緘黙記

阿波野治

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転校③

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 不登校三日目の夜、慎也は父親から書斎に呼び出された。学校へ行かない理由があるなら、正直に父さんに話しなさい。そう求められたものの、慎也としては、自分が学校で虐められている事実は、可能ならば知られたくなかった。一方で、自分は不当な理由からではなく、やむにやまれぬ事情から学校を休んでいるのだ、原因は学校にあるのだ、そう伝えたい気持ちもあった。
 慎也は無言をもって返答とした。学校で虐められている事実を打ち明けることなく、学校を休んでいる原因が学校にあると分かってもらうのは、たとえ相手が家族でも、人と喋るのが苦手な僕には至難の業だ。僕にできるはずがない。そんな思いが、予感が、彼の勇気を挫き、彼の喉に蓋をしたのだ。
 無視されたことで、父親はあからさまに機嫌を損ねた。人に話しかけられたら返事をしなさい。意見があるならはっきり言いなさい。説教混じりに促したが、慎也は唇を閉ざし続けた。半ば感情的に、執拗なまでに繰り返されても、頑なに沈黙を守った。結局、明日は必ず学校へ行くという約束と引き換えに、彼は放免された。
 慎也は翌日も学校を休んだ。その次の日も、休み明けの月曜日も。
 父親は毎日のように、自らが帰宅次第、慎也を書斎に呼び出して説教をした。学校へ行かない理由があるなら、正直に父さんに話しなさい。理由がないなら、明日からちゃんと学校へ行きなさい。説教の要旨は以上に尽きた。
 語調は日に日に厳しさを増し、ある日とうとう、息子は正当な理由もないのに学校を休んでいる、と断定したらしかった。明言こそしなかったものの、慎也はその変化を敏感に察知した。それに対する抗議の意味から、彼は話し相手と目を合わせるのを止めた。結果、父親が息子に対して抱いていた感情は劇的に悪化した。父親の帰宅後恒例の書斎での話し合いは、父親が一方的に息子を詰り、せっつき、罵倒する場と化した。慎也は最早、勇気を奮い起こし、真実を洗い浚い打ち明ける機会を完全に見失っていた。
 不登校が始まって十日目の夜、同じことの繰り返しに、慎也は嫌気が差した。嫌悪感を抱いていたのは前々からだったが、これ以上押し殺すのは不可能だと悟った。その心情を表明するべく、父親が述べた何らかの言葉に対して、うるさい、と彼は叫んだ。自らの意思を声で表現するのが苦手な彼は、自らの意思を声で他者に伝える必要が生じた場合、短い言葉や一つの単語に思いを託すことが多かった。
 うるさい、という言葉を選んだが、煩わしい、という表現の方が実感としては近かった。休み時間になるたびに、暴言を吐き暴力を振るうために群がってくるクラスメイトも。学校に通わなければならない義務も。十四年間生活を共にしながら、彼が生来不得意としている、イエスかノーで答えられない質問を未だに平然と投げかけてくる父親も。何もかもが煩わしかった。
 突然の暴言、予期せぬ反抗に、父親の怒りのメーターは振り切れた。表情を歪め、顔面を紅潮させ、荒々しく叫んだ。
「自分の意見も言わないくせに、何がうるさいだ! 親を嘗めているのか!」
 瞬間、慎也の中の何かが切れた。
 言わないくせに? 違う! 僕は言いたいことがあるけど言わないんじゃない。言いたいことがあっても言えないんだ。十四年も一緒に暮らしているのに、まだそれが分からないのか。
 慎也は右手を固く握り締め、父親の左の二の腕を思い切り殴った。人生で初めて親に暴力を振るった瞬間だった。
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