塔を目指す冒険

阿波野治

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 いつの間にか涙は止まっていて、すすり上げる余地のない洟をすすり上げている自分に気がつく。
 姉の亡骸を抱きしめながら慟哭している自分と、姉が死んだ事実が、同時に胸を圧迫する。悲しみと喪失感が切ない気持ちを運んできたが、眼球の奥から雫が滲み出す気配はない。

 密着する姉から冷たさを感じて、長時間泣いているのだと気がつく。
 涙が止まったのは、泣き疲れたからか、それとも悲しみの泉が枯渇したのか。姉の死を認識した当初と比べて、心は大分落ち着きを回復したらしいと客観視する。

 遺体から自分の体をゆっくりと離しながら、床に横たえる。輝夜の死に顔は安らかとまでは言えないまでも、穏やかではあった。泣きやんだあとで直視したその事実は、朔也の口角の緊張を少し和らげさせた。
 ただし、唇の端を起点とする一条の血は、肌の白さとのコントラストもあって痛々しく感じられる。うんと体を引いて全身を視界に映すと、左胸の傷はいっそう直視するのが苦痛だ。人間らしい姿に近づける必要性を強く感じた。

 洗面所からとってきたタオルを水道の水で濡らし、姉の口元を拭く。血は、いとも容易く肌からタオルに移った。左胸の傷口が毒々しい存在感を放つ首から下は、いかなる処置を施せばいいのか。顎に手を添えて思案し、おもむろに服を脱がし始める。抵抗感に手が止まったのはシャツの裾に指先を触れさせた瞬間だけで、以後は淡々と作業することができた。

 初めて見た姉の裸は、胸の傷を除けば、アダルト動画で見る二十代の女性のものと大差はなかった。性的興奮を含む、心を不安定にさせる感情や想念の類が込み上げてくることはない。見てはいけないものを見てしまったとも、木花輝夜の本当の姿を見たとも思わない。一個人の全てを知るなど誰にも不可能なのだ、と思う。
 ほのかに悲しいが、どこか清々しい。ほんの浅く、首を縦に振った。

 あたりを見回して、カーテンレールから純白のカーテンを取り外し、裸体の首から下に巻きつける。生地は薄手だが、幾重にも巻きつけたことで傷口や秘所は隠蔽された。抱き上げると、信じられないくらい軽い。服を脱がせたりカーテンを巻きつけたりしている間、遺体を軽々と扱えたので、試すつもりで持ち上げてみたのだが、想像以上の軽さだ。死んだ人間は重たく感じられると聞いたことがあるが、その逆、しかもこんなにも減量されるとは。

『朔也。これから先、あなたは試練の連続に見舞われるだろうけど、常識に囚われてはだめ。柔軟な頭で、一つ一つ、朔也が正しいと思うやり方で対処していけばいい』

 絶命する直前の姉の言葉が思い出される。その発言は比喩ではなく真実であり、その一つの表れが遺体の体重減少なのだと了解する。同時に、木花輝夜が聖性を備えた人物だから、宗教的な奇跡によって非科学的な現象が現実と化したのではなく、あくまでも常識外れの現象の一つに過ぎないのだ、ということも。
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