アリス・イン・東京ドーム

阿波野治

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禅と野球

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 欧米人的禅之公案。
 それが俺たち三人が入った店の名前だった。
 店名に禅とあるが、内装に禅の要素は一切認められない。老若男女を問わず気軽に入れる、小綺麗な、ごく普通の飲食店。そんな印象だ。

 案内されたのは奥まったテーブル席。壁側に古謝さんが、通路側に俺とアリスが座った。この時点では、『欧米人的禅乃公案』がなにを提供する飲食店なのかを俺は知らなかったが、禅という言葉が持つストイックなイメージから、精進料理などを出す店ではないかと予想した。

 古謝さん、健康に気を遣ってそうだもんな。ファストフードは週末に友達と映画館に映画を観に行ったときの昼食にしか食べなさそう。白米と玄米ご飯のどちらかを選べるなら玄米ご飯を選ぶだろうな、きっと。でも勘違いしてほしくないのは、和食って結構塩分が多いから、あながち体にいいとは言えないんだよね。まあ、古謝さんはそのへんのことはよく分かっているだろうけど。
 などと思いながらメニューを開くと、料理名と値段とともに載っている写真に写っていたのは、たこ焼き。

「この店、たこ焼き専門店なの」

 古謝さんは微笑んで俺とアリスの顔を交互に見た。

「惣菜系は勿論、あんこを筆頭にスイーツ系も充実しているの。全部で何種類あったかしら。とにかくたくさんあるから、写真を眺めるだけでも楽しいわよ。じっくり選んでみて」

 小冊子のごとき厚さのメニューを順番に見ていく。具のバリエーションは豊富だ。まず惣菜系でいえば、帆立、白身魚、かに風味かまぼこ、卵、牛肉、ポテト。このへんのチョイスは、まあ分からなくもないが、スイーツ系はカオスとしか言いようがない。粒あん、チョコレート、オレンジママレード、苺、キーウィ。よくも悪くも実に多彩だ。
 たこ焼きの断面を写した写真が、一商品につき一枚ずつ載っている。苺なら赤、オレンジママレードなら黄、キーウィなら緑と、とてもカラフルだ。「写真を眺めるだけでも楽しい」という古謝さんの言葉も大いに頷ける。

 具がたこじゃない時点で、たこ焼きじゃなくね? たこ焼きの生地の中にわざわざ甘いものをインする必要、なくね?
 そんな無粋なツッコミを封印することが、『欧米人的禅之公案』では肝要なのだろう。……多分だけど。

「アリスちゃんはどれにする?」

 古謝さんはテーブルの上に上半身を乗り出し、アリスと一緒にメニューを見ている。週末に我が子と一緒にファミレスに食事に来た、若いお母さんみたいだ。
 上はショッキングピンクのだぶだぶパーカ、下はショッキングピンクのぶかぶかパンツ、という服装にアリスは着替えている。『欧米人的禅之公案』に向かう道中に立ち寄ったコンビニエンスストアのトイレで、『ホワイトハウス』で購入した服に交換したのだ。派手な衣装とは裏腹に、無表情で、全身が脱力しているので、愛敬の振りまき方を忘れた道化役者かなにかに見えなくもない。

「わたしは食べなくても平気だから、無理にいらないわ」
「えー、せっかくだから食べようよ。食べられることは食べられるんでしょう?」
「一応は」

 とても和気藹々としている。アリスはいかにもやる気なさそうに座っているのに、なぜかそう感じる。

「じゃあ、新登場のピーナツバター味、注文してみる? まずアリスちゃんが食べられるだけ食べて、もし残ったら大人二人で半分こ、みたいな感じでどうかな」
「異存はないわ」

 古謝さんの顔がこちらを向く。

「なにを注文するか、決まった?」
「いや、まだっす。いっぱいありすぎて迷いますね。古謝さんは?」
「私は決めてる。男の子は食べ応えがある方がいいと思うから、惣菜系はどうかしら」

 結局、俺はチーズを選んだ。総菜系メニューの先頭に名前が載っていたので、それにしたのだ。アリスは古謝さんの勧め通りピーナツバター、古謝さんはティラミスを注文した。
 たこ焼きは三人分揃って、注文してから十分弱で届けられた。ファミレスなどでグリル系の料理を載せる一人用の鉄板に載っている。付け合わせもなにもなく、数個の球体が一塊になって皿に盛りつけられているだけなので、見た目は少々侘びしい。

「いただきます」

 古謝さんの一声を合図に、三人はそれぞれフォークとナイフを両手に持ち、熱々の鉄板の上のたこ焼きを攻めにかかった。
 フォークで真っ二つにすると、中のチーズがとろりと溢れ出す。鉄板の上に広がるとともに熱せられ、じゅうじゅうと音を立てて半ば蒸発し、半ば焦げる。口に入れる直前には、生地の内側にごく少量がへばりついているのみという有り様で、なんだかとても損をした気分だ。
 怖々と口に入れたが、想像していたよりも熱くない。味は、まあ、普通のチーズ味だ。生地やソースとの相性は悪くない。切り分けるたびに中身が大量に流出するのを大目に見れば、充分に及第点だろう。

 アリスは「食べなくても平気だから」と言っていた割に、食べるのに夢中だ。全身が弛緩していて、フォークやナイフを操るだけでも一苦労だから、そう見えているのか。それとも、単に空腹なだけか。

 会話はもっぱら俺と古謝さんとの間で交わされた。たこ焼きの味について率直な感想を述べ合ったあと、必然というべきか、話題は野球に移った。

「古謝さんは野球、詳しいんですか?」

 探りを入れてみたところ、

「そんなに詳しくはないけど、ボールを打ったバッターは一塁に行くことになっていて、ホームランを打ったら点が入るのは知っているわ」

 との返答。どうやらど素人に産毛が生えた程度の知識らしい。

「俺、割と詳しいですよ。子供のころはよく、親父と一緒にテレビで野球を観ていたんで」

 フォークに刺していたたこ焼きを口に入れ、咀嚼、嚥下。俺のターンだ。

「テレビで野球中継を観ていると、例えば、バッターがぼてぼてのゴロ打ちますよね、内野ゴロ。そしたら打ったバッターは、多分アウトだろうけども、内野手の一塁への送球が逸れるとか、送球がちゃんとしていても捕る方が捕り損なうとかもあるから、一生懸命一塁に向かって走りますよね、全力疾走。その一塁に向かって走るバッターを、カメラが追いかけて撮るでしょう。そうしたら画面の端っこに、一塁に向かって走るバッターを追いかけるように一塁方向に向かって走るキャッチャーの姿が映るんです。キャッチャーはね、バッターがゴロを打ったら必ず一塁方向に走るんです。なぜか分かります? これはですね、キャッチャーっていうのは守備に就いている間はずっとうんこ座りを――あっ、すみません、食事中に。でもうんこ座りって、言い換えるとしたらどんな言葉――あ、またうんこって言っちゃった。えーっと、なにを話してたんだっけ。ああ、そうそう、キャッチャーだ、キャッチャー。キャッチャーは守備の間ずっとうんこ座りをしてるから、足が痺れちゃうんですよね。試合中に足が痺れたら、やっぱり都合悪いじゃないですか。パスボールに反応できない、バックネット方向に転々と転がるボールを直ちに捕りに行けない、なんてことになったら、チームも自分も困るじゃないですか。だから機会を見つけては足を動かして、そうならないように気をつけているんです」
「へえ、そうなの」

 古謝さんは至極簡単に答えてグラスに口をつける。
 アリスは弛緩した体を懸命に動かして食事をしていて、俺には見向きもしない。
 このパーティ、大丈夫か……?
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