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夜陰
しおりを挟む少しずつ、意識が浮上していく。
あー、もう目が覚めるんだな。嫌だな。
このままずっと寝ていたい。目が覚めなければいいのに。
なにも考えたくない。起きたらなんか嫌な現実が待ち構えているんだっけ。
ふわふわとぼんやりとした思考がだんだんはっきりしていく。
胸をふさぐ鬱々とした気分に、もう一度眠りに逃避したくなったけれど、それを許さなかったのは、喉を襲う耐えがたい乾きと痛みだった。
あー、お水飲みたい。水、水。
ベッドサイドの脇にメイドさんたちがいつも置いてくれてる水差しに手を伸ばそうとした。
でもだめ。なんか20キロの手かせつけてるみたいに腕が重い。身体が動かない。
ううう。その横に、なにかあったら鳴らすように、ってベルも置いてあるんだけど、それすら手を伸ばすのがおっくうだ。
だいたい、辺りはもう真っ暗で、いつの間にか完全に夜になっちゃってる。晩ご飯すっぽかしちゃったな。スタイン先生たちにも悪いことした。
もし、今、真夜中を回ってるなら、水ごときでメイドさんたちをたたき起こすのも申し訳ないし・・・ここはやっぱり、自分でなんとかせねば。
再度、水差しによろよろと手を伸ばす。うわ、なんか身体重いだけじゃなくがっちがち。筋肉痛になりそかねない雰囲気で強ばってる。
これもう人間じゃない。メタルなんちゃらだな! ううう、とつい、唸り声が漏れた。
すると、その声を聞きつけたか、扉の外から誰かの声がした。
やば。護衛の人がいたんだ。
慌てて、大丈夫、みたいなことを唸り声付きで返事してみた。
けど、ぜんぜん大丈夫に聞こえなかったんだろうなあ。
扉が開いて、大股に誰かが近づいてくる音がした。
ひゃー、心配かけちゃったかな。重すぎる身体に鞭打って、ぎ、ぎ、ぎ、と100年ほど錆び付いた感じで首を巡らすと――。
『大丈夫か?』
ひゃー×2。
なんでギルフェールドさんがここにいるの!?
*
どうやらギルフェールドさんは、私が倒れたことを聞いて、様子を見に来てくれたらしい。
ううう。お忙しい人にそこまでさせて、申し訳ないこって。しかも、望んでもいない私の騎士になっちゃって、絶賛微妙な雰囲気中だというのに。
慌てて謝罪しようとしたら、喉の奥がひりついたみたいになって思い切り咳き込んだ。ギルフェールドさんの焦った声が聞こえる。
『大丈夫か? 今、誰か呼んで――』
『いらない。大丈夫。水。水が欲しいです』
かすれた声でそう告げると、わかった、というようにギルフェールドさんが水差しを取り上げて、グラスに水を注いでくれた。ありがたい。とぽぽぽ、という水の音が天使のラッパに聞こえるわー。
『飲めるか?』
差し出してくれたグラスを掴むため、身体を起こそうとする。
――でもだめ。肘に力が入らない。ほんのわずか首を上げられただけで、それもすぐにぱたん、と枕に逆戻りしてしまう。
『無理はするな』
そんな私の様子を見て取ったか、ギルフェールドさんは軽く私の毛布をはぐと、背中とベッドとの間にいきなり手をつっこんだ。そのまま背中に手を回し、肩を抱きかかえるようにして起こしてくれる。
ぎゃー。
声が枯れててよかった。でなきゃ、夜中だというのに絶叫して、ご近所の皆様に迷惑をかけるところだったよ。
なんか腕の筋肉堅い! 顔近い! 力半端ないな!
脳内で私が大絶叫大会を繰り広げているその間に、ギルフェールドさんは枕やらクッションやらを私の背中の後ろに積んで、もたれかかれるようにしてくれた。そして、改めてグラスを差し出す。
『ゆっくり、飲むんだ』
ふわー、さすがにイケメンはやることがスマートだな! 『お風呂だっこ事件』のときといい今といい、人を介護、じゃなかった救護するのに慣れてるなあ。
『ありがとう、です』
私は素直にグラスを受け取ると、言われたとおりゆっくりと飲み干した。
うわー、食道を水が流れてく感覚がありありとわかるよ。潤ってる! 今潤ってるよ私!
空になったグラスにまた注いでもらって、それを飲み干して、また注いで・・・を3セット繰り返し、ようやく私はふー、とため息をついて、手をとめた。すかさずギルフェールドさんがグラスを取り上げ、ベッドサイドに置く。
『助かる、ました。ありがとうございます。夜、です。なのに』
『気にするな』
ギルフェールドさんが軽く流す。そして、じっと私を見た。
青い瞳が闇の中光る。まるで、高温の熾火のような色。
イケメンから凝視されて、一瞬顔が赤くなりかけたけど、すぐに頭は冷えた。
その視線があまりにも静かで、なにかを見定めるように感じられたからかもしれない。
『本当に大丈夫か?』
『はい。吐いた。たくさん。それだけ』
『軽くみるな』
胃酸で粘膜もやられるし、変なところに力が入るから筋肉痛も起こす。脱水症状を起こせば命に関わることもある。みたいなことを丁寧に説明してくれたみたい。難しい単語が多いから、たぶんこういう内容なんだろうという推論が多分に混じってるんだけどね。
『食えるか?』
次いで差し出されたのは、指先ほどの白い塊が二つ。錠剤? 飴? 薬かなんか?
ギルフェールドさんの大きな掌の上のそれを、おそるおそるつまみ上げる。匂いをかぎたいけど失礼だよね? 女は度胸、とばかりにえいや、っと口の中に放り込んだ。
しょっぱーーーーい!
そんでもって、あまーーーーーい!
一つは塩のタブレット、もう一つは飴だったみたい。ああ、なるほど。水分は補給したから、次は電解質とかそういうことか。
納得した私に、ギルフェールドさんは説明を続けた。どうやらこれは、騎士団の支給品らしい。食事がとれないとき、水でこれを流し込むんだそうだ。
『騎士団――』
オウム返しにその言葉を呟く。
騎士団ってことは、このまえあったという戦にギルフェールドさんはきっと出陣していた、ってことだろう。
王弟との会話を思い出す。
あのとき、あのくそったれイケオジは、やたらとギルフェールドさんに私が『聖女』であることを確認していた。
それは、ギルフェールドさんに騎士の宣誓をさせたがってたって理由もあるだろうけど、そのまえに、彼が『聖女』である私を見ていた、ということでもあって。
『ギルフェールドさん、見ましたか?』
思わず言葉が口から滑り出ていた。
『私、聖女の力、出した、見ました? この前、戦い――』
『・・・ああ』
ギルフェールドさんは小さく頷いたけど、それ以上なにも言わなかった。
『私・・・壊した? 人、たくさん』
また、胃の奥がねじれたみたいな気がした。思わず手を口に当てる。
はっとしたギルフェールドさんが、私の背に手を伸ばそうとして――たぶん反射的にさすろうとしたんだろう――けど、触れることなく、その手は落ちた。
目に涙がにじんでくる。
泣くな。私、泣くな。
泣いてもなにも変わんないだろ。こんな、人前で泣きたくない。
こんな――私のことを聖女扱いしかしない、異世界の人の前で。
ふー、と息を吐く。必死でこみ上げてくる激情を流そうと息をついていると。
『言うのが遅くなったが――感謝している』
頭上から静かな声が落ちてきた。
意味を理解するのに、少し間があった。
わかった瞬間――すうっと息が楽になった。
『死ぬと思っていた。助けてくれたのは、貴女だ』
助けた?
私、助けたの? この人のことを?
こんな強そうな騎士を、私が?
思わず顔を上げる。と、青い瞳と視線がぶつかった。
『貴女の力で今でも生きている。心からの礼を。ありがとう』
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