秘密

阿波野治

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 由佳とお別れをした日の夜、住友さんとは連絡をとらなかった。向こうから連絡があれば応じるつもりでいたのだけど、音沙汰はなかった。だから、彼女の挑戦の結果はまだ知らない。
 不安はすさまじいものがあった。時間が経てば経つほど、運命の瞬間に近づけば近づくほど、その感情は膨らんでいった。正門を潜るころには恐怖さえ感じていた。

 教室の戸を開いた瞬間がネガティブな感情のピークだった。空間が繋がって、視界に飛びこんできたのは、
「あ……」
 自分の席で四人の友だちと談笑に耽る、住友さんの姿だった。

 一目見た瞬間、明るい、と思った。教室の中で、彼女がいる場所だけが輝いている。笑顔の質が、昨日までとは明らかに違っているのだ。唇が動く頻度を見る限り、普段どおり聞き役に回っているようだけど、それでいて輪の中心にいるかのような存在感を放っている。
 住友さんにも変化が起きたのだ。
 それも、いい方向に。とても、とても、いい方向に。

「あっ」
 戸口に佇む僕に気がついた。反射的に、といった動きで椅子から立ち上がる。四人に目だけで合図を送り、僕へと歩み寄ってくる。足どりがとても軽い。友人たちの反応も、住友さんに対する理解のほどが窺えた。結果は火を見るよりも明らかだ。
 そして、友だちが見ている中で僕とコミュニケーションをとろうとしている事実。

「香坂、おはよう」
「おはよう。えっと、昨日、友だちに話してみるって言っていたけど――」
「うん、伝えた。ちゃんと理解してもらったよ」
 笑顔が弾ける。僕と一対一というシチュエーションでもめったに見せることがなかった、屈託のない笑顔。

「言いかたにはもちろん細心の注意を払ったけど、ようするに、みんなと付き合うのが苦痛だって言うわけでしょう。心臓が張り裂けそうだったけど、みんなはとても冷静に受けとってくれて。みのりは人の反応気にしすぎだよ、これからはもっと肩の力を抜いて接してよ、みたいなことを言われた。無理なものは無理って、正直に言ってくれたほうが全然いいからって」
「そっか。それはよかった」

「相良さんと生島さん、実は小説を読むのが結構好きらしくて、今度三人で本屋巡りをしようっていう話になったよ。それから、全然だめじゃないからみんなに合わせたけど、木下さんも実は辛い料理はあまり得意じゃない、なんていう事実も判明したりとか。羽生田さんは、子どものころは内気で人見知りな性格だったっていう話をしてくれた。羽生田さんはみんなを引っ張るタイプだから、すごく意外だったんだけど、昔はそうだったんだって。
 昨日一日で、というか夜の数時間で、みんなとの仲がかなり深まった気がする。みんなのちょっとした秘密を知ったことで、親近感が湧いたし、秘密を明かしたことで、私も心が楽になったし」

 住友さんは心地よさそうに、淀みのない口振りで話す。誰かに遮られない限りどこまでも続いていきそうだ。
 彼女はきっと、友だちに対して誠実であろうとしすぎて、付き合うのが苦痛になってしまったのだろう。
 鎖から解き放たれた彼女は、誇張でもなんでもなくて、世界で一番輝いている。

 そんな彼女と、紆余曲折を経て、僕は友だちになった。
 でも、まだ先はある。もっと、もっと、彼女と仲よくなりたい。

「ここ、出入りの邪魔になるね。席行こう、席」

 僕の指先に住友さんの指先が触れる。手を握られるのかと思ったけど、掴んだのは制服の袖だった。
 少しがっかりしたけど、すぐに気を取り直した。
 だって僕たちは、つい一か月前に知り合ったばかり。その程度のスキンシップが普通で、それ以上を求めるのは時期尚早。少なくとも、現時点では。

 袖を掴んだ指先はそのままに、住友さんは席へ向かう。僕は引っ張られるのではなく、住友さんの動きに合わせて、同じ方向へと歩みを進める。

 いつの日か、こちらから手を握る人間になろう。
 そのときはたぶん、そう遠くはない。
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