこにある、曖昧な恐怖だ。
ㅤ舌足らずの言葉でも、しっかり拾われていたらしい。
ひとつうなずいたはとちゃんは、「そういうことなら!」と続ける。
「冷えるときは、お風呂であったまるのが一番!ㅤさぁさ、遠慮せずにどうぞどうぞ!」
「え、あのっ、はとちゃ……!?」
「だいじょぶ、わたしがついててあげるからね!」
ㅤまったくもって、だいじょばない。
ㅤむしろ最後のひと言で追い討ちをかけられたんだけど、満面の笑みで背中を後押ししてくるはとちゃんには、自覚はないだろう。
ㅤ……ついててあげるって、どういう意味?
ㅤ死にかけの表情筋をかき集めて、笑みをかたち作る。
まんまるとした瞳に見つめられるのはどうにも落ち着かず、当たり障りのない理由を取ってつけて立ち去った、はずだった。
「咲くんやい」
「……うん?ㅤどうし、」
「先に謝っとくね、めんご。――とりゃっ!」
「っひ!」
ㅤ努めて平静を装っていたのに、情けなく声がひっくり返る。
だって考えてもみてほしい。背を向けたとたん、背後から両脇に手を差し込まれたんだ。
もう一度言う。
脇に、手を、差し込まれた。
「え、と…………?」
「すんません。無防備な脇があったもので、つい。まぁ簡易検温法とでも思って」
「外気温だったり体動に左右されるので、腋窩検温は口腔と比べて、信頼性は低いかと……」
「すごい咲くん、お医者さんみたいなこと言うね」
「……ってはとちゃんが言ってた」
「言いましたね、そういえば」
ㅤはとちゃんは不思議な子だけど、今日は特に考えが読めない。
そうやって、突然の強襲に驚いて振り返ってしまったのが、俺の運のつき。
ㅤ真顔で脇から手を引いたはとちゃんが、にっと笑う。
「んー、たしかに熱はないね。よかったよかった」
ㅤ腕を引かれたかと思えば、ひたり。
額にふれる感触。ふわふわと頬をくすぐる、藍色鳩羽の髪。
ゼロ距離でまぶしい笑顔を炸裂させられて、無傷なわけがなかった。
ㅤ俺をぐるぐるに絡め取っていた、理性とか、常識とか、すべてのものが、あっけなくリセットされる。
耐えて耐えて、ピンと張り詰めた糸なんて、あとはぷつんと、真っ二つにちぎれるだけ。
「――ッ!!」
「んわわっ?」
ㅤ……引き留めたのは、きみだから。
ㅤ自分を合理化する俺は、開き直ってさえいた。だから、額をくっつけていた女の子の手を振りほどいて、力任せに引き寄せる。
「ふぇぇ……咲くん、細腕のどこに、そんなパワーを秘めて」
「ごめん」
「なかみ、はとこの中身が、でちゃいます」
「ごめん、ちょっと静かにして」
「ウッス……」
ㅤ残念だけど、手加減をしてあげられる余裕は一切ない。
求めていたものがここにあるのに、みすみす逃がしてなどやるものか。
ㅤ一分の隙もないくらい腕を絡めて、細い首筋に鼻先をうずめる。
とくん、とくん、とくん。
頸動脈の拍動が、左の頬にふれた。心臓のおと。俺がいまこの腕に閉じ込めている、いのち。
ㅤたとえばここに噛みついて、薄い皮膚を突き破ってしまうだとか、どうとでもしてしまえる。
俺の、この手で。
その〝もしも〟をひとたび思い描いてしまえば、得も言われぬ高揚感に、身体の芯から奮い立つ。
ㅤとどのつまり、俺はどうかしていたんだ。
はとちゃんの、綿菓子みたいにふわふわ甘い女の子の香りが、何故かいつもより濃い。
クラクラする。それは、酩酊にも似た状態。
これ以上は駄目だとわかっていても、止められない。
もっと彼女で満たされたい。
浅くなる呼吸で、白い皮膚の放熱ごと吸い込む。
ㅤ浴びるように酔いしれて、あふれるほど満たされたからだろうか。
ふと、冷静になった。
直後襲いかかるのは、当然ながら自己嫌悪。
「ご、ごめ……!」
ㅤいきなり女の子に抱きついて、においを嗅ぐとか……俺は変態か。
最低だ……後悔しても、起きてしまったことは言い訳できない。
ㅤきら、われた。
絶対、嫌われた……いやだ、嫌だ、嫌だ、嫌だ……!
ㅤ全身から血の気が引く。頭はぐちゃぐちゃ。
声を出そうにも喉はひゅうひゅう空吹くばかり。
俺にできるのは、震え出した腕で、みっともなくすがりつくことだけ。
「うんしょ……と」
ㅤ身をよじるはとちゃんが、この腕から抜け出そうとするのを止める権利は、俺にはない。
すきまに入り込む冴えた外気は、喪失感にも似て。
「咲くん」
ㅤ胸を押され、距離が生まれる。視線を感じる。
どんな表情がそこにあるのか、目にするのが怖い。
だけど、逃げる権利だって、俺にはないから。
それこそ最低だから、唇を噛みしめて、そろりと、伏せた視線を上げる。
ㅤ……と、同時に、そっと両頬にやわらかさを覚えた。
は……と意味を持たない音が、口からこぼれる。
だって……わからない。わからないんだ。
俺の頬を包み込んだはとちゃんが、眉を八の字に下げて、心配そうに覗き込んでいるわけが。
「もしかして、寒かった?」
「え……?」
「身体、冷えてるからさ」
ㅤその瞬間、ぽっと身体の芯に熱がともる。
羞恥というより、安堵のような、歓喜のような。
「そう……さむ、くて……さむいの、にがて、で」
ㅤさむいは……こわい。
ㅤ何故かは知らない。ただ事実としてそこにある、曖昧な恐怖だ。
ㅤ舌足らずの言葉でも、しっかり拾われていたらしい。
ひとつうなずいたはとちゃんは、「そういうことなら!」と続ける。
「冷えるときは、お風呂であったまるのが一番!ㅤさぁさ、遠慮せずにどうぞどうぞ!」
「え、あのっ、はとちゃ……!?」
「だいじょぶ、わたしがついててあげるからね!」
ㅤまったくもって、だいじょばない。
ㅤむしろ最後のひと言で追い討ちをかけられたんだけど、満面の笑みで背中を後押ししてくるはとちゃんには、自覚はないだろう。
ㅤ……ついててあげるって、どういう意味?
応援ありがとうございます!
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