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6 逃避
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『いいかい? 夜の事情が終わった時が絶好の機会だ』
助言だとハクレイ様は言った。
番を抱いて満たされたあとの竜は、最も気が緩みやすいと。
(でも、さっきから会話なんてないし……ナガレ様も、寝たかも)
二人が必要最低限の会話しかないのはいつものことだ。
―――リオは、ナガレ様と初対面で結婚したのだ。彼について何も知らないリオは、使用人たちにナガレ様がどういった人柄なのか聞くしかなかった。
「ナガレ様は、無駄を嫌う」
「ナガレ様は、世間話を嫌う」
「―――ほとんど喜怒哀楽を見せない方です」
得られた情報は少なく、参考にもならない。
仕方なくナガレ様の人となりを知る前に、村人の助言通りリオは口を閉じた。無駄口を利く前に竜人様と同じように……無表情でいなければと思っていた。
(………)
こうしてナガレ様の腕の中にいれば、感じられる体温と吐息。
あとは庭に住む虫が鳴く程度の、静かな時間があった。
(ナガレ様と、離縁をしたい気持ちに嘘はない)
けど、そのためにナガレ様の好意を利用するのは気が引けてしまう。
それと――弟のナガレ様ではなく人間のリオに味方してくれると言うハクレイ様だ。彼の本心がどこにあるのかなどリオは知らない。
善意に見えても、裏には悪意があるかもしれない。
(神にも等しい竜人様を疑うなんて、いけないことなのに……)
どうすればいいのか、どうすれば……ナガレ様のためになるのか。
不安は隠せない。
そっと……無意識に、リオがナガレの腕に触れたとき、
「‥‥どうした?」
寝たと思っていた竜人様が起きていたことに気付いた。
声は穏やかで温かく―――、珍しくまだ眠っていないリオを心配しているかのようだった。
「リオ、眠れないのか?」
「む、虫の声を、聴いていました。珍しく近くで鳴いているので…」
「五月蠅いか? それならば」
「い、いいえ!とても美しい音色です、聞いていると心が落ち着きます」
――そうだった。すっかり忘れかけていたことだが、竜人様はリオの体に傷がつくことを嫌う。
一度庭で転んでしまったとき、わざわざ三人の医者が呼ばれたほどだ。
――――同時に、こうして自然とナガレ様と会話していることに気付いた。
兄竜の言った絶好の機会が訪れた。
「ここは好き、なのですが……。部屋の場所を変えてください」
「なに?」
ハクレイ様は大丈夫と言ってくれたけど、そもそもこの部屋の造りは完璧だ。庭付きで日当たりもいい、装飾も備え付けの家具も立派で――文句のつけようがない。
駄目だと言われる、そう覚悟していたのだが……。
「なにか不満でもあるのか?」
「不満なんて…!ただちょっと風景に飽きて…、それで」
やっぱり無理があるだろうと、リオは焦った。
竜人様はしばらく考えるように視線を伏せ、やがて淡々と告げた。
「分かった。南棟ならば日照もよく庭も広い」
「え、」
「なにを驚く?」
「こんな急なのに……いいんですか? ご迷惑では」
「何を迷惑がる?お前の要求の一つや二つ、軽いものだ」
さらりと言って、竜人様は首を傾げる。
「他にも欲しいものがあれば遠慮せず言え。宝石か? 絹か?人手が要るならば」
「い、いえっ! そんなのは必要ありませんっ!」
「……そうか。では、小国はどうだ?人間の国はそういうものを喜ぶのだろう?」
「!? い、いりませんよ!」
リオが慌てて首を振ると竜人様は不思議そうに瞬きをした。
「どうした、まだ拗ねているのか?」
アレやコレだと……すっかり貢ぐ気になった竜人様に、リオはげんなりしていた。
無口だと思っていたナガレ様が、懸命にリオの返事を欲している。
何故かは分からないが。昔に飼っていた犬みたいだった。
「……リオ」
「拗ねても怒ってもいませんよ。ただオレには財宝も、土地なんて必要ありません」
「許せ、竜人の性分だ」
本当か?と疑うリオだが、竜人の性質など知らない。
『番の望む宝を贈る』
これは一つの求愛行動だ。だが人間のリオが知る由もない。
「番」という理由だけで、国や金銀・絹といったものを与えられるなど冗談ではない。
いつか、「返せ」と言われたら?
…… 貰ってばかりではいけない。喜んでばかりではいけないのだ。
「リオ」
「はい」
竜人様が大きな猫か犬のように、すり、と擦り寄ってくる。
頭のツノでリオを傷つけないよう、優しく。
そしてリオは、そっと手を伸ばしてその頭を撫でる。
「ナガレ様は、とても綺麗ですね」
「……」
撫でるたび、竜人様の喉が低く鳴った。
「口付けをしてもいいか?」
「はい……んっ、」
嫌だと思ったことは一度もない。
拒む理由は、いつも思いつかなかった。
* * *
竜人様のもとに嫁いで、三年と半年。
最初は、何が何だか分からなかった。
怯えもしたし、
不安も数えきれないほどあった。
それでも――間違いなく、幸せだった。
……嘘でもいい。
「番」以外の言葉を、
たった一度でも、言ってくれていたなら―――。
「夜に戻る」
「……はい。お気をつけて」
ナガレ様は、重い扉に鍵をかけて行ってしまう。
それもリオにとっては日常だったが……今日で終わる。
事前に用意していた「離縁状」は、短かった。
恨みも責めもない。
――感謝と謝罪。
それと、別れ。
静かに庭に出ると、兄竜であるハクレイ様が待っていた。
「……予想はしていたけど、本当に手ぶらとは」
「でも黙って持っていくのは罪になります」
「だからって無一文でどうする気だい? そんなことじゃ、すぐに愚弟に捕まるよ?」
ハクレイ様は小さく肩をすくめて、どこから取り出したのか布袋をひとつ差し出した。
「最低限だ。紙幣と着替え、それからこれ」
「?」
掌に乗せられたのは―――淡く光る、
「これは綺麗な……鱗、ですか?」
「私のだよ。身につけていれば池に君は映らない。君が纏ってる竜気……気配なんてのも、地上に降りればすぐ掻き消されるよ」
「……ありがとうございます」
リオは、ハクレイ様に深く頭を下げた。
「返します。必ず」
「はは……律儀だね。君が元気に生きてくれれば、それでいいさ」
「ハクレイ様、オレは」
「我が弟を、愛してくれてありがとう」
兄竜様はそう言って庭の奥を指した。
そこには、静かに身を伏せた一頭の飛竜がいた。
(ナガレ、様……)
リオは、 城を振り返らなかった。
竜の背に乗れば、
風が頬を打つ。
空界の光が、少しずつ遠ざかっていく。
(… ナガレ様)
心の中でだけ、名を呼ぶ。
ありがとう。
そして――ごめんなさい。
その言葉は、 決して声にはならなかった。
『いいかい? 夜の事情が終わった時が絶好の機会だ』
助言だとハクレイ様は言った。
番を抱いて満たされたあとの竜は、最も気が緩みやすいと。
(でも、さっきから会話なんてないし……ナガレ様も、寝たかも)
二人が必要最低限の会話しかないのはいつものことだ。
―――リオは、ナガレ様と初対面で結婚したのだ。彼について何も知らないリオは、使用人たちにナガレ様がどういった人柄なのか聞くしかなかった。
「ナガレ様は、無駄を嫌う」
「ナガレ様は、世間話を嫌う」
「―――ほとんど喜怒哀楽を見せない方です」
得られた情報は少なく、参考にもならない。
仕方なくナガレ様の人となりを知る前に、村人の助言通りリオは口を閉じた。無駄口を利く前に竜人様と同じように……無表情でいなければと思っていた。
(………)
こうしてナガレ様の腕の中にいれば、感じられる体温と吐息。
あとは庭に住む虫が鳴く程度の、静かな時間があった。
(ナガレ様と、離縁をしたい気持ちに嘘はない)
けど、そのためにナガレ様の好意を利用するのは気が引けてしまう。
それと――弟のナガレ様ではなく人間のリオに味方してくれると言うハクレイ様だ。彼の本心がどこにあるのかなどリオは知らない。
善意に見えても、裏には悪意があるかもしれない。
(神にも等しい竜人様を疑うなんて、いけないことなのに……)
どうすればいいのか、どうすれば……ナガレ様のためになるのか。
不安は隠せない。
そっと……無意識に、リオがナガレの腕に触れたとき、
「‥‥どうした?」
寝たと思っていた竜人様が起きていたことに気付いた。
声は穏やかで温かく―――、珍しくまだ眠っていないリオを心配しているかのようだった。
「リオ、眠れないのか?」
「む、虫の声を、聴いていました。珍しく近くで鳴いているので…」
「五月蠅いか? それならば」
「い、いいえ!とても美しい音色です、聞いていると心が落ち着きます」
――そうだった。すっかり忘れかけていたことだが、竜人様はリオの体に傷がつくことを嫌う。
一度庭で転んでしまったとき、わざわざ三人の医者が呼ばれたほどだ。
――――同時に、こうして自然とナガレ様と会話していることに気付いた。
兄竜の言った絶好の機会が訪れた。
「ここは好き、なのですが……。部屋の場所を変えてください」
「なに?」
ハクレイ様は大丈夫と言ってくれたけど、そもそもこの部屋の造りは完璧だ。庭付きで日当たりもいい、装飾も備え付けの家具も立派で――文句のつけようがない。
駄目だと言われる、そう覚悟していたのだが……。
「なにか不満でもあるのか?」
「不満なんて…!ただちょっと風景に飽きて…、それで」
やっぱり無理があるだろうと、リオは焦った。
竜人様はしばらく考えるように視線を伏せ、やがて淡々と告げた。
「分かった。南棟ならば日照もよく庭も広い」
「え、」
「なにを驚く?」
「こんな急なのに……いいんですか? ご迷惑では」
「何を迷惑がる?お前の要求の一つや二つ、軽いものだ」
さらりと言って、竜人様は首を傾げる。
「他にも欲しいものがあれば遠慮せず言え。宝石か? 絹か?人手が要るならば」
「い、いえっ! そんなのは必要ありませんっ!」
「……そうか。では、小国はどうだ?人間の国はそういうものを喜ぶのだろう?」
「!? い、いりませんよ!」
リオが慌てて首を振ると竜人様は不思議そうに瞬きをした。
「どうした、まだ拗ねているのか?」
アレやコレだと……すっかり貢ぐ気になった竜人様に、リオはげんなりしていた。
無口だと思っていたナガレ様が、懸命にリオの返事を欲している。
何故かは分からないが。昔に飼っていた犬みたいだった。
「……リオ」
「拗ねても怒ってもいませんよ。ただオレには財宝も、土地なんて必要ありません」
「許せ、竜人の性分だ」
本当か?と疑うリオだが、竜人の性質など知らない。
『番の望む宝を贈る』
これは一つの求愛行動だ。だが人間のリオが知る由もない。
「番」という理由だけで、国や金銀・絹といったものを与えられるなど冗談ではない。
いつか、「返せ」と言われたら?
…… 貰ってばかりではいけない。喜んでばかりではいけないのだ。
「リオ」
「はい」
竜人様が大きな猫か犬のように、すり、と擦り寄ってくる。
頭のツノでリオを傷つけないよう、優しく。
そしてリオは、そっと手を伸ばしてその頭を撫でる。
「ナガレ様は、とても綺麗ですね」
「……」
撫でるたび、竜人様の喉が低く鳴った。
「口付けをしてもいいか?」
「はい……んっ、」
嫌だと思ったことは一度もない。
拒む理由は、いつも思いつかなかった。
* * *
竜人様のもとに嫁いで、三年と半年。
最初は、何が何だか分からなかった。
怯えもしたし、
不安も数えきれないほどあった。
それでも――間違いなく、幸せだった。
……嘘でもいい。
「番」以外の言葉を、
たった一度でも、言ってくれていたなら―――。
「夜に戻る」
「……はい。お気をつけて」
ナガレ様は、重い扉に鍵をかけて行ってしまう。
それもリオにとっては日常だったが……今日で終わる。
事前に用意していた「離縁状」は、短かった。
恨みも責めもない。
――感謝と謝罪。
それと、別れ。
静かに庭に出ると、兄竜であるハクレイ様が待っていた。
「……予想はしていたけど、本当に手ぶらとは」
「でも黙って持っていくのは罪になります」
「だからって無一文でどうする気だい? そんなことじゃ、すぐに愚弟に捕まるよ?」
ハクレイ様は小さく肩をすくめて、どこから取り出したのか布袋をひとつ差し出した。
「最低限だ。紙幣と着替え、それからこれ」
「?」
掌に乗せられたのは―――淡く光る、
「これは綺麗な……鱗、ですか?」
「私のだよ。身につけていれば池に君は映らない。君が纏ってる竜気……気配なんてのも、地上に降りればすぐ掻き消されるよ」
「……ありがとうございます」
リオは、ハクレイ様に深く頭を下げた。
「返します。必ず」
「はは……律儀だね。君が元気に生きてくれれば、それでいいさ」
「ハクレイ様、オレは」
「我が弟を、愛してくれてありがとう」
兄竜様はそう言って庭の奥を指した。
そこには、静かに身を伏せた一頭の飛竜がいた。
(ナガレ、様……)
リオは、 城を振り返らなかった。
竜の背に乗れば、
風が頬を打つ。
空界の光が、少しずつ遠ざかっていく。
(… ナガレ様)
心の中でだけ、名を呼ぶ。
ありがとう。
そして――ごめんなさい。
その言葉は、 決して声にはならなかった。
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