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憧憬と嫉妬㈣
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「……さいくん……」
やがて聞こえた声音は、蕩けた水飴。
壊れ物を扱うように抱き直され、柔い左頬をすり寄せられる。狐の面が当たらないよう、器用に。
しゃらり、しゃらりと転がる面紐の鈴が、紅の心情を表しているようだ。平素から感じてはいたが、とんだ手練れである。
機嫌は直ったみたい――そう悟った穂花は、おもむろに口を開く。
「まちくんどうしたの、ボーッとして!」
「っ……穂、花?」
反射的に左手を引っ込める真知。いつも起伏に乏しい表情には、いま、わずかながら困惑が滲んでいる。さながら、直前までのことを思い出せないとでも言うふうに。
「寝不足かな。私と登校するからって、無理して早起きしなくていいからね?」
真知のことだから、こうして毎朝顔を合わせるのも、妹分の世話を焼いていた小中学校の延長にすぎないと、穂花は解釈していた。それ以上のことはない。
「俺が好きでしていることだ。おまえが気にすることじゃない」
だのに、幼馴染は時折期待させるようなことを言う。こんなときは決まって、無性に泣きたくなる。
「行こう、穂花」
あと少しでふれるはずだった左手は、離れた場所で拳をつくる。一足先に踏み出した真知の広い背は、なにを語ろうとしているのだろう。
読心術の心得があるはずもない穂花は、平静を装い、短い返事をすることしかできない。
「紅」
「ご用命か。なんなりと」
「まちくんのこと、呪ったらダメだからね」
ひそめた声で、依然としてまとわりつく神に釘を刺す。すぐさま可笑しげな笑いがこぼれた。
「一介の付喪神に、そのようなことができるはずもなかろう。金縛りが関の山じゃ」
「その金縛り技術を大事にしまってくれていても構わないのよ?」
「なにを恐るることがありまする。視えぬ者を祟るなど、低俗な真似は致しませぬぞ?」
そう、真知は弱者だ。紅や穂花のように神力や霊力を持たない、ただの善良な人間。
もしも紅を瞳に映すことのできる人間が自分以外にもいたのなら、なにかが変わっていたのだろうか……なんて、どうしようもない思考は置いて行こう。
なにも心配は要らない。紅が人間を害することなど、ないのだから。
「……この禍津神が」
――人間を害することは、ないのだから。
やがて聞こえた声音は、蕩けた水飴。
壊れ物を扱うように抱き直され、柔い左頬をすり寄せられる。狐の面が当たらないよう、器用に。
しゃらり、しゃらりと転がる面紐の鈴が、紅の心情を表しているようだ。平素から感じてはいたが、とんだ手練れである。
機嫌は直ったみたい――そう悟った穂花は、おもむろに口を開く。
「まちくんどうしたの、ボーッとして!」
「っ……穂、花?」
反射的に左手を引っ込める真知。いつも起伏に乏しい表情には、いま、わずかながら困惑が滲んでいる。さながら、直前までのことを思い出せないとでも言うふうに。
「寝不足かな。私と登校するからって、無理して早起きしなくていいからね?」
真知のことだから、こうして毎朝顔を合わせるのも、妹分の世話を焼いていた小中学校の延長にすぎないと、穂花は解釈していた。それ以上のことはない。
「俺が好きでしていることだ。おまえが気にすることじゃない」
だのに、幼馴染は時折期待させるようなことを言う。こんなときは決まって、無性に泣きたくなる。
「行こう、穂花」
あと少しでふれるはずだった左手は、離れた場所で拳をつくる。一足先に踏み出した真知の広い背は、なにを語ろうとしているのだろう。
読心術の心得があるはずもない穂花は、平静を装い、短い返事をすることしかできない。
「紅」
「ご用命か。なんなりと」
「まちくんのこと、呪ったらダメだからね」
ひそめた声で、依然としてまとわりつく神に釘を刺す。すぐさま可笑しげな笑いがこぼれた。
「一介の付喪神に、そのようなことができるはずもなかろう。金縛りが関の山じゃ」
「その金縛り技術を大事にしまってくれていても構わないのよ?」
「なにを恐るることがありまする。視えぬ者を祟るなど、低俗な真似は致しませぬぞ?」
そう、真知は弱者だ。紅や穂花のように神力や霊力を持たない、ただの善良な人間。
もしも紅を瞳に映すことのできる人間が自分以外にもいたのなら、なにかが変わっていたのだろうか……なんて、どうしようもない思考は置いて行こう。
なにも心配は要らない。紅が人間を害することなど、ないのだから。
「……この禍津神が」
――人間を害することは、ないのだから。
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