アリス・イン・東京ドーム

阿波野治

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売り物の剣

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 チェックアウトしてから古謝さんと合流するまでは、百二十分の間がある。
 間があるからには潰さなければならない。せっかく東京に来たのだから、漫画喫茶に入り浸るのではなく、観光スポットを巡りたい。しかし、東京のどこにどんな観光スポットがあるのかはよく知らない。そんなときに頼るべきは、文明の利器・スマートフォンだ。

 調査検討の結果、とりあえず、和田倉噴水公園というところに行ってみることにした。理由は単純、『リア』の近くにあり、散策するにはうってつけの日和だから。
 ところが、いざ目的地を訪れてみると、

「……噴水のある公園だねぇ」
「噴水のある公園ね」

 というような感想しか湧かない、がっかりスポット、残念公園だった。広々としていて綺麗な公園なのだが、似たようなのは全国各地に掃いて捨てるほどあるに違いなく、「噴水」の二文字が名称に含まれているが故に、噴水がある公園なんだろうな、と予想がついていたので、

『うわあ! お父さん、見て見て! あそこにおっきな噴水があるぅ!』

 というような感動もない。

 せっかく来たのだから、ということで、とりあえず、といった感じで公園内をぶらついていると、突然、大量の水滴が頭上から降り注いだ。和田倉噴水公園を訪れて初めて心を揺さぶられた瞬間だったが――ちょっと待て。噴水にしてやけには広範囲に降り注いでいる。
 上空を仰いで、たちどころに謎が解けた。水滴を降らせたのは雨雲だったのだ。

「なんなんだよぉ! 最悪だよ、もう!」

 自らの不運と、花の都の移り気な空模様と、和田倉噴水公園を一まとめになじりながら、最寄りの木の下に駆け込む。ヒステリックな泣きっぷりをしばし見守ったが、雨の勢いは衰える気配がない。

「ったく、誰だよ、こんな公園を行き先に選んだのは」
「鏡を見ればいいと思うわ」
「アリスって、割と俺が望んでるツッコミ返してくれるよな。冷たいように見えて実はいいやつ感、凄くあるよ。凄くある」
「そうかしら」
「そうだよ。流石は俺の相棒だ」

 返事がない。いろんな意味で惜しいお嬢ちゃんだ。
 和田倉噴水公園の近くには、皇居外苑や日比谷公園などの観光スポットがある。それらの場所に足を伸ばすことも視野に入れていたのだが、この天候では外はほっつき歩けない。ほっつき歩けることはほっつき歩けるが、ほっつき歩いたとしても楽しくないに決まっている。

「アリス、降りやみそうにないし、計画変更しちゃっていいかな? 楽しみにしていたところ悪いけど」
「楽しみにしていたもなにも、わたし、あなたが立てた計画のことは一切知らないんだけど」
「マジか。お前賢いから、人の心くらい読めると思ったんだけどな。流石にそれは無理か。そっかー。うーん、残念」
「読めた方がよかった?」
「うん。色々活用できそうだし。具体的には特に思い浮かばないけど」
「残念だけど、諦めて。人間にはできないことの方が多いのだから」
「大人の体になれる身分で、なにをおっしゃる」

 などと話しているうちに雨が気持ち弱まったので、木の下から走り出し、そのまま和田倉噴水公園をあとにした。

 雨宿り先に選んだのは、和田倉噴水公園のほど近くにある、相田みつを記念館(?)なる施設。

「入館料は、大人は八百円、未就学児は無料です」

 受付嬢ははきはきと告げた。

「……高い。高すぎる……」

 思わず呟くと、思い切り睨まれたので、咄嗟に微笑みで取り繕う。
 八百円。みつを信者ならともかく、みつをに一ミリも興味がない人間からすれば、高い。和田倉噴水公園の近所にある観光スポットという理由だけでここを避難先に選んだのは、失策だったかもしれない。
 ただ、一旦入った建物から、なにもせずに去るのには抵抗があるのも事実。

 しゃーない。声に出すと睨まれるので心の中で呟き、野口英世を支払うと、百円玉一枚と五十円玉一枚と十円玉五枚が釣り銭として返ってきた。百円玉二枚ではないのが実にいやらしい。まだ施設内に足を踏み入れてもいないのに、相田みつをのことが嫌いになった。回れ右して帰ろうかと思ったが、金が勿体ない。順路に沿って歩を進める。

 第一展示室なるゾーンには、みつを自筆のポエムもどきがずらっと展示してあった。時間帯が悪いのか、客は人っ子一人いない。
 せっかく金を払ったんだからという、もったいない精神のもと、展示物を一作品ずつ見ていく。そうするうちに分かったのは、俺はポエムの類には全く興味がない、ということだ。

「アリス、どう? 面白い?」

 返事はなかったが、詩は面白いか・面白くないかで測るものではない、と言われた気がした。横顔はかなり真剣だが、無表情だからそう見えるだけなのか、本当に真剣なのか。いずれにせよ、完全なるアリスのための時間というわけだ。

「ではここで、『あいだみつを』でアイウエオ作文を作りたいと思います。あ。愛してる。い。嫌がらないで。だ。大丈夫。み。蜜柑――いや、違うな。未練――駄目だな。うーん、難しい」

 ふざけたことを言いまくったが、案の定、アリスは完璧に無視だ。

「ていうか、ここに展示してある作品、そもそもポエムでは――」

 通りがかった職員が、露骨に俺のことを睨んできたので、咄嗟に口を噤んだ。

 第一、第二、第三、第四、第五――そんなになかった気もするが、とにかくいくつかの展示室を回り終え、最後に待っていたのは、土産物コーナー。空間の広さ、内装の気合い入っている感、照明がLED、などの点から判断して、どうやらここが相田みつを博物館(?)のメーンコーナーらしい。
 お土産コーナーがメーンというのはどうかと思うが、なるほど、品揃えは非常に充実している。一例を挙げれば、小物だと、みつを目覚まし時計、みつをメモ帳、みつを日めくりカレンダー、みつをリップクリーム、みつをトイレットペーパー、みつをオルゴール、みつを結束バンド、みつを台所用洗剤、みつを熊手。食べ物だと、みつをビスケット、みつをグミ、みつをバナナ、みつをチョコパン、みつをポテトチップス、みつをクリームソーダ、みつを紅生姜、みつを一口ハンバーグ、みつをわかめスープの素。

「買うならあれはどうかしら」

 フルーティーな香りのするみつを消しゴムを熱心に見ていると、アリスがとある商品を指差した。傘立てを思わせる円柱形の細長い瓶に、棒切れが挿してある。みつを消しゴムを棚に戻し、瓶に歩み寄る。
 棒切れは、野球のバットくらいの長さの、ゲームの世界における勇者が普通に携帯しているような、飾り気のない剣だった。商品名は、

「ヴォーパルソード。どこかで聞いたことがあるような……」
「この剣が、わたしがあなたの家で言及した、ジャバウォックの紙風船を割ることができる剣よ」
「そういえば、そんなことも言ってたような、言ってなかったような」

 商品名の下、値段の右には、「ジャバウォックの紙風船を確実に割れます!」という説明書きが記されている。
 お値段は一振り三千円。三振りまとめて買うと八千円らしい。高いのか、安いのか。現実世界において剣を売っているのを見たことがないので、なんとも言えない。「三振りまとめて買うと八千円」と書いてはいるものの、瓶には一振りしか残っていない。人気商品なのだろうか。

「ジャバウォックに追われているタカオにはぴったりのお土産だと思うわ。値段も安いし」
「いや、タカオじゃないけど、三千円って安いのか。じゃあ、記念に一振り――」

 瓶からヴォーパルソードを引き抜こうしたとき、ヴォーパルソードが挿してある瓶の隣に、もう一つ瓶が置かれていることに気がつく。
 そちらの瓶に挿さっていたのは傘で、商品名はずばり、みつを傘。見たところなんの変哲もないビニール傘で、空、鶯、煉瓦、利休鼠、芥子、ラベンダーの六色があり、ビニールの部分におっさんの顔がプリントされている。

「雨降ってるし、こっちにするか。傘は武器としても使えるけど、剣では雨は防げないからな」
「でも、傘ではジャバウォックの紙風船は割れないわ」
「まあいいじゃん、金は俺が出すんだから。色、お前が選んでいいよ。なにがいい? 女の子だから、やっぱりラベンダー?」
「ううん、鶯色。でも、本当に傘でいいの?」
「いいんだよ」

 鶯色の傘を瓶から引っこ抜き、レジで支払いを済ませ、相田みつを文学館(?)の外に出ると、

「あっちゃあ」

 雨はすっかり降りやみ、空は晴れ渡っている。

「あっちゃあだよ。あっちゃあの一言に尽きるよ。……やっぱヴォーパルソードにしておけばよかったかなぁ」

 後悔の念に襲われた直後、屈強な体格の男性が館内から出てきて、俺の横を通り過ぎた。その手に大事そうに握られているのは、噂をすれば影、ヴォーパルソード。
 これですっぱり諦めがついた。どなたかは存じ上げませんが、ありがとう、お兄さん。

「じゃあ、ちょっと早いけど、東京ドームへ行くとしますか」

 今現在の空模様のように爽やかに言って、東京駅へと引き返し始めた。
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