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朝から憂うつだった。
厳密には、目覚めた瞬間から。
いや、厳密にと言うのなら、昨夜眠りに就く前からだ。
僕の心模様とは対照的な、文字どおり雲一つない青空が頭上に広がっている。ゴールデンウィークに入ったあたりから、晴れた日には空が高いと感じることが増えた。通りの桜並木は葉桜へと衣替えを済ませていて、時おり吹き抜けるそよ風が青々とした葉をざわめかせる。
初夏らしい景色の中を歩く僕の足どりは、不釣り合いに重苦しい。学校に近づくにつれて道を行く学生の数が増えていくけど、遠くに見える人に追いつくどころか見る見る離れるし、後ろから来る人には次々と追い抜かれる。自意識過剰が原因の被害妄想だと頭ではわかっているけど、追い抜きざまに顔を覗きこまれて、嘲笑を置き土産に去っていかれるような、そんな気がしてならなかった。
僕をこんな精神状態にさせたのは、住友さんだ。
『汚名を返上する方法、教えてあげようか。住友みのりが一人きりのところを狙って、謝ればいいよ。みんなの前であんなことを言ってごめんね、声をかけるなら一人でいるときにするべきだったねって』
由佳はさらっと言ったけど、問題はそう簡単じゃない。住友さんは常に友だちといっしょにいるから、一人になる機会がない。それに、昨日なけなしの勇気を使い果たしたばかりの僕に、もう一度行動に踏み切るだけの気力があるのか、という大問題もある。
一人、また一人と、制服姿の少年少女が僕を追い抜いていく。恋人らしき手を繋いだ男女、大声でしゃべる男子の集団、仲睦まじそうに談笑する女子三人組。
誰かと登校をともにしている生徒の数の割合は、思いのほか高い。もちろん、一人で歩いている人もたくさんいるけど、僕のように暗い顔をしている人は一人もいない。
やがて、行く手に中学校の校舎が見えた。正門付近は、混雑する一歩手前、といった様相を呈している。
今の心理状態であの中に飛びこんでいくのは、正直、ちょっとしんどい。
だけど、流れに逆らう気力はない。校舎へ向かう一群と一体化して、文字どおり流されるように正門を潜る。
直後、思いもよらない出来事が起きた。
「香坂」
突然、名前を呼ばれた。生徒のたちの話し声で騒がしい中でも、その声は不思議とはっきりと聞こえた。女子の声だ。
僕の名字を知っていて、苗字を呼び捨てにする、女子生徒。
まさか。
声が聞こえたのは左だったので、そちらを振り向いた。三人ぶんほど離れた僕の隣を、いつの間にか住友みのりさんが歩いていた。進行方向は僕と同じで、僕に歩調を合わせている。
「歩きながら話そう。話すっていうか、私が勝手にしゃべるから、聞いてて」
感情を殺したような声に、突然声をかけられた混乱も忘れて緊張してしまう。友だちや、他のクラスメイトと言葉を交わすときとは違う声音でしゃべっていることの意味を、どう解釈すればいいのだろう?
「昨日、私、香坂に対して怒ったでしょう。声を荒らげて、『消えて』なんて言って」
相槌を打つべきなのかもしれないとも思ったけど、一方的に話すと宣言したのだから不要だろうと判断して、唇は閉ざしたままにする。
お互いに顔を相手に向けていなくて、さらに三人ぶんもの横幅が開いているせいか、僕と住友さんが話し中だとは思わないらしい。僕たちのあいだを何人もの生徒たちが通り抜けていく。
「きついことを言ったけど、香坂にむかついたわけじゃない。私はただ、みんなに心配をかけたくなかっただけ。悩みなんて抱えていないのに、なにかに悩んでいるんだと思われて、不要な心配をかけたくなかったから、つい怒鳴り声を上げてしまったの」
僕はここでようやく、住友さんの顔を直視した。
「不愉快な思いをさせて、ごめんね。香坂のことを嫌いになったとか、そういうことでは全然ないから。これからも、クラスメイトとして普通に接して。……じゃあ、私はこれで」
「あ、あの! 一つだけ、いいかな」
足を速めて僕を置き去りにしようとしたので、呼び止めた。住友さんは発言を促すような眼差しを僕に注ぐ。
「もしかして、なんだけど。住友さんは、僕が登校するのを待っていてくれたの?」
「そうだよ。そうするのが一番話しやすいと思って」
住友さんは今度こそ僕から離れていった。
彼女の後ろ姿はあっという間に人波にまぎれて見えなくなった。
*
言葉どおり、午前中の教室の中で、住友さんが僕に対して嫌悪感を露わにしたり、無視したり、といった態度を見せることはなかった。
友だちと話をするときの様子も、いつもどおりに見えた。
ただし、いつもどおりなのは、時おり浮かない顔を見せるのもそうだった。
厳密には、目覚めた瞬間から。
いや、厳密にと言うのなら、昨夜眠りに就く前からだ。
僕の心模様とは対照的な、文字どおり雲一つない青空が頭上に広がっている。ゴールデンウィークに入ったあたりから、晴れた日には空が高いと感じることが増えた。通りの桜並木は葉桜へと衣替えを済ませていて、時おり吹き抜けるそよ風が青々とした葉をざわめかせる。
初夏らしい景色の中を歩く僕の足どりは、不釣り合いに重苦しい。学校に近づくにつれて道を行く学生の数が増えていくけど、遠くに見える人に追いつくどころか見る見る離れるし、後ろから来る人には次々と追い抜かれる。自意識過剰が原因の被害妄想だと頭ではわかっているけど、追い抜きざまに顔を覗きこまれて、嘲笑を置き土産に去っていかれるような、そんな気がしてならなかった。
僕をこんな精神状態にさせたのは、住友さんだ。
『汚名を返上する方法、教えてあげようか。住友みのりが一人きりのところを狙って、謝ればいいよ。みんなの前であんなことを言ってごめんね、声をかけるなら一人でいるときにするべきだったねって』
由佳はさらっと言ったけど、問題はそう簡単じゃない。住友さんは常に友だちといっしょにいるから、一人になる機会がない。それに、昨日なけなしの勇気を使い果たしたばかりの僕に、もう一度行動に踏み切るだけの気力があるのか、という大問題もある。
一人、また一人と、制服姿の少年少女が僕を追い抜いていく。恋人らしき手を繋いだ男女、大声でしゃべる男子の集団、仲睦まじそうに談笑する女子三人組。
誰かと登校をともにしている生徒の数の割合は、思いのほか高い。もちろん、一人で歩いている人もたくさんいるけど、僕のように暗い顔をしている人は一人もいない。
やがて、行く手に中学校の校舎が見えた。正門付近は、混雑する一歩手前、といった様相を呈している。
今の心理状態であの中に飛びこんでいくのは、正直、ちょっとしんどい。
だけど、流れに逆らう気力はない。校舎へ向かう一群と一体化して、文字どおり流されるように正門を潜る。
直後、思いもよらない出来事が起きた。
「香坂」
突然、名前を呼ばれた。生徒のたちの話し声で騒がしい中でも、その声は不思議とはっきりと聞こえた。女子の声だ。
僕の名字を知っていて、苗字を呼び捨てにする、女子生徒。
まさか。
声が聞こえたのは左だったので、そちらを振り向いた。三人ぶんほど離れた僕の隣を、いつの間にか住友みのりさんが歩いていた。進行方向は僕と同じで、僕に歩調を合わせている。
「歩きながら話そう。話すっていうか、私が勝手にしゃべるから、聞いてて」
感情を殺したような声に、突然声をかけられた混乱も忘れて緊張してしまう。友だちや、他のクラスメイトと言葉を交わすときとは違う声音でしゃべっていることの意味を、どう解釈すればいいのだろう?
「昨日、私、香坂に対して怒ったでしょう。声を荒らげて、『消えて』なんて言って」
相槌を打つべきなのかもしれないとも思ったけど、一方的に話すと宣言したのだから不要だろうと判断して、唇は閉ざしたままにする。
お互いに顔を相手に向けていなくて、さらに三人ぶんもの横幅が開いているせいか、僕と住友さんが話し中だとは思わないらしい。僕たちのあいだを何人もの生徒たちが通り抜けていく。
「きついことを言ったけど、香坂にむかついたわけじゃない。私はただ、みんなに心配をかけたくなかっただけ。悩みなんて抱えていないのに、なにかに悩んでいるんだと思われて、不要な心配をかけたくなかったから、つい怒鳴り声を上げてしまったの」
僕はここでようやく、住友さんの顔を直視した。
「不愉快な思いをさせて、ごめんね。香坂のことを嫌いになったとか、そういうことでは全然ないから。これからも、クラスメイトとして普通に接して。……じゃあ、私はこれで」
「あ、あの! 一つだけ、いいかな」
足を速めて僕を置き去りにしようとしたので、呼び止めた。住友さんは発言を促すような眼差しを僕に注ぐ。
「もしかして、なんだけど。住友さんは、僕が登校するのを待っていてくれたの?」
「そうだよ。そうするのが一番話しやすいと思って」
住友さんは今度こそ僕から離れていった。
彼女の後ろ姿はあっという間に人波にまぎれて見えなくなった。
*
言葉どおり、午前中の教室の中で、住友さんが僕に対して嫌悪感を露わにしたり、無視したり、といった態度を見せることはなかった。
友だちと話をするときの様子も、いつもどおりに見えた。
ただし、いつもどおりなのは、時おり浮かない顔を見せるのもそうだった。
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