アリス・イン・東京ドーム

阿波野治

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ホワイトハウス

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 電車に数分間揺られ、降り立った駅の外に広がっていた景色は、大都会という印象ではなかった。雰囲気としては、我が故郷・徳島の玄関口となっている駅界隈のそれに極めて近い。
 商業地は駅周辺のごく狭い領域を占めるのみ、というところまで、故郷の駅前と同じらしい。三分も歩くと、俺のような語彙が貧困な人間からすれば、「閑静な住宅街」以外の言葉で表現するのが難しい街並みに早くも移り変わった。
 目に入る建物の大半が住宅だが、ごくたまに、日用雑貨まで置いていそうな寂れた酒屋、理髪店というよりは床屋と呼びたくなるような店構えの理髪店、などが建っている。古謝さんが行こうとしている店も、それらと同様、住宅と住宅の間隙に場違いに店を構えているのだろうか。

 道中はおおむね俺が話し手を務めた。話題はもっぱら、『リア』をチェックアウトしてからの時間をどう過ごしたか。雨に祟られた和田倉噴水公園、相田みつを科学館(?)の似非ポエム、アラブ人と二瘤駱駝だらけの東京ドーム前。

「私? どちらかといえば、一瘤駱駝の方が好きかな。瘤が一つしかないところが潔い感じがして」
「俺も一瘤派です。でも、三瘤駱駝がいたらいいなって、ちょっと思いません? 四瘤五瘤まで増えると気持ち悪いけど」
「そうよね。せいぜい三瘤が限度よね」
「二人一緒に乗れるし」
「あ、いいわね。私と一緒に乗るとしたら、前と後ろ、どっちがいい?」
「難問ですねぇ。チャリの二人乗りだと男が前だけど、あれは体力があるから漕ぎ役に回っているだけだし」
「あ、でも、アリスちゃんはどうしようか?」
「そんなもん、俺が持ちますよ。それでいいよな?」

 小脇に抱えた幼女に話を振ったが、リアクションはない。古謝さんと合流し、移動を開始して以来、ずっとこんな感じだ。一回「話に入ってこいよ」とは言ったのだが、態度に変化はなかった。古謝さんが適時声をかけているし、俺からすれば古謝さんと二人きりで話すのは望んだ展開だから、放ってあるけども。
 前とか後ろとか、なんかエロいな、と思った直後、

「あの店よ」

 古謝さんが前方を指差した。行き止まりになった行く手に、屋根も外壁もショッキングピンクの店が建っている。汚い字で看板に記された店名は『ホワイトハウス』と読めた。ピンクなのにホワイト。ろくでもない香りがぷんぷんする。
「入ったことはない」と言っていた割に、古謝さんは週三で訪れる行きつけの店に入るかのごとく、すっと自動ドアを潜った。歩いている間ずっと左手で回転させていたみつを傘を店頭の傘立てに突っ込み、あとに続く。

 中は見事なまでにピンク一色で、玩具に菓子に雑貨と、実に色々売られている。広くない店内の限られた幅と奥行きと高さを最大限活用するように棚が設置され、ぎゅうぎゅう詰めに商品を陳列してあるので、ファンシー感溢れる色調にもかかわらず圧迫感を覚える。通路は畦道のように狭い。
 BGMはJポップだ。君に会いたい、でも会えない、だから切ない、けれども愛おしい。若い女の声はそういう意味の歌を歌っている。多分、歌い手の親戚の女子中学生が作詞を担当したのだろう。

「中々ユニークな店ですね」
「本当ね。色々売っているから、見て回るだけでも楽しそう。――あっ。あっちに服が置いてあるみたいだから、行ってみましょう」

 古謝さんは俺からアリスをやんわりと奪い取り、店の奥へずんずん進んでいく。ついて行こうとした俺の脚になにかが接触、床に落ちた。

「あ、ちょっと」

 呼び止めたが、古謝さんはアリスと話をするのに夢中で声が聞こえなかったらしい。二人の姿は陳列棚の向こうに消えた。

「やれやれ」

 微笑ましく溜息をつき、足元に視線を落として、あと一歩のところで声を上げるところだった。心臓が転がっているのだ。
 まじまじと観察する。このなんとも言えないリアル感、九割九分九厘本物だろう。生で見た経験は初めてなのでなんとも言えないが、大きさから判断して、人間のものだろうか。鼓動は停止しているが、今にも動き出しそうに見える。
 俺のせいで棚から落下したのだから、拾い上げて棚に戻す義務が俺にはある。とはいえ、生の臓物を素手で掴むのは流石にちょっと……。

 なにか良案はないかと凝視を継続しているうちに、心臓には値札がついていないことに気がつく。
 売り物ではないのだ。客あるいは店員がうっかり落とした私物だったのだ。
 ならばそれを拾って戻す義務は俺にはない。落とし物を発見したのだから店の人間に報せなければいけない気もするが、義務ではなかろう。
 結論は出た。出た以上、さっさと二人に合流し、三人で楽しく買い物をしたい。
 立ち去ろうとした矢先、視線を感じた。振り向いた瞬間、

「はえわっ!?」

 素っ頓狂な声を発してしまった。柱の陰から、女がこちらを見ているのだ。
 着ているのは白黒のメイド服。肌と髪と瞳は黒だ。二十歳前後だろうか。能面のようなという表現は、無表情という意味の他に、容姿端麗なという意味もあるらしいが、女の顔は両方の意味で能面のようだった。

 メイドは、二・三年前にテレビで観た、外国の映画の一場面を思い出させた。
 舞台は、郊外にひっそりと建つ中世風の屋敷。一人留守を任された黒人のメイドが家事に励んでいると、玄関のチャイムが鳴る。応対に出ると、来訪者は白人の男三人組で、いきなりメイドに襲いかかる。家の中を必死に逃げたが、三階の一室で捕まり、その場であんなことやこんなことをされる。事後、メイドは三人組の隙を見て部屋の窓から飛び降りる。窓の下には、剣を象った装飾が施された鉄製のフェンスがある。それに体を貫かれ、メイドは帰らぬ人となる。
 うろ覚えだが、確かそんな内容だった。

 当時中学生、ティッシュの消費量が一生で最も多い年頃だった俺は、一連の映像のエロティックさ、バイオレンスさに衝撃を受けた。
 メイドはその屋敷で働いているのだから、その部屋の窓の下に危険な形状の装飾が施されたフェンスがあると把握していたはずだ。それにもかかわらず、なぜそのルートから脱出を試みたのだろう? 今になって考えれば、意味不明だ。
 観なかった場面に謎を解くヒントが隠されているのかもしれない。単に記憶違いをしているだけの可能性もある。いずれにせよ、不可解な、それ故に印象深い一場面だった。

 その不可解な、それ故に印象深い一場面における悲劇のヒロインと顔も恰好も瓜二つの女が、今、俺の目の前にいる。

「放っておいていいよ」

 囁くような声が沈黙を破った。流暢な日本語だった。

「私が片づけるから、そのままにしておいていいよ」

 メイドだものな、と俺は思った。それが仕事だものな。それと引き替えに給料を貰っているのだものな。
 会釈し、通路の両サイドの陳列棚からせり出した商品に注意しながら店の奥へ進む。

 角を曲がると目の前はレジで、古謝さんがいた。樋口一葉を差し出したところだったが、それを受け取ったレジ担当の店員は、さっきの黒人のメイドだった。

「瞬間移動……!」

 メイドはこちらには見向きもせずにレジから釣り銭を選び出しているが、古謝さんは振り向いた。申し訳なさそうに眉間を狭める。

「ごめんなさいね。アリスちゃんの服、私が勝手に選んじゃった。よさそうなのを見つけたから、つい」
「いや、全然いいっすよ。アリスが気に入ったんだったら、それで別に」

 そのアリスはどこにいるのかと思ったら、レジカウンターの前方左端で仰向けになっていた。支払い作業のために両手を空けておく必要があるため、寝かされているらしい。
 レジ担当のメイドに目を転じる。まじまじと見つめる。どう見ても先刻のメイドと同一人物だ。目が合ったが、すげなくそっぽを向かれてしまった。まるで床に落ちた心臓を巡るやりとりなどなかったかのようなリアクション……。まさか、瞬間移動したのではなくて、二人は別人なのだろうか?
 会計が済んだ。アリスを胸に抱き、古謝さんのあとに続いて出口へ。

「あの黒人の店員さん、凄く日本語が上手ね。びっくりしちゃった」
「もう一人いませんでした? 顔と恰好が全く同じの店員」
「黒人の女性じゃなくて、白人の男性の店員さんなら見かけたけど」
「そんな人、いました? 男の店員なんてどこにも――」

 あっ、と思った。
 心臓だ。心臓が通路に転がったままなのだ。片づけるとメイドは確かに言ったのに、放置されている。
「危ない」と叫ぶよりも早く、古謝さんの右足が心臓を踏みつけた。風船ガムが弾けたような音。ぺしゃんこになる心臓。飛び散るショッキングピンクの血。
 古謝さんが肩越しに振り向く。ピンク色の返り血を浴びた顔が微笑む。

「買い物も済んだし、お昼ご飯を食べに行きましょうか。とても美味しい店よ。きっと気に入ると思うわ」

 みつを傘は傘立てに残したまま『ホワイトハウス』をあとにした。連れ合いが心臓を踏み潰してしまったことに対する、せめてもの償いのつもりだった。
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